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2020年6月

2020年6月30日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の76兵の法と書きたる兵法を

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の76兵の法と書きたる兵法を

兵法百首
徒者ものゝ法と書多留兵法を
      いらぬとい不毛無念奈ら春也

つわものゝ法と書たる兵法を
      いらぬといふも無念ならずや

兵の法と書きたる兵法を
      要らぬと云うも無念ならずや

 つわもの(兵)の法(兵法)と書く兵法を、不必要だと云う(人が居るのは)残念なことである。

「つわもの」とは、「兵」戦争に用いる器具・武器・兵器。武器を執り戦争に加わる人・兵士・剛健な人・また、手腕を振う人・猛者。強者。
「無念」とは、妄念のないこと・正念。口惜しく思うこと・残念。(広辞苑より)

 兵法とは「つわものの法」「兵法」と書くのに「兵法」など要らないと、時の権力者の誰かが言ったのでしょう。当時の兵法とは現在広義に捉えられている、戦の仕方・用兵と戦闘の方法・兵学・軍法よりも狭義の剣術などの武術を指すことの方が一般的であったようです。
 戦国時代末期は大きく戦争の方法が変化し、白兵戦よりも、鉄砲や大砲、堀を設けた城郭での攻防、政治的懐柔策などの方が大切であったと云えそうです。
 一対一の剣術主体の兵法は、現代のミサイルや核兵器による戦争に対し、小銃や機関銃程度の位置付けにしかならないと考える人も芽生えて来ていたでしょう。
 石舟斎はその様な時代に剣術の修業は人格形成は勿論、戦略戦術思考を育てる絶好のものと考えていたかもしれません。

 武士道と云う名の元にカビの生えたような精神性を云ってみても、「この人何を言いたいのだろう」と首を捻るばかりです。
 剣道が勝ち負け優先の当てっこスポーツであるならば、勝つために何をすべきかにひたすら励む人でありたいものです。ただ、気になるのは多くの勝負け優先のスポーツが現役引退を迫られる時があり、体を壊して退かざるを得ない人を見ます、その時「これは武術とは違う」と思わざるを得ません。
 激しい稽古によって体を壊して使い物にならないのでは稽古の方法の誤りでしょう。若者に打ち負けるような武術では習う意味も無さそうです。

 石舟斎の生きた時代は、刻々と変わる状況変化の中で「リアルタイムの創出知」は出来て当たり前のことだったのでしょう。それは形をたどる事だけでは生み出せそうにありません。

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2020年6月29日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の75身命の守りと使う兵法の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の75身命の守りと使う兵法の

兵法百首
身命の満もりと徒可不兵法の
       者川とを人乃おこ奈ハぬそうき

身命のまもりとつかう兵法の
       はつとを人のおこなはぬぞうき

身命の守りと使う兵法の
      法度を人の行わぬぞ憂き

 体と命を守る為に使う兵法なのに、禁じて居る事を守らない人が居る事は不本意である。

 「身命」とは、からだといのちと。
 「守り」とは、まもること・守護・警護・守備、守護神、おまもり。
 「法度」とは、おきて・法律、禁令・禁訓。
 「憂き」とは、うい・うし。物事に対して希望的になれず、心が閉ざされて感じられること、またそのような感じをおこさせる状態を表す語。苦しい・つらい・気にくわない・不本意だ・憎い。ものうい・気がすすまぬ。つれない・無情だ・つめたい。気がかりだ・可愛い・殊勝だ。(広辞苑より)
 石舟斎の云う「法度」の範囲をどこに置いているのか、一つは門弟とはいえそれなりの身分の者も居たかもしれない。元和偃武の武家諸法度を指しているのか、柳生新陰流の法度か、家憲なのか。
 武家諸法度は元和元年1615年に徳川幕府によって発行されています。この兵法百首は慶長6年1601年には竹田七郎宛てに送られていますから、武家諸法度ではありえないでしょう。
 柳生新陰流の兵法の法度とは何かですが、稽古に於いてやってはならない事は有でしょう。「身命の守りと使う兵法」と云うべきものでもあるでしょうが、稽古の都度指摘されて門人は納得されているでしょう。
 そうなると天正17年1579年発行の一流の紀綱・柳生家憲がもっとも該当しそうです。
 
 柳生厳長著正傳新陰流から一流の紀綱・柳生家憲より抜粋させていただきます。
「・・歎いても嘆かわしきは、奥義に疎き仕相(試合)だで、其の身の恥辱かくのみならず、某甲(それがし)の道を沙汰し、兵法一流の師に難をきすること、まことにまことに不覚の次第也。兵法一儀にあらず、いづれの芸能か、稽古なくして上手のあるべきや。此の流には、第一仕相無用たる可き也。其の仔細は、余流を廃せずして道をたしなみ、幾重にも他流を育て相尋ねる事尤也。世上修行するほどの仁は、一つ二つ是非共に、然る可き極意を存ずる者也。・・」

 禁じて居る事の第一は仕相であると云い切っています。
 
 略年表をもう一度作成しておきます。
 永禄8年1565年  上泉伊勢守より新陰流印可・石舟斎無刀取りを上泉伊勢守に披露
 永禄9年1566年  上泉伊勢守より新陰流目録相伝
 天正17年1579年 柳生家憲
 慶長6年1601年  兵法百首
 慶長8年1603年  新陰流截相口伝書亊 柳生兵庫助利厳へ伝授
 慶長9年1604年  没茲味手段口伝書 柳生兵庫助利厳へ相伝
 慶長10年1605年 石舟斎没す
 元和1年1615年  武家諸法度
 

 

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2020年6月28日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の74兵法の極意に心至りなば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の74兵法の極意に心至りなば


兵法百首
兵法能極意尓心い多りなは
      いちこ見佐本の命奈ら未し

兵法の極意に心いたいなば
      いちごみさほの命ならまし

兵法の極意に心至りなば
      一期操の命ならまし

 兵法の極意に心が至ったならば、生涯で最も大切な事であろう。

 「一期」とは、一生・一生涯。
 「操」とは、定めた意志を固く守ってかえぬこと。つねにかわらぬさま。つれないさま・平気なさま・我慢するさま。
 「命」とは、生物の生活する原動力。寿命・生命・生きている間・生涯。命の絶えること・死ぬこと。唯一のたのみ・よりどころ・もっとも大切なもの。(広辞苑より)

 この歌の解釈は、石舟斎の生きざま其のものなのだろうと思います。若き日の夢は一国一城の武将であったか、場合によっては天下取りも夢であったろう。
 然し、様々な条件が一気に崩れていく戦国末期の事、夢破れて兵法一筋に生きる決意は辛かっただろうとも思います。然し天下も徳川の時代に一気に変わり元和偃武によって世の中が治まって来ると、その中心に自分も立って居る事を認識したでしょう。
  兵法の極意を上泉伊勢守によって開眼し、新たな生き甲斐が芽生えて、この歌を読む境地になったのだろうと思います。
 兵法を突き詰めていくと無刀の境地に至り、兵法で磨き上げた心が、争いに至らない心を得て、更に大きく羽ばたいたと云えるかもしれません。

 

 

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2020年6月27日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の73無刀さへ切りかねたらんその人の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の73無刀さへ切りかねたらんその人の

兵法百首
無刀佐へきり可年多らん其人乃
       可多奈尓あひてい可ゝして末し

無刀さへきりかねたらん其人の
       かたなにあひていかがしてまし

無刀さへ切りかねたらん其の人の
       刀に合いて如何してまし

 此方が無刀であっても切りかねるその人の、切り込んで来る刀にたいして如何したものか。

 石舟斎の無刀の術は、明らかに切られる状況での無刀での対処の心得なのに、相手の刀は我が身に届く様子も見られない、是ではどうしたらいいの。
 稽古でも、よくあるもので竹刀剣道を長くやっている人程、三学円之太刀の江戸使いの一刀両断は車に執った我が左肩に打太刀は切り付けて来るはずなのですが、遠間過ぎてどう見ても届いて来ない、我は左足前の其の儘の体勢で左に腰を捻って相手の左小手を打てばいいのですが、打ち込む打太刀の袋竹刀にしか当たらないのです。我はそんな状況では右足を踏み込んで打ち込めばいいのですが、取り敢えず知らん顔して空を切らせて置きます。切れない打込みですからほおっておくのも無刀取りの極意でしょう。
 入門したての人にある癖ですが、しっかり左肩を斬ることになっているのに、肱をすくめて剣先が延びて来ない、これなどもきちんと間境を越しているのですから打込めば我が肩に斬り込めるのに、当ててはいけないと思うのでしょう。
 打込んだら痛いだろう怪我をさせそうと思う優しい心掛けでしょうか、是は、左足を引いて間を切って外しておきます。これも無刀の極意でしょう。
 面白いもので、真面目な人ほど習い覚えた方法が全てで違う事が出来ないようです。
 柳生兵庫の始終不捨書の冒頭の円相「習稽古工夫」はもとより、所謂新陰流の「リアルタイムの創出知」には、とてもとても至れそうにありません。習ったこと以外はやってはいけないと思うのでしょう。そんな事では「習工夫稽古」などできる訳は無いでしょう。私の様な下手でどうやっても真似が上手くできない者ほど、上手に出来るのかも知れません。
 仕太刀の間が近すぎれば、其の位置で足の踏み替えをするとか下がり乍ら打つとか、遠ければ盗み足で大きく踏込んでしまうとかできるのに、咄嗟に変化出来ないのです。そんな事をすれば習ってないと思うのでしょう。

 石舟斎の歌の解釈はもっと深いものかも知れません、私の相手をしてくれた届かない人たちは、私が無刀だったら何とするのでしょう。「この野郎生意気に無刀で来るか」って湯気を立てて打込んでくれるのでしょうか、「やめた」と云って相手にされないのでしょうか。どちらも無刀の極意ですよね。

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2020年6月26日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の72手刀をば所望とあらば取りてみよ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の72手刀をば所望とあらば取りてみよ

兵法百首
手刀をハ所望と阿らば取てミ与
       きられても与しくるし可ら佐留

手刀をば所望とあらば取りてみよ
       切られてもよしくるしからざる

手刀をば所望と有らば取りて見よ
        切られても良し苦しからざる

 手刀を所望と云うのであるならば、取って見なさい、切られても良いつもりで臨むのですよ。
 
 石舟斎がそう云いながら、スルスルと近寄って来るのでしょうか。この兵法百首が残された頃は慶長6年1601年石舟斎73歳の頃のものです。歌そのものは何時頃歌われたのかは解りません。思いついた時に書き留められたのかもしれません。
 上泉伊勢守より二世継承の印可を受けたのが永禄8年、翌年に影目録を相伝していますから永禄9年1566年で石舟斎38歳の頃です。無刀の発明から35年程経って居ます。

 無刀の心得は既に、前回までの歌の数々で伝わっていますが、その実技はどのようなものであったのか、どの様に上泉伊勢守に示したのかは柳生厳長著「正傳新陰流」に書かれています。
 但馬守宗厳 無刀取りを発明の一節をお借りします。
「鈴木老に打太刀をたのみ、陰、陽、向高(順、逆、前向)の太刀筋をことごとくみごとに取り―手で捕え(手縛9、組うち(制圧)する術技を師の前に示したのである。その千変万化のわざの帰するところは、
 1、手ー掌と臂(うで・ひじ)を使って相手の太刀の一部を手縛して、両臂をはたらかして刀を奪い取りーそのとき刀は空を切って舞い飛ぶことがある。-組み摶(うつ)て制圧する「無刀勢」。
 1、手刀で相手の臂(うで・ひじ)と太刀を制すると一拍子に、手縛して刀を奪い取り、制圧する「手刀勢」。
 1、両臂を使わずして無手で組搏って、制圧わざを施す。「無手勢」。
であるとて、「真実の無刀三位」と、その「砕き」-変化の勢法(はたらき・かた)としてかずかず挙げ示し、さらに無刀の術と理の極意数ヵ条の、重々口伝とする旨を講じた上、「空手にして鋤頭を把り 歩行して水牛に騎る 人は橋上より過ぐれば 橋流れて水流れず」
 右、無刀にて、無理に取るという心ではこれ無く、この極意の頌で御分別願わしく・・。習を能くよく相伝して稽古鍛錬を究めば、十度に六、七、十人に六、七人は、必ず取るべきものであると思います。と述べたのであった。」

 我が家の近くに、かつては周辺に広い農地を持つ94歳になる老婆が居ります。今でも畑を耕し季節の野菜を育てています。農具の扱いを見ていますとまさに、「空手把鋤頭」空手にして鋤頭を把るにふさわしく、長年使い慣れたクワをサクサクと振っています。その姿は体からクワが生えている様に足・腰・肩・頭の上下動も左右のぶれも無く、特に弾みをつける様子も無く、何も持っていないかの様なのですが、見事に耕されて行きます。その日の目的を終れば、静かにか母屋に戻って行きます。
 石舟斎の頌そのものを見ている様です。無刀取りの幾つもの術技の修練は有ったとしても、恐らく石舟斎の動きもそうであったのでしょう。

 

 

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2020年6月25日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の71無刀とるつもり位を稽古して

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の71無刀とるつもり位を稽古して

兵法百首
無刀と流徒もり位を稽古して
       小太刀のこゝろ可ん三してしれ

無刀とるつもり位を稽古して
       小太刀のこゝろがんみしてしれ

無刀取るつもり位を稽古して
       小太刀の心玩味して知れ


 「無刀取るつもり位」と「小太刀の心」の語句がこの歌を読み解くカギとなるのでしょう。

 無刀取りの積りになって稽古をするのですよ、小太刀の稽古は無刀に至る稽古と心得て充分心をこめて稽古しなさい。

 歌の、読み取りは出来ても、さて無刀取りが解らなければお手上げです。前回5の70鍋島家伝書、及び前々々回の5の68柳生十兵衛の無刀の考え方を伝書から抜粋しておきました。
 
 小太刀の勢法については、赤羽根龍夫・赤羽根大介校訂「柳生の芸能」(神戸金七編)より「小太刀三本のこと」を紹介しておきます。
 「上段:使太刀、直立ちたるまま小太刀を下段に掲げて進む。打太刀、雷刀より進み来り、片手にて衣紋なりに順に払う。使太刀、真直ぐに人中路を打つ。
 中段:使太刀、中段にして進む。前の如し。
 下段:雷刀にして進む。前の如し。」

 この、小太刀三本で、ほぼ、石舟斎の歌心である小太刀の稽古を心掛けれ、それにより無刀も理解し得るとなるわけです。
 外伝勢法の小太刀勢法はまだいくつかありますがこの辺で。

 参考に、新陰流の小太刀に関しては前田英樹著「剣の法」に新陰流の「小太刀を使うこと」が形は異なりますが解説されています。小太刀の稽古より「我は小太刀を無形の位にだらりと下げたまま進んでいく時、相手が順勢の太刀筋で我が左肩を切ってくる。我は下段に下げ持つ小太刀を軽く頭上に上げ、其処から右偏身に転じて45度の順勢の太刀筋で、相手の左手首を打つ。」
 是は全部で5本あります、これ等を無刀で行えば無刀取りになるとしています。

 無双直伝英信流の古伝には小太刀之位、大剣取など小太刀の稽古形があります。大剣取から四本紹介しておきます。
 無剣:相手居合膝に坐し居處へ小太刀をさげかくる相手抜打つを放し入てさす。
 水石:如前く待處へ小太刀をさげかゝる時相手深く懸って抜付るを小太刀を持ちたるなりに止入りてさす。
 外石:是無剣の如く放したる時又右より打を留入りてさす。
 鉄石:是も前の如く坐し是は廻り寄りて切らんと心得て抜かざる時行なりに小太刀にて地をハタと叩いて気をうばうて入りてさす。

 

 

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2020年6月24日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の70縛り者切るに劣らぬ無刀さへ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の70縛り者切るに劣らぬ無刀さへ

兵法百首
志者りものき留尓おとらぬ無刀さへ
       十尓五徒ハとら連ぬる可那

しばりものきるにおとらぬ無刀さへ
       十に五つはとられぬるかな

縛り者切るに劣らぬ無刀さへ
       十に五つは取られぬるかな

 縛り者を切る様な兵法に劣らない無刀の術でさえ、十に五つは取れるものだ。

 前回の「縛り者切る程易き兵法と云うはあだなる人の言の葉」に引き続き、縛り者を切る位に簡単と錯覚している人を、じろっとにらみつける様な雰囲気で、無刀も十に五つは上手く相手の刀を取れるよ。兵法は容易なのかなあ、と云っています。

 今回は今村嘉雄著史料柳生新陰流玉成集第三から元禄8年1695年小城鍋島家に伝わる無刀の習いの事から「無理に無刀にとるべきにあらす。兵法のならい、しなし、上手の所作、無刀より出るに依って、当流の高上極意也。諸道具自由に仕も無刀也。諸道具なくとも兵法の用にたて、心にはかり、なにゝても取りあわせ自由にいたし、上なき事を云わん為に無刀と云。
 きるへきと存者無刀にて取也。とられましきと覚悟の者はとるべきにあらす。きらねばとりたる同前也。きらるゝ様に仕掛る事第一心持也。兵法のならい仕掛、表裏の心はたらき、心より出るに依て、仕なし様子は心にあり。心はしらず、心しらざる所は無刀也。心の出る所を勝、おさゆる儀を当流の兵法と云。
 其目付ならい五つにてしるべし。神妙剣の心持同じ事也。水月のよくうつしてきらせんとおもい、五つの心持の仕掛候へば、とらずと云事なし。足・手・身・表裏の心持を含みて、心にて仕候へば、十人にして六七人、十度にして六度七度、かならすとるもの也。いにしへの、兵法にも、腿に頸をかへ、少しきられてもとるは第一の上手也」

 此処では十に六七度は取れると云っています。石舟斎の十に五つより高いですね。いずれにしても兵法は縛り者を切る様に簡単にはいかないので十分修行するものだと云うのでしょう。
 無刀の業技法に拘れば、いくつかの無刀取りの形が示されるでしょう。然し新陰流の新陰流截相口伝書などに法った事々、身の懸り五箇之大事・三箇之大事等々の教えを習い・稽古・工夫すれば無刀も同じ事だと云うのです。
 ともすれば新陰流も決められた「かたち」にはまっていなければ出来たと云えないという、現代剣道のヒズミに慣らされた人に依って、生きた「リアルタイムの創出知」を失ってしまいます。古伝の形骸を追うばかりになっているのは修行10年足らずの現代武道経験者によって「全日本剣道形」などを含め昇段審査などでの「かたち」による試験課題と勘違いしている人たちに依るのでしょう。

 石舟斎の兵法百首の内、此処までで70首を読んで見ました。残り30首迄あと一月懸ります。毎日一首ずつ今ある自分をフルに働かせて石舟斎の歌心に少しでも迫ろうとしてきたものです。新陰流の先生方には容易に読める歌も、形の真似事しかしていない者には読み切れません。
 伝書類も前に目を通して居たものもあるのですが、改めて読み直し兵法百首の歌心を追ってみました。参考に春風館関東支部の先生方にお知恵を拝借しようかと当初は思っていたのですが、読み進むに従って戦国の世を生きて来た先師の心がひしひしと伝わって来て、これは先師が、俺たちの残した伝書を読んで自分の頭で考えろとニコニコ笑っている様な気がしてきました。
 

 

 

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2020年6月23日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の69縛り者切る程易き

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の69縛り者切る程易き

兵法百首
志者り毛のき留程也春き兵法と
       いふハあ多な留人のことの者

しばりものきるほどやすき兵法と
       いうはあだなる人のことのは

縛り者切る程易き兵法と
       云うは徒なる人の言の葉


 縛っている人を切る様に兵法はた易いと云うのは、本当のことが何もわからない浮ついた人の言葉だ。

  「あだ」は仇・徒・空などの漢字があてられますが、ここは「徒」「空」でしょう。実のことないこと・むなしいこと・いたずら・むだ、はかないこと・かりそめ、浮薄なこと・ういたこと。(広辞苑より)

 自分の意志では自由に対応できない様な、縛られている人を切る位に、兵法は容易いと云うのを石舟斎は何処かで聞いたのだろうか、それとも入門したばかりの初心者が、打太刀を打つ稽古ばかりしていて、「こんなものが兵法の稽古?」と疑問に思う心を歌ったのでしょうか。
 戦場を駆け巡って生き残って来た雑兵上がりの人には、敵を切る事は造作も無かったかもしれません。
 それにもかかわらず、兵法は形の稽古です。それも初心者は仕太刀(遣方)で何もわからず、看取り稽古で目に焼き付けてもどこを焼き付けたのか何とも言えません。形を演じられる程度の兄弟子が打太刀の場合は、打太刀が業のポイントを認識できていればまだしも、運剣の順序位しかわかっていない場合はひどいもので、小学生時代にならったフォークダンスなら音楽のリズムが助けてくれるのですがそれすらない、棒振り訓練です。
 そんな稽古で打太刀は、防具を着けてここを打てと示すのですから、縛り者を切る程度の事に過ぎないのです。戦場で敵との交戦で人を切る事と、縛られている罪人を切るのとは、心のありようはわけが違いますが、其の辺の事は棚に上げて置いて、古流剣術の稽古風景です。

 柳生宗矩著兵法家伝書渡辺一郎校注に付・新陰流兵法目録事で慶長6年に石舟斎が竹田七郎に相伝した新陰流の三学円太刀が絵入りで業手附を掲載をしています。ここにお借りして三学円太刀の一本目一刀両断を読んで見ます。
 「打太刀中の清眼に構かゝり候時、太刀を右の車のやうにさげ、左の足を出し左の膝に少しかゝり、身をひとえになし、太刀をばいかにもゆるゆると前の方へよせ、目付を見て腰をゆする様にかゝる時、打太刀より左の肩先を切る時目付を切留、我がこぶしを膝口へさげ、いかにも左のひじをのばして切りつむる、其時振上きらんとするを、右の足をふみ込あとのえびらをふみひらき、打太刀の左の手首を切也。口伝」
 戦国時代末期の上泉伊勢守が石舟斎に伝授した古伝の一刀両断でしょう。その後古伝も変化し、江戸遣い、尾張遣いと進化しています。この一刀両断は「其時振上きらんとするを、右の足をふみ込あとのえびらをひらき、打太刀の左の手首を切る」の三点がポイントでしょう。打太刀が我が左の肩先に斬り込まされる誘いや、其処に斬り込んで来る敵に随って転変する、この手付に極意を秘したポイントをしっかり教えられ習い稽古し工夫してより有効で尚且つ手附に随うとすれば、石舟斎の歌に歌われる「兵法と云うは易いもの」などとはとてもいい得ません。
 
 

  

 

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2020年6月22日 (月)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の資料

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の資料
 抜刀心持之事の手附に随い現代居合との関連を述べて来ました。その上で古伝の業は現代居合とは違う事を要求している事を指摘し「昔は」と云う先輩諸先生の昔を忍んでみました。多くの先輩諸氏の昔は、自分の思い付きの昔に過ぎず「師の誰々より指導を受けたものは」と云う先輩はまだましです。
 解説に当たり参考とさせていただいた資料を掲げておきます。

1、曽田本神傳流秘書
  抜刀心持之事
  大森流居合之事
  英信流居合之事
  etc
2、曽田本英信流居合目録秘訣
  外之物ノ大事
  上意之大事
  極意ノ大事
3、無雙直傳英信流居合兵法叢書 河野百錬
4、林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流 木村栄寿著

5、剣道の手ほどき 大江正路監・堀田捨次郎共編
6、無雙直傳英信流居合兵法地之巻 政岡壱實
7、居合兵法無雙神伝抜刀術 尾形郷一貫心
8、居合道ーその理合と神髄 檀崎友影著
9、夢想神伝流居合道 山蔦重吉著

10、無雙直伝英信流居合術全 河野百錬著
11、無雙直傳英信流居合道 河野百錬
12、大日本居合道図譜 河野百錬

13、居合読本 中山博道校閲・太田龍峰著
14、居合詳説 山内豊健・谷田左一共著

15、全日本剣道連盟居合(解説) 全日本剣道連盟
16、無雙直伝英信流居合道解説第二巻 池田聖昂著

17居合の研究夢想神伝流奥伝 松峯達男著

18、土佐英信流居合 福留麒六著・宮本知次
19、道理を愉しむ居合道口座夢想神伝流 石堂倭文著

20詳解田宮流居合 妻木正麟著
21、柳生新陰流道眼 柳生延春
22、etc

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の68兵法の無刀とること石の舟

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の68兵法の無刀とること石の舟

兵法百首
兵法の無刀と流己と石乃不年
      う可未ぬわさと人やミ留らん

兵法の無刀とること石のふね
      うかまぬわさと人やみるらん

兵法の無刀取る事石の舟
      浮かまぬ業と人や見るらん

 今村嘉雄著史料柳生新陰流の宗厳兵法百首では「兵法の無刀となること石の舟浮かまぬわざと人や見るらん」とされていますが、流(る)の前に(と)しか文字は有りません。「無刀とること」とさせていただきます。(宝山寺蔵の石舟斎の原本写真による)

 兵法の無刀をとる事とは、石の舟が浮ぶ事はないような役に立たない業と人は見るであろう。

 石舟斎の無刀の発明に関する逸話は柳生厳長著正傳新陰流に(流史 家譜)として次のようにあります。「永禄7年1564年上泉伊勢守信綱が柳生の庄を去って、いよいよ上洛する時が来た。その別れるにあたって宗厳に対し、予は多年、太刀を執って切りかかる者に対し、無刀相手を制する「無刀取り」-奪刀、制圧の道を工夫鍛錬して、前の截相口伝の条々の中に伝授した「太刀間」の定理を本来とするところを発明している。この本来ー根本術・理は動かぬところであるが、それ以上の術・理の子細については、遺憾ながらまだ明すことができないでいる。貴殿はなお春秋に富んでいる。これを明らかにするものは、貴殿をおいて恐らく天下に人無かろう。かならずこれを工夫発明してその術と理とを開明し、この一流を大成して後世に遺されたい。これまでの習をもって満足することなく、折角精進されるよう。」

 上泉伊勢守信綱の嘱されて無刀の術理を石舟斎は開明しています。永禄8年1565年に上泉伊勢守より石舟斎は一国一人の印可を相伝し翌年永禄9年1566年に新陰流目録を伝授しています。

 無刀については柳生宗矩の兵法家伝書の活人剣無刀之巻及び下段の兵法截相心持の事・玉成集第三による補注に詳しく解説されています。
 此処では柳生十兵衛による無刀を今村嘉雄著史料柳生新陰流より「当流の兵法」から無刀について「無刀にきられぬ心持之事、無刀とるべきにあらず、きらねばとらぬ也。きらねば無刀にてとりたる也。皆人の無刀をきる事をにくむは、とられたるに同事也。水月うけて居れば、当たらざるもの也。水月の内に入ざる間は、はつし、水月の内に入りてはとりつく也。又刀なくしても、何にても持合せ候て勝を、無刀と定むる也。右心気の心わすれず、受用いたし、ぬかさず、かたまらず、待にして居る者、何とるべきや。是を切るべき事を思はば、棒心先々の習なくして、きり候事は成り難き物也。少し切られても、取りつき候へば、無刀の徳也。右に申ごとく、少きられてとるを、無刀と申也。無刀を知れば徳多きによりて、無刀を専習に致候事也。太刀道具何も手に持つものを、自由にせんため也。兵法は、心気の受用に極まる故に、心はしめの発せざる前に心を付る事肝要也。然るにより、無刀専一の習、当流の極意に致す也。」

 無刀とは、夫れ相当の業技法があるとばかりに期待しているのに、「無刀にきられぬ心持」という事で、石舟斎がとやかくのうわさに「にやり」としてチャンバラ好きの門人達を見ている姿が目に浮かびます。
 いずれにしても柳生新陰流の秘伝との事で、その実態は、これらの伝書では観念的には理解し得ても術理を目にする機会は有るのか、術としては、今の世の中に幾らでも丸腰で刃物を持つ相手に応じる術は、ゴロゴロしています。新陰流の奥義の無刀は将に現代の緊迫する世界情勢の中で無刀で応じる奥義のことです。

 

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2020年6月21日 (日)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の22賢之事他

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の22賢之事
1の23クゝリ捨
1の24軍場之大事

抜刀心持之事22本目賢之事、23本目クゝリ捨
手附は有りません。

大江正路の奥居合立業に賢之事に相当する業は古伝に手附が無いので似た動作を特定不能です。
大江居合の奥居合、居業・立業と古伝無雙神傳英信流居合兵法を動作若しくは想定によって対比してみます。
1、 霞:向払
2、 脛囲:柄留
3、 四方切:四角
4、 戸詰:両詰
5、 戸脇:両詰の替業
6、 棚下:棚下
7、 両詰:向詰
8、 虎走り:虎走
9、 行連:行連
10、連達:行連
11、惣捲り:五方切
12、總留:放打
13、信夫:夜之太刀
14、行違:連達
15、袖摺返:行違(想定ちがい)
16、門入:なし
17、壁添:人中(想定ちがい)
18、受流:弛抜
19、20、21、暇乞:抜打上中下(手附なし)
20、なし:抜打
21、なし:賢之事
22、なし:クゝリ捨
23、なし:軍場之大事
24、なし:追懸切

 大江居合と古伝抜刀心持之事との対比では大江居合の奥居合に有って古伝に無いのは「門入」が相当します。檀崎先生、山蔦先生ともに
門入りは古伝の「隠れ捨」(たぶん「クゝリ捨」の事でしょう)としています。「賢之事」は「袖摺返」を当てています。私は大江先生の「袖摺返」は古伝の「行違」の想定違と判断しています。
 古伝の抜刀心持之事で業名があって手附の無い「賢之事」及び「クゝリ捨」が袖摺返と門入である確証が得られません。もう一つ山蔦先生は奥居合立業の十二本目に「両士引連」の業名で古伝抜刀心持之事「行違」の動作を充当しています。是も私の資料では確証が得られません。

1の24軍場之大事:具足のゆるきを取り押上る心得肝要也、故に着料の具足は押上られてものどにつかへざる様に仕置べきなり、高き所などより飛ぶ時おのづとのどにつかゆる事有るもの也、心得に有儀也。


  具足がゆるくて押し上がらない様に着なさいと云う教えの様です。具足については興味有る方にお任せしておきます。

 以上を以て古伝神傳流秘書抜刀心持を終ります。

 誰でも、無双直伝英信流や夢想神伝流を習いに行けば、大江正路流の居合を指導されます。どんなに夢想神伝流は無双直伝英信流と違うと云って見た所で、それは抜き付けの所作やフィニッシュの角度の違い程度のもので、その理合いも動作も似たようなもので、どちらも出来て当たり前でいいのでしょう。それは現代居合の奥伝を稽古して、古伝神傳流秘書の抜刀心持之事を研究して見れば明らかな事です。
 一本目「霞」の古伝は「向払」ですが、古伝は「向へ抜付返須刀に手を返し又払ひて打込ミ勝」だけの事で、あらゆる想定を自分で考えて稽古する様に「格を放れて早く抜く也重信流」と始めに添え書きされています。格とは形ですから、指導された初歩の想定動作に捉われずに稽古しなさいと言って居るわけです。
 教えられた形は、あくまでもその業のとっかかりの稽古業であり、現代風に見れば昇段審査の格に過ぎません。古伝の一行足らずの手附からあらゆる状況に応じられる修業を積まなければ武術にはなり得ないと、改めてこの抜刀心持之事を読み直してみた次第です。


 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の67兵法は深き淵瀬の薄氷

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の67兵法は深き淵瀬の薄氷

兵法百首
兵法は婦可き淵瀬のう須氷
      王多留古ゝろのならひ成介利

兵法はふかき淵瀬のうす氷
      わたる心のならひなりけり

兵法は深き淵瀬の薄氷
      渡る心の習いなりけり

 兵法は深い淵瀬に張った薄氷のようなもの、どの様に渡ったら良いのかの心得を学ぶものである。

 「淵瀬」とありますが淵は深い所で流れが停滞している場合もあります。瀬は浅い所ですが急流だったりします。此の場合は「深い淵瀬」と云っていますから瀬もそこそこの深さを持つ流れなのでしょう、どちらと云う訳には行きません。あえて違いを探れば、瀬の方は張った氷が薄いと云えますが、是も「薄氷」と特定しています。流れの薄氷を渡る心持ちで兵法を学ぶものと云う事で良さそうです。

 薄氷の張った深い淵瀬を渡る心持ちが兵法だ、と云うのですがその前に、その様な危険な場所をどの様にして渡るのでしょう。竹刀剣道などは、ドタンバタンと足踏みして踏み込んでますから、薄氷などあっという間に踏み破って冷たい淵瀬に落ちてしまいそうです。現代居合も正座からの右足の踏み込みは、どこぞの英信流ではドンと音を立てて踏み込んでいます。初心の内だけとか言ってますが何十年もやってる師匠もやってますからこれも水の中です。

 宮本武蔵は五輪書風之巻「他流に足のつかひ有る事」で委しく書いていますが長くなるので兵法35箇条の足踏みの事「足づかい時々により、大小遅速は有れ共常にあゆむごとし、足に嫌ふ亊、飛足、うき足、ふみゆする足、ぬく足、おくれ先立つ足、是皆嫌ふ足也。足場いか成る難所なりとも、嫌ひなき様にたしかにふむべし。」

 石舟斎の截相口伝書亊に「間拍子歩之事」があるのですが口伝ですから、以下の書物から抜書して見ます。

 柳生宗矩の兵法家伝書下巻歩みの事「歩ミは、早もあし遅きもあし。常のことくするすると何となき歩よし。」

 柳生十兵衛の月之抄歩之事「父云、水月の前にては、いかにもしづかに心懸、あゆみたるよし。水月の内へなりては、一左足早く心持よし。亡父の録にはあゆみの事、しゃうがありと書せるあり。亦云、あゆみは、はつみてかろき心持なり。一あしの心持専なり。千里の行も、一歩よりおこると云々。亦云、他流にカラス左足、ねり足などと云は、後足をよせ、さきの足を早く▢▢ためなり。惣別あゆみはこまかにして、とどまらぬ心持専也。ねり足と云は、構をして、ぢんぢりねりかかるを也」(水月とは間境の事)
 間之拍子歩之事「理りは何ともなし。・・歩は不断ある心持也、何心もなくロク二シズカなる事よしと宗厳公仰せられしと語もあり。云、何の心もなし。不断あるくあゆみは、拍子にあらずして拍子也。拍子の間だ也。間には拍子なき所也。なき所拍子也。拍子なきとて拍子がちがへば、けつまずくなり。なき所間の拍子、不断の歩也。ここぞといふ時は、不断の様にあゆまれぬ也。心がはたらかぬゆへと知るべし」

 柳生十兵衛の朏聞集(ひもんしゅう)あゆみの事「水月より前にてはしつか成が吉、場をこしてよりは一調子はやきがよし。あしどりうきやかに、ひきつらぬ様に遣う心もち吉。それにておのずからすすむ心出来るもの也」(月之抄・朏聞集ともに今村嘉雄著史料柳生新陰流より)

 新陰流の足捌きについては不断の歩みが良いと云っていますが、赤羽根龍夫著「江戸武士の身体操作柳生新陰流を学ぶ」に「柳生新陰流の身体操作の特徴の一つ「風帆の位」とは、風をはらんだ帆かけ舟が水の上を滑るように、身体の軸を垂直に立て、踵を地に着け、足を上げないでするすると歩む運歩の仕方」と解説されています。

 石舟斎の兵法百首の薄氷を渡る歩み方は風帆之位をもって不断の歩みと云う事で、スルスルと深い淵瀬の薄氷を踏み破らず越して行く心に兵法の習いがある事を指し示しているのでしょう。
 間を越すと云う事は、逸る心も、臆する心も無くスルスルと・・。

 

 
 

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2020年6月20日 (土)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の21弛抜

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の21弛抜(はずしぬき・ゆるみぬき?)

抜刀心持之事21本目弛抜
前の如く歩み行敵より先に打を体を少し開き弛して抜打に切なり

 大江正路の奥居合立業の部十八番受け流しが相当しそうです。:(進行中左足を右足の前に踏出し身を変して請流す)左足を出すとき、其の左足を右斜に踏み出し、中腰となり、刀の柄元を左膝頭の下として、刀を抜き直に其手を頭上に上げ、刀を斜とし、体を左斜前より後へ捻る心持ちにて受け流し、左足を踏みしめ、右足を左足へ揃へ、右拳を右肩上に頭上へ廻し下し、上体を稍々前に屈めると当時に真直に左斜を斬る、揃へたる足踏みより左足を後へ引き、血拭い刀を納む。
 是は、大森流の六本目流刀の立業です。「体を少し開き弛して抜打に切なり」とは言えません。受け流すための動作は、敵に外される危険性が高い上に、刀で刀を受ける受太刀は受けた瞬間に折れる可能性が高く、刃で受ければ刃こぼれや、食い込まれて流せないなどありえます。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合はこの業に相当する業は見当たりません。大江先生の「受け流し」に相当する奥居合之業も見当たりません。

 檀崎友影の奥居合立業その十受流:意義 敵、吾、正面より斬込み来るを頭上に抜き、敵刀を受流して敵の首に斬付けて勝つの意である。動作 正面に向かって前進中、左足を出すと同時に刀に両手をかけ左足を右前に出しながら、刀を頭上に抜いて受け、右足を右に一歩踏み出して流し、左手を添え左足を後方に引きながら敵の首に斬り下し納刀する。
 
 山蔦重吉の奥居合立業十本目受流(弛抜 ゆるみぬき):進行中、自分の敵が真正面から斬込んで来るので、刀を右斜め横に抜くや、左足先を右に向け、右足の前に踏出して、敵の刀を受ける。右足を右斜めに運んで、その刀を受流し、左足先を敵の方に向け、左手を柄に添え、右足を左足に揃えるように踏込むと同時に、敵の肩口に斬り付ける・・。

 敵の斬り込みを刀で受け、体を右向きから左向きに軸回転させながら受け流し、改めて斬る様です。古伝の手附は「歩み行敵より先に打を体を少し開き弛して抜打に切る也」です何処にも受け流しなどと書いて無いし、摺落す動作も無い、体を開いて外せと云っています。外した時が切った時、其の為には我が頭上に斬り込ませる「懸かり待つ」心得が必要です。此処まで稽古して来た幾つもの業技法を以て応じる稽古を要求しているのでしょう。
 古伝の無雙神傳英信流居合兵法は良く組み立てられています。古伝の手附を読んで、それまでの業技法の延長線上の動作でお茶を濁させてはくれそうにありません。

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の66よきのうと思う心の愚か故

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の66よきのうと思う心の愚か故

兵法百首
与記能不とおも不こころのおろ可ゆへ
        兵法くらゐ能あらそひそ須留

よきのうとおもう心のおろかゆえ
        兵法くらいのあらそいぞする

よきのうと思う心の愚か故
        兵法位の争いぞする

 この歌の書き出し「与記能不とおも不」の意味と「兵法くらい」がわかれば解けるのですが、語学不足で石舟斎の歌心に至る事は出来そうにありません。「よき」は「良き」であれば、「よいのう」、「上手だろう」と、同意を求める、うぬぼれる心を表しているかも知れません。
「兵法くらい」を兵法の位、上手下手の位と読んで、取り敢えず解釈して見ます。

 兵法の上手下手の順位争いをして居るなあ。良くできていると思う心が愚かなんだよ。

 これでは、へぼ達に能くある手前味噌による兵法の真髄も知らずに、ああだ、こうだと云いあらそいしている様に思えてしまいます。現代風で云えば、へぼでも年数が立つと昇段したりして段位は上がっても形が出来ただけで武術とは程遠い兄弟子が段位を笠にえばっている様なものです。
 石舟斎の歌心を、そんな処から辿る事は出来るのでしょうか。門人同士で、俺の方が上手、いや俺だなどと云い争ったり、知ったかぶりをして教え間に成ったりする人はいるものです。兵法の極意はもっと違う処に有る筈で、棒振りの「かたち」が師匠に似ていても、上手くも何ともない、術が決まってもいないのに、やれやれでしょう。そんな人に限って教えられても何を教えられたのかさっぱりわかりません。

 
 
 

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2020年6月19日 (金)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の20抜打

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の20抜打

抜刀心持之事20本目抜打
歩み行中に抜打に切敵を先に打心也

 大江正路の奥居合には立業の抜打は存在しません、置き捨ててしまったか、習わなかった、古伝を知らなかった。大江先生には下村茂市からも五藤正亮からも無双直伝英信流の相伝は無かったとされるのですが、大江先生は8人ほどに根元之巻を印可されていますから目録位はとも思いますが、五藤正亮からの目録ななどの資料の話は聞いたことが有りません。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による奥居合之部十八抜打(出合頭に斬る)正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り右手を柄へ掛けるなり、右足踏込み、出合頭に(正面へ)抜打に斬付け、左足を右前足に踏揃へると同時に刀を納め終る。
 尾形先生の抜打の文章だけでは、抜打が横一線なのか、真向打下しなのか、片手袈裟なのか解りません。大森流の抜打は「刀を右前へ引抜き刀尖をひだり後ろへ突込み、諸手上段に引冠りて斬込み」です、英信流の抜打は「両膝を伸しつつ、刀を右前へ引抜き(膝が立つと同時に両足爪立て)刀尖を左後へ突込み、諸手上段に引冠りて斬込み」です。奥居合の二十本目抜打は「頭を下げ礼をして俯きたるまま、両手引込め鯉口と柄を執り、急に腰を伸しつつ、刀を右前へ引抜き刀尖を左後へ突込み、諸手上段に引冠りて斬り込み」ですから、上段からの真向斬下しでいいのでしょう。

 檀崎友影の奥居合には抜打に相当するものは見当たりません。
 
 山蔦重吉の奥居合には抜打に相当するものは見当たりません。

 古伝抜刀心持之事には立ったまま歩み行敵を抜打にする業が存在したのです。この業を大森流の十一本目抜打の業を立って演じる事は出来ます。「歩み行く時正面から敵が刀を抜いて真向から斬込まんとする、我は左足を踏み込み刀に両手を懸け刀を抜きかけ、敵が斬下すや左足を右足に引き付け同時に柄頭を正中線を通して左肩を覆う様に上に抜き上げ敵刀を摺り落し、左手を柄に添え振り冠るや右足を踏み込み敵の真向に斬り下す。血振り納刀す」

 全日本剣道連盟居合の12本目「抜打」:要義 相対して直立している前方の敵が、突然、切りかかってくるのを、刀を抜き上げながら退いて敵の刀に空を切らせ、更に真っ向から切り下ろして勝つ。
 是では、古伝の抜刀心持之事の抜打にはなりません。

 然し、この抜刀心持之事の抜打は「歩み行中に抜打に切り敵を先に打心也」が手附けです。無雙神傳英信流居合兵法は成立が江戸時代中期1700年代の農民と武士の中間の武芸者によって組み立てられたと思われます。武術に思想的要素を持つよりも、必ず勝つと云う思想で組み立てられていたとしたならば、敵の害意を察するや、抜打つ事が最優先であって、敵の動きに従って勝つ柳生新陰流の「活人剣」など無用だったかもしれません。
 再び、然し、それでは柳生新陰流の「色付色随」の教えを充分知る者には勝てないでしょう。次回は「色に付き色に随う」に沿った「弛抜」になります。

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の65名を惜しみ兵法歎く何某と

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の65名を惜しみ兵法歎く何某と

名をおしミ兵法奈けく奈尓可しと
       幾ゝし流人尓極意能こ須奈

名をおしみ兵法なけくなにがしと
       きゝしる人に極意のこすな

名を惜しみ兵法歎く何某と
       聞き知る人に極意残すな

 自分の名を大切に思い、兵法が上手く出来ないことを歎くのは、あの人と聞き知るならば、極意を残らず伝授すべきである。

 極意を伝授するのは、業技法に長けている人に伝授すると思うのは誰でもの事ですが、石舟斎は上手下手よりも自分の名を大切に思う人がより良いと考えるのでしょう。
 名を惜しむ様な人は、五常を知り、先祖を敬い、我が名を大切にする人であるはずです。強いばかリ、上手いばかりで世に仇為す様な人には極意は伝える事は出来ない。と云うのです。

 武術は、上手な人殺しを学ぶものでも、我が身の生き残りを望むものでも無い筈です。まして自分ばかりが優位に立って人を見下すような人の為にあるものでも無い。
 争いの無い、互に敬う心を以って穏やかな日々の暮らしを誰でも求めている筈です。その実現は己が頂点に立って人を屈服させる事では決して得られないでしょう。
 人の話を聞き、人の思いを理解し、最も良い方法を見出し、話し合って、和すること、そのことは、石舟斎の新陰流の伝書の中で極意に至る道として随所に語られています。

 自己実現は人を睥睨する事と勘違いしている武術愛好者はごろごろいます。それを助長させるのが段位制度や師範などの階位呼称でしょう。所属部署の所在年数や貢献度ばかりに気をとられ、歳を取って体力も落ち、若者にコロコロ打ち負かされる老人が、段位のみで威張っているのも哀れです、そんな事では武術修行者とは言えそうにありません。隠居なら隠居でいいのです。武術修行は死ぬまで続けるのが修行でしょう。 居合の様に対敵は仮想敵で負け知らずの稽古をしてきて、若い者に負けんぞとばかり身に余る長く重い日本刀をようやく抜いてフラフラしているのもみじめです。 
 石舟斎は上泉伊勢守の生き様から、きっと人生哲学を得られたのだろうと、ふと思います。
 

 

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2020年6月18日 (木)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の17抜打上中下

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の17抜打上中下

抜刀心持之事17本目抜打上中下(暇乞三本)
手附は有りません。
曽田虎彦メモ:暇乞三本 格の低き者に対する黙礼の時、等輩に対する礼の時、目上の者に対する礼の時

英信流居合目録秘訣極意の大事暇乞:仕物などを云付られたる時抔其者の所え行て四方山の咄抔をして其内に切るべし、隙無之ときは我が刀を取って「又近日」と立さまに鐺を以て突き倒し其侭引ぬいて突なり、又は亭主我を送って出るとき其透間を見て鐺にて突たおして其侭引きぬいて突くべし。
*
 大江正路の奥居合立業十九番暇乞:(黙礼)正座し両手を膝上に置き黙礼し、右手柄に掛かるや刀を斜に抜き付け上段にて斬る。
   二十番暇乞:(頭を下げ礼をする)両手を板の間に付け、頭を板の間近く下して、礼をなし、両手を鞘と柄に同一に掛け直ちに上に抜き上段となり、前面を斬る。
 二十一番暇乞:(中に頭を下、右同様に斬る)両手を膝上に置き黙礼より稍々低く頭を下げ礼をなし、右手を柄に掛け刀を斜に抜き上段にて斬る。(止め)(立合終り)
 大江先生の暇乞三本の順序がおかしいですね、現代風に直せば十九番・二十一番・二十番でしょう。この文章は堀田捨次郎が大江居合を見て記述したもので大江先生は監修したことになっていますが疑問です。手附にはその動作に至る思いが伝わるのですが伝わってきません。「黙礼し、右手柄に掛かるや刀を斜に抜き付け上段にて斬る」の文章ですが、現代居合の暇乞が摺り込まれていますから「刀を抜き上げ上段に振り冠って斬り下す」とイメージが先行します。この文章では、「黙礼し、右手を柄に掛け刀を斜め前に抜き出し、上段に振り冠り切り下す」のように読んでしまいそうです。
 大正7年1918年今から102年前土佐の居合無双直伝英信流の解りやすい解説書として、世に出された現代居合です、この解説内容で誤り伝えられたことも多かったろうと思います。
 抜打上中下を暇乞として、暇乞いの際の暗殺行為、闇討ちを嫌ってこの暇乞いを正式な演武会では禁じているのも、大森流の順刀(大江居合の介錯)を介錯の仕方を教える業だからと、是も忌み嫌って演じる事をご法度にされてしまっています。古伝は「抜打」であって「暇乞」では無い。座しての挨拶の際敵が仕掛けて来たので「抜き打つ」のであれば別に嫌う理由は無いでしょう。曽田メモについてはその謂れは古伝には見られません。曽田先生が聞きかじったか師匠の行宗貞義による口授に一部にあったのかも知れません。明治のお化けのように思います。然るべき方々で見直すべき時期でしょう。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合二十番目抜打:(対座して居る者を斬る)正面に向ひ対座し、刀を鞘なり前腹へ抱え込む様に横たえ両手を前につかへ、頭を下げ礼をして俯きたるまま、両手引込め鯉口と柄へ執り、急に腰を伸しつつ、刀を右前へ引抜き刀尖を左後へ突込み、諸手上段に引冠りて斬込み、刀を開き納めつつ、両足の踵上へ臀部を下すと共に、納め終り、爪先立てたる足先きを伸し正座して終る。
 暇乞の呼称は使用していませんが、「両手を前につかへ、頭を下げ礼をして俯きたるまま」の一節が暇乞いをイメージするのは大江居合に慣らされてしまったからでしょう。暇乞の時が最も危険の伴う時とも云える、武術は隙を見せて敵を誘いその誘いの際の隙に付け込むことは当然のことです。力任せに威圧しながら遮二無二斬り込むのは武術とは言えません。

 檀崎友影の奥居合居業その九暇乞:意義 暇乞は上意打とも称え、主命を帯びて使者に立ち、敬礼の体勢から抜打にする意にして、又彼我挨拶の際、彼の害意ある気配を察知して、其の機先を制して行う方法である。 動作 正面に向って正座し、その座した体制から僅かに頭を下げ礼をなす間もなく、俯いたまま両足爪先を立て抜刀、抜打と同じ要領で雙手上段より斬下し、血振り、納刀する。
 その十暇乞:動作 正面位向って正座し、両手をつき、頭をやや深く下げるや、その体勢にて刀を抜き上段より斬下すこと、前と同要領である。
 その十一暇乞:動作 両手をつき頭を深く下げた瞬間抜打すること、前に同じ。この技は、十本目、十一本目とも意義は九本目と同じであるが、動作のうち頭を浅く下げる、深く下げるの違いがある。十本めは九本めよりやや深く、十一本目はさらに深く下げた場合の動作である。

 山蔦重吉の奥居合立業十三本目暇乞(三本あり):奥居合中唯一の正座のわざである。これも上意討ちのひとつであり、主君の命令を受け、使者として敵となるべき者を訪問して、お互いの挨拶の際に、敵が刃向かう心持のあるのを感知し、機先を制し、挨拶の途中に抜打ちに、敵を正面より斬倒すわざである。三つの動作がある。1、正面に向かって正座し、頭を少し下げ(黙礼程度の会釈)礼をかわす間をおかず、うつむいたまま一気に抜刀、上段より敵の正面を斬下す。2、両手をつき頭を低く下げ、その体勢にて抜刀、敵が頭を下げるところを斬る。3、両手をつき深々と礼をして、体を起しながら抜刀、敵が頭を上げるところを斬る。暇乞の動作を前述のとおり三通りに分けてあるが、要するに自分にも最も有利、有効な動作を、敵の気配や動きに応じて採る点から、分けてある訳である。

 暇乞の業名につられ、上意打の名目でこの抜打三本を演じていますが、既に大森流居合之事十一本目抜打で充分稽古してきている筈です。機先を制して抜き打つのではなく、礼をする事で害意の有る敵が斬り込まんとする気に乗じて確実に斬る事は出来るでしょう。礼で頭を下げるのは我が先か、敵が先か、頭を下げる際何処を見ているのか、研究課題の多い業です。
 参考にし古伝の大森流居合之事十一本目抜打:座している所を向より切て懸るを、其のまま踏ん伸んで請流し打込み開いて納る。尤も請流に非ず此の処筆に及ばず。
 この手附を「座して、挨拶の際頭を下げる所を向より切て懸るを、其のまま踏ん伸んで請流し打込み開いて納る。尤も請流に非ず此の処筆に及ばず」と解釈すれば現代の暇乞いとも通じて来ます。大江先生の暇乞の「刀を斜めに抜」の効果が出る所でしょう。古伝の抜打上中下の手附が無いことが、抜打の心得で自分で考えろと云うのかも知れない、古伝の大らかな凄い所かも知れません。

 

 
 

 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の64何某の知らでかなわぬ兵法を

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の64何某の知らでかなわぬ兵法を

兵法百首
奈尓可志能志らて可奈ハぬ兵法を
       こゝ路可けぬもおろ可成介り

なにがしのしらでかなはぬ兵法を
       心かけぬもおろかなりけり

何某の知らで敵わぬ兵法を
      心懸けぬも愚かなりけり

 何某の何故負けたのか解らない兵法を、学ぶ事を心懸けないのも愚かな事である。

 この場合の「なにがし」は「あの人」の位に読めばいいのでしょう。状況によっては石舟斎を自ら指しているかもしれません。「知らでかなわぬ」は知らずに敵わない兵法と読みました。
 此処だとばかりに打ち込んだが、我が剣は空を切ってあの人の剣で我が小手を打たれた。どうして切られたのか解らないあの兵法を学んで見ようと心がけないのも愚かな、と歌ったのでしょう。
 稽古では、試合でなくとも形稽古でもしばしばこのような状況になるものです。「今一度お手合わせを」と云うべきものを、みすみす取り逃がしてしまうものです。
 いつも同じ相手と、同じ形を打っている様な人は、お互いに「かただから、かたちが優先」とばかりにやっていても、木刀の当てっこは上手に成っても無駄な時間の浪費のようなものです。これはまだその人自身の心掛けによるものですが、他流を学べば自流の「かたち」が崩れるとか言って他流御法度の心得ない指導者の多い事。

 合し打ちなども、打太刀が仕太刀の打込みにふっと力を抜けば、仕太刀が見事に打太刀の頭上に打ち込み、打太刀の剣は外されてしまいます。上手な打太刀は見事にこの芸当を演じてくれるので、仕太刀は出来たと錯覚してしまいます。負けるには負ける訳があるのですから、何故と常に思い、真っ直ぐに打ち込む事を心がけるべきなのでしょう。
 

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2020年6月17日 (水)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の16虎走

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の16虎走り
抜刀心持之事16本目虎走
居合膝に座して居立って向へ腰をかゞめつかつかと行抜口の外へ見へぬ様に抜付打込納又右の通り腰をかゞめ後へ引抜付打込也

英信流居合目録秘訣上意之大事虎走:仕物抔云付られたる時は殊に此心得入用也、其外とても此心得肝要也。敵二間も三間も隔てゝ座し居る時は直に切る事不能、其上同座し人々居並ぶ時は色に見せては仕損る也、さわらぬ躰に向ふへつかつかと腰をかゞめ歩行内に、抜口の外へ見えぬ様に体の内にて刀を逆さまに抜きつくべし、虎の一足の事の如しと知るべし、大事とする所は歩みにあり、はこび滞り無く取合する事不能の位と知るべし。

 此処で云う「虎の一足」は英信流之事二本目「虎一足」だろうと思いますが、「虎一足」を受け太刀として習った現代居合の学者には理解できないかもしれません。
 英信流居合之事二本目虎一足:左足を引き刀を逆に抜て留め扨打込み後前に同じ
 大森流居合之事十本目虎乱刀:是は立事也幾足も走り行く内に右足にて打込み血震し納る也
 どちらも現代居合のドタバタ足を踏み慣らす様な動作や、膝への斬り込みを刀で受け留めること、更には横一線の抜き付けなど、この古伝からは思い描けません。

 大江正路の奥居合居業八番目虎走り:(中腰となり、走り抜斬又後ざりして抜斬る)座したる處より柄に手を掛け、稍々腰を屈め、小走りに数歩進み出で、右足の踏み出したる時抜き付け、同体にて座して斬る(血拭ひ刀を納むるや)刀を納めて二三寸残りし時屈めたる姿勢にて、数歩退り左足を退きたる時中腰にて抜付け上段となり座して斬る。
 
 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合之部九本目虎走:(次の間に居る者を斬り、退る処へ追掛け来る者を斬る)正面へ向ひ居合膝に座し、左手を鯉口に、右手を柄に執り抱へ込む様にして立上り、上体を俯け前方へ小走に馳せ往き腰を伸すなり右足踏込んで(対手の右側面へ)抜付け、左膝を右足横へ跪きつつ、諸手上段に引冠り、更に右足踏込んで斬込み、刀を開き納めたるまま立上り、又刀を抱へ込む様に前に俯き小走に退り腰を伸ばすと同時に、左足を一歩後へ退き、追掛け来る者へ(右側面へ)大きく抜付け、又左膝を右足横へ跪きつつ、諸手上段に引冠り右足踏込んで斬込み、刀を開き、納め終る。

 檀崎友影の奥居合居業其の八虎走:意義 敵、前方に逃げ去るを、吾、小走りに追いかけて是を倒したるに他の敵、出で来りて吾に仕掛けんとするを、吾後退し、間合を計って斬付け勝つの意である。動作 正面に向い立膝に座し、刀に両手をかけ、刀柄を右腰に付けると同時に体を低くして立上り、前方に小走りして、右足を踏込むや、抜付け左膝を跪くと同時に左肩側から振冠り真向に斬下し、血振り納刀しながら右足を左足に退きよせ、刀柄を右腰方に引付けながら、更に低く立上りて小走りに戻り、左足を退くと同時に抜付け、左膝を跪くと同時に振冠り斬下し、血振り、納刀する。

 山蔦重吉の奥居合居業八本目虎走り:中腰、前かがみの姿勢(丁度虎が獲物を追うように)で柄を右腰につけ、逃げる敵を小走りに追いかけ、斬り間合に入った時上体を起こし、同時に右足を踏み込んで敵の上膊に抜付け、左膝をついて上段からその敵を斬り下す。血振り、納刀しつつ右足を左足に引寄せ、柄を右腰に引寄せながら半蹲踞となる。半蹲踞の姿勢で、まだ刀は五、六センチ納めのこしているころ、他の敵が正面よりより攻撃して来るので、小走りに自分が後退しながら斬間合に入った時、前の動作と同じく抜付け、左膝をつき斬下す。

 此処に掲載させていただいた、これ等の流派の古伝の虎走なのですが、「柄口外へ見えぬ様に体の内にて刀を逆さまに抜きつくべし」の心持ちは手附の文章からは読みとれません。柄を抱え込む様に、柄を右腰に付けるが見えぬ様にと云えるかどうかです。逆さまに抜き付けるのではなく横一線の抜き付けばかりです。さかさまの抜き付けとは、下からの斬り付けでしょう。追い懸ける足捌きも小走りであってドタバタ音を立てずスルスルと走り接近することでしょう。古伝英信流居合目録秘訣は言っています。

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の63煩悩へ仇なる事の勝負けも

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の63煩悩へ仇なる事の勝負けも

兵法百首
者んのうへあ多奈留事能勝負も
       未けて兵法尓者ら能多ゝ須や

はんのうへあたなる事の勝負も
       まけて兵法にはらのたたすや

煩悩へ仇なる事の勝負も
       負けて兵法に腹の立たずや

 「者んのうへ」と書かれていますが今村嘉雄著史料柳生新陰流では「ぼんのう」で「煩能」と読みをされています。 
 煩は煩雑などの「はん」ですから、変体仮名は「者」があてられたのかも知れません。「はんのう」では「反応、飯能、半農、半能」などで意味が通じて来ません。「ぼんのう」煩悩を読みに使わせていただきます。
 煩悩の意味は、衆生の身心を悩乱し、迷界に繋留させる一切の妄念です。
 「あだ」は「仇、徒、空」ですから。仇(あだ、あた)を採用しておきます。自分に害するもの・かたき、うらみ・遺恨・またその恨みに報いようとすること・復讐・しかえし、攻め来る者・敵兵・寇。

 本来の心が、恐ろしい、負けたくない、かっこよく見せたい、勝たなければ、などの人を迷わせ悩ます煩悩をかたきとして捨て去るのが勝負であり、負けても兵法の修行の至らなさを悔いるばかりで、兵法に腹の立つなどの事はない。

 兵法は棒振りの上手下手だけのことではなく、如何に煩悩を押さえて本来の心になれるかも修行の裡にあるものでしょう。
 
 新陰流の上泉伊勢守の新陰流目録の「敵に随って転変し、一重の手段を施し、恰も風を見て帆を使い兎を見て鷲を放つが如し。懸を以って懸、待を以って待は常の事也、懸は懸非ず、待は待に非ず。懸は意待に在り、待は意懸に在り」

 土佐の居合無雙神傳英信流居合法の英信流居合目録秘訣にある「霞ごしに見るが如くの心の所に大事の勝ある事を教る也。夢うつゝの如く之の所よりひらりと勝事有。其の勝事、疵無に勝と思うべからず、我身を土壇となして後自然に勝有。其の勝所は敵の拳也」 

 沢庵和尚の「心こそ心まよわす心なれ心に心心ゆるすな」を思い出すような歌心として読み解いてみました。

 
 

 

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2020年6月16日 (火)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の15放打

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の15放打

抜刀心持之事15本目放打
行内片手打に切納ては又切数きはまりなし

 大江正路の奥居合立業の部十二番總留め:(進行中三四遍斬っては納む)右足を出して、刀を右斜へ抜き付け、左足を出して抜付けたる刀を納む、以上の如く四五回進みつゝ行ひ、最後の時は其まゝにて刀を納む。
 大江先生、業名を總留と改変されています。細川先生は放打です。この違いは何処にも謂れが残って居ません。

 河野百錬は昭和8年1933年の無雙直伝英信流居合術全では大江先生と同様場の状況を記載していませんでしたが、昭和13年1938年の無雙直傳英信流居合道では奥居合立業之部其四惣留の意義で「吾れ狭まき板橋又は堤、或は階段等の、両側にかわせぬ様な場所を通行の時、前面より敵仕掛け来るを、其の胸部に斬り付け、一人宛を仆して勝の意なり。」と何処からこの様な状況の業と特定されたのか解りませんが書き込まれ、現代居合でも無双直伝英信流や夢想神傳流などでもその様に指導され演じられています。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による奥居合放打:(右側へ来掛る者を一々斬る)正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り左足踏出したる時、右手を柄に掛け右足踏出し、右前へ抜付け、左足を右前足に踏揃へる、同時に刀を納め、又右足踏出して抜付け、左足を右前足に踏揃へるなり刀を納め、すること、数度繰返し(三回位して)刀を納め直立の姿勢となり終る。
 この細川居合は高松から広島貫汪館に伝わり、細川居合が残された古伝の趣が感じられます。状況説明で「右側へ来掛る者を一々斬る」はこの動作では読み取れません。右だろうと左だろうと正面だろうと、後にしてもこの抜打を繰り返し稽古すれば十分応じられるもので、板橋だとか後から取ってつける様な事は古伝が笑っています。前回の五方切の教えも同様に、いたずらに特定せずにその業を演じ乍らあらゆる想定に応じる稽古業として完成させられれば素晴らしいものです。一考を要します。

 檀崎友影居合道ーその理合と神髄奥居合立業その7放打(総留):意義 吾、狭い板橋または土堤の細道等、体をかわせぬ場所を通行の時、前面の敵の胸部に抜打し、又其の影にひそみ居る敵に対して勝つの意である。動作 正面に向かって直立し、前方に歩みながら左足を踏出すと同時に両手を刀にかけ、右足爪先を左向きに踏込むと同時に腰を充分左にひねり、半身となって抜打に右斜に(敵の胸辺に)斬付け、納刀しながら左足爪先が右足右に爪先前方足裏を返しながら腰を下して運びながら納刀、又右足を一歩踏込んで、前述同様に斬付けること三度して、斬付けた所より腰をひねって正面に向い、血振り、納刀する。
 檀崎先生の放打の右足の踏み出し、左足の納刀時の足裏返し、独特の方法ですが、右足も稍々左ならば多少斬撃力に影響するかもしれませんが、状況変化に応じられない足捌きにならない事が良いのでは、左足の爪先足裏返しなどは何故と問いたい処です。

 檀崎先生の門人松峯達男先生は「右足爪先をやや左前方に向けて」とされ「右斜め前にいる第一の敵の胸部に抜打ちに切りつけ」ですから教えを充分理解されているのでしょう。しかも敵は、前方右手に坐位する三人の敵とされています。敵の場の想定に拘り過ぎるのも、現代居合の特色ですが、古伝はもっとおおらかです。左足の返しも一考を要します。但し允可とかの審査では審査側が好きなように想定して、特定の形を演じさせれば良いのでしょう。

 山蔦重吉の夢想神傳流奥居合立業四本目総留(放打):狭い板橋、土堤、細道、階段など、両側に体を自由にかわせないような、障害のある場所を進行中、前面に数人の敵がいる。腰を充分左にひねって、右片手抜打ちに敵の肩口、胸部を斬下し、第二、第三の敵も同様に片手抜打ちに斬る。最後に、腰を右にひねり、正面に向き直り、血振り、納刀するわざである。足の運びに二様ある。第一の敵に対し、右足を(足先を左向き)踏込み、腰を左にひねり半身になり(左足先も左向き)右片手抜打ちに斬下す。次に左足を鷺足の如く右足の右横に(左足は爪先を左向きにしたまま)腰を落して踏みつけながら、いったん納刀、右足を第一の敵に対するごとく右へ踏出すと同時に、片手抜打ちに第二の敵に斬付ける。これを数回くり返す。斬付けたときは、いつも半身で敵に対し自分は左向きになっている。伝書の放し打ちは、斬付けのとき左、右の足は前方、敵の方に向いているところが前述と異なる。
 山蔦居合は同門の足捌き体裁きをそれと無く疑問に思われている様な・・。

 抜刀心持之事は、古伝の手附に従ってまず、師匠に習った通りに体が勝手に動いてくれるまで稽古する事で、問題点が見えて来る。片手抜打ちに依る敵の胸部への抜き付け、膝への抜き付け、敵の攻め込む角度による初動の足捌き、その日の合同稽古の事前運動としてやってみるのも良さそうです。

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の62兵法はかなわぬ折の身のためと

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の62兵法はかなわぬ折の身のためと

兵法百首
兵法ハ可奈はぬ折の身能多めと
      こゝろ尓可けて稽古能世与

兵法はかなはぬ折の身のためと
      こゝろにかけて稽古能くせよ


兵法はかなわぬ折の身の為と
     心にかけて稽古能くせよ

 兵法はかなわない時の身の為と思って、熱心に稽古を沢山しておきなさい。

 「兵法はかなわぬ折」の読み取りをどの様にするかです。
 敵に仕掛けられて是は勝てそうもないと思う時があるその時の為に十分稽古して置きなさい。今一つは、兵法は今のあなたの状態では、どこぞに仕官するにも希望を叶へられそうにもない、その時の為と思って、兵法をしっかり身に付ける様に心がけなさい。

 敵と戦うのも、良い所に仕官するのも、場に臨んで充分応じられる心を養うのには、兵法を一生懸命稽古するのが良いと歌っているのでしょう。
 石舟斎は決して、民百姓の身分から武将になり、更に臨んだ武将の道を閉ざされたわけではない。元々地侍としては十分な地位を保持していたわけです。時代に翻弄され、一国一城の主とはいかなかった、兵法に打ち込むことによって新たな人生が晩年になって得られたわけです。その兵法が上泉伊勢守信綱の新陰流であったわけです。新陰流は袋竹刀を以って言われたままに打ち合いの稽古をするだけならば、他流の稽古と変わる所は無かったかもしれません。その勢法の一つ一つの持つ考え方や体の使い方、其の術を得るには今までやって来た棒振りを忘れて打込まざるを得ませんでした。
 どの様な芸事でも同じですが、本気で取り組むと、それは単なる身体操作のバリエーションによるものでは無く、心の置き所が自然で、尚且つ素直な気持ち、より高い目標を目指す進取の気性が無いと稽古にもならないものです。
 
 

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2020年6月15日 (月)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の14五方切

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の14五方切

抜刀心持之事14本目五方切
歩み行内抜て右の肩へ取り切り又左より切又右より切又左より切段々切下げ其侭上へ冠り打込也

英信流居合目録秘訣 外之物ノ大事 惣捲形十:竪横無尽に打振て敵をまくり切る也故に形十と有也常の稽古の格には抜打に切りそれより首肩腰膝と段々に切り下げ又冠り打ち込む也

 大江正路の奥居合立業の部惣捲り:(進行中面、肩、胴、腰を斬る)右足を少し出して、刀を抜き、其足を左足に引き寄せ、右手を頭上へ廻し、右肩上に取り、左手を掛け稍々中腰にて(右足より左足と追足にて)敵の左面を斬り、直に左肩上に刀を取り、追足にて敵の右肩を斬り、再び右肩上段となりて、敵の左胴を斬り、再び左肩上段となり右足を踏み開き敵の右腰を目懸け刀を大きく廻し体を中腰となして敵の右腰を斬り、中腰のまゝにて上段より正面を斬る、(左面斬り込みより終りの真面に斬ることは一連として早きを良とす。)
 抜刀心持之事14本目五方切は古伝の英信流居合目録秘訣「総捲形十」でしょう。大江先生の業名も「惣捲り」です。古伝の手附の「抜て右の肩へ取り切り」は出来ているのですが、英信流居合目録秘訣の「常の稽古の格には抜打に切り」の教えは出来ていません。抜いて構えて斬る是では居合にならないでしょう。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による奥居合之部五方斬:(前方に立って居る者を斬る)正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り左足踏出し、右手を柄に掛け右足踏出す、同時に刀を引抜き刀尖を左後へ突込み、頭上より右肩へ執り対手の左大袈裟に斬込み、其刀を右上より振り返へし頭上より左肩に執り対手の右大袈裟に斬込み、又、其刀を左上より振返して右腕外へ執り、腰を低めて、対手の左腰より横一文字に斬込み、甲手を返して左腕外へ執り、更に腰を下げ対手の向脛を横に払ひ腰を伸しつつ、諸手上段に振り冠り(真向乾竹割に)斬下し、刀を開き、納め終る。
 尾形先生の文章では、抜いて八相に構えてから袈裟切している様です。惣捲形十の「常の稽古の格には抜打に切り」です。

 檀崎友影の奥居合立業その6五方斬(惣捲):意義 敵、正面より斬込み来るを、吾、刀を抜くと同時に一歩退きて敵刀を摺り落しながら右肩にとり、敵の退く所を追撃して勝つの意である。動作 正面に向かって直立し、前方に歩みながら、右足を一歩踏出すと同時に、刀に両手をかけ、刃を上にして十五センチ位抜き、右足を後方に一歩退きながら、刀を上方頭部、左肩を囲むようにして抜き取りながら、敵の斬込み来る刀を摺り落すや、右横水平に首後肩にとり、右足を踏込み、敵の左面に斬付け、更に刀を返して左足を踏込み、右肩に斬付け、尚も右足を踏込んで左胴に斬付け、更に左足を踏込んで敵右腰を一文字に斬払い、振り冠り、右足を踏込んで真向より斬下し、血振り、納刀する。
 檀崎先生の五方切は敵が切って懸るのを、一歩下って外すや斬り込む動作が付加されました。この動作は大江先生も、河野先生の昭和8年1933年の無雙直傳英信流居合術全にも無かった動作で、河野先生の昭和13年1938年の無雙直傳英信流居合道の奥居合立業之部「惣捲」に記載されている「敵正面より斬り込み来るを、吾れ刀を抜き一歩退きて敵刀を摺り落しつゝ上段に冠り・・」とそっくりです。

 山蔦重吉の奥居合立業三本目惣捲(五方切):一応五人の敵が前面にいるとして、第一の敵が正面から斬込んで来るのを、右足を一歩うしろに引きながら敵の刀を左に受流し、返す刀で右足を踏込み、その敵の左横面を斬り、刀を返して左足を踏出して前進第二の敵を右肩より袈裟に斬り、再び刀を返して右足を踏出し、第三の敵の左胴を斬り、さらに左足を一歩踏み出して刀を水平に返し、第四の敵の胴を右側より諸手で横一文字に斬り払って、刀を上段にとり前進、第五の敵を真向から斬下すわざである。敵は五人に限らない。要するに前面の多数の敵を追撃する刀法と考える。
 考えるのは自由ですが、こんなに五人も切ったのでは、と思いますが、稽古業の想定ならばそれも良いでしょう。山蔦先生も河野百錬の第一の敵の斬り込みを受流し左面を斬るから始まります。後の先が居合の心得で、我から抜き打つ古伝五方切の「歩み行内抜て右の肩へとり・・」は外されてしまった様です。英信流居合目録秘訣惣捲形十では「抜打に斬り」とまで言って居るのを無視してしまう分けです。
 恐らく、そのつもりだと云うのでしょう。敵の斬り込みがあったならば、出足を退いてしまえば敵の刀は空を斬るはずです。そこまで稽古で身に付けなければ唯の形演舞に過ぎません。ただ、外された敵は切先を我喉元に付けて踏み込めば突いて来ます。
 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の61兵法を工夫の故か

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の61兵法を工夫の故か

兵法百首
兵法を工夫乃ゆへ可無刀尓て
      あらそい可く流積里をそし累

兵法を工夫のゆへか無刀にて
      あらそいかくる積りをそしる

兵法を工夫の故か無刀にて
      争い懸くる積りおぞし知る


 兵法を工夫を凝らしたのであろう、無刀にて争い懸って来る気配を感じる。

 無理やり読んで見ますが、何を言いたかったのか解りません。
 石舟斎の兵法者としての名が世間に聞こえてくると、流れ者の兵法者が試合を挑んで来るのでしょうか、聞き及んだ「無刀」を自ら工夫したのか木刀も持たずに稽古を挑んできた者が居たのでしょうか。あらぬ想像を巡らせて、何も見えない暗闇に引き込まれそうです。
 若い武蔵が石舟斎に試合を臨む話などが、小説にあったかな、なんて思ってもみます。

 門弟の中に無刀の話を聞きかじって、習ってもいないのに、工夫を凝らして稽古に臨んだのを見て読んだのかも知れません。そうであれば、どの様に思って歌ったのか。
 袋竹刀での稽古もままならない者の行動ならば笑って過ごせるでしょうが、長年せっせと稽古して来た古参の弟子が、そろそろ印可をとばかりに先走ったものであれば「愚者」として印可は又遠のいたでしょう。

 新陰流の伝書類を読んで見るとそこには伝えられている勢法の数々の運剣動作などは、現代剣道の如く足運び何歩、などの事は見られずむしろ、さらりと書かれた心の持ち様がズシリと蔽いかぶさって来るものです。
 勢法の順番や運剣操作法などは日々の稽古で、口伝、口授、看取り稽古によって「形」は真似できるでしょう。然し其の形が、遠い昔上泉伊勢守が石舟斎に相伝したものになっているかどうか、なれ合いの「かたち」を追う稽古ではほぼ無理でしょう。それでは師匠に手取り足取り習えばいいかと云っても、云われた事が理解出来て身体が動き術にならなければ出来たとは言えない。

 残された伝書の中にエキスともいえる部分があっても、調べて見ようと原文に深入りすれば文字が読めない。漢文調で読み下せない。それらが出来ても江戸初期の古文も新陰流独特の用語もままならない。
 しかし、現代はそれらを克服して行けばいいだけの資料が、手軽に手に入る時代でもあり、昔より門戸も開けているかもしれません。

 石舟斎の兵法百首の歌心は、そうした中で解説されたものをミツヒラは手に入れていません。
 見当たらなくていいとも思っています。普段習っている春風館関東支部の稽古の中から閃いて来るものもある、伝書類からも仄かに香っても来る。
 何よりも石舟斎の心の奥はもうこれ等の歌心と伝書にしか残って居ないのですから、自分で感じたままに読む以外にはないのでしょう。
 誰か大家の解説を聞かされてもそれは其の方のもので、私のものでは無いのでしょう。今の自分が感じるものでいいのです。そして、修行する中で新たに発見できれば素晴らしい事です。
 

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2020年6月14日 (日)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の13追懸切

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の13追懸切

抜刀心持之事13本目追懸切
抜て向へ突付走り行其侭打込也
 
英信流居合目録秘訣の外之物ノ大事追懸切:刀を抜我が左の眼に付け走り行て打込、但敵の右の方に付くは悪しゝ急にふり廻り抜きハロヲが故也。

 
大江正路による奥居合立業にはこの「追懸切」に相当する、業名も動作も見当たりません。

 この「追懸切」は刀を抜いて、左青眼に構えて走り行き、間境で上段に振り冠って踏み込んで前方の敵に斬り下す、但し斬り込む際敵の右の方に付くのは良くない、振り向いて抜き払われるためだ。
 抜刀して追い懸けるのでは居合では無いと云う事で抹殺してしまったのでしょうか。居合を抜く敵に対して攻めていく稽古は是非やっておきたいものです。敵の動作は河野百錬の創案した抜刀法の「後敵抜打」が右廻りの抜き付けで相当します。合わせて同刀法には「後敵逆刀」による左廻りで振り向き、下から切り上げる業も有ります。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合之部十五本目追掛斬:(前方へ歩み行く者を斬る)正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り左足踏出したるとき、右手柄に掛け右足踏出すと共に、刀を引抜き刀尖を前に柄頭を腹部へ引付諸手となり、小走に前方へ走り往きつつ上段に振冠り右足踏み込んで斬込み、刀を開き納める。

 檀崎友影の奥居合立業には、古伝抜刀心持之事「追懸切」に相当する業名および動作は有りません。中山博道は居合の手附は残して居ません。同時に奥居合の指導はされていなかった様な気もします。河野百錬の現代居合と森本兎久身による五藤正亮の居合あたりから組み立てられた檀崎先生の独習による奥居合であれば、この業は無視されても仕方が無いでしょう。

 山蔦重吉の奥居合立業11本目追かけ斬り:大江先生が古伝を整理された時に捨てられたわざの一つと想像される。一般には行われていないが、実戦には多く起こりうるものと考えられるので略述する。逃げて行く敵を小刻みに追いかけながら徐々に刀を抜き、敵に追いついた時、一気に抜刀、敵の背後から、敵の首、腕あるいは胴へ抜付け、さらに追いこんで上段より敵の頭上を斬下す。通常、武士の心意気として士分の者をうしろから斬ることはしない慣しであるが、上意討(主君の命令で斬る場合)などの場合、何としても敵を討たねばならないとき、こうした攻撃方法もある得るわけである。
 内容には古伝との違いがあるのですが、大江先生が捨てた業とか何を元に、「夢想神傳流居合道」に書かれたのか聞いて見たいものです。業についても古伝の手附は抜刀して構えて追かけた上で斬って居ます、この山蔦居合の元は何か興味がありますが、夢想神傳流の方にお任せしておきます。

 抜刀心持之事は古伝神傳流秘書では、大森流・英信流・太刀打之事・坂橋流棒・詰合・大小詰・大小立詰・大剣取の各稽古を積んだ上で学ぶ「格を放れて早く抜く也」と前書きされた形や順番などに捉われずに自由に考えて業を稽古しろ、然も早業を目指せとも言って居ます。

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の60兵法は弟子の心を探りみて

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の60兵法は弟子の心を探りみて

兵法百首
兵法は弟子の心をさくりミて
      極意おろか尓徒多へ者し寸奈

兵法は弟子の心をさぐりみて
      極意おろかにつたへはしすな

兵法は弟子の心を探り見て
      極意おろかに伝はしすな

 兵法は弟子の心がどのようなものか探り見て、極意には相応しくない者には伝えてはいけない。

 兵法を伝えるべき人かどうか、弟子の考えている事をよくみてからでなければ、いい加減に極意を伝えるなよと、云っています。印可の査定なのか、極意の業技法の指導なのか何れも弟子の心が何処にあるかによると云うのです。
 上泉伊勢守の兵法修行の状況は基より、石舟斎の上泉伊勢守に出合う以前がどうであったかが興味のある処です。上泉伊勢守は、「上古の流有り、中古の念流・新当流、亦後陰流有り 其の外は計るにたえず、予は諸流の奥源を極め、陰流において別に奇妙を抽出して新陰流を号す」と自称しています。永禄9年1566年上泉伊勢守が柳生石舟斎(柳生新左衛門尉)に伝えた目録より読み下しています。

 石舟斎は新当流を使うと、柳生厳長著正傳新陰流では石舟斎と上泉伊勢守の仕相の場面に記載されています。

 石舟斎の柳生家憲では「昨日の我に、今日は勝つべしと分別し、上手奇妙は、稽古鍛錬工夫成ると、古人師伝にも申つたへらるる事なれば、刀にて腰ふさげたらん者、一世の間の意志、所存、其の身の覚悟を分別の仁、懇望執心においては、相伝有るべし。努々、表太刀以下を稽古無く、他流の是非を嘲弄し、仕相好き、慢心の人へは、家法相伝有るべからざる也。」(正傳新陰流より)

 参考に、「奇妙」とは、珍しいこと・不思議なこと、普通とはかわってすぐれていること。

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2020年6月13日 (土)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の12夜ノ太刀

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の12夜ノ太刀

抜刀心持之事12本目夜ノ太刀
歩み行抜て躰を下り刀を右脇へ出し地をハタと打って打込む闇夜の仕合也

英信流居合目録秘訣夜之太刀:夜中に仕合には我れは白き物を着るべし、敵の太刀筋能見ゆるなり場合も能知るゝものなり放れ口もなりやすし。白き肌着抔を着たらば上着の肩をぬぐべし、構は夜中には下段宜し、敵の足を薙ぐ心得肝要なり。或は不意に下段になして敵に倒れたると見せて足を薙ぐ心得も有るべし。

居合兵法極意巻秘訣闇夜之事:闇の夜は我が身を沈めて敵の形を能見透かすべし、兵器の色をはかるべし、若難所有らば我が前に当て戦う可べし。敵の裾をなぐる心持よし。

 大江居合の信夫を思わせる夜ノ太刀の動作の秘訣です。夜の仕合には白いものを着ろ、闇夜では体を沈めて敵の様子を能く見ろと云っています。抜刀心持之事では敵を音で誘って其処に打ち込んで来るのを打てと云うのです。
 其の為我は敵を認識出来ていて敵は我を認識していないので誘い出して打つのが良いと云う風に捕えた先生方の多い事。
 深夜の真っ暗闇でも慣れて来ると灯りが無くても大凡周囲を認識できるものです。若い頃は登山を志して何度も夜の訓練をしたものです。この夜ノ太刀の動作は敵に音で誘いを懸けそこに打ち込んで来るのを待って打ち込む兵法の極意の一つでしょう。

 大江正路の奥居合立業十三番目信夫:(暗打ち)左足より右足と左斜方面に廻りつゝ、静に刀を抜き、右足の出でたるとき、右足を右斜に開き、体を稍々右横へ屈め、中腰となり、その刀尖を板の間に着け、左足を左斜に踏み込みて上段より真直に斬る、其まゝの中腰の体勢にて、血拭い刀を納む。

 大江正路に指導を受けた岩田佐一が山内豊竹と共著で「図解居合詳説」を出されています。その奥居合立業十三番目信夫(暗打ち):目的 暗夜に斬り掛らうとする敵に対して是を避け、我から刀尖を板の間に著けて音を立て、敵をして其の處を斬らしめ、其の敵がのめる處を斬り付けるのである。直立体で正面に向って立つ。数歩進み出て刀に両手を掛け、左足右足と左斜の方向に廻りながら静かに刀を抜き、其の右足の出た時、右足を右斜に踏み、両足を斜に開き、体を稍々右横に屈めて中腰となり、其の刀尖を板の間に着けて、敵を誘ってその處を斬らせ、敵がのめる處を、我は左足を右斜に踏込んで、左手を添へて上段に冠って真直に斬り下すのである・・。
 大江居合の信夫の解説をしてくれています。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による奥居合之部十四本目夜太刀:(暗夜に斬込み来る者を斬る)正面へ歩み往き止まりて、左足を大きく披き、体を右へ倒し低く沈め、正面より来掛かる者を透かし見つつ刀を引抜き向ふへ突だし、刀尖で地面を叩き、其音に斬込み来るを、急に右足諸共体を引起しつつ諸手上段に冠り(空を斬って居る者へ)右足踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。

 檀崎友影の奥居合立業その五夜の敵(信夫):意義 暗夜、前方に幽かに敵を認め、吾、左側に体をかわし、敵の進み来る真正面の地面に、吾、剣先を着けて、敵を誘い寄せ、敵、其の所に斬込み来るを上段より斬下して勝つの意である。動作 ・・前に歩みながら静かに刀に両手をかけると同時に体を沈めて、前方敵を透し見る心持にて、左足を左にふみ出すと同時に、刀柄を右腰に引き付、右足の踵を左足の外側に、爪先を敵側に向け、左足爪先にややそろう様に運ぶと同時に刀を抜き放ちながら、左足を大きく左後方に引いて、刀刃を左横に五指上向く様に拳を返し、腕を延し、刃先は最初前進したる直線上の床を軽く二度位打付けるによって、敵、其の所に斬込み来るを、右側より振り冠って真向より斬下し、血振り、納刀する。

 山蔦重吉の奥居合立業五本目信夫(夜の太刀):・・暗夜のわざで、前方に敵がいて自分の方に向って進んで来る。敵をかすかに認め、自分の体を左に転じて、進んで来る敵の正面をさける、体を沈めて、刀先で軽く地をトントンと二、三回叩いて音をたてると、誘われてそこに敵が斬込んでくるのを空を斬らせ、左斜め前に左足を踏み出して、上段より敵を斬下すわざである。

 わかりやすいか否かは別として、似たようなもので、敵を前方に認め、進行方向の筋を左に避け、刀を抜いて元の進行方向の筋上を切先で叩き、敵を誘い込んで左足を踏み込んで斬り付ける。暗闇で敵も我を認めている筈です。
 筋を外すこと、元の筋上に敵を誘い込んで切る、懸かり待つ心得を教える事かも知れません。それにしても、自分は敵を認識できているのに敵は自分を未だ認知できないなどは、有るかもしれませんが、実戦ではどうでしょう、自分に有利に解釈するのもいかさない。まかり間違って音を立てた所に敵が斬り込み空を切ってのめるなど、そんなへぼを相手に仕合などしても始まらない。古伝の手附から、この動作は刀を抜いてからの動作で居合とは言えない攻防でしょう。筋を替って抜刀し、元の筋上の地を刀でハタと打つそこへ斬り込んで来る様に出来るとは思えませんが、誘いの方法としては有り得るものとして、工夫する事と考える方が良さそうです。
 何より気になるのは、英信流居合目録秘訣でも居合兵法極意巻秘訣でも敵の足を薙ぐと極意を示しているのに、諸先輩方の教えは皆上段からの斬り下しです。古伝抜刀心持之事は「地をハタと打って打込む」ので何処と指定していないのです。大江居合は堀田捨次郎によって「剣道手ほどき」に無双直伝英信流居合術として大正7年1918年に発行されていますから、それ以降の先生方は大江居合を参考にされ、古伝は置き去りだったのだろうと思ってしまいます。

 

 
 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の59兵法に好かざる人は

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の59兵法に好かざる人は

兵法百首
兵法耳春可佐留人ハ王計志らて
       く為奈ハ古ゝろおろ可な留由へ

兵法にすかざる人はわけしらで
        くいなばこゝろおろかなるゆへ

兵法に好かざる人は分け知らで
        悔いなば心愚(疎)かなる故

 兵法について良く思わない人は、兵法の意味が分からずにいるのですよ、兵法を理解して悔いたとしても、心が通り一遍にしか働かないからです。
 
 兵法に嫌われて上手くならない人は、何故その様にするのかが分からないからで、悔やんでみても心が「おろそか」だからですよ。

 「おろか」は「疎か」かでは、実が十分にはこもっていないこと・なおざり・いい加減・通り一遍・おろそか。「愚か」では、知能、理解力が乏しいこと・ばか・あほう、程度が劣ること、ばかげていること。(広辞苑)

 石舟斎がここで「兵法に好かざる人」と云う対象は武士以外の人もいうのか、武士であっても家来を持つほどの人なのかですが、恐らく身分の高い武将と考えるのがいいと思います。
 出世を兵法者となって望むような人は、この時代まだ居たでしょうし、主を持つ武士は兵法を身に付けざるを得なかったでしょう。武将の中には、兵法は剣術程度に思って、軍略、戦術、は別物と考えて程々で納めていたかもしれません。

 下段の解釈は「兵法に好かざる人」を兵法に好かれない人、上手くならない人、と解釈して見た場合のものです。このほうが、門人を持つ兵法者石舟斎の歌心かもしれません。しかし、石舟斎の大きな世界で活躍したかった思いを考えれば、兵法の心も解らずに人の上に立てる訳はない、と云いたかったかもしれません。

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2020年6月12日 (金)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の11行違

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の11行違

抜刀心持之事11本目行違
行違に左の脇に添へて払ひ捨て冠って打込也

英信流居合目録秘訣上意之大事行違:我左脇を通す宜し切る事悪しと知るべし、行違さまに抜て突く事宜し、又敵先に抜んとせば先じて手早く柄にて胸を突くべし。行違の詞の掛様の事大事有、夜中に往来をするにうさんなるものの有る時は、自分の姓名を急に呼かくべし、我に敵するものなればハイと答るもの也、其所を切るなり。旅抔にては白昼にも此心得有るべし、又何んぞ言を云かけて見るに我に敵する気有者は必ず返答にあぐむものなり。

 抜刀心持之事11本目行違は、敵と行き合う際、抜刀して左脇に刀を添えて、すれ違いざまに払い捨て、振り向きざまに振り冠って敵を斬る。ところが是を、稽古せずに想定を変えてしまったり、業名を奪ってしまったりしたのが、無双直伝英信流の大江正路先生の居合です。

大江正路の奥居合立業の部15番目袖摺返:(進行中抜放ち、刀を左の身に添へ群集を押開き進みつゝ斬る)右足の出でたる時、刀を静かに抜き、直ちに右手は上へ左手は下へ胸の處にて組見合せ、足は左右と交叉的に数歩出しつゝ、両手肘に力を入れて、多数の人を押し分ける如くして、左右に開き、直に上段に取りて、中腰にて右足の出でたるとき、前面を斬る、(両手を開く時は、両手を伸ばす、肘の處を開くこと)。
 古伝抜刀心持之事には人中の業が人混みでの抜刀法を伝えていたのですが、大江居合は行違を人混みでの抜刀法に代えてしまい、人中は壁添にしてしまっています。この事は「何故」の答えが得られないままに有ります。

 
細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合の部十三番目行違:(摺違ひ左側の者を斬る)正面へ歩み往きつつ(右側を通り)鯉口を切り、左足踏出しながら右手を柄に掛け、右足を踏出すなり刀を向ふへ引抜き、左足踏出しつつ(刃部を外へ向け)左腕外へ突込み、更に右足を踏出すと共に摺違ひに刀を向ふへ摺抜き(対手の左側を軽く斬り)、直ぐ左斜に振返へりつつ諸手上段に振冠り、右足踏込んで斬込み、刀を開き納め終る。
 大江先生の初動と同じ動作で腕を組んで、すれ違い様に敵の胴辺りを摺り抜いています。「左の脇に添へて払ひ捨て」に相当します。古伝の行違は尾形先生にしか伝わっていなかったようです。
 
 この動作を大江先生は袖摺返として古伝の業のようにして、中学生達に指導したのでしょう。大江先生と細川先生では下村茂市先生は別の事を指導したのだとは思えません。明治中期の土佐の居合の指導者は五藤正亮先生でした谷村派ですからその業に切り替えたとして、それが袖摺返であったらどうなんでしょう。それは五藤先生の弟子の森本兎久身先生が中山博道以下有信館の門弟方に指導されていますから夢想神傳流の業技法から垣間見れそうです。但し中山博道先生以下奥居合は充分指導されていなかった様な印象を持ちますが、あくまでも主観です。

 檀崎友影の居合道ーその理合と神髄による奥居合の部立業其の八賢の事(袖摺返):意義 群集の中にありて、その先方にいる敵を、人垣を割き分けながら前方に追いかけて斬下して勝つの意である。・・動作省略・・。
 賢の事(袖摺返)だそうですが、確証がとれません。何処かに古伝の賢之事の手附が残されているのかとも思いますが、昭和20年7月の米軍による高知空襲によって焼失した可能性もあります。細川家の伝書集には賢之事の解説部分は見当たりません。

 山蔦重吉の夢想神伝流居合道奥居合立業七本目袖摺返し(賢の事):前方に群集がいて、その先に目指す敵が居る。歩みながら左足を進め、静かに抜刀し、右足を一歩進めると同時に、右拳を左肘の上に(刀は刃を上にして、うしろを突き刺すように)、ひだり拳は右脇の下に来るように左右の手を胸の前で苦に合わせる。上体をややうしろに反らし、反動をつけるように、上体を前へ突込み、右足を前に進めながら両手を八の字になるよう大きく開く、この時、左右の肘で人垣をかきわける。・・以下省略・・。
 この動作も、大江居合の袖摺返です。古伝の行違は全居連、全剣連ともにその連盟に加入している流派から消えてしまっています。その他の流派も同様ですから、現在この業を打たれているのは広島の貫汪館の森本先生の所だけだろうと思います。
 
 古伝行違の抜刀の仕方は、袖摺返しの方法で刀を前に抜き出し、左脇に切先を後、刃を左に向け突っ込み、摺れ違いざまに敵の胴を摺り切り、行き違った敵に振り向き上段から斬り下す、のが尾形先生の方法です。恐らくこの技法が袖摺返しを生み出したのかも知れません。
 この方法は敵とすれ違う手前で刀を抜き出し乍ら接近するので、柄頭を制せられる可能性が高い事、上手く抜き出せても、動作が大きければ、外されてしまう、すれ違いざまに敵の左脇を摺り抜けるので腰に指した大小の刀に刃が当たって目論見が外れる事がありうる。
 摺れ違う直前に抜刀して抜刀と同時に摺り切って行き違いたい。抜刀の妙を研究すべきものと思います。然し、抜刀心持之事行違は「行違に左の脇に添へて払い捨て」と指示しています。一人稽古では難なく出来ても、相手を設ければ忽ち抑えられてしまいます。

  

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の58兵法を知りたる人を敬うは

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の58兵法を知りたる人を敬うは

兵法百首
兵法を志り多留人をう也未不ハ
       たしなミ不可き古ゝろ成介利

兵法をしりたる人をうやまふは
       たしなみふかき心なりけり

兵法を知りたる人を敬うは
       嗜み深き心なりけり

 兵法を知っている人を尊敬するのは、つつしみ深い心掛けからである。

 「たしなみ深き心」の解釈がこの歌のポイントでしょう。」「たしなむ」は、「窘」たしなむ。たしなむこと・すき・このみ・特に芸事などに関する心得、心がけ・用意・覚悟・狂。くるしめる・なやます。
 いま一つは「嗜」たしなむ。好んである事に心をうちこむ・精出しておこなう、常に心がける・常に用意する、心をつけて見苦しくないようにする・とり乱さない、つつしむ・遠慮する・がまんする。(広辞苑)
 
 「たしなみ」の意味は最も適切なのは何か、ですが兵法を知るとは、それにより兵法者としてどこへ出しても不足は無い程の人を指すと考えるべきでしょう。新陰流第2世の石舟斎なのですから、「兵法を知っている人」とはメガネに叶う程の人であるはずです。
 稽古に精を出すばかりの人や、新陰流の勢法を順番通り打てるばかりではない筈です。新陰流奥義の「色に付色に随ふ事」を別の言葉で言えば「つつしみ」ともなると思うのです。
 武術は、強さや速さで、嵩にかかって勝ち負けを競うものと思う人や、定番の形だけで流の奥義と思う人にはこの、如何なる状況でも応じられる清水博先生の云う「リアルタイムの創出知」(生命知としての場の論理柳生新陰流に見る共創の理より)とも言うべきものを理解できないかもしれません。

 
 

 

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2020年6月11日 (木)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の10連達

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の10連達

抜刀心持之事10本目連達
歩み行内前を右の拳にて突其儘に左廻りに振返り後を切り又前へ振向て打込也

 抜刀心持之事10本目は業名「連達」です。連れ達ですから、同じ方向に連れ立って行く而も、前後に敵に挟まれて行くと想像できます。この業の雰囲気は大江先生の「行違」に相当するでしょう。

 大江正路の奥居合立業の部十四番行違:(進行中正面を柄頭にて打ち、後を斬り又前を斬る)右足の出でたる時、(敵顔面を柄頭にて)左手は鞘と鍔を拇指にて押へ、右手は柄を握りたるまゝ前方に伸し、柄当りをなし、其足踏みのまゝ体を左へ廻して、後方に向ひつゝ、抜き付右手にて斬り、直に前方の右へ振り向き上段に斬る。
 大江先生、業名を変えたばかりでなく、古伝は敵と連れ立って行くのに、大江先生は敵と行き違う事に代えてしまいました、其の上古伝が拳で前を歩く敵に突きを入れているのを、一人目をやり過ごして二人目を柄頭で顔面を打っています。行き違うために互に筋を変えるのに其儘の筋で顔面打ちは手附の記載漏れでしょう。いずれにしても大江先生は土佐の居合の古伝の相伝は受けていない事、見たことはありやなしや。土佐の居合が明治維新後消え去ろうとしたものを、復活させた功績は何ものにも代えがたい事ではあっても、この様な改変を時の中学生たちに指導したことは素晴らしいとは云い難いものです。居合の「かたち」は残せても「居合心」は残せないものです。「かたち」では武術ではないでしょう。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による居合兵法無雙神伝抜刀術奥居合之部12本目連達:(前後の者を斬る)正面へ歩み往きつつ、鯉口を切り右手を柄に掛けるなり抜打に(前の者へ)斬付け、直ぐ(左廻りに)後へ振返へりへつつ諸手上段に振冠り、右足踏込んで(後の者へ)斬込み刀を開き納め終る。
 細川先生の連達は敵は、前から来るのか、我を中にして連れ立って行くのか手付からは読めませんが、業名が「連達」ですから「行違」ではないでしょう。この手付では、我の動作は不意打ち、騙し討ち、卑怯者の烙印を押されてしまいます。古伝抜刀心持之事が何も引き継がれていない様です。

 檀崎友影の居合道ーその理合と神髄の奥居合立業その3連達:意義 吾、前後し、敵、両名前後して進み来る時、敵両者の間にありて、敵に接近し、前面敵の顔面人中に柄頭を当て、後方の敵を突き倒し(突き刺しの誤植か?)、更に向き直りて、前面の敵を斬下して勝つの意である。
 誤植も有りそうですが、此の意義は意味不明です。動作の方がすっきりします。動作 正面に向って直立し、前方に歩みながら刀に両手をかけるや、右足を一歩踏込み、鞘諸共、両肘を延ばし、柄頭を持って、敵、顔面人中に一撃し、右手はそのままに、左手は鯉口を握ったまま刃を横上にして、左腰に引きながら、後方敵に注目、抜刀、敵胸部を刀刃を上横に突刺し、次に刺した刀を抜くように振冠り正面向きとなって斬下し、血振り、納刀する。
 檀崎流連達です。後方の敵を刺突する動作は、「右手は其の儘に左手で鞘を後方に引きながら左廻りに後方に振り向くや抜刀して後方の敵を刺突する」とすれば良いのでしょう。いずれにしても古伝の業名、大江流の敵との出会いの想定、檀崎流の後方の敵の刺突。愉快です。

 山蔦重吉の夢想神伝流居合道奥居合立業六本目行違:前方から二人前後して進んで来る敵がある。その二人の間に入り、すれ違いざま、やや遅れて歩いて来る敵の顔面人中(鼻の下みぞ)に柄当てをする。(柄当てとは、両手を伸ばし、刀を鞘ごと抜いてバシッと柄頭を敵の人中に打突する動作)ただちに左手で鞘をうしろに引きながら抜刀し、左まわりに態を180度旋廻させ、先に進んでいたもう一人の敵が、振り向いたところを、刃を真上にしたまま突く。再び右まわりに180度体を旋廻(足踏みはそのまま)して、柄当した敵を上段より斬下すわざである。

 古伝は、我を中にして前後に敵が同一方向に歩み行く想定です。大江先生の行違によってなのか別に伝書があったのか古伝を無視した動作になり、夢想神伝流は何故か、檀崎、山蔦ともに後ろの敵は刺突しています。古伝の前の敵を右拳で突く動作は何故ここで拳なのか、その回答が無い為柄当てがより有効と判断されたと思います。
 後敵の刺突は古伝に無いもので、古伝は「切る」です。

 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の57兵法を知りたる顔の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の57兵法を知りたる顔の

兵法百首
兵法を志り多留顔の▢尓いて
      尓くきふり乃ミす留人そうき

兵法をしりたる顔の▢にいて
      にくきふりのみする人そうき

兵法の知りたる顔の▢に出で
       憎き振りのみする人ぞ憂き

 「知りたる顔の▢に出で」の▢は、今村嘉雄著史料柳生新陰流では「知りたる顔の色に出で」とされています。色の草書とも言えない筆遣いですが前後の関係から色と読まれています。此処ではその「色」に随います。

 兵法を知っているぞと云わんばかりの思い上がった気持ちが顔に出て、嵩にかかっていく振りをするような人は不本意である。

 「憂き」は憂しで、物事に対して希望的になれず、心を閉ざされて感じられること。また、そのような感じを起させる状態をあらわす語。苦しい・つらい、せつない・なやましい、気にくわない・不本意だ・憎い、ものうい・気がすすまぬ、つれない・無情だ・つめたい、気がかりだ・可愛い、(広辞苑)。

 新陰流は元和9年1623年に柳生宗矩による「兵法截相心持の事」による。(今村嘉雄著史料柳生新陰流より)「兵法の習いろいろこれありといえども、別にもちいず。打い出すところを打つか、打い出さぬものには、しかけて打つところを勝つか。それを知るものには、わが打ちを見せて、それを打つところを勝つか、これ三つなり。これよりほかは、これなく候。勝ところこれなりと知る。知るゆえに、当流には太刀構えをもちいず候。構のなく、わが打たんとおもうところを見せず。敵に見しられず。待もなきようにいたす事当流の構なり。太刀構えを習い、そればかりを良きと存じ、はや勝とばかり心におもい、敵に随わず、わが心ばかりにて打つ事を当流は、僻事と相極め候事。」

 宮本武蔵は五輪書「水之巻」「火之巻」に、詳細を書き込んでいますが、火之巻の終わりにある、「兵法の智力を得て我敵たるものをば、皆我が卒なりとおもひとって、なしたきやうになすべしと心得、敵を自由にまわさんと思ふ所、我は将なり。工夫有るべし。・・岩尾の身といふ事、兵法を得道して、忽ち岩尾のごとくに成りて、万事あたらざる所、うごかざる所、口伝」が、詳細な身のかかり、目付、心持、運剣操作の教えを全うする心積りとうかがい知れます。

 清水 博著「生命知としての場の理論 柳生新陰流に見る共創の理」清水先生の武蔵と柳生兵庫助の違いを書かれています。「五輪書からうかがい知れる武蔵の剣は「巌の身」の剣である。おそらく剣の技術では最高のレベルに達していたと思われる武蔵が剣をもって近づく姿には、巨大な巌が迫るように相手を威圧する迫力があったものと思われる。それは自分が相手を追いつめて打ち振るう剣であり、常に相手に向かい、一方的に相手を斬る技、すなわち殺人刀である。
 これに対して兵庫助の剣の本質は威圧する剣ではない。むしろ斬ろうとすれば相手を斬ることができるように見えたり、身近に打ちこまれて思わず斬らされてしまう。相手は兵庫助を十分斬ったと思いながら、その瞬間に逆に斬られているのである。柳生新陰流の剣の理は活人剣である。相手を自由に働かせて、その働きにしたがって勝つ剣である。・・」

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2020年6月10日 (水)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の9行連

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の9行連

抜刀心持之事九本目行連
立って歩み行内に抜て左を突き右を切る両詰に同じ

 「両詰」抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る
 両詰は坐して左右に居並ぶ敵を制する業です、行連は立業になります。大江先生が業名や想定をいじってしまったので、無双直伝英信流の人に両詰と云えば、左右が狭い所で、正面に座す敵を刺突する業とばかり思うのですが、古伝の両詰は現代の戸詰になります。
 古伝抜刀心持之事九本目行連は奥居合立業の連達になります。

 大江正路の奥居合十番目連立:(進行中左を突き右を斬る)右横へ右足を踏み、体を右に避け。刀を斜に抜き、左横を顧みながら刀を水平として左を突き、右へ体を変じて上段にて斬る。
 是では我と敵との位置取りが見えません。左右の敵ならば我の初動で左右の敵は半歩以上前に出てしまう。「左を突く」は「左前を突く」になってしまいます。
 昭和17年1942年の河野百錬著大日本居合道図譜では「敵が我を中間にして雁行の場合、又は左敵一歩後れたる場合、左敵を刺突して右敵の振り向く所に斬り下して勝つの意也。」と状況を付加しています。是でも敵の動きは、右の敵は一歩以上右前を行く、左敵は我の真左でしょう。居業と違って立業は少しの足幅で状況が変わってしまうのです。従って古伝の手附の「左を突き右を切る」で充分であり、状況次第に変化できる稽古が奥居合立業には大切なのです。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心奥居合之部十一行連:左右の者を斬る)。十二番連達(前後の者を斬る)。で古伝の行連に相当する業は見当たりません。

 檀崎友影の奥居合立業二本目行連:意義 吾、不法に連行されるような場合、吾、右足を一歩右後方に開くと同時に、刀を右真横に抜き、左の敵を突刺し、更に右方の敵を斬下して勝つの意である。
 動作は割愛しますが、どの様に連行されているのか、吾を中に左右に敵に囲まれて立って居るのでしょう。そうでなければ其の隊列で前進中に吾が右足を一歩右後方に引いてしまえば、左右の敵は左前、右前に移動してしまい左の敵への刺突は左側の敵の右後ろになる筈です。
 檀崎先生の教えを受けられた松峯達男先生は忠実に檀崎行連れを著書「居合の研究夢想神伝流」で書かれています。「左の敵の右後方から敵の脇腹(脾腹)より胸部に達するように刀をやや上向きにして突き刺す(左の敵が向き直れば左肩下を刺す)。」この文章通りに演じて其の通りに見て取れる演武が出来るか疑問です。

 山蔦重吉の奥居合立業二本目連達:行連と同じように左右の敵にはさまれて歩いて行く途中、右足を少し右前に踏出し、刀を右方へ横一文字(刃は平に外を向く)に抜出し、刀先が鯉口をはなれるや、自分よりやや前方に出ている左の敵の右脇腹あたりを突き刺し、そのままの足踏みで旋廻、約160度右に向きを変え、一歩くらい自分より前に出ている右の敵が驚いて振向くところを上段より真向から斬下すわざである。伝書では、左の敵が攻撃せんとするので、体を右よりにさける想定をしている。(この想定は、どの伝書なのかミツヒラ不明)
 檀崎先生と山蔦先生の業名の入れ替わりも気になりますが、動作はお二人とも同じ様ですが、初動の右足を一歩右後に引くのと、右前に踏み出すのとそれぞれです。山蔦先生、右の敵が振り向こうとどうしようと左を刺突してしまったのですから、右の敵を斬る以外に無いでしょう。

 歩行中の業は、足運びによって動作は同じ文章でも状況は違ってきます、古伝の「立って歩み行内に抜て左を突き右を切る」これで奥居合は充分です。それでは演じられない人は、マニュアル人間でしょう。武術は「かたちではない」武的発想には程遠いのでしょうね。

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の56兵法は知りても知らぬよし

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の56兵法は知りても知らぬよし

兵法百首
兵法は志りても志らぬ与しにし天
       い留折ゝの用尓志多かへ

兵法はしりてもしらぬよしにして
       いる折々の用にしたがへ

兵法は知りても知らぬよしにして
       要る折々の用に随へ

 兵法を知っていても知らない振りをするのが良い、必要な時に役立つようにするものだ。

 この歌のは、兵法を知っている様な顔をするな、必要な時にだけ役に立てばいいのだと、云うのです。特にその理由を述べていないのですがそんなものかなあ、と思ってしまいます。野生の動物などを見ていても、用心深そうに此方を見てはいるのですが攻撃を仕掛けて来る雰囲気は有りません。近づけば安全距離を保ったままじりじりと、危険から遠ざかろうとします。間を越すと一気に逃げ出すか、逃げるのに不利と見た時は、形相すさまじく威嚇して来ます。
 自然界の生き物のDNAに組み込まれている生き残るための手段なのでしょう。人も同じなのですが、人が人と争う場合は兵法を知るか知らないかでは態度が違ってしまうのでしょう。
 野生の生き物と同様な事で、争わずに逃げてしまえば良いのですが、なまじ知ると戦おうとしてしまうのです。新陰流は戦う事を一番として考えられた兵法では無さそうです。

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2020年6月 9日 (火)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の8人中

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の8人中

抜刀心持之事八本目人中 是より立事也
足を揃へ立って居る身にそへて上へ抜き手をのべて打込む納るも躰の中にて納る

 英信流居合目録秘訣には「人中」の業名は無いのですが動作から見れば「壁添」が適切でしょう。:壁に限らず惣じて壁に添たる如の不自由の所にて抜くには、猶以て腰を開ひねりて体の内にて抜突くべし、切らんとする故毎度壁に切あて鴨居に切りあてゝ仕損ずる也。突くに超る事なし、就中身の振廻し不自由の所にては突く事肝要。
 業名が「人中」なので人混みでの抜刀法を稽古するものともとれますが、壁添の手附として読めばそれなりに納得です。特に目録秘訣の身に添えて刀を抜き、突くのは有効でしょう。人中の手附は拝み打ちに斬るのですが、突くも斬るも両方充分稽古する事が良さそうです。

 大江正路の奥居合立業十七番目「壁添」:(進行中立留り両足を踏み揃へ上に抜き直下に斬下し竪立に刀を納む)中央に出で體を直立とし両足を揃へ刀を上に抜き上段となりて趾先を立てゝ真直に刀尖を下として斬り下し、其の體のまゝ刀尖を下としたるまゝ血拭ひ刀を竪立として納む。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合之部十本目人中:(群衆中にて前の者を斬る)正面に向ひ直立の儘(刀は落差に)鯉口を切り、右手を柄に掛けるなり刀を真上へ引抜き(左より背部へ廻し)素早く諸手となり、前者へ斬込み(両足の間へ斬下す)其儘刀を少し開き、柄を上へ引上げ(刀尖を真下に釣下げる様にして)納め終る(体は直立の儘動かさぬ事)
 細川先生は古伝のまま「人中」とされ「壁添」の名称の業は有りません。

 檀崎友影の奥居合立業一本目人中:意義 吾前面に敵を受け、左右に人垣もしくは壁等の障害で、普通の抜刀ができない場合、上方に刀を抜いて、斬り下すの意である。動作 前方に向かって歩みながら、左足を踏出すと同時に刀に両手をかけ、右足を左足に揃えて、両足爪立てると同時に刀を上方に抜き、左手を添え両足爪立てたまま、正面の敵を真向より斬下す。この時、両肘は両前脇に付け、左拳は臍の下、刀柄頭は下腹部に接し、刀先は両足爪先に近い所まで斬下げ、そのままの状態で右に刀を開いて、血振り、ついで右拳を前から右頭上にとり、抜いた時の体勢で、上より下に納刀と同時に踵を下ろす。

 山蔦重吉の奥居合立業九本目壁添(人中):左または右側に壁がある。あるいは両側に壁の如き障害物があって、刀を自由に使えないような場所で前面に敵がいる。歩みながら(立止まってからでもよい)、右足に左足を揃えて爪先立ち、刀を左上方に抜き振りかむる。この場合に限り刀先が、背中に着くよう深々とかむる。上段から大きく円を描くように斬下す。刀先は地上に近くなるように低く。この時、両足は爪先立ったままである。体に近く刀先を低く下げたまま血振りを行い、刀を上より下へと納める。納め終るとき両踵を下す。

 古伝の人中は壁添となって残って居ます。運剣はほぼ同じで、檀崎先生、山蔦先生は河野先生の動作そっくりです。古伝研究では「人中」として人中での抜刀及び斬り付けの業として稽古して行きたい、其の際、前敵を刺突する英信流居合目録秘訣古伝の教えをも研究して行きたいものです。

 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の55兵法は隠すを奥義極意ぞと

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の55兵法は隠すを奥義極意ぞと

兵法百首
兵法ハ可く春を奥義極意そと
        志らぬ可おもて尓い多寸こゝろ王

兵法はかくすを奥義極意ぞと
       しらぬがおもてにいだすこころは

兵法は隠すを奥義極意ぞと
       知らぬがおもてにい出すこころは


 兵法は自流の業技法を隠すのも奥義極意であると云っていても、知らないうちに面(顔・業)に出してしまう其の心は。

 柳生新陰流の截相口伝書亊の文言の幾つもが、無雙神傳英信流居合兵法にも使われています。使われ方が正しいかどうかは別として曽田本その1の神傳流秘書にも居合兵法極意秘訣にもあります。他流にもあるという事は早くから使われていた普遍的武術用語であったり、新陰流が徳川政権に取り上げられてから、各大名もこぞって柳生新陰流の兵法者を受け入れて行ったことにも由来するでしょう。1600年代には柳生新陰流の考え方は日本各地に浸透していったと思われるのです。

 奥義だ極意だと云って隠して見ても、業の順番や形は何とかなっても、他流の極意の兵法を簡単に真似る事も出来ません。真似られないという事はその返し業など出来るわけはないものです。
 自流の極意で以って他流に勝てなければならないのです。従って十分な術理を持たず、強い早いだけのもの、或いは勝つためだけの運剣法などでは、素人相手は別としても勝つ事すら出来ないものです。

 石舟斎のこの歌は、上泉伊勢守に出合い、新陰流の手ほどきを受けた際、上泉伊勢守が何も隠し事無くすべてを見せ、其の心まで示された、奥義とは極意とはを思う時、過去に習った幾つかの剣術に疑問すら抱いたろうと思います。
 上泉伊勢守が柳生の郷を去る時、無刀の公案を置いて立って行った、再び柳生の郷に戻った時の石舟斎の無刀を見て総てを相伝する意思を固めたろうと思います。
 現代では多くの流派が明治維新以降消滅しています。いくつかがやっとこさ残された伝書からその流の組太刀や居合を公にされています。そんな中で柳生新陰流は多くの伝書類が公にされて、捜し求めればまだまだ出てくるかもしれません。その伝書の解釈も充分なされ、勢法も入門仕立ての人にも隠さず、指導されています。

 恐らく450年も前からそうだったのだろうと思います。習い・稽古・工夫をしてみてもせいぜい演武会に通用する程度の「かたち」の演舞が精一杯です。
 まして「形」だからと云って竹刀剣道が本当の剣術なんだと決めつけていたのでは、新陰流の真髄は見えてこないものと思います。
 

 

 

 

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2020年6月 8日 (月)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の7棚下

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の7棚下

抜刀心持之事七本目棚下
大森流逆刀の如く立て上へ抜打込む時躰をうつむき打込是は二階下様の上へ打込ぬ心持也

 英信流居合目録秘訣の上意之大事九本目棚下:二階下天井の下抔に於て仕合うには上へ切りあてゝ毎度不覚を取る物也、故に打込む拍子に膝をついて打込むべし、此の習を心得るときは脛をつかずとも上へ当てざる心持有り。
 古伝は、上が低い場所での抜刀斬り込みを手附けとしその注意を述べています。何時から棚下や縁の下から這い出て斬り付ける可笑しな業になったのでしょう。現代居合の演舞形としては面白そうですが、実戦では這い出した瞬間に首を落されています。

 大江正路の奥居合居業六番目棚下:(頭を下げて斬る)座した処より、頭を前方へ下げ、稍々腰を屈め右足を出しつつ。刀を抜き、上体を起すと同時に上段となり、右足を踏み込みて真直に切り下す。
 大江先生、何処にも棚下から這い出るなどと云っていません。
 河野百錬の昭和8年1933年の無雙直傳英信流居合術全奥居合居業六本目棚下:・・体を前に「うつむけ」、体を低くして右膝を立て左足を右足踵に引付けると同時に刀を左肩より頭上に引抜くと共に雙手を掛け右足を進めて前に低く切り込み(打下したる時は上体は真直に)刀を開き納刀する・・。
 河野先生の手附も棚下から這い出るなどと云っていません。河野先生は第18代穂岐山波雄の弟子でこの居合術全は当時の土佐の先生方の監修を受けておられます。ところが、昭和13年1938年発行の「無雙直傳英信流居合道」の奥居合居業の六本目棚下の意義には「吾れ棚のしたなどの、頭の閊へる低い場所に居る場合、其の所を這い出でて敵を斬るの意なり」とされ動作は無雙直傳英信流居合術全とほぼ同じなのに意義で想定を変えてしまっています。このことは何処にも「何故」の由来が見当たりません。恐らく土佐のうるさ方がいちゃもんを付けた可能性はあります。古伝は特定の人にしか見る事が出来ない為の出鱈目は流の業をレベルダウンさせてしまいます。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の居合兵法無雙神伝抜刀術奥居合八本目棚下:(上の閊へる所にて前の者を斬る)・・体を前へ俯け腰を少し浮かせ、左足を後へ退き伸し、其膝頭をつかへ、刀を背負ふ様に左後頭上へ引抜き、諸手を掛け前者へ斬込み其まま刀を右へ開き納めつつ体を引起し・・」
 ここでも、棚下からは出てから斬るようなおかしな事は何処にも読み取れません。無双直伝英信流の業名や想定動作をいじったのは大江先生、その次は河野先生の様です。
 その誤った手附を読まれた夢想神伝流の檀崎先生の棚下の意義:吾、棚下などの頭の閊へる低き場所にある場合、そこを這い出て、正面敵を斬るの意である。
 但し檀崎先生は棚下の意義に疑問を持たれたのでしょう、その注意に:この動作は、常に低い場所での所作と考えて行うを要する。斬下す場合は、棚から這い出てとあるも、あくまでも低い場所にての刀の操法と思考する。

 同じく山蔦先生の棚下:棚の下、縁の下など頭のつかえるような天井の低い場所に自分がいて、その低い所を出た前方に敵がいる。低い所から這い出た瞬間、前の敵を斬下す動作で、眼は前方につけ、頭と上体をできるだけ低くして、右足を大きく前へ出しながら抜刀する。左膝を右踵に引寄せながら、左肩より刀を背負うようにかむり、体を起しながら、右足を一歩出す(低い所より一歩外へ出た想定)や正面の敵を斬下す。・・。山蔦先生は河野棚下のまま夢想神傳流に持ち込まれた様です。
 この参考書は山蔦重吉著夢想神伝流居合道昭和47年1972年の初版本から引用させていただいています。
 河野先生の曽田先生から貸し与えられた曽田本神傳流秘書による「無双直伝英信流居合兵法叢書」は昭和30年に発行されています。非売品で山蔦先生は全剣連に所属してこの冊子を読む機会が無かったかもしれません。

 古伝の業は細かい制約を付けていませんから、幾つも想定を考えられます、現代居合は些事にこだわって本来磨き上げるべき事を置き去りにしてしまいます。指導者として立った人の考えに左右されてしまいます。「古きを尋ねて新しきを知る」稽古とはそんなものでは無いでしょうか。
 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の54兵法を嘆くは健気

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の54兵法を嘆くは健気

兵法百首
兵法を奈けくハけ奈け中道尓
      きりのこゝろ乃不可き由へ奈り

兵法をなげくはけなげ中道に
      ぎりのこゝろ乃ふかきゆへなり

兵法を嘆くは健気中道に
      義理の心の深き故なり


 兵法を嘆いているのは健気である、諸般の事情から義理があって道半ばなのに修行を諦めなければならないとは。

 この様に、読んで見たのですが、もっと奥深いものが横たわっているのだろうかなどと思います。
 石舟斎の周辺にも、戦で刀が持てなくなったり、死亡したりした身内の者や弟子も居たろうと思います。
 石舟斎自身も、家康に出合うのが遅すぎて、家康より仕官を求められながら但馬守宗矩を家康に委ねて来ています。その悔しさも有るでしょうし、上泉伊勢守との出会いから受けた相伝印可は道半ばとして、義理にも投げ出す事は出来なかったでしょう。弟子の健気さを読んだ歌であってもその奥には自らをふと重ねる事もあってもいいのだろうと思います。新陰流の兵法の「色に付き色に随う事」は人生そのものでしょう。
 この歌の真意は別にあるとされる方が居ても、私は石舟斎の兵法百首の一首目に上げられた「世を渡る業のなき故兵法を隠れ家とのみ頼む身の憂き」から、」石舟斎がこの歌を歌う姿を思いえがいてしまいます。

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2020年6月 7日 (日)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の6四角

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の6四角

抜刀心持之事六本目四角
抜左の後の角を突き右の後の角を切右の向を請流し左の向を切又右の向を切る也

 四角の想定はこの手附に示されています。左後・右後・右前・左前の四角の頂点に敵は座している想定です。此の場合は敵は皆我が方に向いて今にも懸らんとしている状況でしょう。
 英信流居合目録秘訣上意之大事四角:三角にかわる事無し、是は前後左右に詰合ふ之心得也、故に後へ迠まわって抜付る也。

 手附に従ってやってみましょう。
 右前の敵に向かうと見せて右足を右前に踏み込み刀を抜くや、其の体勢のまま刀刃を外に向け左胸に添え左後の敵の胸部を刺突する。刀を抜き取るや左手を柄に添え、左膝を軸として右廻りに左前、右前の敵の顔面に浅く斬付け、刀を左肩から受け流す様に振り冠って右後の敵に切り下す、即座に右前に振り向きつつ刀を右肩から受流す様に振り冠り、左廻りに右敵を素通りして左敵の真向に斬り付け、刀を左肩から受け流す様に振り冠って右前の敵の真向に斬り付け、血振り納刀す。斬り付けるさい脚の踏み替えをしないまま体軸の回転をしていますが、足の踏み替えをすれば方向転換は楽に出来ます。

 大江正路の無双直伝英信流居合兵法奥居合三番目四方切:右足を右斜へ出し、刀を右斜に抜き、刀峯を胸の處に当て、刀を平として斜に左後を突き右側面の横に右足を踏み変へ、上段にて切り、右足を左斜横に踏み変へて(受け返して打つ)上段となりて切り、右足を正面に踏み変へて、上段より切る。
 敵の配置は、左前・正面・右・左後の様です。右の敵であって右前の敵では無い様な足踏み表現が気になります。この動作は三角の教えに有った「一人づつ切らんと思う心得なれば必ず仕損ずる也、一度に払うて其おくれに付込んで勝べし」を理解出来ていない事になります。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合七本目四角:(四隅に居る者を斬る)・・(右前へ掛かると見せ)刀を其方向へ引抜き、咄嗟に左膝頭で(左廻りに)後斜へ廻り向き、左後隅の者を(右片手にて)突き直ぐ右へくるりと廻りつつ、諸手上段に引冠り右後隅の者へ斬込み、直ぐ左へ廻りつつ刀を頭上へ振冠り(右前隅の者より斬込み来る太刀を受け流しながら)左前隅の者へ斬込み、直ぐ再び右へ振向きつつ諸手上段に引冠り右前隅の者へ斬込み、刀を開き納め終る。
 敵の配置は古伝の手附と変わりませんが、一人ずつ斬る動作でしょう。右前隅の者の斬り込みを受け流し心ではなく受け流して左前隅の者を斬って居ます。

 檀崎友影の奥居合居業六本目四角(四方斬):意義 四方に敵を受けたので、後敵を突き、三人の敵に斬付けながら負傷させ真向上段より三人を斬って勝の意である。動作 ・・右足を前方に出しながら抜いて後方敵を突き刺し、そのまま左、前、右の三敵に廻りながら斬付けて負傷させ、右より受け流しに振り冠り右敵に斬下し、次に後方左側敵を右より振り冠って斬下し、更に左より振り冠って正面敵を斬下し、血振り納刀する。
 敵の配置は左後方・左前・正面・右前ですから、大江先生の配置と同じです。前面に並ぶ三人の敵を負傷させておいて一人ずつ斬って居ます。大江想定の古伝の心得を取り入れた業と云えるでしょう。

 山蔦重吉の奥居合座業三本目四方切(四角):前後左右に四人(四面多数の敵に囲まれた場合の刀法である)の敵がいる。まず、刀をやや斜め右前に抜きうしろの敵の左胸部を刺し、受流しに左側より刀を振りかむり、約九十度右に回って右の敵を斬り、ただちに百八十度左まわり(刀を右より受流した振りかむりながら)して左の敵を斬る。さらに九十度右にまわって、正面の敵を真向から斬下すと云うわざである。
 この敵の想定は、前後左右ですから十文字の交点に我は坐す。後・右・左・前と順番に一人ずつ斬って居ます。古伝の教えも、大江先生の敵の想定も無い独特の手附です。

 檀崎先生以外は、敵に先んじて切る事ばかりが優先しているようです。早い動作が出来れば勝てるとしたのでしょうが、速い動作は上には上がいるものです。敵に掛かると見せてビクとさせ、其の機に乗じて斬り込んでいく古伝の教えは失念してしまったようです。

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の53兵法の極意は五常の義に有り

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の53兵法は五常の義に有り

兵法百首
兵法の極意ハ五常能義尓有と
       こゝろ乃おく尓絶春多し奈め

兵法の極意は五常の義に有と
      こころのおくに絶えずたしなめ

兵法の極意は五常の義に有と
      心の奥に絶えず嗜め

 兵法の極意と云うのは五常の人の守るべき道徳(仁・義・礼・智・信)にあるものだと心の奥に絶えず心掛ける事である。
 
 五常とは、儒教で、人の常に守るべき五つの道徳で、自虎通では仁・義・礼・智・信。孟子では父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信。書経瞬典では父は義・母は慈・兄は友・弟は恭・子は孝。(広辞苑)
 石舟斎の五常の認識はこれらのミックスされた現代の感覚で捕える五常で仁・義・礼・智・信であろうと勝手に思いたい処ですが、時代背景から見れば重きを置く処は個々に合ったかもしれません。

 一般的な仁・義・礼・智・信の解説に留めておきますが、兵法とは人が守らねばならない事を侵された時、五常を以って道を見出して互に和する為のもので、それでもならない場合は、己が正しいと信ずることを貫くための最終手段が兵法の行使なのだ、その様な人が兵法の極意を得るものなのだと歌っていると思います。
 その判断は、上泉伊勢守の武将としての敗戦による苦痛や信玄の仕官要請を蹴って兵法の道に志した人を師としたこと、石舟斎も武将を志しながら得られなかった思いから兵法者を志し、家康に接することによって戦の無い世の中を目指す道を悟り得たことから、是が兵法の極意の道だと思うのです。

 参考に五常(Wikipedeaより)
  仁・思いやりの心で万人を愛し、利己的な欲望を抑えとりおこなう事。
  義・利欲にとらわれず成すべき事をする事。
  礼・仁を行動で表したもの。上下関係などで守るべきこと。
  智・道理を能く知り得ている人。知識豊富な人。
  信・友情厚く、信実を告げ、約束を守り、誠実である。

 

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2020年6月 6日 (土)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の5三角

無雙直傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の5三角

抜刀心持之事五本目三角
抜て身を添へ右廻りに後へ振り廻りて打込也


 大江正路の無双直伝英信流居合兵法奥居合居業三角:存在せず

 細川昌義系統の尾形郷一貫心の奥居合6本目三角:(前右後の三人を斬る)正面より(左廻りに)後向き、居合膝に座し、例により鯉口を切り右手を柄に掛け、前に掛かると見せて、右足を摺り出し腰を伸し、刀を引抜くなり、右足を左足に引き寄せるなり刃部を外へ向け、左腕外へ深く突込み、立上りつつ右へくるりと廻りながら前、右、後の三人を軽く斬り、正面へ向く、同時に左膝を跪きつつ諸手上段に引冠り、右足踏込んで斬込み刀を開き納め終る。
 文章表現がおかしいようですが、正面後向きに座し、立ち上りつつ吾が前・右・後の敵を軽く斬り、正面に戻り正面の敵(座した時の後ろの敵)を諸手上段から斬り下すのでしょう。

 英信流居合目録秘訣上意之大事「三角」:三人並居る所を切る心得也、ケ様の時は深々と勝んとする故に後れを取る也。居合の大事は浅く勝事肝要也。三人並居る所を抜打に紋所のあたりを切先はづれにはろをときはビクとするなり、其所を仕留る也。三人を一人づつ切らんと思ふ心得なれば必ず仕損ずる也。一度に払ふて其おくれに付込んで勝べし。
 三人がどのように並んで詰め寄って来ても抜打ちに三人を切り払ってビクとしている間に一人づつ切る事を教えとしています。

 檀崎友影の奥居合居業その5三角:意義 三人の敵に対し、先ず前、右、左と敵に負傷させながら、左、右、前と斬り下して勝つの意。正面に向って立膝に座し、刀に両手をかけ前敵に軽く斬付けながら右に廻り、右側敵を斬り、直ちに返し刀で同じ軌道をかえるように一挙に三人を負傷させ、左より受け流しに冠って左側敵を斬下し、次に後右側敵を斬下げ、更に左正面敵を斬下して血振り納刀する。
 古伝の教えが生かされている運剣だろうと思います。檀崎先生だけが古伝英信流目録秘訣をご存知だったと云えるでしょう。昭和30年に河野百錬先生は「無双直伝英信流居合兵法叢書」を発行され、其処に英信流目録秘訣上意之大事「三角」を、発表されています。檀崎先生は是を読まれたと思われます。檀崎先生の「夢想神伝流居合」は昭和和44年1969年に発行されていますから充分です。むしろ河野百錬系統の無双直伝英信流の先生方の方が「無双直伝英信流居合兵法叢書」を蔑ろにしたとしか思えません。
 
 夢想神傳流の山蔦重吉先生は奥居合座業四本目の「戸詰」を「三角」として意味不明の呼称を掲げています。内容は前回で示してあります。

 古伝の「三角」は土佐の居合の中で、形に捉われない形と云えるもので、新陰流で云えば「懸懸」とでも云うのでしょう。一歩誤れば三人になますにされる処です。三人の敵の配置によって運剣が異なる事もあり得る事を認識し稽古を重ねるべき業でしょう。
 古伝の手附は「抜て身に添へ右廻りに後へ振り廻りて打込む也」ですから、前にずらりと三人では後への配慮が無くなる。敵は我が左右と真後の三人、或いは左前・右前・真後。是の逆で前一人に左後・右後、前一人に我が左・右。吾を含め全員が正面を向いている場合、我に全員が掛からんとして向いている状態。古伝はおおらかです。

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の52兵法に余流をそしる其の人は

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の52兵法に余流をそしる其の人は

兵法百首
兵法尓余流をそ志留其人者
      古くいい多らぬゆへとこそしれ

兵法に余流をそしる其人は
      ごくいいたらぬゆへとこそしれ

兵法に余流を誹る其人は
      極意至らぬ故とこそ知れ


 兵法でよその流を誹るようなその人は、極意に至らない為にその様に云うのである。

  ただ読み下して見ても意味は解りません、業も碌に出来ないくせに他流を誹る様なものは極意になどとんでもない、と云うのでも無さそうです。その程度の事は当たり前の事で石舟斎が歌に残すものでも無いでしょう。
 極意を得て自流の業技法をマスターしただけでは、此の道を歩む事など出来るわけはないのです。他流との違い、それに応じる自流の方法、その程度の事でよしとするものでもなさそうです。

 他流や自流を超えた自分自身の立ち位置が「何時如何なる状況でも応じられるもの」なのか。他流や自流をごちゃごちゃ言って居る場合では無かろう。と厳しく叱責されている気がします。

 清水 博著「生命知としての場の論理柳生新影流に見る共創の理」の序文に「上泉伊勢守の新陰流の発見から約450年も経た現在、彼が発見した「普遍の理」・・未知の新しい出来事に遭遇しても、その場その場でリアルタイムに適切な判断をし、決断しなければならない。このリアルタイムの判断をおこなう知、すなわち「リアルタイムの創出知」なくして無限定な環境状態の中で生命を維持していくことは困難である。この「リアルタイムの創出知」とは、結局、判断の基礎となる「常識」に相当するものである。常識の本質は「普遍の知」であり・・」

 石舟斎の柳生家憲と云うのが柳生厳長著正傳新陰流の末尾に記載されています。
 そこに「余流を廃せずして道をたしなみ、幾重にも他流を育て相尋ねる事尤也。世上修行するほどの仁は、一つ二つ是非共に、然るべき極意を存ずる者也。執心の道を育て、兵法建立の心、後代の為を存ずべし。家流に執心の仁は、まづ浅きより深きに至る。一文は無文の師、他流勝つべきに非ず。きのうの我に、今日は勝つべしと分別し、上手奇妙は、稽古鍛錬工夫上成ると、古人師伝にも申つたへらるる亊なれば、刀にて腰をふさげたらん者、一世の間の意志、所存、其の身の覚悟を分別の仁、懇望執心においては、相伝有るべし。努々、表太刀以下を稽古無く、他流の是非を嘲弄し、仕相(試合)好き、慢心の人へは、家法相伝有るべからざる也。」と厳しく伝えています。
 
 この家憲は上泉伊勢守信綱から石舟斎への永禄8年1565年の印可状及び永禄9年1566年の新陰流目録からもうかがい知れるものです。「某幼少より兵法兵術の志あるにより、諸流の奥源を極め日夜工夫鍛錬致すに依って尊天の感応を蒙り新陰之流と号す。・・」
 新陰流目録では「予諸流奥源を究め、陰流において別に奇妙を抽出し新陰流と号す。予は諸流を廃せずして諸流を認めず。・・」

 この様に、自流の極意に至るには他流を知る事は大切な事であって、試合をしたり誹謗中傷する事ではない、一つ二つは他流の極意を知るべきものだと云い切っています。
 現代居合などの誓約の中に、他流・他道場にはかかわってはならない、さらに他連盟にも加入してはならない等を定めて、訳知り顔にしています。
 道を求めるには自流だけでは叶えられないものは幾らでもあります。師匠の不勉強の為にみすみす諦めるのでは何をしてるのか解らなくなります。
 無双直伝英信流居合兵法の初代関東地区会長であった大田次吉先生は、「弟子たるもの師匠の出来ない事でもやれ」と明言を吐かれておられます。
 師匠の取り巻き連中による心無いいじめも往々にしてあるようです。何を勘違いしているやら。

 

 

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2020年6月 5日 (金)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の4両詰

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の4両詰

抜刀心持之事四本目両詰
抜て片手にて左脇を突き直に振向いて右脇を切る
右脇へ抜打に切り付け左を切る

 大江居合はこの古伝の抜刀心持之事四本目両詰を、五番目を戸脇、四番目を戸詰と分けて業名を施しています。古伝の両詰は左右から敵に攻められた時の業を表すのです。それを4番目は戸詰、五番目を戸脇という、敵の位置ではなく、場の状況を表す様な業名にしてしまったのです。
 其の為敵の位置が左右ではなく、敷居を挟んで我右斜め前と我左後ろに敵を配したのが五番目戸脇、敷居を挟んで我右前と左前に敵を配したのが四番目戸詰として改変されてしまいました。
 当初は敷居や戸襖などは無かったのですが大江先生の改変した業名に引きずられ、現代はおかしな想定の業になっています。基本的な想定があって、其処から変化するのは古伝を学ぶものの道ですが、特定の想定を業の意義として如何にもとするのは、指導者の自己顕示のし過ぎです。

 大江正路の奥居合居業四番目戸詰:(右を斬り左を斬る)抜付け、右の敵を右手にて切ると同時に右足を右斜に出す、其の右足を左斜横に踏み変へて上段にて左斜を真直に斬る。
 右の敵左の敵と云っていながら右足を右斜めに出す。左の敵と云っていながら右足を左横斜めに踏み変えている。この手付は大江先生監修による堀田捨次郎の著述です。この辺の書きぶりが、古伝から離れてしまう原因なのでしょう。
 
 大江正路の奥居合居業五本目戸脇:(左を突き右を切る)右足を右斜へ踏み出し刀を抜き、左横を顧みながら突き、足踏みは其まゝにて上体を右横に振り向け、上段にて切り下す。
 この手付も敵は右横左横のつもりでしょう。左横を刺突するに当たり、右足を右斜へ踏み出し抜刀して左横を刺突しています。右足を右斜めに踏み込めば柄頭は右敵を牽制していませんから、右敵は容易に我が柄手を制する事は可能です。
 独り演武では、右足を右斜めに踏み込んで刀を抜いて左横の敵を刺突するのは可能です。但し左横の敵に背を向けて抜刀しますから背中を突き飛ばされそうです。
 右斜めに右足を踏み出して刀を抜き左敵を刺突するのは問題ないとすれば、右敵を斬る時、抜刀の際に踏み出した右斜めに踏んだ右足を其の儘に上体を右横に振り向けたのでは上体は右向き腰から下は右斜め向きでは体がねじれています。上段にて切り下す際右足は右に踏み変え切り下すべきでしょう。
 古伝の手附の大らかさを、中途半端にいじると意味不明な制約を付けてしまいます。

 細川義昌系統の「居合兵法無雙神伝抜刀術」を尾形郷一貫心が記述して梅本三男先生に伝授しています。是に依ると古伝の抜刀心持之事四本目両詰が奥居合四本目前後詰と五本目両詰に分けられ、どちらも一人目を刺突した上二人目を真向斬りして居ます。大江先生も細川先生も下村派第14代下村茂市定から指導を受けているのに想定違いなのです。
 大江正路は明治中期に谷村派第16代の後藤正亮の後を引き継いで土佐の指導者になっていますので、五藤先生の想定を取り入れたかもしれません。そうであれば細川先生による下村派の想定は古伝とは敵の配置が異なります。
 武術は人に依り変化するとはしても、古人が残した基本の想定は大事にしたいものです。柳生新陰流には三摩之位と云って「習い・稽古・工夫」を大切にしています。習いの形は上泉伊勢守がもたらしたもので、時代によって変化する事は認めています。例えば甲冑を着た剣法から素肌剣法への移行などもそれですが、構え方や立ち方は変わっても、形の根本は変わらず、変化は明確に示されています。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による奥居合四本目前後詰:(前後に座している者を斬る)・・腰を伸ばしつつ右足を前へ踏み出し(前へ掛かると見せ)刀を其方向へ引抜き咄嗟に(左廻りに)後を向くなり後者の胸部へ(右片手にて)突込み直ぐ(右廻りに)正面へ廻りつつ諸手上段に引き冠り、前者へ斬込み、刀を開き納め終る。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心による奥居合五本目両詰:(左右に座している者を斬る)・・腰を伸ばし(右へ掛かると見せて)右足を少し右へ踏出し其方向へ引抜き、咄嗟に左へ振り向き(右片手にて)左側の者の胸部を突き、直ぐ右へ振返へりつつ、諸手上段に引冠り右側の者に斬込み刀を開き納め終る。
 右足を少し右斜め前に踏み込んで刀を抜き、その足踏みの侭左の敵に振り向き胸部を刺突し、直に左手を柄に掛け諸手と成り右へ振り向きつつ左から上段に振り冠って右足を右敵方に踏み込んで斬り下す。

 檀崎友影の奥居合居業その4両詰(一)戸脇:意義 吾、直前に敷居あり。敷居の向う側右と左に敵を受け、左前の敵を刺撃し、更に右方の敵を斬って勝の意である。動作 ・・刀に両手をかけるや左敵に目を注ぎ、右足を右後方に引きながら刀を水平に抜き、刃を上外側にして左方敵の左肩下に突込み抜きながら、右側敵に振り向き上段より斬下し、血振り納刀する。
 檀崎先生も敷居の向こう側に敵を迎えています。この敷居の向こう側に敵が居る想定を文章に表して発行されたのは、無双直伝英信流の河野百錬が昭和13年に発行した無雙直傳英信流居合道が始めの様です。河野先生は昭和8年に無雙直伝英信流居合術全、を発行されていますが、そこには「我が直前の左右に戸あり」の場の想定は有りません。昭和17年の大日本居合道図譜で更に「我が直前の左右に戸(襖などの建具)あり其の向ふ側に座する敵」と付け加えられています。
 誰かに、「戸が有るのだ、だから戸脇だろう」と云われたか、大江居合の読み過ぎは我慢しますが、古伝を見た事も無い人が誤って業を解釈する典型的なお節介かも知れません。お陰様で夢想神傳流もそれにのってしまった様です。

 檀崎友影の奥居合居業その5戸詰:意義 二人の敵に対しての技。吾、直前に敷居があり、その敷居越しの左右に座する敵の機先を制し、敷居越しに一歩踏込みて右側の敵を抜打し、更に左側敵を斬り下して勝の意である。

 山蔦重吉の奥居合四本目戸詰(三角):自分の前の左・右に戸(または襖)があり、その陰に敵が潜んでいる。敷居ごしにまず、右足を一歩斜め前に踏み出し、抜打ちに右の敵へ抜付け、ただちに右側より受流しに刀を振りかむりながら右膝をつき、左膝を立て(右、左踏替え)、左側の敵を斬る。
 山蔦重吉の奥居合五本目戸脇(向詰):自分の前に戸(または襖)がありその戸陰に敵が潜んでおり敷居のこちら側で、自分の左側(あるいは左斜め後方)にもう一人の敵がいる。右足を一歩右斜め前に踏出すや(敷居の上か敷居ごしの想定)右手にて刀を刃を外水平に抜き左の敵の左肩を刺し、そのまま足と体を右に旋廻し、右戸陰の敵を上段より斬下すわざである。

 どの先生の業も奥居合を改変した大江先生の手附に引きずられ、河野百錬の思い込みを受けて更に装飾を施して古伝抜刀心持之事四本目両詰をあらぬ方にいじり回したようです。
 土佐の居合の古伝を研究するならば、最初に示された手附に随い、敵は左右に有り、三人並んで正面に向かって座す。そこから業を研究すべきでしょう。古伝の手附を安易に替えてしまったのでは、習い・稽古・工夫にならない事と思います。この業の復元の際の注意点は、至近距離での二人の敵ですから、左敵を刺突するために刀を如何に抜き出すか、右敵を牽制すれば、左敵に隙を作る、左敵を刺突する時、左敵に注目し過ぎれば、右敵に隙を作ることになります。

 裏返して言えば、右敵を牽制した時は、左敵に切先が向いている事。左敵を刺突した瞬間に右敵を斬る体制の初動が出来ている事。でしょう。

 古伝英信流居合目録秘訣上意之大事「両詰」:是又仕物など言付られ又は乱世の時分などには使者などに行、左右より詰かけられたる事まま之有也。ケ様の時の心得也。尤も其の外とても入用也。左右に詰かけられたる時、一人宛切らんとする時はおくれを取るなり、故に抜や否や左脇の者を切先にて突き、すぐに右を切るべし。其の技ただ手早きに有り。
 亦、右脇の者に抜手を留らるべきと思う時は右を片手打に切りすぐに左を切るべし。

 この心得を理解して稽古するべきものと思います。

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の51兵法にさそく奇妙の軽業は

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の51兵法にさそく奇妙の軽業は

兵法百首
兵法耳さそく奇妙能可留王さハ
      弟子乃お与者奴奈らい成介り

兵法にさそく奇妙のかるわさは
      弟子のおよばぬならい成けり

兵法にさそく奇妙の軽業は
      弟子の及ばぬ習い成けり

 兵法に於いて機に臨んでの速やかに応じる優れた身のこなしは、弟子の及ばない修練の賜である。

 「さそく」はかんじでかけば「早速」で現代の慣用語では「さっそく」です。意味は、機に臨んで速やかに処置すること・機転・さっそく。
 もう一つは「早足」意味は、軽快な足捌き・すばやく足を動かす。
   「奇妙」は、珍しいこと・ふしぎなこと・普通とはかわってすぐれていること。
 「軽業」は危険な曲芸を身軽に演じるもの・甚だしく冒険的な計画または事業。(広辞苑より)

 新陰流の柳生兵庫助利厳が元和6年1620年に尾張大納言義利(義直)に印可相伝の際自らの公案「始終不捨書」を進上しています。その始めに「三摩之位右重々口伝有之」として、円相の上に等分に三点を描き之を「三磨」とした「習い・稽古・工夫」の教えを顕わしています。
 解釈の仕方はいろいろ在るでしょうが、私は「習い」とは師匠に手取り足取り形を習い、その理合も習った、それを師匠と同じ形に成る様に動作の順番を記憶し、足は手は刀はと繰り返すのは飽くまで習いの範囲と理解しています。
 稽古とは、機に臨んで同様な状況であれば事理一致で、頭で動作を思い出し手足に伝達する様な事では無く、自然に体が其の機に応じる迄稽古する事としています。
 さらに「工夫」とは、同じ条件でもより早く確実に応じられる身体操作の工夫を凝らします。ですから工夫からが本当の修練と考えています。其の上工夫では、相手の打ち込む角度や速さによっては足捌き体裁き運剣など仮想敵相手に繰り返します。
 ですから「習い・稽古・工夫」の三磨(摩)之位は夫々の間がぶつぶつ切れて、習った見本通りに出来るようになったから次に稽古に入る、稽古充分となって初めて工夫するなどの事では無く、時には習い工夫稽古も辞さないのです。場合によっては業を工夫したら他の形の業となっていたなど当たり前と思っています。
 


 

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2020年6月 4日 (木)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の3向詰

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の3向詰

抜刀心持之事三本目向詰
抜て諸手を懸け向を突打込也
*
 古伝の抜刀心持之事「向詰」は無双直伝英信流居合兵法の奥居合居業の「両詰」がそれでしょう。明治中期に土佐で居合の復興が始まった際、古伝の業の名称や運剣法などが何故か改変されています。明治維新後の日本では居合を始める人は、元武士も其の他の人も新しい時代を生きるのに必死であったでしょう。居合を残すには中学生向けに指導する事が望まれたのでしょう。其の為には、対敵意識を伏せて理解されやすい場の状況を業名に付す様学校側の要求もあったかもしれません。

 大江正路による奥居合居業七番目「両詰」:(抜放け諸手にて真向を突き斬る)座したる処より右足を少し出して、刀を抜き、柄元を臍下に当て、右足を踏み出して、前方を諸手にて突き、その姿勢のまゝ、上段にて前面を真向に斬る。

 細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合三本目「向詰」:(対座して居る者を斬る)・・右手を・・柄に掛け、両膝を立つなり右足を少し右前へ踏み出し、其の方向へ刀を引抜き、右足を引戻すと共に、刀尖を向ふへ、柄頭を腹部へ引付諸手となり(刀を水平に構へ)体を少し前へ進め、対手の胸部を突き、更に左足を進ませつつ諸手上段に引冠り右足を踏込んで斬込み、刀を開き、納める。

 檀崎友影による奥居合居業三本目「向詰」:吾、両側に障害ありて、刀を普通のように抜き得ない場合、刀を前面に抜き取りて、前敵を突刺して勝つの意である。刀に両手をかけるや、腰を僅かに浮かし、刀を右前に抜くと同時に右足を前に踏み込みて敵を突込み、其の突込んだ刀を引き抜く気持ちで、上段に振り冠り、真向から斬下し、血振り、納刀する。

 山蔦重吉による奥居合座業七本目「両詰」:両側に障害物があり(両側が詰っている)、刀を普通のように自由に抜けない場合。刀を右前方に抜き、右拳を一転、刀の柄をたてに返し刀先を前方に、柄頭をへそ下に持って来て(晴眼のように構える)右足を踏み出すと同時に、前方の敵を諸手にて充分に突く。刀を引抜くと同時に振りかむり敵を真向から斬り下す。

 夢想神傳流のこの業の名称は明治以降「向詰」から「両詰」に変わり、正面に対座する敵を刺突する抜刀と刺突をする技に対し、両側に障害のある場合の抜刀、納刀に注目が移ったような錯覚を覚えてしまいます。特に演武の際の納刀などでは体側から離れない血振り、肩巾を越えない納刀に熟練の技を見せつけられます。

 この業は、正面に対座する敵を確実に仕留めるには、大森流の「初発刀」でもなく英信流の「横雲」でもなく、体の内で抜刀し、突く業を稽古するものなのです。
 当然、横一線の抜き付けをするには、左右に少なくとも体の左右肩から一尺5寸は開いて居なければ切先が障害物に触れてしまいます。廊下などであれば体幅40cm、左右の空間45cm×2で130cm以上の幅が必要なのです。この狭い場における、抜き付けは、下からの切上げか、刺突が有効なのです。居合抜と云う事にこだわれば下からの切上げでしょう。刺突は抜いて構えて突くのですから、相手に我が攻撃のありようを見せて突き込むのですから、外される可能性は高い筈です。
 例えば、田宮流表之巻七本目「突留(つきとめ)」は:対座している敵が、突然、太刀を抜いて突かんとするので、我はすばやく柄にて敵の太刀を押さえたあと、敵の足(腹)に抜き付け、さらに真っ向から切り下ろして勝つ。(動作省略)と云う業が存在します。
 
 古流は「抜いて諸手を懸け向を突打込也」これだけです。
 両手を刀に掛けつつ腰を上げ、柄頭で敵を牽制しつつ鞘送りしながら刀を抜き出しつつ、敵が柄頭を制せんとする瞬間、鞘を引き切先鯉口を出るや切先を返して諸手となり、右足を踏み込み敵の胸部を刺突する。左足を右足に引き付けると同時に刀を引抜き上段に振り冠って真向に斬り下す。後同前。 
 古伝の手附に沿った動作ですが、抜刀の瞬間をしっかり認識しなければ、何も抵抗しない敵を一方的に刺突する都合の良い仮想敵相手の演舞になってしまいます。

 もう一本、鞘送りしつつ刀を水平に抜き出し、刀刃を下に向け右足を踏み出すや敵の右脇に向かって浅く斬り上げる。左足を右足に引き付け同時に左手を柄に掛け、右足を踏み込んで退かんとする敵の胸部を刺突する。・・以下略。

 古伝の復元研究は、師伝にこだわらずに対敵を設けてあらゆる状況を考え動作する心構えが無ければ、奥居合だとて役立たずの棒振りに終わります。
 
 
 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の50身にかえて名の為思う

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の50身にかえて名の為思う

兵法百首
身耳かへ天名能多め思ふ奈尓可しの
        兵法す可ぬ人し也者あ流

身にかへて名のため思うなにかしの
        兵法すかぬ人しやわある

身に代えて名の為思う何某の
       兵法好かぬ人しやわある

 我が身よりも名の為を思う何某は、兵法を好まぬ人であろう。

 この場合の兵法は小さい兵法と見ていいのかも知れません。自分の命を守る事よりも、どの様に死んだかによって死後に名誉の名を残すことを良しとするその様な人は、一対一の剣術を好まない人だというのでしょう。新陰流兵法には戦に至らしめない思考法も充分組み込まれているものです。
 しかし、その様な考えに至るには、入門と同時に袋竹刀か木刀を持たされ、剣術の実技を指導されるのです。闘争的で肉体も健全で強健な人には、木刀での打ち合いや、基本動作を繰り返し修錬されても楽しくてたまらないでしょう。形が出来る様になればますます実技面にのめり込んで行くものです。
 中には「かたち」が師匠に似て来れば出来たと錯覚してしまう、中には自分流をひけらかして出来たとしてしまう。三摩之位は習い・稽古・工夫なのだがそれも習った形通りの太刀打の事とばかりに思ってしまう。
 形稽古の打太刀、仕太刀の役割もいつも同じ事で、仕太刀の見せる誘いなど誘いに成らず、打太刀の打込みは形に納まるばかりの角度の打込みで其処には気も機も何も無い、其の上打込むべき処に届いていない棒振り、若しそんな稽古だったならば、何十年やっても演武会での武的踊りの稽古に過ぎない。

 多くの剣術の流派の稽古法はそんなもので、其の流の印可は形が出来たから与えられるばかりで、形の持つ本来の「何ものか」が出来て初めて与えるべき物の筈の考え方がどこかに置き忘れられているようです。

 新陰流にはいくつもの形がある、その形を打てるにはその形の持つ意味を充分理解した上で、稽古をしなければ術が決まらないものです。それはまさに兵法と云えるもので、敢えて太刀を持たずとも人と相対する事を教えてくれるものです。
 それは沢庵の云う事理の一致であって、人生における様々な場面に適応できる事理なのです。太刀を振る事はその一部分の身体操作に過ぎないもので、相手の斬り込む一刀を躱すと同時に斬り込んだり、受けたと同時に斬り込んだりなども、普段の人との交わりの中で常に起こっている事であるはずです。
 敵に随って動く、などもそれ以前に自分の心の下作りが出来ていなければ、はやる心を抑えられるなど出来るわけも無いでしょう。

 この歌の心は、「生き様よりも死に様ばかりに気を使い、無駄死にによって名を残して意味があるのか」と云われている様です。何某は「私は棒振り剣術など必要ない、己の心は己で修錬しているのだから」と返してきそうです。武術は人のコミュニケーションの最終手段であれば、みすみす事半ばで切られて死んだのでは、名は残るでしょうか。かと言って、無刀を突き詰めたら、空手や合気、柔術に一直線では体を武器に進化させたに過ぎないもので、戦わずして勝のとは違います。

 
 

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2020年6月 3日 (水)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の2柄留

無雙神傳英信流居合兵法
1抜刀心持之事
1の2柄留

抜刀心持之事2本目柄留
虎の一足の如く下を留て打込む

英信流居合之事2本目虎一足
左足を引き刀を逆に抜て留め扨打込み後前に同じ

 大江正路奥居合二番目脛圍(長谷川流二番目と同一):膝と刀を竪立斜として、刃を上に平に向けて、膝を圍ひ(体は中腰半身とす)体を正面に向けて、上段より斬り下す。 
 この手付ではどうしたらいいのかさっぱり解かりません。虎一足:正面に座す、静かに立ちながら左足を引きて刀を抜付くと同時に膝を圍ふ、此圍は体を左向き中腰となり、横構にて受止める事、此体形にて上段に冠り正面に向き座しながら斬り下すなり。


細川義昌系統の尾形郷一貫心の奥居合之部二本目柄留:(抜掛らんとする者を斬る)・・鯉口を切り右手を柄に掛け立上るなり左足を一歩後へ退く、同時に刀を引抜き鯉口放れ際に左腰を左へ捻り、体は正面より左向きとなる(視線は右正面の対手に注ぐ)、対手が正に抜掛らんとする刹那、其右手へ逆に強く薙ぎ付け、体を右へ捻り戻す、同時に左膝を跪きつつ諸手上段に引冠り右足を踏込んで斬込み刀を開き納め終る。

 檀崎友影の柄留(脛囲):吾が正面に対座する敵が、吾が右脚を薙ぎ付け来るを受払い、敵の退こうとするに乗じて上段より斬下し勝つの意。

 山蔦重吉の脛囲(柄留):中伝の虎一足と同じ意義のわざであるが、自分の右足へ斬込んで来る敵の刀に応ずる動作がもっと速くなる。この心構えに中伝と異なるところがある。古伝に云う柄留とは、敵が抜刀せんとするその拳に抜き付けて、、其の動作を封じてしまうという意味のものである。
 中伝虎一足:正面に向いて立膝に坐る。敵との距離は80センチ。敵が自分の右足に斬込んでくるのを、右手を直角にして柄を握り、急速に抜刀し、右脛を囲うように敵刀を鎬で受止める。・・。

 この業名は「柄留」であって古伝は「脛囲」とは言って居ません。虎一足にしても「「刀を逆に抜て留め」です。この業の動作で、居合膝に座して相対する時、座した相手が我が座している右脛に切り付けて来るだろうか。居合膝に座した右膝は抜付けで狙いにくい部位でしょう。抜き付ける体制も低くなってしまいます。どの手附も敵が先に仕掛けて来たように書かれています。
 此処は我が抜き付けんと懸ると見せて、刀に手をかけ立ち上がるその小手に斬り込もうと敵は誘われて、柄に手をかけて立ち上がりつつ刀を抜き出す。
 新陰流の「懸待有之事」「敵色付色随」であって抜刀心持が奥居合と云われるものになれるでしょう。敵の斬り込んで来る刀を刀で受け留めるなど奥居合とは言えそうにない。受け留めた所で無疵な敵を真向から斬り倒せるでしょうか。
 敵が我が小手に抜付けて来るのを、左足を退きつつ外し、刀を逆にして下から抜き上げ敵の柄手を切り上げ攻撃を制してしまい、怯む所を真向に斬り下ろして勝つ。

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の49卜清十首10命とておもき宝を

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の49卜清十首
10命とておもき宝を

兵法百首のうち卜清十首
命とておも記多可らを持人の
      兵法越し天蔵尓せよ可し

命とておもきたからを持人の
      兵法をして蔵にせよかし

命とて重き宝を持人の
      兵法をして蔵にせよかし

 命という重い宝を持つ人が兵法を修業して、心の蔵にしたら良いものを

 命という大切な物を守るために兵法の修行を積むのであろうから、兵法に依って命の蔵が建つものを

 そんな歌心なのでしょう。この歌で卜清十首は終る筈ですが、特に線引きされていませんので解りません。次の50首目から歌心に変化が出て来るか楽しみです。

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2020年6月 2日 (火)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の1向払

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の1向払

古伝神傳流秘書抜刀心持之事1向払
向へ抜付返す刀に手を返し又払いて打込み勝


 大江正路の「霞」がこの業でしょう。古伝は単刀直入の業名でした。

 霞(俗に撫斬と云う):正面に座して抜き付け、手を返して、左側面水平に刀を打ち返す、直に上段となりて前面を斬る・・・。
 古伝と云い大江先生も抜き付けを「放す」などの事は何処にもみあたりません。想定を特定するなど、子供向けにいつまでも拘っている様で奥居合を学ぶ資格は無さそうです。この抜刀心持之事の前書きに「格を放れて早く抜く也」と稽古の心得を最初に述べているのです。

 細川義昌系統の尾形郷一貫先生の向払:・・(対手の右側面へ)抜付けたるも剣先が届かぬため、右足より迅速に体を進めつつ、抜付けた刀が止まらぬ中に直ぐ振返し、返す刀で(対手の左側面へ)斬付け、左膝を進めつつ諸手上段に引冠り更に右足を踏込んで斬込み・・。
 この、想定は抜き付けたが目測を誤ったのならば、奥居合の前の業技法にもう一度戻って居合兵法とはを考えるべきものでしょう。細川義昌の教えと云われますが、細川義昌、大江正路ともに下村茂市の門弟ですからこれでは困ってしまいます。江戸末期の古流剣術の想定の甘さかも知れません。

 檀崎友影の向払(霞):正面に対座せる敵二人を制し其の首に斬付け、更に総体を進ませながら刀を返し、二人目の敵に斬付け、更に上段より斬下して勝つの意である。・・中山博道の直弟子だったと云う。博道の指導によって敵二人と想定したのか、一人は左から右に抜き付け、二人目は刀を返して右から左へ水平切返しです。想定は勝手ですが、稽古の形にこだわったら武術とは言い難いものです。

 夢想神傳流の向払は、敵が前に一人その後ろにもう一人座す、その一人ずつを斬る想定です。一人目は抜打ちに斬り倒さなければ二人目は邪魔で切れない。しかし手附では大森流に同じであれば相手の顔面鼻部又は拳に抜きつけるですからこれでは一人目が邪魔です。返す刀で檀崎先生は相手の首を切らせています。首を切ったのでは、真向に斬りつける必要は無いでしょうが・・。
 太田龍峰著中山博道校閲の居合読本では「敵をフッツリ切る気分を持つべきである」とはされていますが、ここは首に抜き付け即死させなければ、二人目の敵には切り返しは難しそうです。我は一刀目で抜刀済みですから、一刀目で一人目の敵は倒れていてほしいものです。二人目は一人目の状況を見ているのですから、うかうか切られる訳は無い。切り返すならば即座に切り返しの体勢に入り、切り返すべきでしょう。この二人の敵を斬るのは檀崎先生から教えを受けた山形の松峯先生も引き継いでいます。
 夢想神傳流でも敵は一人として「乳通しに斬りつけたが敵にかわされたので直ちに刀を返して再度敵の乳通しに斬りつける」想定で指導されているところもあります。
 英信流系統は概ねこの敵一人で、一刀目で外され、刀を返して制しています。然し返す刀で足を切りに行くのです。一刀目を躱すことが出来る相手ならば、切り返される前に我に体当たり出来てしまいます。まして、我は目測を誤って空を斬って切り返す様なものではお粗末です。
 
 この向払は、古伝神傳流秘書大剣取の3本目外石で「(相手居合膝に座し居る処へ小太刀を下げかくる、相手抜打つを放し)たる時、又右より打つを留め入りてさす」切り返しを小太刀で留めて制する事を抜刀心持の稽古に入る前に教えています。

 敵が二人、前に縦に並んで居るのか、横並びなのか、いずれにしても抜き付けの一刀で一人を倒し、切り返しで他の敵の戦力を奪って真向に斬り下ろす。
 敵が一人の場合抜付けで外された場合は、切先外れにならない位置で切先を留め、相手の攻撃を封じて、其の位置で刀を返し踏み込んで斬り返し真向に振り被って制するのが良さそうです。
 抜付けで切先が流れた場合でも、手を返して切り返す際の切先は我が体軸より決して後方に振らない事、切先の位置を上方に振らない事も大切です。前方45度を超えない、高さも抜き付けた高さに切先はあるべきです。斬撃力を、剣先を後方にして遠心力を利用するのではなく、体の使い方によって剣先の鋭さを生み出す稽古をすべきでしょう。手でひょいひょい斬る習いを見直すべきでしょう。

 敵が一人で、思う処に抜き付けられたとしても、斬り込みが浅ければ踏み込まれてしまいます。
 切られる相手も、一刀目を外せる力を持っているならば、切り返しには応じられる筈で、刀を抜かないならば柄で受けて踏み込むとか、踏み込んで我が手を制して小太刀を抜いて制するなり出来るはずです。
 この業を制するには、相手は切り返される前に我に接近してしまう事でしょう。我は一刀目をしくじらない稽古をすること及び、斬り損なう事を知ることなのでしょう。
 分かった様な想定を付加せず、古伝の教えのままに演ずれば、「敵の柄手を切り、返し刀で肩を切り、真向から斬り下して勝」。素直に稽古すべきでしょう。その上で様々な想定による動作が自然に出る迄繰り返すだけです。
 古伝は何も語らずに、語っています。古伝の声を聞く事であって、師匠の真似ばかりでは如何なものでしょう。
 

 



 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の48卜清十首9兵法の心の奥を伝えずは

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の48卜清十首
9兵法の心の奥を伝えずは

兵法百首のうち卜清十首
兵法乃こゝろのおくを伝春は
       いん可をとりて何可者せん

兵法のこゝろのおくを伝ずは
       いん可をとりて何かはせん

兵法の心の奥を伝えずは
       印可を取りて何かはせん

 兵法の心の奥を伝えないのであれば、印可をとっても何をすべきか

 印可を取ったが業技法の目録ばかりで心に伝わるものが無ければ、形を演じられるばかりです。
 印可を受けて奥の心も印可に含まれているにも関わらず、その心を伝えられても受け留められないのであれば印可をとっても意味はないというのでしょう。
 
 印可にもいくつか段階があるかも知れません。初心者が初期に習う業技法の目録を印可されたもの、無双直伝英信流の十段允可は此の目録です。初伝・中伝・奥伝などが流派によってまちまちです。
 指導者として流儀の形を指導することを師範として許すもの。
 その流の、形を習い稽古しても、形を真似ただけならば奥である筈がないでしょう。
 道統相伝允可などが一般に見られます。
 上泉伊勢守から柳生石舟斎に38歳の頃永禄8年1565年印可状を与えています。
 永禄9年1566年の新陰流目録では「・・新陰流と号す、予は諸流を廃せずして諸流を認めず。・・且つ又懸待表裏は一隅を守らず、敵に随って転変す。一重手段を施し、恰も風を見て帆を使い、兎を見て鷲を放す、懸を以って懸と為し、待を以って待と為すは常の事也。懸は懸に非ず、待は待に非ず、懸は意待に在り、待は意懸に在り。牡丹の花の下猫児眠る、学ぶ者、この句を透得し知るべし・・」
 此の目録には新陰流のエキスともいえる事が伝えられています。更に目録の業名に「燕飛は懸待表裏の行、五箇の趣旨を以って、肝要と為す、・・所謂五ヶは眼・意・身・手・足也。猿廻は敵に随って動揺す、・・」と書き込まれています。

 単なる、業名の記述のみで口伝としたのでは、代を重ねるうちにあらぬ方に移行してしまう。ましてその心は伝わらないものです。多くは刀の操作法のみによる口伝ばかりとなってしまいます。それも体格や武術哲学の違いから先師の教えを否定して全く違うものに変化してしまうものまであるのです。
 前回の道歌は無外流の百足伝40首でした、この歌を解釈するに当たり無外真伝剣法秘訣の十則を片手に読み込んだものでした。是は無外流祖辻月丹が形よりもその精神を残さんとしたものでした。ではその当時の形はどのようなものであったのか手附が無いのでわかりません。営々と伝承した形の片鱗が、現代の形の中に有るのかも知れません。然しそれよりも無外流真伝剣法秘訣の十則の方が心に残ります。この卜清十首の「兵法の心の奥」も形では無いでしょうと歌っているのでしょう。
 

 

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2020年6月 1日 (月)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の序

無雙神傳英信流居合兵法
1抜刀心持之事
1の序
 無双直伝英信流居合兵法及び夢想神傳流の古伝は神傳流秘書として伝わっています。
 居合の始祖といわれる林崎甚助重信の居合は更に古い伝書が出て来ない限り、永遠に霧の彼方の兵法に過ぎません。何処かで演じられている大太刀による居合は室町時代中期の太刀による居合の仕方としてそれもあったであろうと呑み込んでいればいいのでしょう。
 今回改めて、無雙神傳英信流居合兵法の業技法をおさらいして行きます。
 この無雙神傳英信流居合兵法は江戸時代中期から末期に演じられていたものと推察します。明治維新でいったん途絶えそうになったこの流は、大江正路先生によって改変され、更に宗家の有りかたから分裂を繰り返しいつの間にか武的演舞型に変身して、如何にも武術としている様ですが、実践上では疑問を感じる仕方も多々見られます。
 現在の各無双直伝英信流なり夢想神傳なりの演舞型は、稽古の初歩として学ぶとしても、状況変化に応じる試みがなされない限り武術とは言えないでしょう。
 林崎甚助重信の業技法を江戸時代に長谷川主税助英信が改変し、さらに大森六郎左衛門の真陰流(新陰流?)の考え方から創設された正座による居合大森流を加えています、既に始祖の居合ではありません。

 その土佐に定着していたはずの江戸期の居合を精査して見たいと思います。
 精査の方法は、自流の業を以て斬り込んだにもかかわらず、自流の体術で交された場合、とか他流の業で自流を制せられたとか、自流の業でも何とか派では違う動作基準がいつの間にか定着してしまって、実戦上の可否などお構いなしに演じられている事を探ってもみたいと思います。
 その前に、大江正路先生に依ってなのか、古伝の抜刀心持之事(奥居合居業・立業)が古伝の手附とは業名も動作までも改変され中には抹殺されたものすらあるようなので其処から入って見たいと思います。

 今年の違師伝交流稽古会の課題はこの「抜刀心持之事」の復元研究発表を目的にしています。コロナ騒ぎで充分な実技研究時間がとれず、今後再び大きくコロナが再流行をするのか、その行方次第でどうなるか解りません。
 まずは古伝の要求に現代の形が答えているか、自流の他の業で攻められたり他流の業で先を取られた場合など詰めて見たいと思います。 さて ミツヒラ・・思いつくままに・・ 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の47卜清十首8萬法を切り払うべき一心の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の47卜清十首
8萬法を切り払うべき一心の

兵法百首のうち卜清十首
萬法をきり者ら不へき一心の
      徒留きもむ年の兵法そ可し

萬法をきりはらうべき一心の
      つるぎもむねの兵法ぞかし

萬法を切り払うべき一心の
      剣も胸の兵法ぞかし

 万法を心から切り捨ててしまおうと思う剣も、胸の内の兵法であるよ。

 此処での万法とは、太刀を以って戦う業技法の事であれば、切り払う事、忘れ去ることも出来るかもしれません。しかし生きている以上は何らかのことで、自然現象や社会や意見の異なる人とも立合わなければなら無いでしょう。それさえも心の剣は切り払う事は出来るのでしょうか。
 習い覚えた太刀打ちによる兵法を、獲物なしで戦う無刀であれば、これまでと違った心の下作りはいるかもしれません。そんな道具に左右される心では、万法に応じられる訳も無い、いっそ「無心」になることも胸の内の兵法と云うのかも知れません。
 解る様なわからないような、悟り得たとは、この様な心持ちかも知れません。

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