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2020年6月30日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の76兵の法と書きたる兵法を

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の76兵の法と書きたる兵法を

兵法百首
徒者ものゝ法と書多留兵法を
      いらぬとい不毛無念奈ら春也

つわものゝ法と書たる兵法を
      いらぬといふも無念ならずや

兵の法と書きたる兵法を
      要らぬと云うも無念ならずや

 つわもの(兵)の法(兵法)と書く兵法を、不必要だと云う(人が居るのは)残念なことである。

「つわもの」とは、「兵」戦争に用いる器具・武器・兵器。武器を執り戦争に加わる人・兵士・剛健な人・また、手腕を振う人・猛者。強者。
「無念」とは、妄念のないこと・正念。口惜しく思うこと・残念。(広辞苑より)

 兵法とは「つわものの法」「兵法」と書くのに「兵法」など要らないと、時の権力者の誰かが言ったのでしょう。当時の兵法とは現在広義に捉えられている、戦の仕方・用兵と戦闘の方法・兵学・軍法よりも狭義の剣術などの武術を指すことの方が一般的であったようです。
 戦国時代末期は大きく戦争の方法が変化し、白兵戦よりも、鉄砲や大砲、堀を設けた城郭での攻防、政治的懐柔策などの方が大切であったと云えそうです。
 一対一の剣術主体の兵法は、現代のミサイルや核兵器による戦争に対し、小銃や機関銃程度の位置付けにしかならないと考える人も芽生えて来ていたでしょう。
 石舟斎はその様な時代に剣術の修業は人格形成は勿論、戦略戦術思考を育てる絶好のものと考えていたかもしれません。

 武士道と云う名の元にカビの生えたような精神性を云ってみても、「この人何を言いたいのだろう」と首を捻るばかりです。
 剣道が勝ち負け優先の当てっこスポーツであるならば、勝つために何をすべきかにひたすら励む人でありたいものです。ただ、気になるのは多くの勝負け優先のスポーツが現役引退を迫られる時があり、体を壊して退かざるを得ない人を見ます、その時「これは武術とは違う」と思わざるを得ません。
 激しい稽古によって体を壊して使い物にならないのでは稽古の方法の誤りでしょう。若者に打ち負けるような武術では習う意味も無さそうです。

 石舟斎の生きた時代は、刻々と変わる状況変化の中で「リアルタイムの創出知」は出来て当たり前のことだったのでしょう。それは形をたどる事だけでは生み出せそうにありません。

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