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2020年7月 1日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の77兵法の師となるならば弟子にまづ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の77兵法の師となるならば弟子にまづ

兵法百首
兵法の師と奈留奈らハ弟子尓末つ
       者川とをゝしへ心よくミ与

兵法の師となるならは弟子にまず
       はっとをおしえ心よくみよ

兵法の師となるなるならば弟子にまず
       法度を教え心よく見よ

 兵法の師となるというのならば、弟子にまず法度を教えて弟子の心をよく見なさい。
 
 此処での法度も石舟斎の一流の紀綱・柳生家憲で良いのだろうと思います。

 「この流には、第一仕相無用たる可き也。
 其の仔細は余流を廃せずして道をたしなみ、幾重にも他流を育て相尋ねる事尤也。世上修行するほどの仁は、一つ二つ是非共に然る可き極意を存ずる者也。執心の道を育て、兵法建立の心、後代の為を存ず可し。家流に執心の仁は、先ず浅きより深きに至る。一文は無文の師、他流勝べきに非ず。
 きのうの我に、今日は勝つ可しと分別し、上手奇妙は、稽古鍛錬工夫上成ると、古人師伝にも申つたへらるることなれば、刀にて腰をふさげたらん者、一世の間の意思、所存、其の身の覚悟を分別の仁、懇望執心においては、相伝有る可し。
 努々、表太刀以下を稽古無く、他流の是非を嘲弄し、仕相好き、慢心の人へは、家法相伝有るべからざる也。」(柳生厳長著正傳新陰流より)

 新陰流は他流と試合をする事を無用とする、第一にと云う訳ですから一番の法度なのです。その理由は勝ったの負けたのと争い他流に勝ったと云って他流を嘲弄し、世の中から消してしまうようなことはあってはならない。負けたと云って大恥をかく事にもなる。他流の極意を一つ二つ持つぐらいのことであるべき事だと云います。
 「執心の道を育て、兵法建立の心、後代の為を存ずべし」、と他には見られない広い心持ちを感じられます。
 恐らく師であった上泉伊勢守が北条や武田に敗れたとはいえ武将でもあり、兵法者としてもすぐれた人物だったのでしょう。幾つもの他流を尋ね磨いた思いを引き継ぎ、自らも柳生の庄を預かる者としても、兵法者としての誇りも高かったのでしょう。兵法者としてただの棒振り名人では無かったと云えるのでしょう。
 「弟子にまず法度を教え」の法度の内容が「なるほど」と思えるもので、どこぞの道場に掲げてある「師の教えに従順たれ」などのものとは違います。私の様に「何故」を連発する者でも意味がよくわかります。

 

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