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2020年4月 6日 (月)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の30目には見えて手には

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の30目には見えて手には

無外流百足伝
目には見えて手には取られぬ水の中の
        月とやいはん流儀なるべし

 目には見えるのだが、手に取ることは出来ないのが水の中の月と言うわけでは無いが、それが我が無外流の流儀なのだ。

 無外流の無外流真伝剣法訣の十剣秘訣に「水月感応 氷壺に影像無く猿猴水月を捉う」の文章があります。この意味は、我が澄みきった心に実体はなくとも猿が水に移った月を捕えようとするように、相手の心の動きが我が心に移り即座に反応するものだ。と伝書は伝えています。
 その、水に移る月のように、眼には見えても手に取ることは出来ない月の影のように我が心に移る相手の思いを察知して素早く応じるのが我が流儀なのだ。
 従って、「敵に因り転化す、事の先を為さず敵に随って動く」相手の動きに随って応じるもの、といいます。
 しかし「月とやいはん」と云うのは、水の中に写った実態のない影に反応して先を取るつもりで動くべきものでは無い、それが我が「流儀なるべし」なのでしょう。
 歌心はわかっても、相手が何をしようとするのかを心に移しとる水月感応に至らなければ結果として、相手の動きに随う前に闇雲に手を出してしまいそうです。
 回りくどい解釈をしませんと、他流のように相手の打ち込まんとする心を我が心に移し取って先を取ると解釈してしまいそうです。先を取る事ばかりを思い描くならば、「事の先を為さず敵に随って動く」が抜けて、敵に乗せられるばかりです。相手の心を読めたならば、相手の動きに従って何をすべきか瞬時に判断して応じろと云うのでしょう。
 
 

 

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