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2020年6月 2日 (火)

無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の1向払

無雙神傳英信流居合兵法
1、抜刀心持之事
1の1向払

古伝神傳流秘書抜刀心持之事1向払
向へ抜付返す刀に手を返し又払いて打込み勝


 大江正路の「霞」がこの業でしょう。古伝は単刀直入の業名でした。

 霞(俗に撫斬と云う):正面に座して抜き付け、手を返して、左側面水平に刀を打ち返す、直に上段となりて前面を斬る・・・。
 古伝と云い大江先生も抜き付けを「放す」などの事は何処にもみあたりません。想定を特定するなど、子供向けにいつまでも拘っている様で奥居合を学ぶ資格は無さそうです。この抜刀心持之事の前書きに「格を放れて早く抜く也」と稽古の心得を最初に述べているのです。

 細川義昌系統の尾形郷一貫先生の向払:・・(対手の右側面へ)抜付けたるも剣先が届かぬため、右足より迅速に体を進めつつ、抜付けた刀が止まらぬ中に直ぐ振返し、返す刀で(対手の左側面へ)斬付け、左膝を進めつつ諸手上段に引冠り更に右足を踏込んで斬込み・・。
 この、想定は抜き付けたが目測を誤ったのならば、奥居合の前の業技法にもう一度戻って居合兵法とはを考えるべきものでしょう。細川義昌の教えと云われますが、細川義昌、大江正路ともに下村茂市の門弟ですからこれでは困ってしまいます。江戸末期の古流剣術の想定の甘さかも知れません。

 檀崎友影の向払(霞):正面に対座せる敵二人を制し其の首に斬付け、更に総体を進ませながら刀を返し、二人目の敵に斬付け、更に上段より斬下して勝つの意である。・・中山博道の直弟子だったと云う。博道の指導によって敵二人と想定したのか、一人は左から右に抜き付け、二人目は刀を返して右から左へ水平切返しです。想定は勝手ですが、稽古の形にこだわったら武術とは言い難いものです。

 夢想神傳流の向払は、敵が前に一人その後ろにもう一人座す、その一人ずつを斬る想定です。一人目は抜打ちに斬り倒さなければ二人目は邪魔で切れない。しかし手附では大森流に同じであれば相手の顔面鼻部又は拳に抜きつけるですからこれでは一人目が邪魔です。返す刀で檀崎先生は相手の首を切らせています。首を切ったのでは、真向に斬りつける必要は無いでしょうが・・。
 太田龍峰著中山博道校閲の居合読本では「敵をフッツリ切る気分を持つべきである」とはされていますが、ここは首に抜き付け即死させなければ、二人目の敵には切り返しは難しそうです。我は一刀目で抜刀済みですから、一刀目で一人目の敵は倒れていてほしいものです。二人目は一人目の状況を見ているのですから、うかうか切られる訳は無い。切り返すならば即座に切り返しの体勢に入り、切り返すべきでしょう。この二人の敵を斬るのは檀崎先生から教えを受けた山形の松峯先生も引き継いでいます。
 夢想神傳流でも敵は一人として「乳通しに斬りつけたが敵にかわされたので直ちに刀を返して再度敵の乳通しに斬りつける」想定で指導されているところもあります。
 英信流系統は概ねこの敵一人で、一刀目で外され、刀を返して制しています。然し返す刀で足を切りに行くのです。一刀目を躱すことが出来る相手ならば、切り返される前に我に体当たり出来てしまいます。まして、我は目測を誤って空を斬って切り返す様なものではお粗末です。
 
 この向払は、古伝神傳流秘書大剣取の3本目外石で「(相手居合膝に座し居る処へ小太刀を下げかくる、相手抜打つを放し)たる時、又右より打つを留め入りてさす」切り返しを小太刀で留めて制する事を抜刀心持の稽古に入る前に教えています。

 敵が二人、前に縦に並んで居るのか、横並びなのか、いずれにしても抜き付けの一刀で一人を倒し、切り返しで他の敵の戦力を奪って真向に斬り下ろす。
 敵が一人の場合抜付けで外された場合は、切先外れにならない位置で切先を留め、相手の攻撃を封じて、其の位置で刀を返し踏み込んで斬り返し真向に振り被って制するのが良さそうです。
 抜付けで切先が流れた場合でも、手を返して切り返す際の切先は我が体軸より決して後方に振らない事、切先の位置を上方に振らない事も大切です。前方45度を超えない、高さも抜き付けた高さに切先はあるべきです。斬撃力を、剣先を後方にして遠心力を利用するのではなく、体の使い方によって剣先の鋭さを生み出す稽古をすべきでしょう。手でひょいひょい斬る習いを見直すべきでしょう。

 敵が一人で、思う処に抜き付けられたとしても、斬り込みが浅ければ踏み込まれてしまいます。
 切られる相手も、一刀目を外せる力を持っているならば、切り返しには応じられる筈で、刀を抜かないならば柄で受けて踏み込むとか、踏み込んで我が手を制して小太刀を抜いて制するなり出来るはずです。
 この業を制するには、相手は切り返される前に我に接近してしまう事でしょう。我は一刀目をしくじらない稽古をすること及び、斬り損なう事を知ることなのでしょう。
 分かった様な想定を付加せず、古伝の教えのままに演ずれば、「敵の柄手を切り、返し刀で肩を切り、真向から斬り下して勝」。素直に稽古すべきでしょう。その上で様々な想定による動作が自然に出る迄繰り返すだけです。
 古伝は何も語らずに、語っています。古伝の声を聞く事であって、師匠の真似ばかりでは如何なものでしょう。
 

 



 

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