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2020年10月15日 (木)

道歌6塚原卜伝百首6の76もののふの道行く時

道歌
6、塚原卜伝百首
6の76もののふの道行く時

もののふの道行く時に逢う人の
      右は通らぬものと知るべし

 武士は道を進む時、向こうから(前から)来る人と出合うならば、其の人の右側は通らない事と知っておくべきである。

 狭い道路で、進行方向の右側を通行すると、我が刀の鞘と、前から来た人の鞘とがすれ違いざまに触れる事があるでしょう。どっちが悪いのか知りませんが「無礼者!」ってわけで喧嘩になる話が、ほんとか嘘かチャンバラ小説には出て来ます。卜伝の歌の場合は前から来る人の左側を我は通れと云うわけで、当然相手も我の左側をすれ違って行きます。
 刀は左腰に指し柄頭が我が正中線上、又は鍔が正中線上ならば刀の鐺は柄頭とほぼ水平ならば左体側より一尺程外にあります。

 この歌は、前方から来る人の右側を通るなと云うのですから、我も前から来た人も進行方向の左側を通行するなというのです。この場合は鐺が触れ合う事は無いのですから右側通行の、鞘当ての心配はないでしょう。

 卜伝の歌の教えは概ね「何故」の解説がありませんので「何故だろう、どうしていけないのだろうか」は自分で考える事になります。
 太刀も刀も左腰に位置するので、無双直伝英信流居合兵法の場合は、右手を柄に掛け右足を踏み込んで左から右への抜き付け、或いは左上から右下への抜き付け、左下から右上への抜き付けが標準的な抜付けです。
 これは正面からハチ合わせの抜き方ですが、我が右側を通行する相手ならば右足の踏み込みを相手に向けて踏み込むや抜き付けるのには、我も相手も道路の左側通行は居合抜に適していると思われます。
 我右側を通過しようとする相手には抜き付けしやすいという事で「道行く時に逢う人の右は通らぬものと知るべし」と云うのは妥当です。当然ですが後から敵が来た場合も、敵は我が左側ならば抜き付けし難いのですが、右側を通り過ぎようとするならば、右廻りに振り向きざま抜打ちするのはやり易いものです。抜刀法の「後敵抜打」で稽古されています。同様に左側から来る敵には左廻りは「後敵逆刀」が有ります。稽古ではどちらも真後に居る敵の想定ですから、形だけやっている人はその優位性が判断できないかもしれません。
 前から来る敵に対しては、我が左側を通過しようとするならば、右足を相手に向けて左方へ踏込めば良いだけなのです。右側を通過しようとするならばより容易です。
 道が狭く相手とのすれ違いの間隔が近ければ、敵が左側を通過しようとするならば間境で抜刀し左脇に刀を添えて行き違いざまに払い捨てる無雙神傳英信流居合兵法の抜刀心持之事「行違」が可能です。
 
 子供のころから剣豪塚原卜伝の小説などで卜伝崇拝の先生方も多いでしょうから、卜伝に一票ですが、私は右であろうと左であろうと相手に殺意があるならば、此方に其れを察する力が無ければ切られてしまうと思います。此処は状況次第で、道路の左側を通っていたならば立ち止まってやり過ごすとか、更に左に避けて通るなり、道路が広いならば右側に数歩前から変わるなりする事で、何とでも出来るものです。
 習慣的に武士は道路の右側通行する事は、抜打ちを避ける手立てとして行われたと思いますが、交通法規があったわけでは無いので状況次第が妥当でしょう。

 

 

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