« 無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の序 | トップページ | 無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の1向払 »

2020年6月 2日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の48卜清十首9兵法の心の奥を伝えずは

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の48卜清十首
9兵法の心の奥を伝えずは

兵法百首のうち卜清十首
兵法乃こゝろのおくを伝春は
       いん可をとりて何可者せん

兵法のこゝろのおくを伝ずは
       いん可をとりて何かはせん

兵法の心の奥を伝えずは
       印可を取りて何かはせん

 兵法の心の奥を伝えないのであれば、印可をとっても何をすべきか

 印可を取ったが業技法の目録ばかりで心に伝わるものが無ければ、形を演じられるばかりです。
 印可を受けて奥の心も印可に含まれているにも関わらず、その心を伝えられても受け留められないのであれば印可をとっても意味はないというのでしょう。
 
 印可にもいくつか段階があるかも知れません。初心者が初期に習う業技法の目録を印可されたもの、無双直伝英信流の十段允可は此の目録です。初伝・中伝・奥伝などが流派によってまちまちです。
 指導者として流儀の形を指導することを師範として許すもの。
 その流の、形を習い稽古しても、形を真似ただけならば奥である筈がないでしょう。
 道統相伝允可などが一般に見られます。
 上泉伊勢守から柳生石舟斎に38歳の頃永禄8年1565年印可状を与えています。
 永禄9年1566年の新陰流目録では「・・新陰流と号す、予は諸流を廃せずして諸流を認めず。・・且つ又懸待表裏は一隅を守らず、敵に随って転変す。一重手段を施し、恰も風を見て帆を使い、兎を見て鷲を放す、懸を以って懸と為し、待を以って待と為すは常の事也。懸は懸に非ず、待は待に非ず、懸は意待に在り、待は意懸に在り。牡丹の花の下猫児眠る、学ぶ者、この句を透得し知るべし・・」
 此の目録には新陰流のエキスともいえる事が伝えられています。更に目録の業名に「燕飛は懸待表裏の行、五箇の趣旨を以って、肝要と為す、・・所謂五ヶは眼・意・身・手・足也。猿廻は敵に随って動揺す、・・」と書き込まれています。

 単なる、業名の記述のみで口伝としたのでは、代を重ねるうちにあらぬ方に移行してしまう。ましてその心は伝わらないものです。多くは刀の操作法のみによる口伝ばかりとなってしまいます。それも体格や武術哲学の違いから先師の教えを否定して全く違うものに変化してしまうものまであるのです。
 前回の道歌は無外流の百足伝40首でした、この歌を解釈するに当たり無外真伝剣法秘訣の十則を片手に読み込んだものでした。是は無外流祖辻月丹が形よりもその精神を残さんとしたものでした。ではその当時の形はどのようなものであったのか手附が無いのでわかりません。営々と伝承した形の片鱗が、現代の形の中に有るのかも知れません。然しそれよりも無外流真伝剣法秘訣の十則の方が心に残ります。この卜清十首の「兵法の心の奥」も形では無いでしょうと歌っているのでしょう。
 

 

|

« 無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の序 | トップページ | 無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の1向払 »

道歌5柳生石舟斎兵法百首」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の序 | トップページ | 無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事1の1向払 »