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2020年9月 4日 (金)

道歌6塚原卜伝百首6の35長刀は二尺に足らぬ

道歌
6、塚原卜伝百首
6の35長刀は二尺に足らぬ

長刀は二尺に足らぬ細身をば
      持は不覚の有ると知るべし

 長刀(なぎなた)は刃渡り二尺に足らない細身を持つのは、思慮が足らない事と知るべきである。

 この「長刀」は、薙刀、長刀、胴突刀。ここでは「なぎなた」と読んでいます。
「不覚」とは、精神のまともでないこと、正体もないこと。思慮のゆき届かないこと、不注意であること。卑怯なこと、臆病なこと。思わず知らずすること。広辞苑より。

 卜伝の云う「長刀」がどのようなものであったか、綿谷雪著「図説古武道史」では「薙刀」は刃の長さ二尺三寸以上を大薙刀、以下を小薙刀といい、柄は持ち手の耳の下から足もとまでが普通の標準であった=「兵具雑記」。卜伝は薙刀をつかうときは刃長二尺五寸ほどの大薙刀を用い、小薙刀の価値はみとめない。そのころ薙刀の名人といわれた梶原長門と武州川越で戦ったときも、門人どもが心配して試合を避けるよう忠告したが、梶原が一尺四、五寸の小薙刀をつかうと聞いて卜伝は、「三尺の刀でさえ思うように人は斬れないでないか。一尺四、五寸の小薙刀に斬られるようでは、斬られるほうが弱過ぎるのだ」といって、二尺九寸の刀で試合場に出かけ、何の苦もなく梶原をたおした=これも「武具要説」山本勘助談。と引用されています。

 この、卜伝の逸話が全てを物語って居るわけでは無く、卜伝の力量がそうさせたと云えるでしょう。兵法はその人の生まれながらに持ち合わせている、事に応じる認識度合いによるのでしょう。師匠についてその度合いを更に磨き上げたり、師匠の考えや癖を取り込んでいく、それが習い・稽古・工夫によるものなのでしょう。すべてを真似したのではきっと負けばかりでしょう。

 薙刀(長刀)の生まれと、その武器としての形状、使用法についての歴史的経過や容易に刃長二尺を越える物を見る機会もないのでよくわかりません。
 槍と同様に古くは雑兵の持ち物で、戦闘方法が変化して行くにしたがって、地位の有る武士にも持たれたのかも知れません。
 卜伝の刀の長さにこだわる考え方は、戦場での集団兵法のありかたによるところに由来しながら、卜伝そのものは個の技量を高めていったように思えます。後の新陰流を興した上泉伊勢守信綱から柳生石舟斎宗厳による無刀の考え方とは、卜伝百首からはまた一味異なるものを感じます。

 

 

 

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