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2020年7月

2020年7月31日 (金)

道歌6塚原卜伝百首6の81から95

道歌
6、塚原卜伝百首
6の81から95

81、む士能狩漁を好ま須ハ
      い可なる事も身をかくさ満し
 もののふの狩り漁(すなどり)を好まずは
      如何なることも身をかくさまし

82、武士能雪にや希多流手足をは
      酒あ多ゝ免天洗とそよし
 もののふの雪にやけたる手足おば
      酒温めて洗うとぞよし

83、む士の夜る乃眠を覚まし徒ゝ
      四方能左王きを聞くそゆゝしき
 もののふの夜の眠りを覚ましつつ
      四方の騒ぎを聞くぞゆゝしき

84、武士能其暁を志らぬこそ
      鼠取道志ら奴祢こ成れ
 もののふの其の暁を知らぬこそ
      鼠取る道知らぬ猫なれ

85、武士ハ軍能事を常々尓
      思王さ里世ハ不覚阿るへし
 もののふは軍の事を常々に
      思はざりせば不覚あるべし

86、む士は鞠琴鼓枇杷笛尓
      心つく須ハ愚那類遍し
 もののふは鞠琴鼓枇杷笛に
      心盡すは愚かなるべし

87、む士能知ら天中ゝ拙なきハ
      弓馬鑓堂兼天志るへし
 もののふの知らでなかなか拙きは
      弓馬鑓と兼ねて知るべし

88、武士ハ古き軍の物語
      常耳聞なハ便あるへし
 もののふは古き軍の物語
      常に聞くなば便りあるべし

別伝
 武士の如何に心の猛くとも
      知らぬ事には不覚あるべし

89、む士の心尓懸天知へきハ
      可川可多礼奴乃敵能色阿以
 もののふの心に懸けて知るべきは
      勝つ勝たれぬの敵の色あい

90、武士の心能内尓死の一川
      忘礼さ里せ盤不覚あらしな
 もののふの心の内に死の一つ
      忘れざりせば不覚あらじな

91、武士能学不教ハ押並天
      其之究尓は死の一川奈利
 もののふの学ぶ教えは押し並べて
      その究(極)みには死の一つなり

92、武士能まよ不處ハ何奈らむ
      いきぬいきぬ能一ツ成介里
 もののふの迷う処は何ならむ
      生きぬ生きぬの一つなりけり

93、む士能心能鏡曇ら須ハ
      立逢敵越う川し志類へし
 もののふの心の鏡曇らずば
      立逢う敵を写し知るべし

94、武士ハ生死不多川を打捨天
      進む心耳し具こ堂ハなし
 もののふは生死二つを打ち捨てて
      進む心にしく事はなし

95、学ひ怒る心耳態の迷てや
      態耳古ゝ路のま多迷不らむ
 学びぬる心に態(わざ)の迷いてや
      態(わざ)に心の又迷うらん


 以上で「慶応二丙とら祐持写」卜伝百首を終りますー
  次回から一首ずつ卜伝百首を読み解いてみます。柳生石舟斎宗厳の兵法百首と読み比べて楽しんで見たいと思います。毎日一首ずつ読んで行きますので終るのは11月7日頃になるでしょう。
 

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2020年7月30日 (木)

道歌6塚原卜伝百首6の61から80

道歌
6、塚原卜伝
6の61から80

61、武士能足不ミのへ天あをむきに
       祢天ハ勝負尓勝多ぬもの哉
 もののふの足踏み延べて仰向きに
       寝ては勝負に勝たぬもの哉

62、武士の児や女尓た王むれ天
       心於くれ怒事は阿らし奈
 もののふの児(ちご)や女にたわむれて
       心おくれぬ事はあらじな
別伝
 もののふの児や女にたわむれて
       心溺れぬ事はあらじな

63、武士能勝負能場耳出る時
       跡と左右耳心ちら春な
 もののふの勝負の場(にわ)に出る時
       跡と左右に心散らすな

64、む士能暑き寒きの分ちなく
       野山を可け天身をさら須遍し
 もののふの暑き寒きの分ち無く
       野山を駈けて身を晒すべし

65、武士ハ心耳懸よ水游
       志ら須把常に不覚阿流べし
 もののふは心に懸けよ水遊び
       知らずは常に不覚あるべし

66、武士ハちから遊ひを常にせよ
       さら須ハ筋能延ひた王むへし
 もののふは力遊びを常にせよ
       さらずば筋の伸びたわむべし

67、武士能心たゆめハおの川可ら
       膚ハ肥天身楚重具成流
 もののふの心弛めば自ずから
       膚は肥えて身ぞ重くなる

68、む士の者し累刀を指すこそ春
       もた怒敵をも川と知るへし
 もののふのはしる刀を指すこそは
       持たぬ敵を持つと知るべし

69、む士能刀の目釘見も世須耳
       腰に指すこそ拙奈可里介里
 もののふの刀の目釘見もせずに
       腰に指すこそ拙なかりけり

70、武士能酒を過須楚不覚成る
       無下耳呑マ怒もま多愚成
 もののふの酒を過ごすぞ不覚なる
       無下に呑まぬもまた愚かなり

71、武士能月額を剃る剃刀を
       加里に女能手尓もとらすな
 もののふの月額を剃る剃刀を
       仮に女の手にも取らすな

72、む士能夜能枕耳二重帯
       置ぬハ阿王礼不覚成るへし
 もののふの夜の枕に二重帯
       置かぬはあわれ不覚なるべし

73、む士能夜る能祢まきの絹耳こ楚
       裏表をハせぬ者と知礼
 もののふの夜の寝巻の絹にこそ
       裏表をばせぬ者と知れ

74、む士の夜る能枕耳鼻紙を布天
       祢るこ楚教へな里介利
 もののふの夜の枕に鼻紙を敷きて
       寝るこそ教へなりけり

75武士の加つ介類笠能布の緒を
       加里二作る裳習ひ成里介れ
 もののふのかづける笠の布の緒を
       かりにつくるも習いなりけり

76、む士能道行時耳逢人の
       右ハ通らぬもの登志るへし
 もののふの道行く時に逢う人の
       右は通らぬものと知るべし

77、む士能道行時に満可里可と
       よけ天通楚心阿り介里
 もののふの道行く時に曲がり角
       避けて通るぞ心ありけり

78、武士の道行連の阿る時盤
       いつも人をハ右耳見天由け  
 もののふの道行く連れのある時は
       何時も人をば右に見て行け

79、む士能夜るの道尓ハ燈を
       中尓持世天王しを行へし
 もののふの夜の道には燈(ともしび)を
       中に持たせて端を行くべし 

80、武士の常に踏足古ゝろし天
       古とに臨天乱れぬ楚よし
 もののふの常に踏む足心して
        事に臨みて乱れぬぞよし

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2020年7月29日 (水)

道歌6塚原卜伝百首6の41から60

道歌
6、塚原卜伝百首
6の41から60

41、長き柄の鑓は短く春るとても
      其時々耳さハ里あらしな
 長き柄の鑓は短くするとても
      其の時々に障りあらじな

42、甲をは軽く手軽く真甲の
      実(さね)能厚きを好ミき累へし
 甲をば軽く手軽く真甲の
      実の(さね)の厚きを好み着るべし

43、鎧をハ其色々尓おと須とも
      たゝ手軽き尓志くハあらしな
 鎧をば其の色々に縅とも
      ただ手軽きにしくはあらじな

44、心ある昔能人の着し鎧
      むない多斗利さね厚く勢利
 心ある昔の人の着し鎧
      胸板ばかり札(さね)厚くせり

45、以つと天も鎧能下能者多巻ハ
      綿入絹耳志くハ奈可里介利
 いつとても鎧の下の肌巻は
      綿入る絹にしくはなかりけり 

46、草摺と蓋手(こて)臑當と脇立ハ 
      好尓免にも加く尓も
 草摺と蓋手臑当と立ては
      好み好みに兎にも角にも   
 
47、置刀夏盤枕耳冬ハ脇
      春秋ならハ兎にも角にも 
 置く刀夏は枕に冬は脇
      春秋ならば兎にも角にも 

別伝
 夏冬を知らで立置く太刀刀
      かならず不覚あるとしるべし

48、武士ハ妄耳食をせ怒そよき
      日耳二度奈ら天好はし春し奈
 もののふは妄りに食をせぬぞ良き
      日に二度ならで好みはしすな 

49、武士能軍能場(所)尓出る時
      湯漬尓しくハ奈幾と知へし
 もののふの軍の場(場所)に出る時
      湯漬にしくは無きと知べし

50、武士の冬の軍尓炒豆を
      持春ハ不覚志ら天は阿るへし
 もののうの冬の軍に炒り豆を
      持たずは不覚しらではあるべし
別伝
 もののふの冬の軍に炒り豆を
      持たずは不覚得てし有るべし

51、武士能いつも身尓添持べきハ
      刃徒くる為の砥石なるへし
 もののふの何時も身に添え持つべきは
      刃作る為の砥石なるべし

52、もののふの身二添て指刀尓は
      椿の油ミ年耳怒るへし
 もののふの身に添えて指す刀には
      椿の油峰に塗るべし
別伝
 もののふの身に添て指す(持つ)刀には
      椿の油身にはぬるべし

53、む士ハ女にそ満ぬ心もて
      是そ本まれの教へ奈り介類
 もののふは女にそまぬ心もて
      是ぞ誉の教えなりける

54、武士能帯ハせまきを好へし
      広きは刀怒所奈利
 もののふの帯は狭きを好むべし
      広きは刀抜けぬ所

55、む士能寒きを儘耳足袋者きて
      不覚を加ゝ怒事ハあらしな
 もののふの寒きを儘に足袋はきて
      不覚を欠かぬ事はあらじな

56、む士の不む楚徒多なき皮草履
      児や女のか左里成邊し
 もののふの踏むぞ拙き皮草履
      児(ちご)や女の飾なるべし

57、武士能刀乃徒免越志ら天こ楚
      常尓不覚のえ天しあるらめ
 もののふの刀のつめを知らでこそ
      常に不覚の得てしあるらめ 
 
58、武士能味好春るなたゝ
      常尓湯漬を食春流そよき
 もののふの味好みするなただ
      常に湯漬けを食するぞよき

59、む士能坂と馬上耳指刀
      そり(鎬)をう天怒ハ不可くなる邊し
 もののふの坂と馬上に指す刀
      反りをうたぬは不覚なるべし

60、む士能軍の場尓持物盤
      梅干に満須ものハ阿らじな
 もののふの軍の場(にわ)に持つものは
      梅干しにます物はあらじな

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2020年7月28日 (火)

道歌6塚原卜伝百首6の21から40首

道歌
6、塚原卜伝百首
6の21から40首

21、打籠を打て響能あしき太刀
      佩奴ハ武士の習奈里介利
 打籠(うちこみ)を打ちて響の悪しき太刀
      佩かぬは武士の習いなりけり

22、今能世は太刀ハ廃といひな可ら
      刀も於奈し心なるへし
 今の世は太刀は廃ると云いながら
      刀も同じ心なるべし

23、鍔はたゝふときに志くハ奈幾物を        
      細きを好む人そ徒多なき
 鍔はただ太きに若くは無きものを
      細きを好む人ぞ拙き
別伝

 太刀ハ只ふと幾尓志くハ奈幾物を
      細幾をこのむ人そ徒多那幾
 太刀は只太きに若くは無きものを
      細きを好む人ぞ拙き 

24、皆人の志らてやをかきぬらん
      鍔の徒め阿る習ひありと盤
 皆人の知らでや恥をかきぬらん 
      鍔の詰めある習いありとは

25、鍔ハ多ゝ切ぬきあるを好べし
      厚く無紋を深く嫌へ里
 鍔はただ切り抜きあるを好むべし
      厚く無紋を深く嫌へり

26、あら鍔ハ以可尓厚くと切ぬへし
      たとひ薄きも古き好免里
  新鍔は如何に厚くと切れぬべし
      譬え薄きも古き好めり

27、(鞆)柄ハたゝ細く長きを好とも
      さのミ長きはま多嫌ふ成
 柄はただ細く長きと好むとも
      さのみ長きはまた嫌う也

28、鞆(柄)鞘のふときを好む人ハたゝ
      ま多もの奈れぬ故と知邊し
 柄鞘の太きを好む人はただ
      まだもの慣れぬ故と知るべし

29、よき鮫能裏をは左のみ志とら須して
      巻たる鞆(柄)を強くこ多由る 
 よき鮫の裏をばさのみとらずして
      巻たる柄に強くこたゆる

30、鞆(柄)ハたゝ革にまされる物ハ奈し
      糸に天巻ハぬれ天乾可怒
 柄はただ革にまされる物は無し
      糸にて巻くは濡れて乾かぬ

31、菱巻に巻たる鞆(柄)ハ手能内の
      悪きものそ堂兼天知るへし
 菱巻に巻たる柄は手の内の
      悪しきものぞと兼て知るべし

32、目貫をハ長きを好む方ハよし
      短く高支目貫嫌邊利
 目貫をば長きを好む方はよし
      短く高き目貫嫌えり

33、目貫尓はたゝ生物を好へし
      二足四足の習阿里介利
 目貫にはただ生き物を好べし
      二足四足の習い有けり

34、目貫尓ハゆゝしき習阿る物を
      志ら天打こ楚拙な可りケ里
 目貫にはゆゝしき習いあるものを
      知らで打つこそ拙かりけり
別伝
 目釘にはゆゝしき習いあるものを
      知らで打つこそ拙かりけり

35、長刀ハ弐尺尓多ら怒細身をば
      持ハ不覚能阿類と志類邊し
 長刀は弐尺に足らぬ細身をば
      持つは不覚のあると知るべし

36、手足四川持た累敵尓小長刀
      持天懸るとよもや切ら連し
 手足四つ持ちたる敵に小長刀
      持ちて懸るとよもや切られじ

37、太刀か多な持多累敵尓小長刀
      志春満須時耳相うちと志連
 太刀刀持たる敵に小長刀
      しずます時に相打ちと知れ
     
38、鑓の穂能長き尓志具ハ奈幾と天も
      さのミ重ハ不覚成るへし
 鑓の穂の長きにしくはなきとても
      さのみ重くは不覚なるべし 
別伝
 鑓ハ多ゝ刀尓合せ持ぬへし
      尺尓余連る穂者な好ミそ
 鑓はただ刀に合わせ持ちぬべし
      尺に余れる穂はな好みぞ
        
39、羽なくて空尓は志り登る共
      手三へぬ鑓耳勝ハ阿らしな
 羽無くて空に走り登るとも
      手さへぬ鑓に勝はあらじな 
別伝
 羽なくて空には得てし登るとも
      手さへぬ鑓に勝はあらじな 

40、鑓能柄盤長きに志くハなきとても
      所志ら須ハ不覚奈る邊し
 鑓の柄は長きにしくはなきとても
      所知らずば不覚なるべし 

      -以下次号ー    

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2020年7月27日 (月)

道歌6塚原卜伝百首6の1から20首

道歌
6、塚原卜伝百首
6の1から20首
卜伝百首の原本の写しでもあれば良いのですが、適当なものが手に入らないので慶応2年8月に藤原祐持が写したものを元にしてそこにある全歌95首をまず読み上げてみます。
 文字の読み取れない歌も其の儘記載しておきます。

1、武士の名耳あふものハ弓なれや
      婦可くも阿ふけ高砂の松
 もののうの名に合う物は弓なれや
      深くも仰げ高砂の松

2、む士能魂那れやあ川さ弓
      者る日の影や長閑可らまし
 もののふの魂なれや梓弓
      春日の影や長閑からまし

3、武士の射や弓矢の名尓立て
       国をおさむるためし成介里
 もののうの射るや弓矢の名に立てて
      国を治るためしなりけり

4、弓はたゞ己の力にまか須へし
      手尓餘里堂る弓なこ能み楚
 弓はたゞ己の力に任すべし
      手に余りたる弓な好みぞ

5、兼天志れ軍の場尓持弓ハ
      少し力能まさる好免里
 予(兼)ねて知れ軍(いくさ)の場(にわ)に持つ弓は
      少し力の勝る好めり

、矢能根をハ細く穂長尓好多里
       當る矢先の抜よかる遍し
 矢の根をば細く穂長に好みたり
      当たる矢先の抜けよかるべし

7、近き敵遠き敵をはゐる時は
      矢能根の習いあると知へし
 近き敵遠き敵をば射る時は
      矢の根の習いあると知るべし

8、夏冬耳好む矢能根の有物を
      志ら怒盤射手能不覚成へし
 夏冬に好む矢の根の有るものを
      知らぬは射手の不覚なるべし

、弦ハ只婦とき耳志くハな可り希里
      細きハ根矢をさゝぬ者可ハ
 弦は只太きにしくはなかりけり
      細きは根矢をさゝぬものかわ

10、む士能実知へきハ馬那連や
      心可け奴ハ愚なる遍し
 もののふの実(げ)に知るべきは馬なれや
      心懸けぬは愚かなるべし

11、む士乃其誉を挙る例尓は
      昔も今も馬を古そ以え
 もののふの其の名を挙げる例(ため)しには
      昔も今も馬をこそ云え

12、武士の鎧乃下耳乗馬ハ
      くせあ里と天も強き好免り
 もののふの鎧の下に乗る馬は
      癖ありとても強き好めり

13、馬は堂ゝ普通につよき肝そよき
      勝るゝ肝と無肝嫌へ里
 馬はただ普通に強き肝(きも)ぞよき
     勝るゝ肝と無肝
嫌へり

14、具せ阿れと強き馬こ楚よ介礼とて
     進ま怒癖の馬を乗ぞよ
 癖有れと強き馬こそよけれとて
     進まぬ癖の馬を乗るぞよ

15、乗下堂ま多扱の安きとて
     小馬を好む人ハ徒多なし
 乗り下りとまた扱いの安きとて
     小馬を好む人は拙なし

16、三寸に堂らぬ馬をハ昔よ里
     軍の場尓は嫌不成介里
 三寸に足らぬ馬をば昔より
     軍(いくさ)の場(にわ)には嫌うなりけり 

17、太刀能寸臍尓くらへ天指ぬへし
     我身の丈け尓阿王怒嫌へ里
 太刀の寸臍(ほぞ)に比べて指しぬべし
     我が身の丈に合わぬ嫌へり 

18、反のな紀太刀をハ嫌ふべし
     切類手能内の満王る故成
 反の無き太刀をば嫌うべし
     切る手の内の廻る故也

19、切れ累と天新身の太刀を帯人ハ
     必不覚有ると知へし
 切れるとて新身の太刀を帯人は
     必ず不覚有ると知るべし  

20、勝負ハ長支短支可ハら祢堂
     さのミ短支太刀奈このミ楚
 勝ち負けは長き短きかわらねど
     さのみ短き太刀な好みぞ 

         ー以下次号ー

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2020年7月26日 (日)

道歌5柳生石舟斎兵法百首参考資料

道歌
5、柳生石舟斎兵法百首参考資料(順不動)

1、柳生石舟斎兵法百首 竹田七郎殿 慶長6年2月吉日
  奈良女子大学術情報センター
2、宗厳(石舟斎)兵法百首 竹田七郎殿 
  慶長6年2月吉日 宝山寺蔵 今村嘉雄著史料柳生新陰流下巻
3、史料柳生新陰流 今村嘉雄著
  心陰流兵法目録事 石舟斎
  心陰流截相口伝書亊 石舟斎
  兵法截相心持の事 柳生宗矩
  玉成集 柳生宗矩
  月之抄 柳生十兵衛
  朏聞集 柳生十兵衛
  武蔵野 柳生十兵衛
  当流の兵法 柳生十兵衛
  柳生新秘抄 
  他
4、正傳新陰流 柳生厳長著
5、剣道八講  柳生厳長著
6、上州剣客列伝 長岡慶之助著
7、肥前武道物語 黒木俊弘著
8、柳生論語(兵法家伝書・不動智神妙録) 岡山研堂著
9、兵法家伝書 柳生宗矩著 渡辺一郎校注
10、不動智神妙録 沢庵著(池田愉訳)
11、柳生新陰流道眼 柳生延春
12、負けない奥義 柳生耕一平厳信著
13、生命知としての場の論理 清水博著
14、一刀流極意 笹森順造著
15、日本剣道史 山田次郎吉著
16、心身修養剣道集義正続 山田次郎吉著
17、剣道の発達 下川潮著
18、日本武芸小伝 綿谷雪著
19、武術叢書 早川順三郎編
20、剣と禅 大森曹玄著
21、柳生新陰流を学ぶ 赤羽根龍夫著
22、柳生の芸能(神戸金七編)赤羽根龍夫・大介校訂
23、柳生の芸能(外伝勢法) 赤羽根龍夫・大介校訂
24、新陰流(疋田伝) 赤羽根龍夫・大介校訂
25、徳川将軍と柳生新陰流 赤羽根龍夫
26、剣の法 前田英樹著
27、一発逆転の武術に学ぶ会話術 多田容子著
28、禅と合気道 鎌田茂雄・清水健一著
29、柳生新陰流極意無刀の伝 村山知義著
30、柳生兵庫助 津本陽著
31、念流の伝統と兵法 樋口一著
32、五輪書 宮本武蔵著 渡辺一郎校注
33、論語 金谷治注
34、論語 吉川幸次郎著
35、品川東海寺所蔵 柳生新陰流兵法覚書
        新陰流兵法心持
        玉成集五ヶの身位の事
36、柳生石舟斎 吉川英治著
37、雑兵物語 金田弘編
38、図巻雑兵物語 監修浅野長武・校注樋口英雄
39、日本武道全集第一巻 編者代表今村嘉雄
40、etc 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の奥書

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の奥書

兵法百首 奥書
奥書は今村嘉雄著史料柳生新陰流の原本の写真は途中が抜けていますので、奈良女子大学学術情報センターによる兵法百首を原本として、今村嘉雄著史料柳生新陰流「宗厳(石舟斎)兵法百首(慶長六年二月吉日 宝山寺蔵9)」の読み下しを参考に締めさせていただきます。

「ある夕暮のつれづれに、大和国躰其歴々たづぬるに、年寄死去し或はいづくとも行かたしらずなり、其内の者どもさすが手柄よう人とある者どもも、かひなく成はて、まことにうへにのぞみ、乞食などの風情になるまま、宗厳も入道して法名をそうごん斎名をば石舟斎と云、六十余、いくほどなき露命とありながら、浮世をわたりかね、年にも似合ざる兵法をつかひ、朝夕を且々つづけ侍る事もほいならず。しかはあれど、道をたて兵法の師と号し修行する輩、其流稽古をもきはめず、手柄だての口上にほこり、仕合をし、うたれ、一流の師に科をきず、宗厳年月笑止に存ずるのみ、詞もつづかざるかたはらいたき兵法百首、狂歌をつらね侍る也。第一、石舟斎子供幷極意をお目に懸け弟子衆は此の狂歌を相忘れてならず、御分別御工夫尤候たるべく候也。 
 言のはの 露も続かぬ 口すさび 残らん跡の 名のはぢぞうき

 竹田七郎殿 参       
 柳生宗厳(花押・印)
 慶長六年二月吉日  」

*
 ある日の夕暮れの徒然に、大和の国体に昔からの名家の方々を訪ねたが、年寄りは死去し、或いは何処ともなく行方が分からなくなり、その家の者達は、甲斐性もなく成り果てて、まことに飢えに苦しみ、乞食などの様になりはてている。
 宗厳も入道となって法名を重々しく斎名を石舟斎と云う。六十歳余り幾ほども無い露ほどの儚い命でありながら浮世を渡りかねて、歳にも似合わないのに兵法を使い、朝夕を唯々続けている事も本意ではない。
 然しながら、道を立て兵法の師と呼ばれ修行する輩、其の流の稽古も極めず。誉められた事に誇り、試合をし、打たれ、其の流の師に過ちをとがめられることも無く、宗厳はいつも困った事だと思っている。
 いうべき言葉も続かない片腹痛き兵法百首の狂歌を連ねるものである。第一に石舟斎の子供や極意をお目に懸けた弟子衆は、此の狂歌を忘れてはならず、歌の心を分別し工夫することが大切である。
 言葉の露ほども続かずに口ずさんだ兵法百首、心に残る事も無いのでは、我が名の恥であると憂えるものである。

 竹田七郎殿 参る
 柳生宗厳(花押 印)
 慶長六年1601年二月吉日

 石舟斎直々の手解きを受けた当時の弟子は兎も角、400年以上前の言葉で歌われた歌も、新陰流の勢法も朧に棒振りばかりを稽古してあるべき姿も知らないミツヒラには、口ずさんだ歌と云われても読み解くのは一苦労です。
 手元に多くの新陰流の資料は揃っていても、総て読んでいたわけでも、まして理解していたとも言えません。
 今村嘉雄先生の読み下しと我が読みを並べ、時には歌の文字だけ五七五七七と三十一文字を打ち込んだまま頭を抱えているばかりでした。木刀を持ち出し勢法の一人稽古をしてふと気づく事もあり、何か昔読んだ本にあった事など思い出して見たりもしました。
 しかし、読み終えて見れば棒振り稽古に明け暮れていた日々から、コロナウイルス騒ぎでステイホームを求められ、稽古にも通えず却って新陰流の伝書をまともに読む機会に恵まれ少しは前に進めたかもしれません。
 無双直伝英信流居合兵法の古伝無雙神傳英信流居合兵法の神傳流秘書を読み解く際、最も思想的にも術理にも当時のままの古流剣術を求めて柳生新陰流春風館関東支部に入門し、この兵法百首を読み終えて、新陰流の影が色濃く残る古伝の居合をより理解し得た気がしています。

 2019年11月から道歌として兵法歌を続け読みして来ました。次回から卜伝百首に取り組んでみます。2020年11月まで懸りますので、この一年は歌ばかりです。
 
 

 

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2020年7月25日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の102浮かまざる兵法故に石の舟

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の102浮かまざる兵法故に石の舟

兵法百首
う可満佐留兵法ゆへ尓石乃舟
      くちぬうき名也春衛尓のこさん

浮かまざる兵法ゆへに石の舟
      くちぬうき名やすえにのこさん

浮かまざる兵法故に石の舟
      朽ちぬ浮名や末に残さん

 浮かぶ事のない兵法だけれど、石の舟は朽ちる事の無い浮名を将来に遺して置こう。

 石舟斎の兵法百首の最後の歌です。百首と云いながら102首数えられました。四十首から四十九首までが「是より卜清十首」という事で他人の歌が入ったのか百首を越えました。

 この句は、石舟斎だから石の舟なので、兵法によってだけでは世に出て浮かぶ事はないだろう、しかし石の舟だから朽ちる事はない、浮名を将来に残して置くぞ。
 相変わらず「世を渡る業の無き故兵法を隠れ家とのみ頼む身ぞ憂き」と憂いた状況を笑い飛ばしているのか居ないのか。新陰流兵法で徳川政権の思想を支えて来た自負は有っても、縁の下である事は変わらない。
 柳生家は、戦国時代末期に徳川家康に仕えて家康が天下を取ることによって一万石を越える大名になったわけです。この時代は秀吉を筆頭に天下を取る事は誰でもチャンスと才能を得られれば可能であったかもしれない、そんな噂は京に近ければ近い程聞えて来たのでしょう。
 石舟斎の環境からは、武将として世に出る事はかなわず、秀吉の検地によって領地を取り上げられ貧困にさいなまれるほどの苦渋を味わってもいます。
 上泉伊勢守との出会いによって、上泉伊勢守の悲惨な半生と武田信玄の誘いを断った心情も理解していたとしても、捨て去れなかった夢の人生だったのかも知れません。
 その上、織田信長の足軽などによる集団戦術戦法の変革、鉄砲導入によって刀による戦いは功を得られない時代になって行った、戦国時代末期の状況が重なります。
 
 石舟斎の兵法百首は2020年3月21日に読み解き終わっています。
 多少なりとも柳生新陰流を学んだお陰で全くの白紙では無かった為に、石舟斎の歌心を読み取れたかはどうでも、ミツヒラの「思いつくままに」誰のアドバイスも頂かないままに読み終えてしまいました。
 歌は、読んで自分の思った様に理解すればよいので、誰かの教えを習い覚えて「読めた」を繰返したのでは「読めた」になりそうも有りません。
 石舟斎の兵法百首について「無刀の伝」の著者村山知義氏は、「宗厳も当時の兵法家の常として、文字のたしなみなく、この「兵法百首」は歌になっていないものが大半だが、いま私が首をひねって見ても、意味のつかめぬものがたくさんあるのには困ってしまう・・」と愚痴っています。その反面塚原卜伝の「卜伝百首」は「少なくとも卜伝のは意味のつかめないものはない」としています。私は卜伝百首にはホトホト困惑させられていました。石舟斎兵法百首の次はこの「卜伝百首」に取りくみます。そして再び「柳生新陰流」に戻ってきます。
 しばらくは「無双直伝英信流」の古伝「無雙神傳英信流居合兵法」から離れます。
 今後再び読み返す時に新たな思いがあって、今回の読み直しをしなければ我慢出来ない事がきっと来るはずです。その時前の解釈を覆せればそれだけ石舟斎の心に近づくことが出来たと思えればうれしいものです。

 

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2020年7月24日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の101兵法の上手は道理正しくて

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の101兵法の上手は道理正しくて

兵法百首
兵法の上手ハ多う里たゝしくて
     目徒希さぞ〵奈り也春紀也う

兵法の上手はたうりただしくて
     目つけさぞさぞなりやすきやう

兵法の上手は道理正しくて
     目付さぞさぞなりやすきよう

 兵法の上手な人は、物事のそうあるべき事を正しく見極めるので、目付はさぞや容易く出来るであろう。

「道理」とは、物事のそうであるべき理義・すじみち・ことわり。人の行うべき正しい道・道義。 

 石舟斎の目付については新陰流截相口伝書亊では、いくつか示されています。
 三見大事で「太刀さきの事・敵之拳の事・敵之顔之事」。
 目付二星之事で「敵の目」。
 嶺谷之事、付三寸二つ之事、十文字「腕のかがみ嶺は右、谷は左」・「味方の拳」・「十文字勝」。
 遠山之事で「敵の肩を見る事」。
 太刀間三尺之事で「無刀の時の間合い」。
 二目遣之事で「盗み目」。
 目付けが正しくできる事によって敵の働きをを知ることが出来る、「色に付け色に随う事」も可能になるわけでしょう。

 これらの歌を読んでいますと、普段の稽古のありようを見直してみるべきだろうと思います。大抵は今日は燕飛を稽古しよう、三学円太刀だと、木刀を持ってただ決められた形をなぞって何度も練習を繰り返す、袋竹刀を持ち小手を着けて打ち合う。
 確かに順番通りの形は出来ている様ですが、目付もいい加減、間合いもいい加減、何も出来ていないのです。新陰流の数ある勢法の棒振り体操を繰返して居ても健康には良いのでしょうが、疑問です。
 今日は目付、次回はこれこれと目的を以て稽古すべきなのでしょう。そしてその事の道理を味わいつつ稽古すべきなのでしょう。
 面白い人が居ます、自分の打ち間の感覚と仕太刀が外れていると、「間が近すぎる」「間が遠い」と打太刀が仕太刀の立ち位置をとやかく言って居ます。
 仕太刀が何処に立って居ようとも自分で自分の打ち間に近寄るか、離れるかは足踏み一つで決まってしまうのに、相手は斬られる位置にいつもいる訳は無いのです。
 そうかと思うと、三学円太刀で仕太刀で左肩を相手に差し出し、打って来ればと待つのですが、打ち込んできた袋竹刀の切先は我が左肩にどう見ても届かない、右足を踏み込んで小手を打ったら「形が違う」だそうです。左肩に当たらないのですから知らん顔して置けばよかったのでしょう。
 
 

 

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2020年7月23日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の100常々に五常の心無き人に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の100常々に五常の心無き人に

兵法百首
徒年〵尓五常能心奈紀人尓
     家法の兵法允可ゆる寸奈

つねづねに五常の心なき人に
     家法の兵法允可ゆるすな

常々に五常の心無き人に
     家法の兵法允可許すな

 常日頃五常の心を持たない人に、家法である兵法の允可を許すな

 原本では允可の文字の草書体を使用しています。今村嘉雄著史料柳生新陰流では印可と読まれていますが印のくずし字とは思えません。但し新陰流の相伝には印可の文字を主に使用していますので意味は同じとしていいでしょう。

 允可とは、聞きとどけること、許可。
 印可とは、印信許可の略〔仏〕師僧が弟子に悟道の熟達を証明すること・允許。芸道の許し・允許。

 「五常」とは、儒教で、人の常に守るべき五つの道徳。
 白虎通では、仁義礼智信。
 孟子では、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。
 書経瞬典では、父は義、母は親、弟は恭、子は孝

 前回月22日99回では「五常」は仁義礼智信を歌に詠み込み「兵法の極意に仁義礼智信たへず嗜み気遣いをせよ」と歌っています。従って此処での五常は仁義礼智信を、常々心がける人に家法の兵法の允可を与えると読み解きます。

 五常の仁義礼智信の意味
 仁:人を思いやること。
 義:利欲にとらわれず、なすべき事をすること、正義。
 礼:仁を具体的に行動として表したもの。
 智:道理を能く知り得ている人。知識豊富な人。
 信:友情に厚く言明をたがえないこと。真実を告げること。約束を守ること。誠実であること。

 戦後の教育では五常については勉強する事も無かったと思います。仁義礼智信の意味を知れば、素晴らしい教えですが孟子や書経ではこれでいいのかと考えさせられる筈です。為政者によって人を思い通りに動かす思想とも思われ、本当に人が望む事であるかどうか、言いなりに生きるのは楽かもしれませんが本来の人の心とは言えないでしょう。
 石舟斎の時代に仁義礼智信をどの様に考えられていたか、石舟斎はどう思って行動していたか定かではありませんが、柳生宗矩の兵法家伝書や柳生兵庫助の始終不捨書、柳生十兵衛の月之抄などから家族の一端や思想は見えてはいるのでしょうが、名を成して生き残る厳しさの方が目に付いてしまいます。
 

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2020年7月22日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の99兵法の極意に仁義礼知信

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の99兵法の極意に仁義礼知信

兵法百首
兵法乃極意尓仁義礼知信
      多え須多し奈ミ機遣をせ与

兵法の極意に仁義礼知信
      たえずたしなみきつかいをせよ

兵法の極意に仁義礼智信
      絶えず嗜み気遣いをせよ

 兵法の極意には儒教の云う仁義礼智信(人を思いやり、私欲に捉われず成すべき事を為し、礼を重んじ、ものの道理をも弁え、友情に厚く誠実である事)を絶えず心がけ心遣いする事である。
 兵法百首の原本写真では仁義礼知信ですが多くは信義礼智信で知は智を用いています。
   知は、知ること。さとること。しりあい。つかさどること。ちえ。智。
 智は、ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。ちえ。知能。賢いこと。はかりごと。是非正邪を弁別断定し煩悩を絶滅する精神作用。(広辞苑より)

 すでに兵法百首には孔子の学而編から「温良恭儉譲(おんりょうきょうけんじょう)は新陰の兵法の法度極意なりけり」と極意を歌い上げています。此処では兵法の極意として儒教の五常「仁義礼智信」を上げているわけです。新陰流としては兵法の極意で常に嗜むものは仁義礼智信と新陰流の侵してはならない法度に温良恭儉譲が示されています。
 何れも現代にも当たり前として持つべきもの、守るべきもの、と云えるでしょう。然し封建時代の考え方として下位の者に、我慢を強いる様に押付て来るような事も見られ、それは現代にも引き継がれている感もあって、人類あまねく分け隔てなく、仁義礼智信であり温良恭儉譲でありたいものです。

 「仁義礼知信」とは儒教の五常又は五徳
 「仁」:人を思いやる事
 「義」:利欲にとらわれず、なすべき事をする事。正義。
 「礼」:仁を具体的に行動して表したもの。
 「智」:道理を能く知り得ている人。知識豊富な人。
 「信」:友情に厚く言明をたがえないこと。真実を告げる事、約束を守る事。誠実である事。
 
 「嗜」とは、好んである事に心をうちこむ・精出しておこなう。常に心がける・常に用意する。心をつけて見苦しくないようにする・取り乱さない。つつしむ・遠慮する・がまんする。
 「気遣い」とは、あれこれと心をつかうこと・心づかい・気がかり・心配。

 温良恭儉譲とは、温(おだやか)で良(すなお)で恭(うやうやしく)して儉(つつましく)して譲(へりくだり)であること。
 7月14日No91「温良恭儉譲は新陰の兵法の法度極意なりけり」と歌っています。

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2020年7月21日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の98兵法師仁に心のなかりせば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の98兵法師仁に

兵法百首
兵法師仁尓心の奈可り世は
     くらゐ上手能可ひハあらし奈

兵法師仁に心のなかりせは
     くらい上手のかひはあらしな

兵法師仁に心の無かりせば
     位上手の甲斐は有らじな

 兵法師に慈愛の心が無いのならば、上手の地位にあってもその甲斐は無いものだ。

 「師」とは、学問・技芸を教授する人・師匠・先生。僧侶、伝道者など宗教上の指導者。専門の技術を職業とする者。軍隊・いくさ。僧侶や講談師などの名に添えて敬意を表す。
 「仁」とは、孔子の教えを一貫している政治上・倫理上の理想。博愛をその内容とし、一切の諸徳を統べる主徳。天道が発現して仁となり、これを実戦すると人事・万物すべて調和・発展すると説く。愛情を他に及ぼすこと・いつくしみ・おもいやり・博愛・慈愛。ひと・人物。(広辞苑より)

 兵法を指導する者に慈愛の心が無いのならば、業技法の上手であっても意味の無い事である。兵法を何の為に修行するのかが解っていないのに、技術が上手、試合はいつも勝ってばかりいる。
 そんな人はチョット見渡せばすぐ目に付くものです。それは強いという本人の認識や周囲の声が為せるもので、自己以外は見下しているものです。武術はコミュニケーションの最終手段に用いるものと極端な事を云った人が居ます。それはそれで正しいのですが、其の前に、どれだけ相手を理解し、互に和せるものを見出す心と行動は武術の修行から培えるものとも思えます。 兵法の行使で解決を図るのでは「仁」者とは言えないのです。
 石舟斎の兵法の思いは、「和」する心、人に対する思いやりの心を持った継承者を求めているのでしょう。 

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2020年7月20日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の97兵法の弟子を仕立てぬ師にあらば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の97兵法の弟子を仕立てぬ師にあらば

兵法百首
兵法の弟子を志多てぬ師尓あらハ
       花実を可祢ぬ上手成介り

兵法の弟子をしたてぬ師にあらは
       花実をかねぬ上手成けり

兵法の弟子を仕立てぬ師にあらば
      花実を兼ねぬ上手成けり

 兵法の弟子を育てる事をしない師であるならば、花ばなしい兵法と実のある兵法を兼ねる様な事の無い上手であろう。

 直訳すればこの様になります。
「花実を兼ねぬ」の解釈を、花とは、美しい・華々しい。上辺だけで真実味が乏しい。
 実とは、中身・内容のある事。まごころ。

 「弟子」とは、師に従って教えを受ける人・教え子・門人。
 「仕立てる」とは、「仕立つ」、こしらえる。布帛を縫って着物を縫う。教えこむ・しこむ・育てあげる。

 この歌の歌心は、石舟斎はどの様に解釈すれば「よし」とするのでしょう。
「弟子を人の師になれるように育てられない様な者は、上手であっても師とは言えない」とでも解釈すべきものなのでしょうか。やはりこの歌は「弟子を育てようとしない師であるならば、大勢の弟子を持ち上辺の華やかさを良しとしない真実の上手であろう」と歌心を読んで見たいものです。その様な師に出合えた上弟子は、上辺の花実に捉われない自ら兵法の真髄に向かって修行する真実の人であってほしいものです。

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2020年7月19日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の96兵法の争い位は小太刀にて

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の96兵法の争い位は小太刀にて

兵法百首
兵法のあらそひ位ハ小太刀尓天
       多可ひの弟子をせひしくらへよ

兵法のあらそい位は小太刀にて
       たがいの弟子をぜひしくらべよ

兵法の争い位は小太刀にて
       互いの弟子を是非し比べよ

 兵法の優劣の位は、小太刀の勝負を互いの弟子に打たせてその是非を比べればわかる。

 「是非」とは、是と非と・道理のあると道理のないと・よいこととよくないこと・よしあし・正邪。よしあしの判断・品評。

 柳生宗冬の兵法物語に「長きに短きにて、短きは習いも多し。昔より一寸おとりて勝を上手と申しならわし候。長き物にて必ず勝つ習い知らざるもの也。長き物にてはそばへよせず。長き程ひかえて、あさく勝心持、これ長き物にてかならず勝習也」

 石舟斎の新陰流截相口伝書亊に「小太刀一尺五寸迦(はずし)の事」が記載され口伝となっています。柳生延春著柳生新陰流道眼には解りやすい解説がありますがここでは柳生十兵衛三厳の月之抄より引用します。資料は今村嘉雄著「史料柳生新陰流」より。
 「小太刀一尺五寸之はづしの事 老父云、当流の小太刀は、三尺の刀を半分にして一尺五寸の小太刀也。此の小太刀三尺の刀と同し様に成所を云。我身左右の肩先一尺五寸のはじと定る也。切るに随いて其身をはずせば小太刀敵の首へあたるものなり。三尺の太刀も同事なり。九尺柄の鑓も三尺の刀とひとしくなる心持なり。此心持を以て兵法遣い候へば、小太刀にても勝と云う心持を専とするなり。
 亡父の録に小太刀一尺五寸かくし事、付り替り身の事と書せる。又云、替り身とは、左を出して右を替り、右を出して左へ替る心持なり。太刀にてはづしと云は、其太刀ほどのはづしの心持なり、手にてはづすも其手ほどのはづしの心持なり。・・」

 この歌による小太刀の勝負は、太刀と小太刀の相互入れ替え、小太刀同志などを演じればその是非は読み取れそうです。石舟斎の新陰流截相口伝書事を充分理解し稽古した者がこれで演じるもので、小太刀同志で打ち合いのはずみで勝負あったなどと云う物とは程遠い、一瞬の勝負と成るでしょう。

 

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2020年7月18日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の95世を保ち国の護りと成る人の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の95世を保ち国の護りと成るひとの

兵法百首
世を多もち國乃未も里と成人の
       こゝろ尓兵法徒可ハぬハ奈し

世をたもち国のまもりと成る人の
       こころ尓兵法つかはぬはなし

世を保ち国の護りと成る人の
       心に兵法使わぬは無し

 世の中の平和を保ち、国を護る人は、心に兵法の極意を以て政治を執り行うのである。

 この、世を保ち国を護る人を、石舟斎は徳川家康を指して歌っているのでしょう。「鳴かざれば鳴くまで待とうホトトギス」と歌われ、石田三成を大阪城から関ケ原におびき出した家康の戦法は、上杉征伐とばかりに会津を目指し、江戸を留守にして居ます。取って返す素早さはまさに、新陰流の極意です。
 石舟斎は宗矩を伴い文禄3年1594年に家康に京都で謁見しています。その際新陰流の兵法の思想を示したのでしょう。
 家康に仕官を求められて宗矩を託して柳生の庄へ戻っています。石舟斎68歳、宗矩24歳、家康51歳のころであったでしょう。其の6年後慶長5年1600年に関ケ原の戦い、其の出会いの後9年後慶長8年1603年に家康は征夷大将軍となっています。武術哲学にはその人の生い立ちや、人生経験からくる学びが根底にある筈です。家康の戦法には嵩に懸かる殺人剣ではなく活人剣に依る新陰流の懸待表裏の思想が脈打っていたのかも知れません。 

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2020年7月17日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の94兵法の利方それぞれ数ふれば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の94兵法の利方それぞれ数ふれば

兵法百首
兵法乃利可多それ〵かそ不礼ハ
       お本ひ奈留可奈希んこんの徳

兵法のりかたそれぞれ数ふれば
       おほひなるかなけんこんの徳

兵法の利方それぞれ数ふれば
       大いなるかな乾坤の徳

 兵法の利する事を夫々数えてみれば大変なものだなあ、乾坤(天地)いっぱいの徳がある。

 「利方」とは、利益のある方法・便利な考え方。
    同じ音読みで「理方」があります、この意味は、理窟・原理。此処では「利」の文字が原文では使用されています。
 「お本ひ奈留可奈」は「おほいなるかな」よみは「おおいなるかな」は「大いなるかな」意味は、大きいものだなあ・大変なものだなあ。
 「乾坤」とは、易の卦の乾と坤と。天地。陽陰。いぬい(北西)とひつじさる(南西)。

    武術の教本は一般的には、其の流の発生の由来と目録による業技法の手附が主なものですが柳生新陰流の場合は江戸中期以降には業手附が整備されている様で、それ以前の石舟斎の伝書である新陰流截相口伝書亊や没茲味口伝書からは業技法についての手附は見られません。新陰流の兵法修行するに当たっての心構えが主となっています。

 柳生宗矩の兵法家伝書などでも、解りやすい兵法書と云っても、どんな勢法があるのか、何を読めばいいのか解らない、前に紹介しておいた三学円太刀一刀両段などでも勢法の流れは解っても細部は「口伝」とされてしまいます。
 どんなに細かい手附が合ったとしても、時代とともに変化し、指導者によっては自分の癖に合う様に形を変えてしまう事も有るでしょう。然し石舟斎の新陰流截相口伝書亊・没茲味口伝書、柳生兵庫助の始終不捨書は現在でも新陰流を学ぶ根本の考え方として生きています。
 それは「目付」であったり「色に付き色に随う」や「風水の音を知る」、「まろばし」や「懸待表裏」、「無刀」などの考え方は新陰流の兵法の思想であり根本原則であるからでしょう。
 柳生宗矩による兵法家伝書の殺人刀、活人刀がその根本思想を体系ずけて解説されています、活人剣が「相手の働きに随って勝つ」根本思想であれば、「相手を威圧して勝つ」事とは全く異なるもので、この思想は、磨き上げればまさに「乾坤の徳』とも云える思想でしょう。
 清水博著「生命知としての場の理論柳生新影流に見る共創の理」でうたう「リアルタイムの創作知」で、これからの時代益々人としても国としても磨き上げなければならないものなのでしょう。
 
 
 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の93慎まず兵法面に出しなば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の93慎まず兵法面に出しなば

兵法百首
徒ゝし満追兵法面尓出し奈は
      人尓尓く満れ者ちや可くらん

つつしまず兵法面に出しなば
      人ににくまれはぢやかくらん

慎まず兵法面に出しなば
      人に憎まれ恥やかくらん

 謙虚な気持も無く兵法が出来るとばかりの態度を見せていれば、人に疎まれ恥をかくであろう。

 「憎まれ」とは、にくい、にくし。うとましい・かわいげがない・気にいらない。腹だたしい・けしからぬ。みにくい。不愛想である・無骨である。風変りである。感心だ・あっぱれだ。(広辞苑より)

 石舟斎の時代は戦国時代末期で、刀での一対一の戦いから、足軽や雑兵による集団戦に変わり、鉄砲伝来を受けて其の戦いに大きく変化した時代です。
 家康による天下統一が為され「元和偃武」による戦の無い世の中へ入り始めの時期だったと思われます。
 石舟斎は兵法百首の歌で、兵法者としての極意の心得を伝えていますが、もう一面では兵法が出来てもその役割はさしてなく、悶々とした思いに明け暮れた事がうかがえます。
 兵法者として名が出れば、たちどころに勝負を挑まれ木刀や袋竹刀での形稽古の名人ぐらいでは、戦場往来して来た雑兵にさえ勝負にならない人も多かったかもしれません。
 この歌の「憎まれ」は、人を斬った事も無ければ戦場を駆け巡った事も無い兵法者を「気に入らん」として、相手にもされず、「恥をかく」面目を失うことも意味するとも思えます。

 この事は現代では、竹刀剣道で多くの試合で勝負して来た者が本物の武術を修業していると思い、古流剣術ばかりの者は形だけの演舞者と捉える事との関係などとも似通った感情になるものかもしれません。
 双方の言い分はどうであっても、武術は武術の積りで学ぶものでしょう。
 武術を口にする勝ち負けにより評価するスポーツと武術と云う名の武的演舞を完成させるために精神論を前面に押し出すものと、共に修行と云う名で武術と云うのも何か勘違いしている様に思えてしまいます。互に分け隔てようとするおかしな風潮に上泉伊勢守も石舟斎も苦笑いでしょう。
 古流剣術の演武を演舞と書くのは誤字ではありません。形ばかりに捉われて良し悪しを評価する稽古を揶揄しています。場の状況に応じて習い覚えた形に変化させて演ずることが出来なければ唯の踊りです。
 

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2020年7月16日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の92兵法は隠し慎む心より

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の92兵法は隠し慎む心より

兵法百首
兵法盤可くし徒ゝ志む心与り
      まさる極意ハあらしとそ思ふ

兵法はかくしつつしむ心より
      まさる極意はあらじとぞ思ふ

兵法は隠し慎む心より
      勝る極意は有らじとぞ思ふ

 兵法は、逸る心を抑えて、控え目にする事より勝る極意は有るまいと思う。

 新陰流截相口伝書亊の「色に付き色に随う事」「打ちて打たれ打たれて勝事」「懸待有之事」などの教えを心に付ける事によって新陰流の極意ともいえるのでしょう。
 前回の孔子の学而編を引用した「温良恭倹譲(おだやかですなおでうやうやしくてつつましくてへりくだりである)は新陰の兵法の法度極意成りけり」に引き続く、棒心を前面に押し出さない心のあり様を最上の極意とすると歌っています。

 この歌を読みながら、兵法の極意として、「俺は兵法に通じているとばかり態度に示すこともなく、控え目にする心に勝る極意は無い。」と読み解くことの方が一段上の極意とも言えます。
 何事も控え目であるべきを、隠すことと思い込み「兵法などとんと心得は無い」と兵法修行は人間性形成が目的なんだから、人とは争わないと引っ込んでいたのではこれも場の状況に応じる「リアルタイムの創出知」の修行足らずとなってしまいます。人としてもこれでは役立たずのでしょう。武術を学ぶ事は何なのか改めて思い出させる歌です。・・程度問題かもしれません。

 
 

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2020年7月15日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の91温良恭倹譲は新陰の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の91温良恭倹譲は新陰の

兵法百首
おん里やう也希う介ん志やうハ新陰の
      兵法の者川と極意成介り

おんりょうやきょうけんじょうは新陰の
      兵法のはっとと極意成りけり

温良恭倹譲は新陰の
      兵法のはっとと極意なりけり(柳生厳長)

怨霊やきょうけんじょうは新陰の
      兵法の法度と極意成りけり(今村嘉雄)

 温良恭倹譲(おだやか・すなお・うやうやしく・つつましく・へりくだり)の心は新陰流の兵法に於いて侵してはならない法度であり、同時に極意である。

 この歌は、今村嘉雄著史料柳生近陰流では原本の写真にこの歌の部分が抜けています。今村嘉雄著史料柳生新陰流兵法百首の読み下しも参考にしましたが、原本の読みが違うようです。

 ここは柳生厳長著正傳新陰流から柳生石舟斎自筆の兵法百歌一巻を参考にさせていただきました。但し原本の読みは「温良や恭倹譲は・・」となるのですが「温良恭倹譲は・・」で「・・や・・」が抜けています。

 今村嘉雄氏の「怨霊や恭倹譲」では、怨霊の語句をこの歌にあてて「受けた仕打ちに恨みを抱いてたたる死霊・生霊になるのは法度で、恭倹譲(うやうやしく・つつましく・へりくだる)は新陰流兵法の極意である」では、勝負に負けても祟ってはいけない、恭倹譲(相手を尊び慎ましい気持ちでその栄誉を称える)のが極意である。・・でも歌にはなりますが、石舟斎の歌心であろうか疑問です。

 温良恭倹譲の語句は孔子の論語巻第一学而第一にある「子禽、子貢に問いて曰く、夫子の是の邦に至るや、必ずその政を聞く。求めたるや、そもそもこれを与えたるや、子貢曰く、夫子温良恭倹譲、以て是を得たり、夫子の之を求むるや、其れ諸れ(これ)人の求むるに異なるか」
 の一節から引用されている様です。
 意味は「・・・孔子は温(おだやか)・良(すなお)・恭(うやうやしく)・倹(つつましく)・譲(へりくだり)だから、どこの国でも政治の相談を受けることになる。それは他の人の様に自分から求めるのとは違う」。

 孔子論語の第一巻ですから学而編は論語の一番初めに出て来る処です。
 「子曰、学びて時に之を習う、亦説(よろこ)ばしからずや。朋あり遠方より来る、亦楽しからずや。人知らずして愠(うらみ)ず。亦君子ならずや」で始まります。
 
 石舟斎の兵法の極意はまず「温良恭倹譲」で人に接するもので、恐れられたり、威圧する様ではならないと云うのです。
 武術の指導者に往々にしてある、段位が上位の事で権威を嵩に権力を振りかざす様では、困ったものです。
 
 

 

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2020年7月14日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の90いのち身を素直と習う兵法は

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の90いのち身をすなおと習う兵法は

兵法百首
いのち身をす奈をと習兵法者
       志ら者能志あひさ多そこと奈る

いのち身をすなをと習ふ兵法は
       しらはのしあひさたぞことなる

命身を素直と習ふ兵法は
       白刃の試合沙汰ぞ異なる

 今村嘉雄著史料柳生新陰流の兵法百首ではこの歌は原文写真は抜けています。奈良女子大学学術情報センターの原文写真を原本とします。今村先生の読み下し文のみ参考にさせていただきます。
 
 命、身のやり取りを実戦其のまゝに習う兵法なのだが、白刃の試合における勝負を論じ究める事とは別物である。

 「すなを」とは、飾り気なくありのままなこと・質朴・純朴。心術の正しいこと・正直。おだやかで人にさからわぬこと・従順・柔和。
 「白刃」とは、さやから抜き放った刃・ぬきみ。
 「沙汰」とは、水でゆすって砂金や米などの砂をとり除くこと・物の清粗をえりわけること・淘汰。理非を論じきわめること・評定・裁断・訴訟。政務を裁断処理すること。定めること・処置・取り扱い。主君または官府の指令指図。たより・しらせ・報知・音信。評定・うわさ。行い・しわざ・事件。
 
 稽古では、「真剣ならば」とよくいう事で、そのつもりで心がけるのですが、やはり刃筋や物打での打込みは甘くなってしまうものです。木刀ではまだましでも袋竹刀ではさらに甘くなってしまいます。そんな稽古試合での勝負など、白刃であったら平打ちしたり、深々と打込んで始末におえないみじめなものです。

 稽古と真剣勝負とは、根本的に違うよ、と読み解いて見たのですが石舟斎の兵法百首の一つとしてこれでいいのでしょうか。兵法は命も身も傷つけることなく相手を倒すことを習うものと思っています。白刃の仕合とは違うと云われても、解らないではないが、そんな稽古などしたくないいものです。

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2020年7月13日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の89兵法を下手ぞとあらば争はで

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の89兵法を下手ぞとあらば争はで

兵法百首
兵法を遍多楚とあらハあらそハて
       よ尓志ん可う能人尓をしへ与

兵法を下手ぞとあらばあらそはで
       よにしんかうの人尓おしへよ

兵法を下手ぞと有らば争はで
       余に親交の人に教えよ

 兵法を下手だと云うのであれば口論などしていないで、私と深い交わりのある人に話して見れば。

 「争う」とは、互に張り合って勝とうとする・競争する・また喧嘩する・口論する。
 「争はで」とは、否定することをしないで・いかにも尤もと思われるならば。
 「しんこう」とは、「信仰」、信じたっとぶこと・宗教活動の意識的側面。「親交」、深く交わること・深い交際。(広辞苑より)

 この歌も、石舟斎の歌心が見えなくて悩まされます。読んで見たのですがこれで精一杯です。それでも良い解釈になったように思います。下手だ間違っているなど、稽古では同輩同士では間々あるものです。
 へぼ同士でとやかく言って居ても始まらないので、直に師の処へ、「こう打込んだらこんな風に返された、何か変なので、本当はどうするのですか」と解っていても、口論しても意味無いので聞きに行く私・・。
 三学円の太刀の一刀両段で相手の左肩に打込んだら、相手は見事に我が袋竹刀を叩いて来る。相手の切先は思いっきり叩いて来るので我が右肩の右に抜けてしまっています。我袋竹刀は右に外されているのですが・・意味ない動作です。其処から再び打ち合いが始まってしまいます。ここは、相手は我が袋竹刀を打つのではなく左肩を躱して同時に我左拳に打込む業なのです。新陰流は、外した時が切った時と云う基本的な事が解っていないために起こる事なのです。「新陰流に受け太刀は無い」常日頃から言われているのですが、形ばかりにこだわるへぼ先輩の教えによる誤った動作なのでしょう。
 

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2020年7月12日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の88人を斬らん心はしばし兵法に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の88人を斬らん心はしばし兵法に

兵法百首
人を幾らん心は志ハし兵法に
      王連可う多連ぬ奈らひして未天

人をきらん心はしばし兵法に
      われがうたれぬならいしてまで

人を斬らん心は暫し兵法に
       我が打たれぬ習いしてまで

 人を斬るのだという心持ちなのに、暫しの間兵法の稽古に我が打たれぬ習い迄している。

 これでは新陰流の兵法の根元にも程遠い様で、石舟斎も苦笑している様です。
 「われがうたれぬならいしてまで」の下の句の動作を思うと、相手の打込みを受太刀になって防護している姿を思い描きます。受太刀になったはいいのですが、しっかり受けてしまえば其処に居付いてしまいます。相手が更に打込んで来る又受太刀となる、下がり乍ら受けていたのでは其の内壁に追い込まれるか、拍子を外されて斬られてしまいます。
 刀の構造から受太刀は刃で受けるのが原則です。木刀や竹刀ならば気にもしないのですが、日本刀の刃はボロボロになってしまいます。受けるだけの余裕があるのならば、受太刀となる動作に随って往なして打込んでしまうなど課題はあるもので、剣道型や無双直伝英信流居合道形の演武で真剣で演じるならば其処まで見せてもらいたいものです。

 石舟斎が上泉伊勢守から伝授された三学円太刀の一刀両断を柳生流新秘抄から見てみます。
 「・・此構へ下段にして車の太刀なり。巡り打たん為に弓手の肩をさし向けて見せ、敵より肩を切るとき、車に打こめば、身の捻りにつれて肩はをのづからに外れ、二星を勝なり。二星と云ふは敵の両拳なり。・・」今村嘉雄著史料柳生新陰流より。

 我は左の肩を差し向け、此処を切れとばかりに誘い、敵が肩に斬り込んで来るのを、身の捻りで外して二星に打ち込んでいます。一般に手に入れられる柳生新陰流の教本は、岩浪文庫の柳生宗矩の兵法家伝書の付・三学円太刀の方が古い勢法ですから少し違いますが考え方は同じです。

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2020年7月11日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の87旅にして勝とばかりの兵法は

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の87旅にして勝とばかりの兵法は

兵法百首
多ひ尓して勝と計能兵法は
      い川連も地うちと多ん成介り

たびにして勝と計りの兵法は
      いづれも地うちとたん成けり

旅にして勝つとばかりの兵法は
      何れもちうちとたんなりけり

 旅に出て、何時でも何処でも勝てるとばかりに思う兵法は、その場では何れも間違った打込みで、その時の愚かなはずみに過ぎないよ。

 「ばかり」とは、「計る」数量を計る。物事を推し考える、考える・分別する・推しはかる・予測する。
 「ちうち」とは、「ち」は地の文字ですが「智・知」か「痴」でしょうが此処は「痴」として、おろかなこと・おろか・無知・正しい認識の欠如。
 「とたん」とは、ちょうどその時・はずみ・ひょうし。 

 この歌の歌心が何となくわかる様で、解らない。上の句は兎も角下の句の「何れもちうちとたん」をどの様に読むのか解りません。心の赴くままに石舟斎の思いはここかなと、精一杯読み解いてみました。旅に出なくとも、お前の腕ではそんな処か、と云われそうです。
 此処まで87首読んで来ているわけで、こんな事を云いたかったのだろうか、あんな事かも知れないと思う次第です。新陰流に少しは入りこめて来たような。突き放されそうな。

 あまり考えずに、これでもいい感じです。「旅に出て我が新陰流は何処でも勝てると思っていても、何れも地面を打ったり、覚束なくトタントタンと棒振りしているばかりだ。」
 是ではいくら「ミツヒラ 思いつくままに」でも酷いかな。
 作家の村山知義氏は「無刀の伝」の中で「宗厳も当時の兵法家の常として、文字のたしなみなく、この「兵法百首」は歌になっていないものが大半だが、いま私がいかに首をひねって考えて見ても、意味のつかめないものがたくさんあるのには困ってしまう。」と書かれています。ついでに「これを宗厳より35歳年長で、元亀2年1571年に死んだ塚原卜伝の「卜伝遺訓抄ー卜伝百首」とくらべて見ると、少なくとも卜伝のは意味のつかめないものはない。しかも卜伝のは遥かに実戦的、実用的であり・・」とされています。
 此処まで言われたら卜伝百首も読まないわけにいきません。この石舟斎兵法百首の後にこの7月27日から「卜伝百首」に取り組みます。

   

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2020年7月10日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の86兵法を習い其の身のふりかゝり

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の86兵法を習い其の身のふりかゝり

兵法百首
兵法を奈らひ其身の不りかゝ里
      こゝろ己と葉尓気遣をせよ

兵法をならひ其身のふりかゝり
     こころこと葉尓気遣をせよ

兵法を習い其身の振り懸り
     心言葉に気遣をせよ

 兵法を習い其の身に降りかかって来る人の気持ちや言葉に、あれこれと心を使いなさい。

 「こころ」とは、知識・感情・意志の総称。思慮・おもわく。気持・心持・思いやり・なさけ。情趣を解する感性。望み・こころざし。特別な考え・裏切り・あるいは晴れない心持ち・ふたごころ。おもむき。事情。趣向・くふう。意味。わけ・謎解きの根拠。
 「気遣」とは、あれこれと心をつかうこと・心づかい・気がかり・心配。(広辞苑より)

 兵法が出来るだけのことで、仕懸けられる事もある、其の際には相手の思いや、言葉のはしはしにも気を使って争いを起すな。当然自分の思いや言葉にも気を使えというのでしょう。
 相手の気持ちも考えないで一方的に決めつけるなど兵法の極意からも遠いことだと諭されている様です。なかなかそこまでになり切れなくて困ったものです。
 最高の極意は戦わないで和すことでしょう。

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2020年7月 9日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の85義理情深き弟子にと兵法の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の85義理情深き弟子にと兵法の

兵法百首
きり情不可き弟子尓と兵法の
      極意をおしミひしや者多さん


ぎり情ふかき弟子にと兵法の
      極意をおしみひじやはたさん

義理情け深き弟子にと兵法の
      極意をおしみ秘事や果たさん

 人の踏み行う正しい道を歩き思いやりの深い弟子には、兵法の極意を伝授しない事を惜しんで秘事を伝授しよう。

 「義理」とは、正しい道筋・ひとのふみ行うべき道。人が他に対して交際上のいろいろな関係から務めねばならぬ道・対面・面目・情宜。血族でないものが血族と同じ関係を結ぶこと。わけ・意味。
 「情け」とは、もののあわれを知る心。ものをあわれむ心・慈愛・人情・思いやり。みやびごころ・風流心。風情・興趣。男女の情愛・恋情・恋ごころ。情事・色情。義理。情にすがること・お慈悲・おなさけ。
 「おしみ」とは、「おしむ」愛しむ・惜しむ(手放さねばならぬものを)捨て難く思う・愛情を持つ・名残惜しく思う。いとしく思う・深くめでる・いつくしむ。物惜しみする・出し惜しむ。大事にする・尊重する。(広辞苑より)

 義理の意味の複雑な事から、金品授受や過度なへつらい、忖度、など極意の秘事を伝授すべきでない者への伝授は無いと思いたい処ですが、現実の世界では、それも世渡りの一つの如くあるとすれば、その様な事で得た極意を実戦で使えるのかどうか疑問です。
 極意の秘伝は、習い覚えた事を正しく伝える事の出来る人であり、其の為には正しい人の道を歩き、人への慈愛に満ちた人であるべきでしょう。
 師たるもの目録授与された程度のものをもって権威を得たとばかりに弟子を抱え、権力を振り回す様なニセモノを見抜く目も必要なのでしょう。
 石舟斎も柳生の庄の土地を秀吉の天正13年1585年の検地の頃、かつての剣友であり、弟子でもあり、敵味方で戦った松田何某の密告によって柳生の領地を全部没収されたとか苦い経験も歌には秘められていそうです。


 

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2020年7月 8日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の84我が太刀に我と非を打つ工夫して

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の84我が太刀に我と非を打つ工夫して

兵法百首
我太刀耳我と非を打工夫して
       川もり位の古ゝろよくしれ

我太刀に我と非を打つ工夫して
       つもり位のこころよくしれ

我が太刀に我と非を打つ工夫して
       積もり位の心よく知れ

 自分の太刀に、自分で何処が悪いのかを指摘する位の工夫をして来る心づもりが欲しいものだ。

 石舟斎の太刀の何処が悪いのか指摘する位の考えをもって臨む位の心が欲しい。

 「非を打つ」とは、まず「非」とは、道理にあたらないこと・よこしまなこと・不正。うまくゆかないこと。あやまり・きず・欠点。非難。
 名詞に冠して、そうでない意を表わす語。「非を打つ」とは、わるいところを指摘する・非難する。
 「つもり」とは、つもること・かさなり・かさなった結果。前以っての計算・見積。心ぐみ・考え・予想。程度・限度。酒宴の最後の酌・おつもり。
 「位」とは、物の等級または優劣。人や芸術作品などの品位・品格。数値のけた。(副助詞的にグライとも)体言、活用語の連体形、各助詞などいついて、大体の程度や、それに限定する意を表わす・ほど・ばかり・だけ。(広辞苑より)

 この歌も、稽古に臨んでの門人の心構を諭している様に聞こえて来ます。自分のでき具合位自分で考えろ、師匠の何処に問題があるかを事前事後でも指摘できる位の心掛けも大事だ、との歌心とも聞こえて来ます。この歌心が後に柳生兵庫助による始終不捨書になったと云えるかもしれません。
 兵法百首を残した石舟斎の心は、百首の一首目から人生においても兵法に於いても、其処に居付いてしまわない心、新陰流截相口伝書亊の色付色随事・懸待有之事などに明確です。
 

 

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2020年7月 7日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の83兵法は利かたと聞かば少しにも

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の83兵法は利かたと聞かば少しにも

兵法百首
兵法者利可多と聞ハ春こし尓も
       幾ゝし流徳を何尓多とへん

兵法は利かたと聞はすこしにも
      きゝしる徳を何にたとへん

兵法は利方と聞かば少しにも
      聞き知る徳を何に譬えん

 兵法は利のある事と聞けば少しでも聞き知る恵を、何に譬えれば良いのだろう。

「利かた」とは、利益のある方法・便利な考え方。
「徳」とは、心に養い身に得たところ・人道をさとって行為にあらわすこと・道徳・善導・正義が行為にあらわれること。道徳的に善い行為をするような性格の習慣。生来有する性質・天性・品性。人を感化し、また敬服させる力・名望・徳化。恩恵を施すことまたそれを受けること・めぐみ・おかげ。幸福、財産を有すること・富・裕福。利益・得分・もうけ。

 石舟斎の「一流の紀綱・柳生家憲」には、他流と試合しても何の足しにもならずかえって恥をかき、師にも難を及ぼすとして法度としています。その反面「他流を育て相尋ねる事尤も也、世上修行するほどの仁は、一つ二つ是非共に然るべき極意を存ずる者也」とされています。
 善いと思う事は積極的に聞き知る事は何にも譬えられない徳である。と歌っているのでしょう。
 そう云えば尾張柳生には林崎甚助重信の弟子長野無楽齋槿露の弟子の系統による居合が組み込まれていたり、宮本武蔵の圓明流による二刀勢法、還流の槍、新当流薙刀、静御前の静流薙刀(自在剣)、十兵衛杖などが通常の稽古にも組み込まれています。

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2020年7月 6日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の82兵法は鍛錬軽業その外に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の82兵法は鍛錬軽業その外に

兵法百首
兵法ハ多ん連ん可留王さ其外尓
      奇妙の古ゝろ弟子尓奈らハ也

兵法はたんれんかるわざ其外に
      奇妙のこゝろ弟子にならばや

兵法は鍛錬軽業其外に
      奇妙の心弟子にならばや

 兵法はまず習い極めること、身軽に業を演じられる事、其の外には、普通とは異なる優れた業技法を身に付ける、その様な心持ちの弟子になる事だ。

 「たんれん」とは、金属をきたえねること・きたえること。ならいきわめること・錬磨すること。修養・修行を積むこと。酷吏が、罪のないものを罪に陥れること。
 「かるわざ」とは、危険な曲芸を身軽に演じるもの。甚だしく冒険的な計画又は事業。
 「奇妙」とは、珍しいこと・不思議なこと。普通とはかわってすぐれていること。

 鍛錬・軽業・奇妙を心がける自分の心の弟子になる事だと云うのでしょう。誰かの弟子になってもそれらを身に付けられる様には成れない、自分の心掛けだ。と歌っているのでしょう。まさにその通りでしょうね。成りたい者には自分が成るつもりにならなければなれっこないでしょう。師とはそんな弟子の気の付かない事にそっと手を貸すだけでいいのです。俺の言う通りやれ、俺の真似をしろでは師匠を超えられっこない。

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2020年7月 5日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の81兵法に積位を習い問へ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の81兵法に積位を習い問へ

兵法百首
兵法尓積くらゐを奈らひとへ
      未保う耳こゝろ可け奈行末

兵法に積くらいをならひとへ
      まほうにこゝろかけな行末

兵法に積る位を習い問へ
      真法に心かけな行く末

 兵法に沢山ある業の位を習い問いなさい、そして真実の法を見出す様に心がけるのだ行く末までも。

 この歌は、全く心に響いてきません。無理やり読んで見たのですがスッキリ来ない。読み下しが間違っているのか、文言にあやまちがあるのかそれすら浮んで来ません。そこで、単語を1つづつその意味を確認しつつ、私ならばこの句はこう読むとしてみました。
 「積る位」とは、兵法にうず高く積み上げられている様な業技法と読んで見ました。
 「ま法」とは、真法・真実の法・まことの法。魔法の語句はこの当時使われた例を知らない。魔法であれば、不思議な事柄位が丁度いい。
 「心かけな」とは、心懸けるなり、と断定的に云う場合の断定の助動詞として「な」をおいた。

 石舟斎の歌心がこの解釈であったか否かは、知る由もない、私なら、自流の業でも他流の業でも、知りたいと思ったらとことん考えてみて、やって見た上、疑問にぶつかれば人に聞くなり、伝書やその流の手附や考え方から、真実はどれか、自分の持ち業として納得できるか突き詰めてみるのです。今ある自分をフル活動させて。国文学としての解釈には全く興味はなく、武術の心得として石舟斎に迫れればうれしいのですが・・。ミツヒラ 思いつくままに。

 

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2020年7月 4日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の80新陰を余流となすと兵法に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の80新陰を余流となすと兵法に

兵法百首
新陰を余流と奈須と兵法に
      きめうのあらハ習多川祢ん

新陰を余流となすと兵法に
      きめうのあらば習たずねん

新陰を余流と為すと兵法に
      奇妙のあらば習い尋ねん

 新陰流を、どこぞの流から分れたに過ぎないものと云う、其の兵法に優れたものが有るならば出かけて行って習いたいものだ。 
 
「余流」とは、本流から分れた流・支流
「奇妙」とは、珍しいこと・不思議なこと。普通とはかわってすぐれていること。

 新陰流は、上泉伊勢守が石舟斎に授与した印可状に記されている様に「某、幼少より、兵法兵術を志すに依って、諸流の奥源を極め、日夜工夫鍛錬致すに依って尊天の感応を蒙り、新陰の流を号し天下に出でて伝授せしめんと、上洛致す処、慮らず参会申す・・」。と述べています。
 新陰流目録では「・・上古の流有、中古念流・新当流亦また念流有り、其の外は計るに勝てず。予、諸流の奥源を究め、陰流に於いて別に奇妙を抽出し、新陰流を号す。予諸流を廃せずして諸流を認めず・・」。更に詳細に新陰流の由来を明確にしています。この文章から新陰流は陰流を基に其処から優れた兵法を抽出した「新陰流」だから陰流の余流と云う見方もあって然るべきとは思えますが、それ以前に念流や新当流を学んで奥源を究めているわけで、陰流だけの余流とは言い得ないものでしょう。更に云う「予、諸流を廃せずして諸流を認めず」ですから、新陰流はそれまでの兵法の借り物ではないと言い切ったのです。

 石舟斎も近隣の兵法を学び終わっていたとしても、上泉伊勢守と試合して歯が立たず、改めて学び直したもので、余流呼ばわりには腹を立てるよりも、そんなに優れた兵法を持つならば、学んで見たいと歌っています。
 この歌心を、素直に受け止め上泉伊勢守の新陰流の単なる伝承者では無く、私は、兵法の真髄に迫ろうとする前向きな石舟斎の心を感じます。
 新陰流の稽古ばかりではなく、どこぞの稽古でも単に自流の業技法を上手に真似て伝承者として事足れりでは、移り行く時代に応じられる訳は無いでしょう。

  

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2020年7月 3日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の79兵法の用をば内につつしみて

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の79兵法の用をば内につつしみて

兵法百首
兵法の与うをハ内尓津ゝ志ミ天
      礼義乃二川尓心ミ多須奈

兵法のようをば内につゝしみて
      礼義の二つに心みだすな

兵法の用をば内に慎みて
      礼義の二つに心乱すな

 兵法の働きを心の内に控えもって人を敬い利害を捨てて条理に随い、心を乱さないこと。

「よう」とは、用。役に立つこと・また役に立てる事・使用。用事。用むき。働かせること・活用・運用。費用・入費・また費用のかかる高価なこと。大小便をする事・用便。ある目的のためであること・ため。
「つつしみ」とは、慎むの古語。用心する・あやまちがないようにする。うやうやしく畏まる。物忌みする・謹慎する。重んずる・大切にする。ひかえめにする・大事をとる。
「礼」とは、社会の秩序を保つための生活規範の総称・礼義作法・制度・文物などを含み、儒教では最も重要な道徳的概念として「礼記」などに説く。礼儀。うやまって拝すること・おじぎ・礼拝。謝意を表すことば・また、謝礼として贈る金品。供物・礼奠。
「義」とは、道理・条理・物事の理にかなったこと・人間の行うべきすじみち。利害をすてて条理にしたがい、人道のためにつくすこと。意味・わけ・言葉の内容。他人との名義上親子・兄弟など肉親としての縁を結ぶこと。
「礼義」とは、礼と義と。人の行うべき礼の道。
「乱す」とは、統一をなくす・ばらばらにする。平静な状態をかきみまわす・混乱させる・煩わせる。(広辞苑より)

 この歌での礼義の意味は、礼と義に分けて二つの文字の意味をよく噛みしめて、心を乱すなと云うのか、礼義の熟語として捉えるのかですが、いずれにしても儒教の五常(仁・義・礼・智・信)から引用されたものと思えます。

 俺は兵法の達人だと見るからに切るぞとばかりに、いつどこからでも来るなら来いと全身に漲らせるのを内に秘めて、人の心を思いやり、利欲に捉われずに人としてやるべきことを行うそれが本来の兵法の用なのだ、誤り用いては成らんぞ、と石舟斎は戒めています。
 礼儀を、ともずれば、師匠に礼を尽くせとばかりに、昇段審査で金品を要求したり、弟子を己の奴隷のように扱う権威を嵩に権力を振りまわす為の真逆の行為を行う輩も、何故か武術をやる者に多いのは本来の意味を学ばなかった似非者なのでしょう。
 

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2020年7月 2日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の78兵法に不思議奇妙は多き世を

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の78兵法に不思議奇妙は多き世を

兵法百首
兵法尓不しき奇妙ハお越き世を
       者礼のミと思不知恵そは可奈き

兵法に不しき奇妙はおおき世を
      われのみと思ふ知恵そはかなき

兵法に不思議奇妙は多き世を
      我れのみと思う知恵ぞ儚き

 兵法には、誰も思いつく事も普通の事とは思えない様なことも多い世界なのだが、我のみのが知っていると思う分別は儚いものである。

 「不思議」とは、不可思議の略・思いはかられぬこと・いぶかしいこと・あやしいこと・奇妙。
 「奇妙」とは、珍しいこと・不思議なこと。普通とはかわってすぐれていること。
 「世」とは、時世・世間・世の中・・・(広辞苑より)

 上泉伊勢守が石舟斎に伝授した影目録に「中古流、中古念流、新当流、陰流、其の外は計るに勝ず。予諸流の奥源を究め、陰流において別に奇妙を抽出し新陰流を号す。」と記されている様に、当時の中枢ともいえる兵法を学び其の中から愛洲移香斎の陰流の「奇妙を抽出して」新陰流としたとしています。その後、手を加えているかもしれませんが決して「新陰流にしか無い」というものでも無いでしょう。他流も日々進歩している筈で、当然「我のみ」と思うものでは無いはずです。
 他流と試合をして優劣を競うのではなく、その流の奥義を学べと迄石舟斎の家憲も述べています。他流は愚か、自流の他道場への出稽古すら良い顔をしない似非師匠など何を考えて居る事やら、「他流を学べばお前の形が乱れる」と形ばかりにこだわった意味不明なもっともらしい嘘をつく人も居るものです。

 この歌心は無双直伝英信流にも「世は広し我より外の事なしと思うは池の蛙なりけり」と伝わっています。

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2020年7月 1日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の77兵法の師となるならば弟子にまづ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の77兵法の師となるならば弟子にまづ

兵法百首
兵法の師と奈留奈らハ弟子尓末つ
       者川とをゝしへ心よくミ与

兵法の師となるならは弟子にまず
       はっとをおしえ心よくみよ

兵法の師となるなるならば弟子にまず
       法度を教え心よく見よ

 兵法の師となるというのならば、弟子にまず法度を教えて弟子の心をよく見なさい。
 
 此処での法度も石舟斎の一流の紀綱・柳生家憲で良いのだろうと思います。

 「この流には、第一仕相無用たる可き也。
 其の仔細は余流を廃せずして道をたしなみ、幾重にも他流を育て相尋ねる事尤也。世上修行するほどの仁は、一つ二つ是非共に然る可き極意を存ずる者也。執心の道を育て、兵法建立の心、後代の為を存ず可し。家流に執心の仁は、先ず浅きより深きに至る。一文は無文の師、他流勝べきに非ず。
 きのうの我に、今日は勝つ可しと分別し、上手奇妙は、稽古鍛錬工夫上成ると、古人師伝にも申つたへらるることなれば、刀にて腰をふさげたらん者、一世の間の意思、所存、其の身の覚悟を分別の仁、懇望執心においては、相伝有る可し。
 努々、表太刀以下を稽古無く、他流の是非を嘲弄し、仕相好き、慢心の人へは、家法相伝有るべからざる也。」(柳生厳長著正傳新陰流より)

 新陰流は他流と試合をする事を無用とする、第一にと云う訳ですから一番の法度なのです。その理由は勝ったの負けたのと争い他流に勝ったと云って他流を嘲弄し、世の中から消してしまうようなことはあってはならない。負けたと云って大恥をかく事にもなる。他流の極意を一つ二つ持つぐらいのことであるべき事だと云います。
 「執心の道を育て、兵法建立の心、後代の為を存ずべし」、と他には見られない広い心持ちを感じられます。
 恐らく師であった上泉伊勢守が北条や武田に敗れたとはいえ武将でもあり、兵法者としてもすぐれた人物だったのでしょう。幾つもの他流を尋ね磨いた思いを引き継ぎ、自らも柳生の庄を預かる者としても、兵法者としての誇りも高かったのでしょう。兵法者としてただの棒振り名人では無かったと云えるのでしょう。
 「弟子にまず法度を教え」の法度の内容が「なるほど」と思えるもので、どこぞの道場に掲げてある「師の教えに従順たれ」などのものとは違います。私の様に「何故」を連発する者でも意味がよくわかります。

 

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