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2020年8月10日 (月)

道歌6塚原卜伝百首6の10もののふの実知るべきは

道歌
6、塚原卜伝百首
6の10もののふの実知るべきは

もののふの実知べきは馬なれや
      心懸けぬは愚かなるべし

 もののふの本当に知るべき事は馬であろうか、心懸けないのは愚かな事である。

 「もののふ」は、武士と書きます。上代では朝廷に仕えた官人であったのですが、時代が下れば武勇を以て仕え、戦場に立つ武人、つわもの、ぶし。(広辞苑より)
 卜伝の場合は、鹿島神宮の鹿島氏の卜部で神卜を司る家柄の神職吉川左京覚賢の次男で、鹿島氏の支城の一つ塚原城主の塚原土佐守安幹の子新左衛門安重の養子となっています。生来は塚原城主となる事を約束されていたはずです。茨城県剣友会編「茨城の武芸」より。

 卜伝は1489年生まれで1571年に没しています。
 82年の生涯の内廻国修行に3回出ています。茨城の武芸より(林崎明神と林崎甚助重信年表より引用)
 第一回は16歳~29歳 13年間
 第二回は33歳~44歳 11年間
 第三回は67歳~82歳 15年間
 通算すると廻国修行は39年間になります。塚原城でのことは29歳から33歳の4年間と44歳から67歳迄23年間と云えるのでしょう。兵法者ではなく「もののふ」として暮らした時期は廻国修行より短いものです。
 「もののふ」としての弓、馬はその期間は特に心がけて手放せないものだったのでしょう。廻国修行には馬に乗り替え馬も数頭連れ、門人は300とどこぞの講釈師が喋っています。

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