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2020年7月26日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の奥書

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の奥書

兵法百首 奥書
奥書は今村嘉雄著史料柳生新陰流の原本の写真は途中が抜けていますので、奈良女子大学学術情報センターによる兵法百首を原本として、今村嘉雄著史料柳生新陰流「宗厳(石舟斎)兵法百首(慶長六年二月吉日 宝山寺蔵9)」の読み下しを参考に締めさせていただきます。

「ある夕暮のつれづれに、大和国躰其歴々たづぬるに、年寄死去し或はいづくとも行かたしらずなり、其内の者どもさすが手柄よう人とある者どもも、かひなく成はて、まことにうへにのぞみ、乞食などの風情になるまま、宗厳も入道して法名をそうごん斎名をば石舟斎と云、六十余、いくほどなき露命とありながら、浮世をわたりかね、年にも似合ざる兵法をつかひ、朝夕を且々つづけ侍る事もほいならず。しかはあれど、道をたて兵法の師と号し修行する輩、其流稽古をもきはめず、手柄だての口上にほこり、仕合をし、うたれ、一流の師に科をきず、宗厳年月笑止に存ずるのみ、詞もつづかざるかたはらいたき兵法百首、狂歌をつらね侍る也。第一、石舟斎子供幷極意をお目に懸け弟子衆は此の狂歌を相忘れてならず、御分別御工夫尤候たるべく候也。 
 言のはの 露も続かぬ 口すさび 残らん跡の 名のはぢぞうき

 竹田七郎殿 参       
 柳生宗厳(花押・印)
 慶長六年二月吉日  」

*
 ある日の夕暮れの徒然に、大和の国体に昔からの名家の方々を訪ねたが、年寄りは死去し、或いは何処ともなく行方が分からなくなり、その家の者達は、甲斐性もなく成り果てて、まことに飢えに苦しみ、乞食などの様になりはてている。
 宗厳も入道となって法名を重々しく斎名を石舟斎と云う。六十歳余り幾ほども無い露ほどの儚い命でありながら浮世を渡りかねて、歳にも似合わないのに兵法を使い、朝夕を唯々続けている事も本意ではない。
 然しながら、道を立て兵法の師と呼ばれ修行する輩、其の流の稽古も極めず。誉められた事に誇り、試合をし、打たれ、其の流の師に過ちをとがめられることも無く、宗厳はいつも困った事だと思っている。
 いうべき言葉も続かない片腹痛き兵法百首の狂歌を連ねるものである。第一に石舟斎の子供や極意をお目に懸けた弟子衆は、此の狂歌を忘れてはならず、歌の心を分別し工夫することが大切である。
 言葉の露ほども続かずに口ずさんだ兵法百首、心に残る事も無いのでは、我が名の恥であると憂えるものである。

 竹田七郎殿 参る
 柳生宗厳(花押 印)
 慶長六年1601年二月吉日

 石舟斎直々の手解きを受けた当時の弟子は兎も角、400年以上前の言葉で歌われた歌も、新陰流の勢法も朧に棒振りばかりを稽古してあるべき姿も知らないミツヒラには、口ずさんだ歌と云われても読み解くのは一苦労です。
 手元に多くの新陰流の資料は揃っていても、総て読んでいたわけでも、まして理解していたとも言えません。
 今村嘉雄先生の読み下しと我が読みを並べ、時には歌の文字だけ五七五七七と三十一文字を打ち込んだまま頭を抱えているばかりでした。木刀を持ち出し勢法の一人稽古をしてふと気づく事もあり、何か昔読んだ本にあった事など思い出して見たりもしました。
 しかし、読み終えて見れば棒振り稽古に明け暮れていた日々から、コロナウイルス騒ぎでステイホームを求められ、稽古にも通えず却って新陰流の伝書をまともに読む機会に恵まれ少しは前に進めたかもしれません。
 無双直伝英信流居合兵法の古伝無雙神傳英信流居合兵法の神傳流秘書を読み解く際、最も思想的にも術理にも当時のままの古流剣術を求めて柳生新陰流春風館関東支部に入門し、この兵法百首を読み終えて、新陰流の影が色濃く残る古伝の居合をより理解し得た気がしています。

 2019年11月から道歌として兵法歌を続け読みして来ました。次回から卜伝百首に取り組んでみます。2020年11月まで懸りますので、この一年は歌ばかりです。
 
 

 

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