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2020年7月 5日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の81兵法に積位を習い問へ

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の81兵法に積位を習い問へ

兵法百首
兵法尓積くらゐを奈らひとへ
      未保う耳こゝろ可け奈行末

兵法に積くらいをならひとへ
      まほうにこゝろかけな行末

兵法に積る位を習い問へ
      真法に心かけな行く末

 兵法に沢山ある業の位を習い問いなさい、そして真実の法を見出す様に心がけるのだ行く末までも。

 この歌は、全く心に響いてきません。無理やり読んで見たのですがスッキリ来ない。読み下しが間違っているのか、文言にあやまちがあるのかそれすら浮んで来ません。そこで、単語を1つづつその意味を確認しつつ、私ならばこの句はこう読むとしてみました。
 「積る位」とは、兵法にうず高く積み上げられている様な業技法と読んで見ました。
 「ま法」とは、真法・真実の法・まことの法。魔法の語句はこの当時使われた例を知らない。魔法であれば、不思議な事柄位が丁度いい。
 「心かけな」とは、心懸けるなり、と断定的に云う場合の断定の助動詞として「な」をおいた。

 石舟斎の歌心がこの解釈であったか否かは、知る由もない、私なら、自流の業でも他流の業でも、知りたいと思ったらとことん考えてみて、やって見た上、疑問にぶつかれば人に聞くなり、伝書やその流の手附や考え方から、真実はどれか、自分の持ち業として納得できるか突き詰めてみるのです。今ある自分をフル活動させて。国文学としての解釈には全く興味はなく、武術の心得として石舟斎に迫れればうれしいのですが・・。ミツヒラ 思いつくままに。

 

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