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2020年9月 7日 (月)

道歌6塚原卜伝百首6の38鑓の穂の長きに

道歌
6、塚原卜伝百首
6の38鑓の穂の長きに

鑓の穂の長きにしくはなきとても
                   さのみ重きは不覚なるべし

別伝
鑓はたゞ刀に合わせ持ぬべし
       尺に余れる穂はし好みそ

 鑓の穂が長い事には及ぶものは無いとは言え、むやみに重いものは不覚である。
 
 別伝
 鑓の穂は単純に刀に合わせ持たないのである、尺を越える穂は良いであろう。

 鑓は有史以前から使用されていたことは知られています。木、竹、石、銅、鉄と変遷して一般庶民が動物や魚の捕獲に使用されていた。同時に戦いにも使われていた筈で突く事を目的にしていますが叩く効果も大きかったでしょう。
 日本では鉾(ほこ)・矛・戟・鋒などの文字があてられ「ほこ」とよまれています。やりは鑓は槍の字ですが「ほこ」とも読むのもある。
 鉾と鑓に区別は、現在では穂を柄の上から被せるものが鉾、柄に茎を差し込むのを鑓と区分けしているけれど、何れも刺突の道具であって使い勝手では意味は無さそうです。
 平安、鎌倉時代には鉾、鑓に関する記述は顕著で無いのは、私見では貴族や武士の持ち物では無く下級の兵士や従者の持ち物で、名のある武士の持ち物では無かったのではと思います。薙刀なども同様の事を推察します。その頃の戦では一騎打ちのような目立ったことを興味本位に書き込んであるようで、当然一騎打ちの前後に雑兵の白兵戦もあっただろうと思います。武将が長刀を揮う時代は室町時代前後からで、鑓による戦闘方式が表面化するのは室町時代に入ってからが顕著でしょう。槍を揮う武将の物語は、雑兵から出世した武士などからより広まっていったとも思います。この辺の整理は小笠原信夫著「日本刀日本の技と美と魂」を参考にさせていただきました。

 という事で、雑兵による鑓の集団戦は卜伝の頃から見られたでしょう。
 鑓は刺突する事が目的でもあり、相手を叩くことを考慮すれば、穂先が長い事は打撃の効果は大きい筈です。然し重くなってしまうのでせいぜい一尺程が妥当だろうと、歌っているのだろうと思います。

 卜伝百首も書かれてから年月が過ぎると順番の入れ替わりや、文言の違いも起こる様です。この歌も別伝とは異なります。
卜伝百首の参考資料を紹介しておきます。
1、此処での藤原祐持の書写した卜伝百首は弘前図書館に収蔵されているもので慶応2年8月1866年のものです。綿谷雪先生によるもの。
2、別伝としたのは、田代源正容の写しによるもので天保10年1838年のものになります。
3、今一つの別伝は今村嘉雄編者代表の日本武道全集第2巻の卜伝百首で加藤相模守藤原信俊の元亀2年1571年に原本から書写されたものを天明6年1786年に信俊の孫によって書写され沢庵の序文の入ったもの。この写本がいくつか現存すると思われます。
 元亀2年1571年は卜伝が第三回の修行より戻り、没した年でもあります。


 

 

 
 

 

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