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2020年10月17日 (土)

道歌6塚原卜伝百首6の78もののふの道行く連れ

道歌
6、塚原卜伝百首
6の78もののふの道行く連れ

もののふの道行く連れの有る時は
        何時も人をば右に見て行け

 武士が道を行く時に連れがあるならば、何時でも連れの人を右側に見ながら行きなさい。
 
 前々回の歌は「もののふの道行く時に逢う人の右は通らぬものと知るべし」でした。右側は不意打ちに逢い易いと云うような解釈でしょう。
 今回の歌は、同行する人はいつも我右側に見ながら行くべき、と教えています。右に見ながらですから右後ろ、右真横は 見えませんから、やや右前が良さそうです。
 相手が我に殺意があると感じた場合は特にこの心得は有効でしょう。相手が鍔に手を掛ける、柄を握る、丸見えです。相手には害意が有って身分が我より下の場合は、お先にとへり下って一歩下って連れ立つとかの場合は、露払いをしてもらうのでしょうね。我が相手より身分が低い場合は一歩下って連れ立つ、是は我に有利そうです。
 卜伝百首は卜伝の経験値から一方的に決めつけられる印象があるのは、卜伝崇拝に染まった人はそれだけに居付いてしまいますが、何故そうするのかを自分で考え、状況次第や相手次第による展開を即座に描けるものでなければ、「もののふ」などと云えそうにありません。現代風に形にはまったマニュアルがあれば楽な面はあるでしょうが、それではただの剣舞です。武術は「習い・稽古・工夫」のスパイラルで自由な発想からあらゆる状況に応じられる心と体を鍛えなければ稽古の意味は、古伝に依る健康体操に過ぎません。自分流を開きそれが次の時代のマニュアルになるものでしょう。形に拘って役立たない、変化し過ぎ奇をてらった大道芸ではすたれてゆく。そんな事を考えてしまいます。

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