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2020年8月 4日 (火)

道歌6塚原卜伝百首6の4弓はただ己が力

道歌
6、塚原卜伝百首
6の4弓はただ己が力

弓はただ己が力に任すべし
      手に餘りたる弓な好みそ

 弓はただ自分の力に任すものだ、手に余る弓を好むのではないぞ。

 直訳して見たのですが、歌心が伝わってきません。弓を引くためには自分の力を越える様では役に立ちそうにありません、力量に合った強さの弓を持つべきで、力量以上の強弓は好むべきではない。
 「好みそ」の「そ」は何々してくれるな、と使われた禁止の意味を持つ「そ」を引用しました。

 弓の強さを卜伝の当時はどのように表していたのか、気になります。

 平家物語の那須与一「・・これを射損ずる物ならば、弓きりをり自害して、人にふたたび面をむかふべからず。いま一度本国へむかへんと思召さば、この矢はづさせた給ふな・・小兵といふぢやう、十二束三ぶせ、弓はつよし、浦ひびく程ながなりして、あやまたず扇のかなめぎは一寸ばかりおいて、ひィふつとぞ射きッたる・・」
 矢は大兵のつわものが十五束を引くので多少短いが、弓は強いと言って居ます。

 同じく平家物語の弓流「・・いかがしたりけむ、判官弓をかけ落されぬ。うつぶして鞭をもって、かくよせてとらう〵どし給へば、兵共、「ただ捨てさせ給へ」と申しけれども、つひにとッて、わらうてぞかへられける。おとなどもつまはじきして、「口惜しき御事候かな。たとひ千疋・万疋にかへさせ給うべき御だらしなりとも、いかで御命にかへさせ給べき」と申せば、判官、「弓のをしさにとらばこそ。義経が弓と言はば、二人してもはり、若しは三人してもはり、をぢの為朝が弓の様ならば、わざとも落としてとらすべし。尫弱(おうじゃく)たる弓を、かたきのとり持ッて、「これこそ源氏の大将。九郎義経が弓よ」とて、嘲弄せんずるが口惜しければ、命にかへてとるぞかし」とのへば、みな人これを感じける。」弓に弦をつける事を張るといい二人かかりが二人張り、三人がかりを三人張りという、保元物語の為朝は五人張りだったそうです。
 
 弓に関する知識は全くありませんのでネットで調べたもので、信頼性には乏しいかもしれませんが、武器は時代と共に進化します。
 古いものを其の儘用いる事も当然なので、何時からそうなったなどの事は大まかなものほど流れが解りやすいので参考にさせていただきます。
 弓にも歴史があって縄文時代はイヌガヤを削った単一素材で長さ160cm程という。
 弥生時代以降は2m以上の長い弓が威力や飛距離の必要性から改良されて来ている。
 平安中期までは単一素材の丸木弓で、神事などの儀式にも用いられ精神性を持つ武器となってきている。
 平安中期以降に木と竹を張り合わせた弓となりより高い威力を持った。
 平安後期から鎌倉時代では「三枚打弓」といって木芯の前後に竹を張り合わせたものが出て来る。
 室町時代中期には「四方竹弓」で木芯の四方を竹で囲んだ作りとなる。
 戦国時代後期では芯を竹ヒゴとし、外竹、内竹、側面を木とした「弓胎弓(ひごゆみ)」があらわれ現代でも使用されています。

 弓の強弱による「弓力」を現代での目安は「体重の3分の1×70~80%」ですから体重60kgの人ならば14kg~16kg。
 若しくは「握力の半分×70%~80%」ですから握力40kgの人は14kg~16kgを目安とするなどの事があるようです。

 この歌の様に己の力量を越える弓はダメだと云う事は戦場に出た際の実戦での取り廻しの容易性の事と思います。稽古には力をつけるために力量を越えるもの、「かたち」を整えるには、弱い弓を引くなど工夫次第でしょう。

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