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2020年7月 4日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の80新陰を余流となすと兵法に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の80新陰を余流となすと兵法に

兵法百首
新陰を余流と奈須と兵法に
      きめうのあらハ習多川祢ん

新陰を余流となすと兵法に
      きめうのあらば習たずねん

新陰を余流と為すと兵法に
      奇妙のあらば習い尋ねん

 新陰流を、どこぞの流から分れたに過ぎないものと云う、其の兵法に優れたものが有るならば出かけて行って習いたいものだ。 
 
「余流」とは、本流から分れた流・支流
「奇妙」とは、珍しいこと・不思議なこと。普通とはかわってすぐれていること。

 新陰流は、上泉伊勢守が石舟斎に授与した印可状に記されている様に「某、幼少より、兵法兵術を志すに依って、諸流の奥源を極め、日夜工夫鍛錬致すに依って尊天の感応を蒙り、新陰の流を号し天下に出でて伝授せしめんと、上洛致す処、慮らず参会申す・・」。と述べています。
 新陰流目録では「・・上古の流有、中古念流・新当流亦また念流有り、其の外は計るに勝てず。予、諸流の奥源を究め、陰流に於いて別に奇妙を抽出し、新陰流を号す。予諸流を廃せずして諸流を認めず・・」。更に詳細に新陰流の由来を明確にしています。この文章から新陰流は陰流を基に其処から優れた兵法を抽出した「新陰流」だから陰流の余流と云う見方もあって然るべきとは思えますが、それ以前に念流や新当流を学んで奥源を究めているわけで、陰流だけの余流とは言い得ないものでしょう。更に云う「予、諸流を廃せずして諸流を認めず」ですから、新陰流はそれまでの兵法の借り物ではないと言い切ったのです。

 石舟斎も近隣の兵法を学び終わっていたとしても、上泉伊勢守と試合して歯が立たず、改めて学び直したもので、余流呼ばわりには腹を立てるよりも、そんなに優れた兵法を持つならば、学んで見たいと歌っています。
 この歌心を、素直に受け止め上泉伊勢守の新陰流の単なる伝承者では無く、私は、兵法の真髄に迫ろうとする前向きな石舟斎の心を感じます。
 新陰流の稽古ばかりではなく、どこぞの稽古でも単に自流の業技法を上手に真似て伝承者として事足れりでは、移り行く時代に応じられる訳は無いでしょう。

  

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