道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の23たばかり
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兵法百首
多者可利登矢とめかうおく長具足
堂世ひ耳ふ世ひ兵法乃保可
たばかりとやとめこうおくながぐそく
たぜいにぶぜいへいほうのほか
謀りと矢止め高屋長具足
多勢に無勢兵法の外
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この歌は上の句が読めなければ何を歌っているのか解りません。写真による石舟斎の文字を拾い読みして見ても、今村嘉雄先生の読み下し文と比較しても読み下しは良さそうです。問題は「矢とめこう(かう)おく長具足」が 正しく読めて意味が分からなければ解釈不能です。
たばかり(謀り)・・思いめぐらすこと・思案・計画・工夫・はかりあざむくこと
矢とめ・・矢を射ることを中止すること・休戦
こうおく(高屋)・・高くそびえた家
長具足・・槍、薙刀の長物
兵法・・いくさのしかた・用兵と戦闘の方法・兵学・軍法、剣道などの武術・ひょうほう
敵をあざむく休戦、見せかけの家屋(砦)、長物の武器、多勢に無勢などの行為は兵法の外である。
戦国時代の兵法の語意は剣術などの小さな戦いを称していたり、大きな戦争の方法も語られていた様です。此処では剣術の外の事と云うのでしょう。
武蔵は五輪書で「太刀よりして兵法といふ事道理也。太刀の徳よりして世を納め、身を納る亊なれば太刀は兵法のおこる所也。太刀の徳を得ては一人して十人に勝つ事也。一人して十人に勝つなれば、百人して千人にかち、千人にして万人に勝つ。然るによって、わが一流の兵法に、一人も万人もおなじ事にして、武士の法を残らず兵法といふ所也」と云っています。石舟斎の「兵法の外」とは少々違う捉え方です。
柳生宗矩は兵法家伝書進履橋で「・・さてよく敵の機を見て、太刀にて勝つを、勝つこと千里の外に決すと心得べし。大軍を引きて合戦して勝つと、立相の兵法とはかはるべからず。太刀二つにて太刀相ひ、切合ひて勝つ心を以て大軍の合戦にかち、大軍の合戦の心をもって、立相の兵法に勝つべし」武蔵と言い回しは異なりますが同じ思いの様です。
石舟斎の云う「兵法の外」は「立相の兵法の外」の意味でしょう。だまし打ちや、見かけや地位で圧倒したり、大勢で攻めたり、槍なぎなたによる突く、打つばかりの得物の扱いは、敵と対して「わが心のうちに油断もなく、敵のうごき、はたらきを見て、様々に表裏をしかけ、敵の機を見るはかりごとを心のうちにめぐらす兵法とは違う」という歌心でしょうか。
何だかスッキリしません。一対一の戦いの考え方は大軍を持ってする戦いと同じ心持ちならば稽古に励む意味もあろうと思いますが、チャンバラの優劣を楽しむなら大道芸と変わらない。
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