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2020年7月25日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の102浮かまざる兵法故に石の舟

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の102浮かまざる兵法故に石の舟

兵法百首
う可満佐留兵法ゆへ尓石乃舟
      くちぬうき名也春衛尓のこさん

浮かまざる兵法ゆへに石の舟
      くちぬうき名やすえにのこさん

浮かまざる兵法故に石の舟
      朽ちぬ浮名や末に残さん

 浮かぶ事のない兵法だけれど、石の舟は朽ちる事の無い浮名を将来に遺して置こう。

 石舟斎の兵法百首の最後の歌です。百首と云いながら102首数えられました。四十首から四十九首までが「是より卜清十首」という事で他人の歌が入ったのか百首を越えました。

 この句は、石舟斎だから石の舟なので、兵法によってだけでは世に出て浮かぶ事はないだろう、しかし石の舟だから朽ちる事はない、浮名を将来に残して置くぞ。
 相変わらず「世を渡る業の無き故兵法を隠れ家とのみ頼む身ぞ憂き」と憂いた状況を笑い飛ばしているのか居ないのか。新陰流兵法で徳川政権の思想を支えて来た自負は有っても、縁の下である事は変わらない。
 柳生家は、戦国時代末期に徳川家康に仕えて家康が天下を取ることによって一万石を越える大名になったわけです。この時代は秀吉を筆頭に天下を取る事は誰でもチャンスと才能を得られれば可能であったかもしれない、そんな噂は京に近ければ近い程聞えて来たのでしょう。
 石舟斎の環境からは、武将として世に出る事はかなわず、秀吉の検地によって領地を取り上げられ貧困にさいなまれるほどの苦渋を味わってもいます。
 上泉伊勢守との出会いによって、上泉伊勢守の悲惨な半生と武田信玄の誘いを断った心情も理解していたとしても、捨て去れなかった夢の人生だったのかも知れません。
 その上、織田信長の足軽などによる集団戦術戦法の変革、鉄砲導入によって刀による戦いは功を得られない時代になって行った、戦国時代末期の状況が重なります。
 
 石舟斎の兵法百首は2020年3月21日に読み解き終わっています。
 多少なりとも柳生新陰流を学んだお陰で全くの白紙では無かった為に、石舟斎の歌心を読み取れたかはどうでも、ミツヒラの「思いつくままに」誰のアドバイスも頂かないままに読み終えてしまいました。
 歌は、読んで自分の思った様に理解すればよいので、誰かの教えを習い覚えて「読めた」を繰返したのでは「読めた」になりそうも有りません。
 石舟斎の兵法百首について「無刀の伝」の著者村山知義氏は、「宗厳も当時の兵法家の常として、文字のたしなみなく、この「兵法百首」は歌になっていないものが大半だが、いま私が首をひねって見ても、意味のつかめぬものがたくさんあるのには困ってしまう・・」と愚痴っています。その反面塚原卜伝の「卜伝百首」は「少なくとも卜伝のは意味のつかめないものはない」としています。私は卜伝百首にはホトホト困惑させられていました。石舟斎兵法百首の次はこの「卜伝百首」に取りくみます。そして再び「柳生新陰流」に戻ってきます。
 しばらくは「無双直伝英信流」の古伝「無雙神傳英信流居合兵法」から離れます。
 今後再び読み返す時に新たな思いがあって、今回の読み直しをしなければ我慢出来ない事がきっと来るはずです。その時前の解釈を覆せればそれだけ石舟斎の心に近づくことが出来たと思えればうれしいものです。

 

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