« 道歌6塚原卜伝百首6の11武士の其の名を挙げる例えには | トップページ | 道歌6塚原卜伝百首6の13馬はただ普通に強き肝ぞよき »

2020年8月12日 (水)

道歌6塚原卜伝百首6の12もののふの鎧の下に乗る馬

道歌
6、塚原卜伝百首
6の12もののふの鎧の下に乗る馬

もののふの鎧の下に乗る馬は
       癖ありとても強き好めり

 武士の鎧を着けて戦場で乗る馬では、癖が有っても強い馬が好まれる。

 馬の癖とはどんなものが有るのでしょう、その癖が有っても強い馬の方が良いと云います。


 戦国時時代の馬はどの程度の大きさだったかハッキリした答えは得られないけれど、武士が平均身長160cm程であれば体重60kg近辺、鎧が30kg、鞍は10kg以上はあるでしょう。それだけで100kg、更に戦闘用具が刀や薙刀、鑓、弓矢などあったでしょう。
 日本の在来種は小型な馬ばかりが天然記念物になって2000頭ほど大事にされています。其れだったなどと言われていますが、平安時代の馬にしても戦国時代にしてもモンゴル系の馬が使われていた様で、これ等と違ってモンゴル系の大型種が軍馬として使われていた様です。
 日本における馬の歴史は、5世紀ごろからで古墳から馬の骨や馬具が出土しています。
 奈良時代には伝馬や駅馬の制度なども出来、乗馬馬の牧場などもあった様です。大陸との交流から軍馬の導入などもあったと思われます。
 平安時代には競馬や騎射などが行われ、馬による武術の研鑽も盛んだったようです。平家物語にもある様に馬と一体になった話も伝わっています。馬の産地は関東以北に発展した様です。
 このころにはいい鎧を着た武士が馬に乗って騎射するなど盛んだったと思われます。
 鎌倉時代以降には、騎馬隊なども編成されて、馬術はますます盛んになって行ったのでしょう。一騎打から騎馬隊への変遷もあって当然馬は大きく力強いものが好まれたと思います。
 現存する天然記念物を頭に描くのは間違いでしょう。少なくとも体高140cm以上を要求されたと考えられます。それではなぜ天然記念物の馬が小さいのかの答えに、大きくて強い馬は軍馬や農耕や荷馬車などに持っていかれ劣った馬が残されたと解説されているものもあり、一概に嘘とも言えません。

 武田の騎馬軍団などは話だけの嘘などと云う人も居ますが、日本の歴史をたどり他国との交流を考えれば当然モンゴル系の馬もヨーロッパの馬も輸入されたでしょう。馬を使い慣れれば騎馬軍団なども編成する事は可能です。
 生き残るには時代の最先端を行く心づもりが無ければ、置き去りにされても仕方がないことで、歴史は語っています。

 馬の癖が今回の課題でした。JRAによる馬の癖を紹介しておきます。

あとびき:運動中あるいは馬をつなぐ時などに後退する癖。後退癖の俗称である。

グイッポ:馬の有害な癖の一つであるさく癖の俗称である。上歯を馬栓棒や壁板などにあて、それを支点にし、頭に力を入れ、空気を呑み込む癖をいう。退屈あるいは他馬のまねが原因であり、空気を呑み込むために風気疝(ふうきせん)になりやすい。軽度のうちは矯正できるが、習慣性となった場合は矯正は難しい。

膠着:馬がものを見たり、異常に緊張したりして、動かなくなってしまった状態をいう。馬場に出た後、騎手の指示にもかかわらず動かなくなったり、ゲートが開いても発進しないケースなどがある。

咬癖:人や他の馬をかむ癖。

習癖:馬の馬房内または運動時の忌むべき様々な癖の総称であり、略語で表されているものなど、調教や飼養管理面で矯正を行う必要がある。

蹴癖:人や他の馬を蹴る癖である。蹴癖馬は人馬に危険を及ぼすため、厩舎では目印として尾に赤い布をつけ危険防止に努めている。

身っ食い:馬が自分の体を噛む癖のこと。稀には馬体に傷が残る程激しいものもある。退屈、ストレスが原因である。


 

 

|

« 道歌6塚原卜伝百首6の11武士の其の名を挙げる例えには | トップページ | 道歌6塚原卜伝百首6の13馬はただ普通に強き肝ぞよき »

道歌6卜伝百首」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 道歌6塚原卜伝百首6の11武士の其の名を挙げる例えには | トップページ | 道歌6塚原卜伝百首6の13馬はただ普通に強き肝ぞよき »