道歌6塚原卜伝百首6の94もののふは生死二つを
道歌
6、塚原卜伝百首
6の94もののふは生死二つを
・
もののふは生死二つを打ち捨てて
進む心にしく事はなし
*
武士は生きるも死ぬもそのどちらも打ち捨てて事に向かって進む心に、及ぶ事はない。
武士道は死ぬ事とか、死んだ気になってとか、死を連発して如何にもと見せている姿勢に、生への執着も潔い死も打ち捨てろ、無になる心に及ぶ事は無いと歌っています。
この歌に至るまでに「心」について卜伝は七首を以てこんな風にうたっていました。
・88 武士の如何に心の猛くとも
知らぬ事には不覚あるべし
・89 もののふの心に懸けて知るべきは
勝った勝たれぬの敵の色あい
・90 もののふの心の内に死の一つ
忘れざりせば不覚あらじな
・91 もののふの学ぶ教えはおしなべて
その究みには死の一つなり
・92 もののふの迷う処は何ならむ
生きぬ生きぬの一つなりけり
・93 もののふの心の鏡曇らずは
立逢う敵を写し知るべし
・94 もののふは生死二つを打ち捨てて
進む心にしく事はなし
此の心持ちの歌を続け読みして、最後に至るのは生死を思わず「無心」になる事で、武士が事に臨む際の心に至ったのでしょう。強く逞しく誰にも負けなかった若き日の卜伝が自らの兵法修行で辿り着いた心なのかも知れません。
そんな事を思いつつ卜伝百首を読み進んで来て、山本常朝の葉隠れにしても、大道寺友山の武道初心集にしても、新渡戸稲造の武士道にしても、卜伝が辿り着いた「もののふの生死二つを打ち捨てて進む心にしく事は無し」の兵法の悟りの途中にある様な気がしてなりません。
「お前ね~それは単に戦いに臨んでの心を、卜伝は歌っているんだ、常朝の葉隠れは違うよ、もっと次元の高いことを言っているんだ。解らんかね。」
扨、どこが違うと云うのでしょう。
生を得て生きている限りは生き抜く心掛けが無ければ、と卜伝は言っているのであって。
いつでも死ねるいつでも死んでもいいなどと云う心掛けとは明らかに違います。
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