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2020年4月10日 (金)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の35世の中の器用不器用

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の35世の中の器用不器用

無外流百足伝
世の中の器用不器用異らず
      只真実の勤めにぞあり

 世の中には器用な人も不器用な人も居ると云うが、どちらも異なるものでも無い、ただ真実のみを求めて勤めることが奥義に至ることである。

 剣術を始めると、直ぐに技の順番を覚えてしまうとか、その業の術理に近づくとか、器用な人も、不器用な人も居るようですが、その程度の進歩では大した差があるものでも無い。
 中には優れた素質を持っていても、剣術に対する思い入れが薄い人も居るものです。それが何時まで経っても稽古はサボりがちで、物覚えも動作も鈍いものが志し高く日ごとに励めばスルスルと差がついて行きます。
 差がつくとは武術に於いては何なんでしょう。真剣勝負が許されて日本刀での切り合いで勝つのに、形の稽古で見せた器用不器用がどれだけの意味をなすでしょう。竹刀剣道の当てっこが上手でも、それで勝負がつくでしょうか。
 武術は人のコミュニケーションの最終手段とも言われます。そこには器用不器用や上手下手などの事が遥かに及ばない、事のあるべき真実とそれを己の内に信じて接していく心のありようの方が遥かに強く訴えかけて来るものです。
 無外流の歌にはこの様な、人間本来あるべき姿を示唆する歌心が随所に見られます。無外流真伝剣法訣の十剣秘訣「萬法帰一刀」更に参ず三十年の教えが棒振りの良し悪しにのみ拘り続ける事から昇華出来るのでしょうか。「道法自然」に本物を求めて歩み続ける事こそ、道かも知れません。

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