« 道歌6塚原卜伝百首6の58もののふの味好みするな | トップページ | 道歌6塚原卜伝百首6の60もののふの軍の場(にわ)に持つもの »

2020年9月28日 (月)

道歌6塚原卜伝百首6の59もののふの坂と馬上に指す刀

道歌
6、塚原卜伝百首
6の59もののふの坂と馬上に指す刀

もののふの坂と馬上に指す刀
       反りを打たぬは不覚なるべし

 武士が坂道や馬上では腰に指す刀は、反りが無いのは不覚である。

 この歌の「指す刀」ですから腰に佩く太刀ではなく刀です。卜伝の生きて来た時代は、武士は馬に乗って腰に佩いた太刀を片手で持って斬りつけていた。
 戦闘方法が変化し、雑兵に槍を持たせて攻め込み、白兵戦になると腰に指した刀を抜いて戦った、此の時の刀は両手で持つように変化してきている。
 卜伝の経験値から、坂や馬上では反りのある刀が良いと云う。では何故そう言うのかは卜伝の解説は無さそうです。識者の著書や発言から求めても納得いく答えにはなりそうもない。
 馬上では抜刀しやすい反りが要求されるのか、片手斬りつけには反りが深い方が有効なのか、いくつか意見は有っても反りの深い太刀から、短目の打刀ならば、反りなど気にするほどのことでもない。
 まして「坂」でのことでは、帯刀した場合、2尺3寸程度の刀で反りが深いとか浅いなどは問題なく、抜刀にも支障は感じない。卜伝の時代に戦法の変化や太刀から刀への移行があったが、太刀の反りは大方7分から1寸程度、刀は3分から8分程度の様です。
 卜伝の歌心は、今まで使い馴れた状況が変わってしまい使い勝手に違和感を感じるのか、懐古趣味の強い一面を表しているのか、そんな気もします。
 刀の長さ重さバランス反り柄の太さ長さ鞘との相性そんな事を気にして見ても、何振りも刀を試すわけにもいかず、如何に調子よいものでもその場に無いとか、折れたとか、この歌で云う場の条件が変わってしまうとか。
 私は、寧ろ、状況次第でどのような刀でも問題なく抜き付け出来、業を打つ事が出来る稽古に身を入れたいと、居合を始めた時から思っていました。刀が合わなかったから死ぬのでは武術とは言えないでしょう。
 
 

 

|

« 道歌6塚原卜伝百首6の58もののふの味好みするな | トップページ | 道歌6塚原卜伝百首6の60もののふの軍の場(にわ)に持つもの »

道歌6卜伝百首」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 道歌6塚原卜伝百首6の58もののふの味好みするな | トップページ | 道歌6塚原卜伝百首6の60もののふの軍の場(にわ)に持つもの »