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2020年7月13日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の89兵法を下手ぞとあらば争はで

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の89兵法を下手ぞとあらば争はで

兵法百首
兵法を遍多楚とあらハあらそハて
       よ尓志ん可う能人尓をしへ与

兵法を下手ぞとあらばあらそはで
       よにしんかうの人尓おしへよ

兵法を下手ぞと有らば争はで
       余に親交の人に教えよ

 兵法を下手だと云うのであれば口論などしていないで、私と深い交わりのある人に話して見れば。

 「争う」とは、互に張り合って勝とうとする・競争する・また喧嘩する・口論する。
 「争はで」とは、否定することをしないで・いかにも尤もと思われるならば。
 「しんこう」とは、「信仰」、信じたっとぶこと・宗教活動の意識的側面。「親交」、深く交わること・深い交際。(広辞苑より)

 この歌も、石舟斎の歌心が見えなくて悩まされます。読んで見たのですがこれで精一杯です。それでも良い解釈になったように思います。下手だ間違っているなど、稽古では同輩同士では間々あるものです。
 へぼ同士でとやかく言って居ても始まらないので、直に師の処へ、「こう打込んだらこんな風に返された、何か変なので、本当はどうするのですか」と解っていても、口論しても意味無いので聞きに行く私・・。
 三学円の太刀の一刀両段で相手の左肩に打込んだら、相手は見事に我が袋竹刀を叩いて来る。相手の切先は思いっきり叩いて来るので我が右肩の右に抜けてしまっています。我袋竹刀は右に外されているのですが・・意味ない動作です。其処から再び打ち合いが始まってしまいます。ここは、相手は我が袋竹刀を打つのではなく左肩を躱して同時に我左拳に打込む業なのです。新陰流は、外した時が切った時と云う基本的な事が解っていないために起こる事なのです。「新陰流に受け太刀は無い」常日頃から言われているのですが、形ばかりにこだわるへぼ先輩の教えによる誤った動作なのでしょう。
 

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