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2020年9月13日 (日)

道歌6塚原卜伝百首6の44心ある昔の人の

道歌
6、塚原卜伝百首
6の44心ある昔の人の

心ある昔の人の着し鎧
     胸板ばかり札(実 さね)厚くせり

 心得のある昔の人が着ていた鎧は、胸板の札を厚く作ってある。

 卜伝の云う昔の人とは何時頃の人で其の鎧とはどの様な鎧なのか特定できません。胸板の札を厚くするのは矢で射られても貫通して心臓に到達しない目的でなされている筈です。
 鎧の歴史を駆け足で勉強して見ました。
・弥生時代 短甲といわれるもので胴を守る金属製のもの、兜、草摺、肩鎧、籠手、脛当てなどもそろい、古墳の埴輪から伺い知ることが出来る。
 革や鉄の小札を繋いだものも出来始めてきている。兵士たちはコート状の布に革や鉄片を綴じ付けたもの綿襖甲を着けていたと云われます。
 現存しているものは見た事もありませんし、鎧の呼称などは後世の人に依るのか解りません。
・平安時代 弥生時代の延長上で改良が為されていたでしょうが、武士階級の台頭により現在見ることが出来る大鎧が平安末期には出来上がっています。大鎧は騎馬戦に対応したもので馬上での騎射や片手打ちの太刀に対する全身防護鎧。徒歩武者は昔からの軽装の胴丸を着用していた。平安末期には軽く着用が容易な胴丸に兜、袖、籠手、脛当をつけ、元々胴丸に附属していた草摺と共に上級武士も着るようになった。
・鎌倉時代 戦闘方法が変化し騎馬の武士に対し、下級の徒歩武者が増え、上級武士も馬上から降りた白兵戦向きに胴丸が主流になって、大鎧は権威の象徴となって行く。
・南北長時代 胴丸が更に簡略化され腹当、腹巻となって背中の開いた胴の前を防護する鎧に変化して行く。更に札の縅方も小札を横に縅していく毛引縅から、間隔を荒くし縦に並べる素懸縅に簡便化された。
・室町時代 更に、小札を縅すのではなく、一枚板を使った板札を並べて行く。
・室町時代末期 南北朝時代後半から簡略化して徒歩による白兵戦、鑓の使用などの戦闘の変化に合わせ変化して来た腹当、素懸縅、板札による時代は、鉄砲の伝来から其の使用によって当世具足へと変わってゆく。(笹間良彦著「図説甲冑のすべて」を参考としたネット情報より)
 甲冑とその兵法については、特段の興味は持ち合わせていませんので、不十分な処はご容赦ください。

 卜伝の歌う鎧とは、大鎧は既に象徴として着られたとしても、実戦では胴丸の簡略化された、毛引縅か、腹当あたりを指すのかと思います。其の胸の辺りを厚手の小札で威すか、板札の胸の辺りを厚板にする事だろうと思います。
 大鎧の胸当ては左右に有って、左脇を覆う鳩尾板(きゅうびいた)、右脇を覆う栴檀板(せんだんいた)でカバーされています。 
 
 

 

 

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