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2020年9月 2日 (水)

道歌6塚原卜伝百首6の33目貫にはたゞ生き物を好べし

道歌
6、塚原卜伝百首
6の33目貫にはたゞ生き物を好べし

目貫にはたゞ生き物を好むべし
      二足四足の習い有けり

 目貫に使用するデザインはもっぱら生き物を好むべきである、二つ足、四つ足による秘事があるものだ。

 「たゞ」は、それであってほかではない意を表す。多く「のみ」と対応して用いられる、単に。その事が主となっている意を表わす、ひたすら、もっぱら、全く。わずか、たった。ただし、しかし。
 「習い」は、なれること、しきたり、習慣。世の常、きまり。ならうこと、学ぶこと、学習、練習。口授されて学ぶべき秘事など。(広辞苑より)

 目貫のデザインについては、現存する物を見ても特に生き物それも鳥や獣ばかりではなく、爬虫類もあれば花、家紋などもあるものです。
 卜伝は特に「生き物を好むべし」と云うのですから、植物も生き物と云いたい処ですが、「二足四足」と下の句にあるので鳥や獣位に絞ったのかとも思えてしまいます。
 何故そのように絞ったのかの理由は「口授されて学ぶべき秘事」があるものだと奥深そうに読んで見ました。
 柄に装着された目貫を見ながら、目貫は短くて高い(厚みのある)ものはダメで長いのがいい、次はデザインで鳥か獣と特定しているようで、そこまで厳しくチェックするほどの事を理解出来ている現代武術家と自負される先生はおられるのだろうかと首を捻ってしまいます。
 目貫は清水橘村著刀剣全書によれば「目貫なるものは、目貫穴を貫きて其柄の抜けぬやうに止める料である・・目貫に対して目釘と云ふものがあるが、これは往昔は目貫と同じものを謂ったらしいが、何時の代よりか全然別のものとなってしまったのである」
 卜伝の時代は、戦闘方式の変化により、太刀から打刀への変遷があり、柄の有り様も変わっていったと云えます。その上戦いの無い平和な時代の江戸時代には刀は武士と云う地位の象徴となってしまったのです。現代では地位の象徴である刀を以って居合など稽古し人前で演武しているばかりですし、一般の剣道家も竹刀剣道か木刀による江戸期を古流とする形に留まるにすぎません。
 目貫の存在が歴史の中に埋没してしまったとしても、仕方のない事なのでしょう。

 日本刀の本身を使って居合の稽古をしています。はじめは刀屋さんから拵え付きの刀を求めるなりお仕着せのものでも、何の疑問も持たずに我が身を合わせる様にして稽古をして来たものです。
 家伝の刀も拵えは既に消えはててしまい、或いは破損して見るに絶えない。あるは軍刀に変わってしまいなど其の儘では稽古に向かない。目貫なども無くなって刀身は錆だらけです。
 一振り研ぎに出し、拵えを作ってもらえば、小道具込みで30万~40万円は飛び出て行きました。熱心に稽古すれば痛むのも早いもので柄は汗と油とともに擦り減って来る。鞘もいつの間にか鯉口が削られ甘くなる、塗りは当たり疵で情けなくなる。
 一念発起して、自分で柄を革巻きに直し、目貫も骨董屋さんの店頭で見かけた素朴なものを買い求めて付け替え、鞘も鮫革を張って塗装し直すなどやって、細かい所は兎も角一腰モデルチェンジさせて見たものです。
 既に何年も一日も欠かさず稽古して来ましたが何ら不具合を感じません。卜伝百首を読み解きながら、道場での空間刀法による居合の稽古では刀の良し悪し以前の運剣の術理の良し悪しすらおぼつかない、藁など据え物を切って見ても同じ事です。
 戦場で刀を以って命を懸けて戦い抜く事とは全く異なる事で、現代を生きる者には理解できない事を、卜伝は歌っているとしか言いようは有りません。
 
 
 

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