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2020年5月

2020年5月31日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の46卜清十首7兵法の心なくして差す刀

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の46卜清十首
7兵法の心なくして差す刀

兵法百首のうち卜清十首
兵法の古ゝろ奈くしてさ須か多奈
      ものき礼奈利とたのミ春く奈し

兵法のこゝろなくしてさすかたな
      ものきれなりとたのみすくなし

兵法の心なくして差す刀
      物切れなりと頼み少なし

 兵法の心得も無いのに刀を差しても、あれを切ってくれなどとの頼みごともありそうもない

 下の句は「物切れなりと」の物(もの)の意味を「敵」と見るのか、人以外の「物」なのかですが「刃物」は切れるものですが、刀では、物によって過ぎたるは及ばざるものです。兵法を知らない者には、切ってもらう上意の役目もないでしょう。庖丁や鉈、鎌の方が役立ちそうです。
 兵法百首に石舟斎がわざわざ取り込んだこの歌の心は、どのように解すれば良いのか、歌のままをもう一度読み直してみます。

 兵法の心得の無い者が差している刀では、物(敵)を切ろうとしても思った様に切れないものだ、切れる刀も頼みにはならない。

 この方が、如何にも兵法者の歌う歌になりそうです。

 

 

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2020年5月30日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の45の6あづさ弓本末しらぬ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の45の6あづさ弓本末しらぬ

兵法百首のうち卜清十首
あつさ弓毛と春衛志らぬ兵法者
      そらうて古ひ天遣可を満く留奈

あづさ弓もとすえしらぬ兵法は
      そらうてこひてけがをまくるな

梓弓本末知らぬ兵法は
       揃うてこいて怪我をまくるな

 始まりも終わりも解らない兵法なのだから、揃ってやって来て怪我をするな。
 
 この歌の読みすら満足に出来そうもないのは、この頃の歌の約束事をよく知らない為なのか、何か極意が隠されているのか、不勉強の祟りなのか、それとも原文がおかしいのか、それでも今ある自分を精一杯出して読んで見る以外にありません。
 違うよと云われれば、それはそれでありがたいことです。石舟斎が自分の歌の中の卜清の歌として取り込んだ歌ですから心に響くものが有ったのでしょう。

「あづさ弓」は、梓の木で造った丸木の弓、すえにかかる枕詞
「もとすえ」は、初めと終わり
「そろうてこひて」は、揃ってやって来て
「怪我をまくるな」は、負傷するな、怪我をするな。

 揃って入門したのか、揃って他流試合にやって来たのか、全く別の事なのか・・まだ分別が付かずにいます。今日よりは明日に期待したいと思います。 

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2020年5月29日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の44卜清十首5弓矢馬兵法たのむ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の44卜清十首
5弓矢馬兵法たのむ

兵法百首のうち卜清十首
弓矢むま兵法たのむ奈尓可し能
      こゝろのうちそゆ可し可りけ留

弓矢むま兵法たのむなにがしの
      こゝろのうちぞゆかしかりける

弓矢馬兵法たのむ何某の
      心の内ぞゆかしかりける

 弓矢(や)、馬術、兵法を力としている何某の、心にひかれるものである。

 何某が、武将であるとか無いとかは別としても、弓矢や馬術など兵法の奥義を求めて励んでいる姿には、心が引きつけられる。その姿は現代でも同じかもしれません。芸事に是で良しと云う終着点は無いものかも知れません。此の処まではと辿り着いて見ればさらに上が見えて来て、今いる場所にいたたまれなくなるものです。
 健康状態や金銭的にも家庭や社会環境からも、これ以上は無理として諦める事はあるかも知れない、しかし挫折は慢性化して何をやっても中途半端に終わってしまったのでは、自分にゆかしさを持てなくなってしまいます。
 次々に芸事を変えるのではなく、今やって居る事を突き詰めると、スランプも起こります、然し手助けしてくれる他の芸事が目の前に表われもう一歩進める事もあるものです。
 どんな環境に置かれても、何かを追及する心は持ち続けたいものです。

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2020年5月28日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の43卜清十首4兵法は心の奥の太刀

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の43卜清十首
4兵法は心の奥の太刀

兵法百首のうち卜清十首
兵法者古ゝろのおく能太刀奈れハ
       と記耳志多可不寸尺そ可し

兵法はこゝろのおく能太刀なれは
       ときにしたかう寸尺そかし

兵法は心の奥の太刀なれば
       時に随う寸尺ぞかし

 兵法と云うのは心の奥にある太刀なのであるから、切り合う時には敵に随って、柄口三寸の拳に打こみ、其の太刀間は三尺の間積りである。
 或いは、あばら一寸を切らせて肉を切る寸尺の教えかも知れません。この歌の解釈は上の句は良しとしても、下の句は明快に読みこなせません。

 兵法は心の奥による太刀なのだから、状況を読み取ってちょっとした動作によるものだ。

 歌の解釈は、手前勝手な憶測をせずに、出来るだけその歌が歌われる状況を石舟斎の新陰流截相口伝書亊、没茲味口伝書をベースに辿ってゆくのが、石舟斎の兵法百首の筋と思うのですが、卜清十首では石舟斎の思いはありながら今一読みこなせないのです。伝書の内容も、歌も、新陰流に係る人たちの歌もその域に達しなければ読み取れないのはやむおえません。
 修行が進み、ふと理解出来る事もあるかもしれません。 

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2020年5月27日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の42卜清十首3弁慶がうしわか殿をよきしゅうと

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の42卜清十首
3弁慶がうしわか殿をよきしゅうと

兵法百首のうち卜清十首
弁慶可うしわ可殿を与記志うと
      多のミし事毛兵法のとく

弁慶がうしわか殿をよきしゅうと
      たのみし事も兵法のとく

弁慶が牛若殿を良き主と
      頼みし事も兵法の徳

 弁慶が牛若殿を良い主人と頼んだ事も、兵法の徳による。

 牛若丸の本当の姿はよく解らないものでしょうが、戦国末期には歴史物語としても語られていたのでしょう。牛若丸に弁慶が主従の契りを結ぶには、伝説として伝わる鬼一法眼から六韜三略を学び虎之巻を盗んでその教えを以って平家追討したなどの話は当時の人達も拳を握って聞き入ったものでしょう。
 その牛若丸、長じて義経の戦略によって平家は滅んだとされてもいます。義経に関する伝説も、吾妻鏡などの記録書なども都合よく書き換えられて事実を知る事は出来ません。
 吾妻鏡・平治物語・源平盛衰記・義経記・平家物語などを読みこなし、当時の公家と武家との関係などの時代背景を学んだ上、頼朝の存在意味を思い浮かべて義経像を自分なりに思い描く以外にありません。

 この歌も、そんな中で、弁慶が牛若丸の兵法に感服して家来になった物語から、良き家来を持つ事のきっかけに兵法の徳があるぞと歌っているのでしょう。
 兵法百首に乗せる程の歌か否かは読まれた人の夢にあるのでしょう。

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2020年5月26日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の41卜清十首2なぎなたのひらめく影

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の41卜清十首
2なぎなたのひらめく影

兵法百首のうち卜清十首の2
奈き奈多乃ひらめく影と可満鑓の
      可ゝ流しあひハ見るも目さまし

なぎなたのひらめく影とかま鑓の
      かゝるしあいは見るも目さまし

薙刀の閃く影と鎌鑓の
      懸る試合は見るも目覚まし

 薙刀の閃く影と鎌鑓の懸り試合は見ていても目が覚める様に釘付けになるよ。

 「目覚まし」は、目をさますこと、目をさますたよりになること。目の覚めるようにすばらしい、驚くほどだ、他がすばらしくてうらやましい、羨望の心がおどるようである、心外である、気にいらない、憎い。などです。(広辞苑より)
 この歌は、薙刀と槍の試合の様子を歌ったものでしょう。薙刀と刀、槍と刀の試合としても同じような雰囲気を感じられるかは双方の力量次第でしょう。
 新陰流の太刀捌きを思うと薙刀と槍の試合のような眼を見張る事も無く、勝負がついてしまいそうです。長物が繰り出されるのを往なして相手の小手に斬りつけている、そんなイメージが浮かんできます。

 この歌は石舟斎が敢えて卜清の歌を選別して兵法百首に組み込んだ歌でしょうか。石舟斎の歌を39首読んできた後の2首ですから、何か雰囲気が違う、それも兵法を修業して辿り着いた人の歌とは違うのです。二首読んだだけで兎や角云うべきではないという方もおられるでしょうが、違うものは違う、自ら辿り着いた人の極意を感じられないのです。


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2020年5月25日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の40是より卜清十首の1兵法の奥より奥の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の40是より卜清十首1兵法の奥より奥の

兵法百首のうち卜清十首
兵法乃奥与利おく能奈らひ古そ
      多ゝ可うをくの不多つ成介り

兵法の奥よりおくのならひこそ
      たゝこうおくのふたつ成けり

兵法の奥より奥の習いこそ
      ただ剛臆の二つなりけり

 兵法の奥より奥に至るその習いは、ただ心に宿る剛臆の二つを制することである。

 「ごうおく」の漢字の引き当ては、今村嘉雄著史料柳生新陰流では「剛」の文字を当てています。
 「剛」は、つよいこと・たけきこと。強く勇ましい、とかあばれるなどの意味になります。
 「憶」は、おぼえる・おもう、心の中に保つ、過去をおもいやる。
 「臆」は、おしはかる・おくする・おじける。

 「臆」か「憶」は同じ使い方をされている場合もあるし、当用漢字に「臆」が入れられたのがつい最近の事の用ですから戦後の文章には「憶」を使って居るとも思います。此処は時代が現代では無く戦国時代末期である事と、歌の意味を考えれば「臆」が正しいと思います。

 兵法を修業して業技法の修行を積んで、武器の操作の奥義に達したとしても、その奥には猛る心と、臆する心のいずれも制して静かに、敵の心に随う新陰流の極意を歌っている様です。
 しかし、新陰流は目附を正しく、「色付色随事」・「懸待有之事」など兵法を学ぶには無くてはならない事が幾つかあるもので、それなくして稽古の形すら決まらないものです。
 習いの中で剛臆を克服して奥義に至るのだろうと思います。この「習い」は誰かに教えられるものでは無く自ら悟るものと思います。
 
 袋竹刀や木刀での、形の幾つもを順番通り演じられると、出来たと錯覚するものです、相手をしてみると技が決まっていない場合が多々あるものです。相手が何を仕掛けて来たのか充分理解しないまま形を真似ても、己のやるべき事が決まらないものです。稽古の仕方を、新陰流の術理を能く勉強してそれに法って習い・稽古・工夫すべきなのでしょう。
 ほとんどが、実技の見本やDVDの形ばかり優先して、正しく習わずに「かたち」を真似て稽古してしまう様です。ですから「習い」は無く、「稽古」は自分流、当然流の持つ本来の「形」では無いので極意に至る「工夫」などありえないのは当たり前です。

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2020年5月24日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の39調伏の二字の心を

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の39調伏の二字の心を

兵法百首
てう婦く乃二字乃こゝろと兵法の
       古くいとつ年尓く婦うして与し

じょうぶくの二字の心と兵法の
       ごくいとつねにくふうしてよし

調伏の二字の心と兵法の
       極意と常に工夫してよし

 調伏の二字を心掛けて敵と対する心と兵法の極意とを常に工夫するのが好ましい 

 「調伏」の意味を仏教でいう様な呪詛であるのか、説得に依るのか、いずれにしても戦によって打ち負かせ降伏させる事ではないことを心がける事。
 兵法の極意を以って無刀によって降伏させるか工夫するのがいいよ、というわけです。この場合の兵法は大なるものも、一対一の小なるものも同じと見ていいのでしょう。

  「調伏」とは「じょうぶく」とよみます。「じょうぶくの二字」と書いて歌っていますが調伏と書くことを知っていて「てう婦くの二字」と変体仮名で書いてあります。
 調伏の意味は、仏教語で衆生の心と身を調和して諸悪行を制伏すること。密教で、不動・降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉などの明王を本尊として法を修し、怨敵・魔障を降伏する事。人を呪い殺すこと、呪詛。(広辞苑)

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2020年5月23日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の38兵法は器用によらず

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の38兵法は器用によらず

兵法百首
遍い者うハき与う耳与ら須其人の
       春計留心乃多し奈むに阿利

へいはうはきようによらす其人の
      すける心のたしなむにあり

兵法は器用によらず其の人の
      すける心の嗜むにあり

 兵法は才能があるから学ぶのでは無く、其の人の兵法を好んで精を出す心によるものだ。

 「きよう」は、物事の役に立つ才能のあること・手先が良く効くこと・抜け目なく要領よくたちまわること
 「すける」は、好く・助く・空く・透く等が当てられます。「すけるこころ」ですからどれも当てられそうです。
 「たしなむ」は、嗜む(すき、このみ)・窘む(苦しむ、悩む)
 日本語は漢字から使われて来たものと、本来の日本語であったものが入り混じって、更に漢字表記と仮名表記とがあって、漢字には一字で意味を持ちますが、仮名表記されると多様に意味をとらえる事が出来てしまいます。
 この歌の読み下しをどの様にするかは、作者の心情を理解した上で読むべきものでしょう。
 
 前回の兵法に三段階ある事を理解された方は、少し切られて多く切る棒振りがうまいのであれば極意、無刀にて少し切られても相手の太刀を取るのは第一の上手、分別の心持ちに少しも油断無く戦に至らせない心である事を専一の位ですから、棒振りの器用さだけではこの流を身に付けたとは言えないのです。
 無刀による闘争で終わるならば、空手・柔術・体術・合気など幾らでもありますが、兵法における分別の心持ちの世界は更に奥深いものを嗜む窘(たしな)みがあるものです。
 日本には聖徳太子の「以和為貴」、家康の「元和偃武」、そしてその修行の一つとして上泉伊勢守信綱譲りの「無刀」という、おだやかで平和を好みこの地にたどり着いた日本人の祖先の思いがあるはずです。

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2020年5月22日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の37無刀にてけいこたんれん

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の37無刀にてけいこたんれん

兵法百首
無刀尓天けいこ多ん連ん取えてハ
       王可兵法乃くら為於そし類

無刀にてけいこたんれんとりえては
       わが兵法のくらいおそしる

無刀にて稽古鍛錬取り得ては
       我が兵法の位おぞ知る


 無刀による稽古鍛錬をして取り込むことが出来れば、我が兵法のあるべき姿を知り得るであろう。

「兵法の位」は他の兵法との位置づけ、違いと読んでも間違いでは無いでしょう。しかし石舟斎の生きた時代を考えれば、武器を以って殺し合い天下を我が物としようとする悲惨な時代であったことを思えば、無刀による兵法は平和を求め戦いの無い世の中を人びとは望んでいたことでもあったでしょう。
 家康の元和偃武は元和元年1615年大阪夏の陣によって豊臣政権を名実ともに滅ぼし去って、平和を目指す布告であったと思います。石舟斎は慶長11年1606年に没し、この兵法百歌は慶長6年1601年のものです。
 石舟斎が歌に無刀を歌ってから14年後、没してから9年後に世の中から戦の無くなる方向が示されたと云えます。石舟斎が家康に会った文禄3年1594年から何と21年後なのです。
 家康との出会いの際に無刀を演じて見せた無刀は兵法の究極の極意と云えるもので、それは流血による争いを避ける事に通ずるものと云えます。
 元和偃武は家康による無刀の極意の政治的実行とも云えるのですが、中傷的批判の好きな人は、あれは自分達一族だけが生き残る手段を行使したとも揶揄するでしょう。然し結果はどちらにしても250年の平和をもたらしているのです。

 宗矩の元和9年1624年の兵法截相心持事に「すこしきられておゝくきるを兵法心持の極意とす。無刀にて少しきられてもとるは第一の上手也。はかりごとを帷幕の中にめぐらして勝を千里の外に決しふんべつしなし気前のはたらき肝要なり。敵にたちあひて、分別の心もちにすこしもゆたんなき事を専一候。」とあります。
 この兵法の心持ちが「我が兵法の位おぞ知る」なのでしょう。

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2020年5月21日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の36手刀をばきりてかひなし

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の36手刀をばきりてかひなし

兵法百首
手刀を者きりて可ひ奈しとら連てハ
      いちこ手奈し乃不留や入なん

手刀をばきりてかひなしとられては
      いちご手なしのふるや入りなん

手刀をば切りて甲斐なし取られては
      一期手なしのふるや入りなん

 今村義雄著史料柳生新陰流にはこの歌の石舟斎の手記による写真は有りません。奈良女子大学学術情報センターの資料から原文の引用をさせていただきます。

 無刀の者に切り込んだが、其の甲斐もなく刀を取られてしまい、生涯手なしで古屋に住んでいるよ。

 この歌の文字のまま読んで見ましたが、笑い話みたいです。へぼが刀を持って、無刀で向かって行けばあり得るものと思えそうです。

 石舟斎に上泉伊勢守信綱が与えた無刀取の公案を開悟し、永禄8年1565年上泉伊勢守信綱より道統第二世を継承しています。「無刀」は兵法截相心持の事では「当流の向上極意是也」と云ってこれ以上のものはないと云う事から無刀と云う。とあります。

 「一期」は一生・一生涯・生まれてから死ぬまで。(広辞苑より)。
 「ふるや入りなん」は入りなんの言葉から、古屋に入ると読むのでしょう。あるいは、「一生涯手なしで歳を取ってしまった」と読むことも出来ます。何れにしてもこの歌を石舟斎の様に無刀の悟りを得た兵法者が自らを歌ったとは思えずにいます。
 

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2020年5月20日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の35無刀にて極まるならば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の35無刀にて極まるならば

兵法百首
無刀尓天幾ハ未留奈らは兵法者
        こし乃可多那ハむ与う成介利

無刀にてきはまるならは兵法は
        こしのかたなはむようなりけり

無刀にて極まるならば兵法は
        腰の刀は無用なりけり


 無刀でもどのような相手との攻防でも負ける事が無い程に極める事が出来る兵法ならば腰の刀は無用である。

 兵法を極める事はどのような事なのかを考えさせられる歌と云えるでしょう。人と争い自分の主張を押し通す為のコミュニケーションの最後の手段として兵法を駆使するのだとして、兵法修行を闘争の手段とするならば「兵法は」ではなくとも「兵法者」でいいのかも知れません。原文の「者」の読みによる違いです。
 天下人に成らんとする家康に、宗矩を預けた石舟斎が兵法の心を以って戦国の世を静めようと思うならば、「兵法は」であろうと思います。
 北條に敗れ、武田に生かされて戦による悲惨さを嘗め、信玄の仕官を断って兵法に生きて来た上泉伊勢守信綱との交流を思うと、さらに「兵法は」に私は傾いてしまいます。
 石舟斎の柳生新陰流が、勝ち負けのみを誇る棒振りの術ならば、学ぶ意味などさらさらない、スポーツ剣道で充分な事です。

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2020年5月19日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の34兵法のけいこに手刀

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の34兵法のけいこに手刀

兵法百首
兵法乃けいこ尓手刀と留事ハ
      もし可那ハさ留お利乃ような利

兵法のけいこに手刀とる事は
      もしかなわさるおりのようなり

兵法の稽古に手刀とる事は
      もしかなわざる折のようなり

 兵法の稽古の際に無刀で応じる事は、若し刀による応酬が出来ない折りの用なのである。

 下の句の意味は「もしかなわさるお▢(り)のようなり」の、▢の文字の判読にあります。今村嘉雄先生は「もしかなわさるお(重)の用なり」と判読されています。「も」は楷書では毛・无・裳・母・茂などの草書体が変体仮名となります。此処での文字は「利」の草書体でしょう。
 太刀が手元にない、折れてしまった、丸腰だったなどの際の応じる事を歌ったのでしょう。

 石舟斎による無刀の口伝は見られませんが、宗矩の無刀の教えは兵法家伝書活人剣に無刀之巻で見られます。
 此処では宗矩による玉成集より「無刀の習ひの事、無理に無刀にとるへきにあらす。兵法のならひ、しなし、上手の所作、無刀より出るに依りて、当流の高上極意是也。諸道具自由に仕も無刀也。諸道具なくとも兵法の用にたて、心にはかり、なにゝても取あわせ自由にいたし、上なき事をいはんがために無刀と云。 きるへきと存者無刀にて取也。とられましきと覚悟の者はとるへきにあらす。きられねはとりたる同前也。きらるゝ様に仕掛る事第一心持也。兵法のならひ仕掛、表裏の心はたらき心より出るに依りて、仕なし様子は心にあり、心はしらす、心しらさる所は無刀也。心の出る所を勝、おさゆる儀を当流の兵法と云。其目付ならひ五つにてしるへし。神妙剣の心持同事也。水月のよくうつしてきらせんとおもひ、五つの心持の仕掛候へは、とらすと云事なし。足・手・身・表裏の心持を含みて、心にて仕候へば、十人にして六人七人、十度にして六度七度、かならすとるもの也。いにしへの、兵法にも腿に頸をかへ、少しきられて多きるを兵法心持の極意とす。無刀にて少きられてもとるは第一の上手也。」今村嘉雄著史料柳生新陰流より。
 

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2020年5月18日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の33兵法はまづ何某の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の33兵法はまづ何某の

兵法百首
へい者うハ未つ奈尓可し乃やく尓して
       心耳可計天奈らひつゝしめ

へいはうはまつなにかしのやくにして
       心にかけてならひつゝしめ

兵法は先ず何某の役にして
       心に掛けて習いつつしめ

 兵法は先ず誰かしらの役に立つものとして、其の心掛けをもって謹んで習うものだ。

 戦国時代末期の1600年ごろの石舟斎の兵法百首ですから、兵法は誰かしらに仕官の上役立てる為に習うと、一番先に頭にひらめいたのですが、良い学校を出て良い就職にありつこうとする根性が見え見えで面白くも無い歌になってしまいます。
 門弟を石舟斎が上から目線で見ている様なもので、石舟斎の武将について出世したかった若き日の思いは時代に翻弄されて達せられず、晩年になって家康によって仕官を求められ、代わりに宗矩を仕官させ、自らは兵法の道一筋になって上泉伊勢守の新陰流を昇華していく思いを読み取った方が楽しいものです。
 「何某」の意味は、「人または物事・場所などの名及び数量がはっきりしないか、またはわざとぼんやりという時に用いる語。おのれ、それがし。(広辞苑より)。」という語であるとなると、ここはそのまま「何某」の役に立つと信じて心掛ける、何某はぼんやりして居た方が好ましそうです。
 歌は作られた人の歌心を、ピタリと読み取る必要など無くていい。読んだ人が自分が納得し感動できればいいのだと思います。

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2020年5月17日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の32兵法はこころゆるさで

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の32兵法はこころゆるさで

兵法百首
兵法ハ古ゝろゆ留さて気をつ可ひ
      みゝ耳多つ奈留ことハすこす奈

兵法はこころゆるさてきをつかひ
      みみにたつなることはすこすな

兵法は心許さで気を使い
      耳に立つなる言葉すごすな

 兵法は心のままに振る舞わず気を使うもので、耳に留まる言葉は留めるな。

 さて、この歌も難解ですが、上の句は兵法は妄心に振り回されて、相手の出方を読みもしないで一方的に攻め込んだり、勝つ事ばかり意識して、相手の打たんとする機をとらえる心の使いを身に付ける事もせず、相手をののしったり、ののしられたり暴言が発せられることもあり得ます。心を思いのままにさせないで気を使い、いたずらに闘争心をかきたてたのでは思うツボにはまってしまいます。耳障りな言葉や、感情を逆なでするような言葉に心を留めるな。そんな歌心を思い描いてしまいます。
 闘争心をかきたてる気合などもその一つで、「声を出せ!」、「気で威圧しろ!」、「休まず打込め!」・・生死をかけた勝負と違って当てっこ勝負のスポーツは・・です。
 

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2020年5月16日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の31兵法のかまえさそくは

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の31兵法のかまえさそくは

兵法百首
兵法乃可未へさそくハと尓も阿連
      可川ハ古ゝろ乃つもり成介利

兵法のかまへさそくはとにもあれ
      かつはこころのつもりなりけれ

兵法の構さそくはとにもあれ
      勝は心のつもりなりけれ


 兵法の構や軽快さなどは有ったとしても、勝負に勝には心の持ち様が大切である。

「さそく」とは「早足」軽快な足さばき、「早速」機に臨んで速やかに処置すること・機転・さっそく。(広辞苑より)
「心のつもり」つもり、は、「積り」・・つもること・かさなり・かさなった結果、前もっての計算・みつもり、心くみ・考え・予想、程度・限度。
「積る」・・ものごとを大ぐくりに量的にとらえようとする意、あらかじめ見計らって見当をつける・おおよその見通しをつける・みつもる、他の心を推測する。

 歌から字義を当てて読んでみれば、「兵法の構かたや機に臨んで速やかに行うなどは有ったとしても、勝つのは相手の心を推し測ってどのように勝つかだ。」
 
 これで石舟斎の歌心を読み解いたものであるか解りませんが、新陰流の極意には構えは無い無形の構であり勝を急いで相手の出方を思わずに打ち込むのであれば、勝を得るのは相手の心を推し測ったとしても、「色付色随事」を忘れて懸ばかりではありえません。

 

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2020年5月15日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の30兵法の極意に心いたりなば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の30兵法の極意に心いたりなば

兵法百首
兵法乃極意耳心いたり奈者
      可多那多うくもお与者さ留もの

兵法の極意に心至りなば
      刀たうくもおよばさるもの

兵法の極意に心至りなば
     刀道具も及ばざるもの

 兵法の極意に心が至るのであれば刀の扱いや道具の使用法などでは及ばないものである。

 この歌のポイントは「兵法の極意」とは何か、その極意を得た場合の「心」とは何かが理解出来れば、刀も道具も要らないとなるのでしょう。
 石舟斎が上泉伊勢守信綱より永禄8年1565年に授与された允可状に新陰流極意が示されています。
 今村嘉雄著史料柳生新陰流下巻「上泉秀綱允可状」より抜粋読み下し「予は諸流を廃せずして諸流を認めず・・懸待表裏は一隅を守らず、敵に随って一重の手段を施すこと恰も風を見て帆を使い兎をみて鷹を放つが如し、懸を以って懸と為し、懸を以って待と為すは常の事なり、懸懸に非ず、待待に非ず、懸は意待に在り、待は意懸に在り、・・」太刀目録として燕飛・三学・九箇が相伝されています。

 石舟斎による慶長8年柳生兵庫に授与した新陰流截相口伝書亊、及び慶長9年に柳生兵庫に授与した没茲味口伝書により極意を相伝しています。
 没茲味口伝書には一真実無刀極意として無刀を上げています。無刀については柳生宗矩の兵法家伝書活人剣の無刀之巻に「無刀とて、必ずしも人の刀をとらずしてかなはぬと云ふ儀にあらず、又刀を取りて見せて、是を名誉にせんにてもなし。わが刀なき時、人にきられじとの無刀也。いで取りて見せうなどと云ふ事を本意とするにあらず。・・とられじとするをば、とらぬも無刀也。とられじとられじとする人はきらふ事をばわすれて、とられまひとばかりする程に、人をきる事はなるまじき也。われはきられぬを勝とする也・・無刀と云ふは、人の刀をとる芸にあらず。諸道具を自由につかはむが為也・・無刀は、当流に、是を専一の秘事とする也。身構、太刀構、場の位、遠近、うごき、はたらき、つけ、かけ、表裏、悉皆無刀のつもりより出る故に、是簡要の眼也」と解説されています。

 その新陰流截相口伝書亊・没茲味口伝書の各條々の極意を身に付けたならば、刀、道具も不要であろうと歌っているのでしょう。
 
 現代の剣術修行となればともすれば木刀や竹刀、居合では模擬刀や本身を揮うばかりで「かたち」ができたら「出来た顔」をしている、試合で勝てれば「出来る顔」をしているのが殆どです。
 もっとお粗末なのは、勝ち負けの功績も無く長い間連盟に携わって来たご褒美の段位に、権威を得たとばかりに権力を揮う浅はかさ。はては棒振りの順番を覚えただけで指導者ぶる浅はかさ。
 ここ半年、残されている流派の歌を読みながら日本の武術を改めて思うこの頃です。

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2020年5月14日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の29兵法の習ひそのおり

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の29兵法の習ひそのおり

兵法百首
遍い者う乃奈らひそ乃於里いてさ留と
          可多流ハをの可はちと志らすや

へいはうのならひそのおりいでさると
         かたるはおのがはじとしらずや

兵法の習いその折出でざると
        語るは己が恥と知らずや

 兵法を習っているその時に出てきてしまった、と語るのは己が恥とは解らないのか。

 この歌の解釈はこの様に聞こえてくるのです、石舟斎が歌う歌とも思えないのですが如何なものでしょう。どの様な理由があるとしても、稽古の折にさっさと出てきてしまうのは礼儀知らずで恥ずかしい事ではあるでしょう。
 もう一歩踏み込んで、兵法の修行中にであるにもかかわらず、辞めてしまった者が、辞めた理由をくどくど言い訳しているのを伝え聞いて恥知らずと歌ったのかも知れません。
 此処までは柳生新陰流の門弟が、修行半ばで出て行ってしまった不甲斐なさを歌った歌として読んで見ました。
 柳生新陰流の家憲として石舟斎は他の芸事や他流への修行を厭わずに鍛錬する事を良しとしています。「兵法一儀にあらず、いづれの芸能か、稽古なくして上手のあるべきや。此の流には、第一仕相無用たるべき也。其の仔細は、余流を廃せずして道をたしなみ、幾重にも他流を育て相尋ねる事尤も也。世上修行するほどの仁には、一つ二つ是非ともに然るべき極意を存する者也。執心の道を育て、兵法建立の心、後代の為を存ずべし。」
 どこぞのへぼ道場長は、他流は愚か自流の他道場や連盟にすら顔出しを嫌う程の狭量です。自分の教え子が一流の兵法者になって自分を越えていくことを望まない様な、団体や道場ではそこに居付いて居ても意味は無いでしょう。

 石舟斎はそんな折り、他流に修行に出たものが修行半ばで辞めて来たことに対し「恥を知れ」と歌ったのかも知れません。「弟子たるもの師匠の出来ない事でもやれ」と訓示された居合の元関東支部長の太田次吉先生の言葉を思い出します。

 柳生延春著「柳生新陰流道眼」の始終不捨書の序文に「兵法は時代によって、恒に新たなるべし。然らざれば、戦場戦士の当用に役立たず。また忠孝節義の道を践み行うことはできない。」上泉伊勢守信綱が石舟斎に訓示した兵法革新の口伝に随えば、もう一つ踏み込んだ歌心が正しいものかも知れません。
 戦国時代末期の著しい武器の進歩による戦闘方法の変化を目の辺りにして、当然のこととして語られていたろうと思います。
 居合における古伝無雙神傳英信流居合兵法も江戸前期の新陰流もそれを学ぶ事は、現代の形ばかりを求める其の兵法では戦場戦士の当用には役に立ちそうにないからです。現今の形骸化した「かたち」から、生き生きとした古の形を学ぶ事で、マニュアル化したものでは無い、其の中に秘められた兵法を通して、いかなる困難に出合っても今を生きる哲学を見いだせると信じています。
 

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2020年5月13日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の28上手には兵法のみか

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の28上手には兵法のみか

兵法百首
上手耳ハ兵法乃ミ可六藝農
      けいこ奈くしてきとくやは阿留

上手には兵法のみか六芸の
      けいこなくしてきとくやはある

上手には兵法のみか六芸の
      稽古なくして奇特やはある

 兵法の上手であると云うのには兵法修行だけでなく六芸(六経)の稽古無くしては優れた人と云えるであろうか。

 六芸(六経)とは中国における六種の経書。即ち易経・書経・詩経・春秋・礼・楽経(佚書)の総称。(広辞苑より)、を指します。
 経とは本田済著「易」によれば「「経」の字はもと織物の縦糸の意味、それからすじみち、道の意味となる。人の生きる道、天下国家を治める道、ひいては宇宙の奥にひそみ、宇宙を動かしている道、それを解き明かしたのが「経」である。」とされています。

 周代のでは士大夫の教養として六芸は礼・楽・射(弓)・御(馬術)・書・数が求められた。
 石舟斎の指す六芸は何であったか解りませんが、いずれにしても武芸の業技法に習熟しても学問の無い者は優れた人とは言えない。文武両道に達した人をさすのでしょう。

 余り知られていない様ですが、上泉伊勢守信綱は小笠原家の末裔小笠原氏隆から軍学である訓閲集(きんえつしゅう)を相伝しています。訓閲集は「本朝武芸小伝では、古伝に曰く、醍醐帝の時、大江維時入唐して六韜・三略・軍勝図四十二条を得て帰国す。はなはだ秘して人に伝えず。和字の書を作りて訓閲集と号して世に伝う」
 赤羽根龍夫解説、赤羽根大介校訂による「上泉信綱伝新陰流軍学訓閲集」によれば日本の最初の軍学者は、奈良時代の初めの養老元年(717年)に遣唐留学生として入唐して中国の軍学書をもたらした吉備真備と云われている。彼は陰陽道の先駆者としても知られている。「訓閲集」は、平安時代の初めの醍醐帝の時、大江維時が唐から六韜・三略・軍勝図四十二条等の中国の兵書を持ち帰り、それを陰陽五行説と結び付けて作成したと伝えられている。」
 上泉伊勢守信綱は武将としても兵法者としても軍学者としてもすぐれた才能を持っていたものと思われます。強いばかりで消えて行った多くの武芸者の中で信綱と石舟斎との出会いは、わが国の剣術に多くの教えを残したと云えます。

 
 

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2020年5月12日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の27へい法の文字をおもへば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の27兵法の文字を思へば

兵法百首
遍い法乃文字をおもへ者奈尓可しの
         こゝろ可けぬもおろ可奈り介り

へい法の文字をおもへばなにがしの
         こころかけぬもおろかなりけり

兵法の文字を思へば何某の
       心掛けぬも愚かなりけり

 この歌の歌心は何なのでしょう。1600年という17世紀にはいったばかりで、ようやく天下統一の兆しが見えて来た遠い時代の兵法と、それを修業し門人を抱え、時の為政者家康に我が子宗矩を託した石舟斎ならではの一句かもしれません。

 (武士として)兵法の文字を思うならば見たり聞いたりして何だろうと思うならば、兵法について何某かの心得を持とうと心に掛けて学ばないのは愚かとしか言いようは無い。

 (武士として)と付け加えなければ、武将の夢破れて兵法者として生きる道を選んだ石舟斎の独りよがりにしか聞こえてこないのは、兵法とは何のために心掛けるものなのかが見えてこないからなのでしょう。
 人は生きているその時が全てであって、過去は歴史であり、未来は夢なのでしょう。此の時尤も有用なものは自分にとって何なのか、その一端を担っていると思えることは素晴らしい事でしょう。武芸者としてその時代の役割は今の私達が武術を学ぶ事とは全く違ったものだった、兵法を知り、使える者の役割は大きかったかもしれません。学校で学ぶ日本史は信長が、秀吉が、家康がという事ばかりを語り、その時代を生きた人々の生活も夢も、望んでいる理想の暮らしも語ってはくれていません。理想の暮らしを求めるために兵法がどのように必要だったのか、そんな事を思わせる、石舟斎の一句でした。
 相伝された人しか読めず、語られなかったかも知れない新陰流截相口伝書亊、没茲味口伝書、始終不捨書、兵法家伝書、月之抄、朏聞集それらの解説書は幾つも現代は見る事も読む事も、印可を受けられた先生方から指導も受けられる時代です。然しそれらをいくら読んでも、解説され、手取り足取り指導されても、「かたち」は出来ても奥義に至る道は簡単には開けて来ません。
 「心掛けぬも愚かなりけり」の歌心に、稽古の仕方に改めて思いを巡らせるばかりです。居合で学んだように、仮想敵を相手に、形骸化した「形」を生き生きとよみがえらせて、一人稽古の比重を高めるイメージトレーニングを考えてみるのも一つでしょう。
 

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2020年5月11日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の26兵法のあらそい事も

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の26兵法のあらそひ事も

兵法百首
兵法乃あらそひ事もよく由へ登
      心にこころの師となりてしれ

兵法のあらそい事もよくゆへと
      心にこころの師となりてしれ

兵法の争い事もよくゆへと
      心に心の師となりて知れ

 兵法の争い事も能く言いなさい、心に心の師となってあるべき事を理解しなさい。

 直訳して見ましたが「よくゆへと」の解釈がこれでいいのか心もとないのですが、下の句を読みながらこの様に読んでも石舟斎はうなずくでしょう。
 「心に心の師となりて」は沢庵和尚による不動智神妙録にある「心こそ心まよはす心なれ心に心ゆるすな」の歌は「妄心とてあしき心がわが本心をまよわす妄心なれ、この妄心に本心よ心ゆるすな」と歌っています。
 その妄心に本心が師となって、兵法の争い事もしばしば言い合いをした上であるべき事を理解しようよ。とりあえず、ここまではお稽古ごとの同輩とのやり取り位で、可愛いものです。
 この歌を、敵との攻防の際に「今打込むべきか否か」の判断における葛藤のありようを「心に心の師となりて知れ」と読むならば、我は勝たんと気ばかり焦って、敵の誘いにうかうかと乗って打たれに行くその心を、石舟斎の新陰流截相口伝書亊における教えに法り打ち勝つことを歌っていると解釈すべきなのでしょう。

 勝った負けたの勝負を竹刀剣道で稽古する者は、新陰流の稽古業を「形だから」と業の動作の順番を習ったままに復元しようとしてそればかりで歳月を過ぎて行きます。そしてそれすら術に成らないものです。
 居合のように仮想敵相手の稽古業ばかりを演じる者は仮想敵は何も考えずに切られてくれて、熟達した見事な動作も喝采を得られても、簡単に破られてしまいます。
 この様な歌も簡単に其の歌心を読み取れないのは、稽古のありように問題があるのでしょう。それは師匠の指導にあるのではなく、新陰流は業の術理以前に身に付けなければならない思考回路にあるようです。それは截相口伝書事の箇条書きされている事々を理解し日頃の稽古に生かしていかなければならないのでしょう。
 

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2020年5月10日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の25兵法に調子のありと

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の25兵法に調子のありと

兵法百首
兵法尓調子乃あり登奈ら非帝も
       安不天者川留ゝ心与久登皿

兵法に調子のありとならひても
       あふてはつるゝ心よくとへ

兵法に調子のありと習ひても
        合うて外るゝ心能く問え

 兵法には打ち合いの調子が合うと習っても、調子が合っては却って外れてしまう、其の心持ちを良く自問しなさい。

 様々な場面でコミュニケーションの一つに、調子を合わすとか、調子が合わないとか、調子者とか言われます。
 調子の意味は、音律の高低・しらべ・音調、楽曲の調べ、調技法、雅楽の一種の前奏曲、いいまわし・語調・口調、ほどあい・ぐあい、はずみ・勢い、などが広辞苑による調子です。
 ついでに「拍子」は、音楽用語でリズムの基礎をなすもの、しお・おり・機、はずみ・とたん、ぐあい・調子です。「調子が合わない」「拍子が合わない」・「調子が合う」「拍子が合う」と使われている様です。
 調子と拍子の使い分けが充分かどうかは疑わしいところですが、武術では使い分けされていないように思います。

 柳生新陰流道眼の著者柳生延春先生は清水博著「生命知としての場の論理」の対談で「「拍子」とは太刀の働きのことなのです。これはいわば生きたリズムというべきもので、自分の本心からでてくるものです。柳生新陰流では、太刀のリズムを「拍子」、心のリズムを「調子」と区別しています。つまり、自分の本心に内在する生きたリズムである「調子」から、生きた太刀のリズムである「拍子」が生み出される、というのが正しい表現になる分けです。このような区別ははじめは明確だったのですが、そのうち両方を「拍子」と呼ぶようになりました。もし相手に「位」で負けていれば、自分の自由な「拍子」が出せないようになりますから、截相でもやはり負けてしまう、ということになります。」と説明されています。

 ここでは「調子のあり」ですから「調子を合わせた」のでは外ずされるのですから斬られてしまうのです。「調子はずれ」は、調子の合わぬこと・調子のととのわぬこと・ぐあいの普通とは異なること。に注目してみます。

 曽田本の居合兵法極意秘訣(英信流居合口受秘訣)に、いくつか例がありますが新陰流の雰囲気の処は「亦、相懸にて敵来る時、先に敵の太刀を殺して勝位有り、古人、和卜刀とも云えり。亦敵先に切って懸る時左右へ展き勝つ位有り、皆我が気の働き也。亦太刀を敵へ差懸け切らせて引き透かして跡を切る位有り。亦時によりて青眼に構えて身を能く囲い、敵より切一度に摺り込み鍔際にて勝つ位有り。亦敵打つ時我が太刀を冠り請亦は請け流して勝位有り、亦敵打つ時我が身を沈み沈体にて敵の手首を討ち払いて勝位有り。亦中墨を打払いて勝つ位も有り。
 惣体足を踏み付けずに体の居付かぬ様に浮き浮きと立って右の事を行うべし。敵と気分の喰い合わぬ様に我は敵と別々と成る心也。敵は〆合わせうとするを此方は夫々移らすふわりと出合うよし、ふわりとせねば右云う夫々の変出る事無し。考えるべし右之働きを敵がすれば此方の負けと成る事の上にて是より外の仕筋無。深く 工夫有るべし。」
 無雙神傳英信流居合兵法を江戸より土佐に持ち込んだ林六大夫守政の教えですが、江戸で大森六郎左衛門に真陰流を習っています。新陰流かどうかですが、新陰流の雰囲気は充分あります。

 石舟斎の調子については新陰流截相口伝書亊に整理された口伝の目録があります。ここでは柳生宗矩の兵法家伝書殺人刀に「三拍子の事、相打一、上ぐればつけて打つ一、下ぐればこして打つ一也。あふ拍子はあしゝ、あはぬ拍子をよしとす。拍子あへば、敵のつかひよく成る也。拍子がちがへば、敵の太刀つかはれぬ也。敵の太刀のつかひにくき様に打つべし。つくるもこすも、無拍子にうつべし。惣別のる拍子は悪しき也。
 大拍子小拍子、小拍子大拍子の事、敵が大拍子にかまへて太刀をつかはば、我は小拍子につかふべし。敵小拍子ならば、我は大拍子につかふべし。是も敵と拍子をあはせぬ様につかふ心得也。拍子がのれば、敵の太刀がつかひよく成る也。」

 
 

 

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2020年5月 9日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の24兵法のならひのうへのこころ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の24兵法のならひのうへのこころ

兵法百首
兵法の奈らひのうへ乃古ゝろ尓毛
        可く春越ひち乃多い一とする

へいほうのならひのうへのこころにも
      かくすをひちのたい一とする

兵法の習いの上の心にも
      隠すを秘事の第一とする

 兵法を習う上の心掛にも、隠すことが秘事の第一である。兵法を習い覚えて出来るようになったとしても、軽々しく口に出したり、人にやって見せたりしない、立合いともなれば打ち出す業を悟られないように隠すことが第一の秘事である。

 曽田本古伝神傳流秘書の居合兵法の和歌に
 居合とは知った振りして突るゝな
         居合の道を深く問うべし
 無用なる手詰の論をすべからず
         無理の人には勝って利はなし
 世は広し我より外の事なしと
         思うは池の蛙なりけり
 我が道の居合一筋雑談に
         知らぬ兵法事を語るな

 この歌を読みながら、古参の者が初心者に手取り足取り指導しているのを見ていました。彼の指導を受けた者が何時まで経っても業を打てないのです。打込んで外されたら次に何をしたらいいのかウロウロしています。例えば柳生新陰流の八勢法の場合一本目、二本目と一本目が終わって元の位置に戻り、二本目に入る、この順番は歳取ってから習い始めるとボケて来るとドンドン失念しますから其の都度二本目はこれこれと軽くやっておけばいいのです。
 難しいのは燕飛のようにいくつもの業が続け遣いに連続するのは、運剣ごとの技の良し悪しを責めるよりも連続の動きを体に覚えさせてから、個々の動きを見て行けばいいのです。
 へぼな古参の駄目な処は、三学円の太刀の一本目一刀両断を満足に指導出来ていないのはなぜでしょう。
 教えるならばこの業は何を目的にしているのかその意義を知るべきでしょう。其の為に、どの様に仕太刀は振る舞い、打太刀はどうするのか、打太刀の懸りに待の仕太刀はどのようにすれば目的が達成できるのか、訳も解らず棒を振り回して、良いとか悪いとか言っても何を言われているのかさっぱりです。

 この三学円の太刀一本目の一刀両断は、車に構え敵に左肩を差し向け、敵が肩を斬って来る時、車に打込めば左肩は自ずから敵の打込みを外し。敵の二星(両拳)に勝つ身と太刀の働きを学ぶものです。敵の我が肩への斬り込みに敵の太刀を叩いて受け太刀になっても、敵の拳への一刀両断はならなでしょう。敵太刀を外した時が敵に斬り込み敵を制した時の筈です。それを指導出来なければ指導とは言えないでしょう。
 居合を修業する人は仮想敵を思い描き仮想敵の攻撃に応じる事はお手の物でしょう。家に帰ってから幾らでも一人稽古できる筈です。それでも業が決まらない、二星に打ち込んだのに外れてしまう、或いは敵に上太刀になられてしまう、など足捌き体裁きが刀に伝わる働きが、敵の動きに対応できていなければ目的は達成できないものです。
 今日、10年以上稽古している人が、この一刀両断でどうしたわけか見事に我が柄中を打って来ます。二度三度とも柄中を打って来るのです。「なぜ」の我が問いに「??」何を言われているのか分からない顔をしています。せっかく高い小手を注文して作ってもらったのにです。
 そうかと思うと、ある人は、我が袋竹刀の中程を夢中で打ち払って切先は我が右肩45度も右にあります。そこからどうするつもりでしょう。これも一刀両断の意義を失念している様です。 

 居合でもよくあることですが、居合とは早抜きだと勘違いして、座したまま腰が上がる前に物打ちまで抜き出してしまっています。抜き付けてから腰が上がり爪先立ち右足を踏み込んでいます。体が伴わない内に刀が物打ちまで抜けてしまっていますから、タイミングがずれてしまい少しも早くはならず、抜かんとして柄を前に引き出している時の方が早いなんておかしいですよ。足いたる体いたる刀いたるって習ったのに・・。どれも秘事を隠しているのでしょうか。

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2020年5月 8日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の23たばかりと

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の23たばかり

兵法百首
多者可利登矢とめかうおく長具足
        堂世ひ耳ふ世ひ兵法乃保可

たばかりとやとめこうおくながぐそく
        たぜいにぶぜいへいほうのほか

謀りと矢止め高屋長具足
       多勢に無勢兵法の外


 この歌は上の句が読めなければ何を歌っているのか解りません。写真による石舟斎の文字を拾い読みして見ても、今村嘉雄先生の読み下し文と比較しても読み下しは良さそうです。問題は「矢とめこう(かう)おく長具足」が 正しく読めて意味が分からなければ解釈不能です。

たばかり(謀り)・・思いめぐらすこと・思案・計画・工夫・はかりあざむくこと
矢とめ・・矢を射ることを中止すること・休戦
こうおく(高屋)・・高くそびえた家
長具足・・槍、薙刀の長物
兵法・・いくさのしかた・用兵と戦闘の方法・兵学・軍法、剣道などの武術・ひょうほう

 敵をあざむく休戦、見せかけの家屋(砦)、長物の武器、多勢に無勢などの行為は兵法の外である。

 戦国時代の兵法の語意は剣術などの小さな戦いを称していたり、大きな戦争の方法も語られていた様です。此処では剣術の外の事と云うのでしょう。
 武蔵は五輪書で「太刀よりして兵法といふ事道理也。太刀の徳よりして世を納め、身を納る亊なれば太刀は兵法のおこる所也。太刀の徳を得ては一人して十人に勝つ事也。一人して十人に勝つなれば、百人して千人にかち、千人にして万人に勝つ。然るによって、わが一流の兵法に、一人も万人もおなじ事にして、武士の法を残らず兵法といふ所也」と云っています。石舟斎の「兵法の外」とは少々違う捉え方です。

 柳生宗矩は兵法家伝書進履橋で「・・さてよく敵の機を見て、太刀にて勝つを、勝つこと千里の外に決すと心得べし。大軍を引きて合戦して勝つと、立相の兵法とはかはるべからず。太刀二つにて太刀相ひ、切合ひて勝つ心を以て大軍の合戦にかち、大軍の合戦の心をもって、立相の兵法に勝つべし」武蔵と言い回しは異なりますが同じ思いの様です。

 石舟斎の云う「兵法の外」は「立相の兵法の外」の意味でしょう。だまし打ちや、見かけや地位で圧倒したり、大勢で攻めたり、槍なぎなたによる突く、打つばかりの得物の扱いは、敵と対して「わが心のうちに油断もなく、敵のうごき、はたらきを見て、様々に表裏をしかけ、敵の機を見るはかりごとを心のうちにめぐらす兵法とは違う」という歌心でしょうか。
 何だかスッキリしません。一対一の戦いの考え方は大軍を持ってする戦いと同じ心持ちならば稽古に励む意味もあろうと思いますが、チャンバラの優劣を楽しむなら大道芸と変わらない。

 

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2020年5月 7日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の21兵法のいたれるうへの

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の21兵法のいたれるうへの

兵法百首
兵法乃い多れるうへの古ころ耳毛
       や里をくそく乃第一とあ利

兵法のいたれるうへのこころにも
       やりをぐそくのだい一とあり

兵法の至れる上の心にも
       槍を具足の第一とあり


 兵法を修業して奥義に至るとしてもその上に心に掛かるのは、槍は伴うものの第一である。

「第一とあり」ですから石舟斎自らの教えでは無く、その様な考えもある位に読みこなすべきかもしれません。
「具足」の意味は、十分に備わっていること・揃っていること・伴うこと・同行すること・携行品・道具、と広辞苑は解説しています。

 柳生新陰流には、尾張柳生に残された尾張還流や柳生新陰流槍術、薙刀は新当流薙刀、静流薙刀(自在剣)、武蔵の圓明流などが稽古されています。
 この兵法百歌の解説のベースとしては、柳生石舟斎宗厳が上泉伊勢守信綱から相伝したもの、それを基にして書かれた新陰流兵法目録事・新陰流截相口伝書亊・没茲味手段口伝書を紐解きながら進めています。
 ミツヒラは、現代居合は無双直伝英信流正統会の居合、その古伝は曽田虎彦先生が纏められた第9代林六太夫による無雙神傳英信流の神傳流秘書を基に研究しています。その研究に当たり、手近い所で稽古されて居られる名古屋春風館関東支部赤羽根龍夫先生の元で江戸武士の身体操作を学んでいます。
 神傳流秘書の成立が1750年以降ですから石舟斎が存命の頃から既に150年以上経っています。
 神傳流秘書には居合、居合に依る形、棒、和が附随し居合の表業および裏業として成立させています。薙刀および槍は伝書にはありません。この神傳流秘書を追及していきますと、抜刀による居合を稽古する一連の形・棒・和によって最後は無刀に至る事を示唆した稽古の順が記載されている様です。
 武術も時代によって新しい武器が生み出され戦闘方法が変化していくものである事は当然のことでしょう。この歌心をどの様に受け取るべきか思案する所でしょう。
 先の大戦に、剣術をしたことのない将校に真剣刀法を訓練するために河野百錬先生は抜刀法を創始させられています。竹槍で上陸した米兵を刺突する訓練迄、しかとした顔で行うような精神論が先行し意味のない武器の操法に注目してしまう、そんな日本人の気質はどこで養われたものか・・。高度な武器など幾らでも開発は可能でしょう。戦いを避けて和する事の知恵は人を人として思えない輩に出来るわけはないでしょう。おっと、本道を歩き始めそうになりました、横道に戻りましょう。「槍を具足の第一とあり」の「あり」の二文字に石舟斎の思いも込められているかも知れません。

 

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2020年5月 6日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の22兵法のならひは一に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の22兵法のならひは一に

兵法百首
兵法乃奈らひハいち二多い可ひそ
       阿末り春き多流事ハ奈ら奴そ

兵法のならいはいちにたいがいぞ
       あまりすきたる事はならぬそ

兵法の習いは一に大概ぞ
      余り過ぎたる事はならぬぞ

今村嘉雄著「史料柳生新陰流」宗厳(石舟斎)兵法百歌では
兵法のならひはいち(一)二たいがひぞ
       あまりすき(好)たる事はならぬぞ


 兵法の習いは一にあらましである、あまり業の形を特定するのは良くない。

「たいがひ」を大概と読めば、おおよそ・おおかた・あらまし、です。今村先生の読み下しでは「兵法の習いは、おおよそ一つか二つで、あまり深入りするのは良くない」と読むのでしょう。

 柳生兵庫助の始終不捨書の冒頭にある円相の「習い・稽古・工夫」の教えは兵庫助の発案であっても石舟斎の教えによって導かれているのは道理です。形を習うのですがその運剣法や体捌きは幾通りにも変化可能で無ければ「かたち」に過ぎない。伝授した「かたち」は、代表的な操作法に過ぎない、従ってそれに拘り過ぎては兵法に成らない。私ならその様に歌心を読み取ります。
 無双直伝英信流の古伝神傳流秘書の抜刀心持之事の前書きは「格を放れて早く抜く也」とあります。格とは矩・決まり・法則・規則・流儀・方式などです。
 「かた」だから習った様に寸分たがわず「かたち」を演じろ、と訳知り顔がごろごろ。其の業の目指す術が決まってもいないのに形ばかりを何万回繰り返しても何も得られないでしょう。
 武術でなく集団での大道芸をやるつもりかと問いたくなります。
 その一方剣術の形を、大きくゆっくり正確に動作する。
 力んで無理に激しい動作をせずに尤も体が安定する軸をブラさない動きを以て稽古しますと、素晴らしい体操になり、肩こりもせず、バランスの良い体を作り維持出来ます。
 単なる体操と違って極意を目指して運剣すれば目標も出来て老人向けにも最高のものです。強く早い動作で演じますと体に無理な負担がかかり逆効果となります。極意を目指すとは、人から授けられる免許皆伝を貰う事では無く、其の術の意義を正しく行えることであって形が出来ても術が決まらなければ意味のないものです。
 
 

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2020年5月 5日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の20兵法をしらざる人の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の20兵法をしらざる人の

兵法百首
兵法を志らさ留人の古(さ)しかたな
      ながきをたのむよしやことハり

兵法をしらざるひとのこ(さ)しかたな
      ながきをたのむよしやことはり


兵法を知らざる人の腰(指し)刀
      長きを頼むよしやことわり

柳生厳長著「正傳新陰流」による兵法百歌
兵法をしらざる人はさし刀
      ながきをこのむよしやことわり



 今村先生はここを「兵法を知らざる人の腰刀長きを頼むよしやこと・・」とされておられます。腰を「古し」としたようです。

 柳生厳長著による正傳新陰流ではこの歌は「左し」で差し刀でしょう。
「兵法を知らざる人のさし刀、長きを好むよしやことわり」兵法を知らない人の差す刀は、長いものを好むのが道理である。

 と云っています。「兵法を知らざる人」と前置きしている事に意味があるのでしょう。 

 柳生宗冬の兵法物語に「太刀にて成らざる物五つの事」に「長きに短き事」の教えがあり「短きには習も多し、昔より一寸劣りて勝を上手と申すならわし候。長き物にてかならず勝習い知らざる物なり。長き物にてはそばへよせず。長き程ひかへて、浅く勝心持、これ長き物にてかならず勝習也」。兵法を知らない人同士の戦いでは長い方が有利かも知れません。剣術の考えが確立したのは江戸時代になってからの様ですが、確たるものは無さそうです。この歌の不明な部分が心残りです。厳長による歌では「長きを好むよしや理(ことわり)」ですから、理に叶っている、と解せます。兵法を知らない人は長い刀を有利と見ているのが当たり前と云う事でしょう。

 北條五代記巻第四に「見しは昔。関東北條氏直時代まで長柄刀とて人毎に刀の柄を長くこしらへ、うでぬきをうて、つかにて人をきるべく体たらくをなせり。・・長柄刀のはじまる仔細は。明神老翁に現じ、長柄の益あるを林崎かん介勝吉と云う人に伝へゆへに、かつよし長柄刀をさしはじめ田宮平兵衛成政というふ者に是を伝ふる。成政長柄刀をさし諸国兵法修行し、柄に八寸の徳、みこしにさんぢゅうの利、其外神妙秘術を伝へしより以後、長柄刀を皆さし給へり。然に成政が兵法第一の神秘奥義というは、手に叶いなばいか程も長きを用ひべし。勝事一寸にして伝たり。・・若し又かたき長きを用るときんば、大敵をばあざむき、小敵をばおそれよと云をきし。・・長柄の益というは、太刀はみじかし、なぎなたは長過ぎたりとて、是中を取たる益なり、又刀太刀なぎなたを略して一腰につゝめ常にさしたるに徳あるべしそれ関東の長柄刀」
 事実はどうであったかは知りませんが、こんな話が書かれています。刀の長い短いは何時の時代にも語られてきたものでしょう。

 山田次郎吉著身心修養続剣道集義の刀剣長短論では「正しく其の別を云い得る者なし」と前置して長短の利を解説しています。「・・而して刀の長短は業を学び心に得たるの後、己の程度に応ぜる物を選みて之を帯し、理気心法の正道を主とし業を無為無物に比し、和を以って彼に応じ、念なきに至り感に随ひて動く故に、我れに形なく道器一貫なれば向ふ所敵なし、然るなれば長短等の説を次にし手足の動作意の如くならんことを旨とし且暮に学習を怠らざるべし。業未だ成らずして口に理のみを論ずるも、何の益あらん。・・」

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2020年5月 4日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の19へいほうをかつて心に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の19へいほうをかつて心に

兵法百首
へいはうを可川て心尓可計春して
      いちこ可多奈の人足や世ん

へいほうをかつて心にかけずして
      いちごかたなの人足やせん


兵法をかつて(且て)心に掛けずして
      一期刀の人足やせん

 兵法を更々心に掛ける事も無く、一生涯刀の人足をしていたらよかった。

 「かつて」の読みを「勝って」として歌の心を解こうとしたのですが、それも有りでしょうが、何故か平凡すぎてそんな程度の剣術使いはごろごろいたでしょう。
 石舟斎の年を経てからの人生を振り返って見た時、武将となって一国一城の主の夢も破れ、上泉伊勢守信綱との出会いから、兵法者として新たな人生を歩み続けて来た。柳生家としては宗矩によって徳川家に仕官の道も開けて出世したことには違いはありません。
 しかし「俺の望んだ人生なのだろうか」と思ったかもしれません。人は幼き日に夢を見た将来は、なかなかの事です。中には思いもよらない人生が待っていた人も居るのでしょう。
 石舟斎は77歳で没しています、この兵法百首は石舟斎73歳の頃のものです。家康から仕官を求められたのが67歳でした。既に世に出る歳を過ぎていたとしたのでしょう。柳生新陰流を世に残し、兵法家として一万石を超える大名は他に見る事は出来ません。
 第三者の立場から見れば、柳生家が大名となり、新陰流の根元の幾つもが他流の兵法に現在でも根ついています。そんな礎を築いたのに何が不満なのかと思いたい処です。
 この歌を読みながら、上泉伊勢守信綱が国破れ、信玄に臨まれながら兵法の道に自分の心の安住の場所を求めた繊細な心が、戦国末期を生きる石舟斎の心と触れ合って結実していったのだろうと思わずにはいられません。

 新陰流を学びながら、この歌に出合い、石舟斎の伝書を読み解くこの頃、心の痛みを持つ人が築き上げた繊細さが業の随所に表われ、形ばかりを重視した強い、速いだけでは得られないものに「ひかれ」ていくばかりです。

 

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2020年5月 3日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の18へいほうはけいこたんれん

道歌
5、石舟斎宗厳兵法百首
5の18へいほうはけいこたんれん

兵法百首
遍い者うハ幾いこ多ん連んつ年尓して

        いろ尓い多さてかくしつゝしめ

へいほうはけいこたんれんつねにして
        いろにいださでかくしつつしめ

兵法は稽古鍛錬常にして
        色にい出さで隠しつつしめ


 兵法は稽古鍛錬を怠らず常にして、兵法が出来るなど思わせることもなく、人前では隠し過ちのなうようにしなさい。

「生兵法は大けがの元」のことわざのようであっては恥ずかしい事です。

 更に奥へ踏込めば、兵法は極意の業を稽古し磨き上げ、何時如何なる状況に置かれても相手の状況に応じて踏み込めたとしても、決して面に出さずに秘めて置くものである。

 石舟斎の截相口伝書亊では敵の動きを見る「色付色随事」でした。この教えを歌にこめているならば、敵の働きに随って勝つのですが、朏聞集によれば「我が色に敵を付て、其の敵の色にしたがふて勝と申す事にて候」」とも読めます。その「我が色」はその奥に本来の色を秘めている事になる訳で、棒心を本心がしっかり押さえていなければ、相手の本心に引きずられて打込んで却って、返り討ちになるものです。

曽田本居合兵法の和歌では田宮平兵衛業政の歌として次の歌があります。
 居合とは知った振りして突るゝな居合の道を深く問うべし
 無用なる手詰の論をすべからず無理な人には勝って利は無し
 世は広し我より外の事なしと思うは池の蛙なりけり
 我が道の居合一筋雑談に知らぬ兵法事を語るな

無害流の百足伝は自鏡流祖多賀自鏡軒盛政の歌
 稽古には清水の末の細々と絶えず流るゝ心こそよき
 吹けば行く吹かねば行かぬ浮雲の風にまかする身こそやすけれ
 体と太刀と一致になりてまん丸に心も丸きこれぞ一円
 稽古にも立たざる前の勝にして身は浮島の松の色かな
 我流を使はば常にこころまて物云ふ迄も修行ともなせ
 麓なる一木の花を知り顔に奥も未だ見ぬ三芳野の春
 心こそ敵と思いてすり磨け心の外に敵はあらじな
 
 石舟斎のこの歌は、戦いの場においても、普段の稽古の時でも思い出すべき歌かも知れません。どのレベルに対応するかは自分の力量次第かもしれません。
 世の中には自分より優れている人は幾らでも居る。また自分より出来ない人も居るものです。そのどのような人でも、皆我が師であるはずです。門流を問わずにオープンに行っている古伝研究会でも、自分の習い覚えたやり方を殊更表面に出して、如何にもとしている人も居るものです。しかしそれでは本物は見つけられない、自分の習い覚えた、枠から出る事は出来ないものです。
 今村嘉雄著史料柳生新陰流の中に庄田喜左衛門兵法百首ありその中に
 兵法をわれ知り顔にいひなすも身の程見えて恥ずかしき物
 極めても極られぬを兵法の至極の道といふべかりけり
 色々の知恵の病を去りて知る我兵法の実いつはり
 いく度も習の道を改て我兵法に心とどむな
 どこでも、少し出来るようになると、教えたがる者もいます。そんな人は入門間もない人との稽古でも、「かたち」を教られても、業の術理は教えられないものです。しかしその初心者の動作を見て「何故そうするのか」を、よく見て反面教士として学ぶことが出来るはずです。そこからはるかに多くのものを見つけられるものです。少々違いますが「色付色随事」でもあり、本当の術理を開眼できるかもしれません。

 

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2020年5月 2日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の17兵法や腰の刀も

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の17兵法や腰の刀も

兵法百首
兵法や古し乃可多奈もあひ於奈し
       朝夕いらでいることもあり

兵法やこしのかたなもあひおなし

       朝夕いらでいることもあり

兵法や腰の刀も相同じ
       朝夕要らで要ることもあり


 兵法だが、腰の刀も同じ事なのだが、朝夕には要らない事も要る事もある。

 直訳すれば兵法も刀も朝夕には要らない事も要る事も有るよ、とサッパリと歌っています。「兵法や腰の刀も相同じ」と兵法という身に付けた武術と刀と云う道具、それも無刀取を身に付けている石舟斎ですから刀を必要としないかもしれないのに、それに「朝夕」と限った意味はどのような意味を持つのでしょう。
 当時の社会状況や石舟斎の置かれた状況を考えれば、そこに何かあるかもしれない。或は朝夕の短い一時にホッとして武士である事を忘れる時間があるのかも知れない。
 飯を食う時ぐらい、兵法の事を考えずに食べろと笑われているかもしれない。この歌はもっともっと深い心の業を秘めているかもしれない。
 「朝夕いらでいることもあり」を思い描いて飯を食う私の未熟さを思い笑ってしまいます。

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2020年5月 1日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の16兵法の極意はよろづ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の16兵法の極意はよろづ

兵法百首
兵法乃極意ハ与ろ川奈に古とも
        し安ん遠慮乃与け者つし也

兵法の極意はよろづなにことも
        しあん遠慮のよけはつし也

兵法の極意はよろず(万)何事も
        思案遠慮の避け外し也

 兵法の極意は幾つあっても何事も、思案の上に、その先を慮っての避け外しにある。

 この歌の解釈では「よろず何事も」と「しあん遠慮」の文言でしょう。よろず何事もは「数多の事は」・「何事も」でしょう。しあん遠慮は「試案遠慮」・「思案遠慮」の当て字は何れでも良さそうです。「遠慮」は現代語では遠慮する・控える、さしひかえる、ばかりが頭を過りますが、この漢字の組み合わせは「遠くを慮る」です。江戸時代の蟄居を命ぜられた武士や僧侶の刑罰が「遠慮せい」でしたのでそればかりが伝わった様です。広辞苑でも「遠い先々のおもんばかり」・「深い考え」の語意を当てるのが妥当でしょう。
 
 前回の5の14「太刀刀それのみならず避け外し心にかけて気遣いをせよ」に引き続いた「避け外し」新陰流の「往なし」を極意とする歌心でしょう。
 兵法の極意はよろず何事も、懸待表裏を心に懸けて往なすと同時に斬り込む事だ。
 
 この様に解釈して見ました、ところが石舟斎の截相口伝書亊では「懸待有之事」を述べていますが、兵庫助利厳はこれを始終不捨書では「懸の内に待、待の内に懸。懸々に非ず。待々に非ず。如此用る者世に多し。懸々、待々、有々と位に備る処を知る者少し」と批判しています。

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