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2020年9月 5日 (土)

道歌6塚原卜伝百首6の36手足四つ持たる敵

道歌
6、塚原卜伝百首
6の36手足四つ持たる敵

手足四つ持たる敵に小長刀
      持て懸るとよもや切られじ

 手足の四つが健全な敵に対し、小長刀を持って懸るとまさか切られる事はあるまい。

 この歌は「手足四つ持たる敵」は、手足健全な敵と読めばいいのでしょう。敵の武器の特定も、歌からは読めません。
 上の句を敵についての状況であるとすると「手足四つが健全な敵に(が)小長刀」でそれを「持って懸ってくると」と読めます。
 それでは我は「よもや切られじ」ですから、「我は何故切られないの」と其の何故が見えません。
 前出の和歌は「長刀は二尺に足らぬ細身をば持つは不覚のあると知るべし」で、今度の歌では敵は「小長刀」ですから二尺(兵具雑記では二尺三寸以下)に足らず敵は不覚を取るはずなので、我は、斬られる事はあるまい。

 手足四つの健全な敵が小長刀を所持して懸って来る、よもや切られる事はあるまい。

 そのように解せるのですが、我はどのような武器で応じるのか読めません。前出の和歌の卜伝の故事により二尺九寸の太刀で応じる、のでしょうか。
 
 冒頭に掲げたこの歌の解釈は「手足四つが健全な敵に対し、我は小長刀を持って懸るとまさか切られる事はあるまい」としておきました。しかし、それでは前出の歌の解釈では、我は不覚にも敵に斬られてしまうはずなのに、「何故切られないの」と云われてしまいます。敵は健全な手足を持つ優れた兵法者であれば無刀でも長刀には応じられる筈です。
 前出の歌と今回の歌ともに、卜伝の三十七たびの戦場往来、或いは十九度の試合による実戦経験から示された教えと云われますが、「何故」の問いには歌は語ってくれてはいません。お前が未熟だから歌われていない心が読めないのだろうと云われても、卜伝の兵法が残されているわけでは無いので「凄い人だったのだろう」とは思う事としてもそれ以上はトレースできません。
 
少年の頃に、卜伝を讃える話は手に汗握る楽しい講談本でした。(大日本雄弁会講談社編著「塚原卜伝」、中山義秀著「塚原卜伝」)

 

 

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