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2020年7月24日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の101兵法の上手は道理正しくて

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の101兵法の上手は道理正しくて

兵法百首
兵法の上手ハ多う里たゝしくて
     目徒希さぞ〵奈り也春紀也う

兵法の上手はたうりただしくて
     目つけさぞさぞなりやすきやう

兵法の上手は道理正しくて
     目付さぞさぞなりやすきよう

 兵法の上手な人は、物事のそうあるべき事を正しく見極めるので、目付はさぞや容易く出来るであろう。

「道理」とは、物事のそうであるべき理義・すじみち・ことわり。人の行うべき正しい道・道義。 

 石舟斎の目付については新陰流截相口伝書亊では、いくつか示されています。
 三見大事で「太刀さきの事・敵之拳の事・敵之顔之事」。
 目付二星之事で「敵の目」。
 嶺谷之事、付三寸二つ之事、十文字「腕のかがみ嶺は右、谷は左」・「味方の拳」・「十文字勝」。
 遠山之事で「敵の肩を見る事」。
 太刀間三尺之事で「無刀の時の間合い」。
 二目遣之事で「盗み目」。
 目付けが正しくできる事によって敵の働きをを知ることが出来る、「色に付け色に随う事」も可能になるわけでしょう。

 これらの歌を読んでいますと、普段の稽古のありようを見直してみるべきだろうと思います。大抵は今日は燕飛を稽古しよう、三学円太刀だと、木刀を持ってただ決められた形をなぞって何度も練習を繰り返す、袋竹刀を持ち小手を着けて打ち合う。
 確かに順番通りの形は出来ている様ですが、目付もいい加減、間合いもいい加減、何も出来ていないのです。新陰流の数ある勢法の棒振り体操を繰返して居ても健康には良いのでしょうが、疑問です。
 今日は目付、次回はこれこれと目的を以て稽古すべきなのでしょう。そしてその事の道理を味わいつつ稽古すべきなのでしょう。
 面白い人が居ます、自分の打ち間の感覚と仕太刀が外れていると、「間が近すぎる」「間が遠い」と打太刀が仕太刀の立ち位置をとやかく言って居ます。
 仕太刀が何処に立って居ようとも自分で自分の打ち間に近寄るか、離れるかは足踏み一つで決まってしまうのに、相手は斬られる位置にいつもいる訳は無いのです。
 そうかと思うと、三学円太刀で仕太刀で左肩を相手に差し出し、打って来ればと待つのですが、打ち込んできた袋竹刀の切先は我が左肩にどう見ても届かない、右足を踏み込んで小手を打ったら「形が違う」だそうです。左肩に当たらないのですから知らん顔して置けばよかったのでしょう。
 
 

 

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