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2020年7月12日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の88人を斬らん心はしばし兵法に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の88人を斬らん心はしばし兵法に

兵法百首
人を幾らん心は志ハし兵法に
      王連可う多連ぬ奈らひして未天

人をきらん心はしばし兵法に
      われがうたれぬならいしてまで

人を斬らん心は暫し兵法に
       我が打たれぬ習いしてまで

 人を斬るのだという心持ちなのに、暫しの間兵法の稽古に我が打たれぬ習い迄している。

 これでは新陰流の兵法の根元にも程遠い様で、石舟斎も苦笑している様です。
 「われがうたれぬならいしてまで」の下の句の動作を思うと、相手の打込みを受太刀になって防護している姿を思い描きます。受太刀になったはいいのですが、しっかり受けてしまえば其処に居付いてしまいます。相手が更に打込んで来る又受太刀となる、下がり乍ら受けていたのでは其の内壁に追い込まれるか、拍子を外されて斬られてしまいます。
 刀の構造から受太刀は刃で受けるのが原則です。木刀や竹刀ならば気にもしないのですが、日本刀の刃はボロボロになってしまいます。受けるだけの余裕があるのならば、受太刀となる動作に随って往なして打込んでしまうなど課題はあるもので、剣道型や無双直伝英信流居合道形の演武で真剣で演じるならば其処まで見せてもらいたいものです。

 石舟斎が上泉伊勢守から伝授された三学円太刀の一刀両断を柳生流新秘抄から見てみます。
 「・・此構へ下段にして車の太刀なり。巡り打たん為に弓手の肩をさし向けて見せ、敵より肩を切るとき、車に打こめば、身の捻りにつれて肩はをのづからに外れ、二星を勝なり。二星と云ふは敵の両拳なり。・・」今村嘉雄著史料柳生新陰流より。

 我は左の肩を差し向け、此処を切れとばかりに誘い、敵が肩に斬り込んで来るのを、身の捻りで外して二星に打ち込んでいます。一般に手に入れられる柳生新陰流の教本は、岩浪文庫の柳生宗矩の兵法家伝書の付・三学円太刀の方が古い勢法ですから少し違いますが考え方は同じです。

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