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2020年11月 6日 (金)

道歌6塚原卜伝百首3伴信友後書

道歌
6、塚原卜伝百首
3伴信友後書

文政4年(1822年)巳年3月17日於官局写之
私云歌在九十七首 脱三首與(?) 他日加一校了
伴 信友
 
 常陸国鹿島宮の人北条時▢云、鹿島神宮に伝来の剣法あり、もとは上古流といひ、中頃一変して中古流といひ、更に変じて新当流といへり(いと古くは鹿島の太刀とのみ言ひ習へり、新当といへるは上古、中古二流に、新意を加へたる故なりとも、塚原卜伝神託の内、新当の義あるをもて名付たりともいひ伝ふ)当流起源伝國摩真人(天児屋根命十代孫、國摩大鹿嶋命之後世)常願表霊験之妙理作之法、伝後世、於高天原(私云、常陸の地名也)築神壇拝祷数年、蒙神聖之教、悟得神妙剣一術、是日本兵法之元祖、立規法之本源也と云々、この剣法、今宮人の座主吉川氏、大祝部松岡氏等の二家に存す、此剣法の達人古よりあまたありしが中に、鹿島塚原村の産に塚原土佐守高幹、後に卜伝といへるは中興の上手にて、世に武名を震へり(塚原幹安が子なり、元亀2年(1571年)11月卒、葬干須賀村梅光寺)、千日の間神宮に参拝して神感を蒙り、、一つ太刀の妙術を発揮せり、又其頃香取飯篠村の産飯篠山城守家直入道長威入道(長享2年(1488年)4月15日卒)と云るは、香取の新宮に千日祈請して夢中に神伝を得て、鎗長刀の術の精妙を悟れり、かくて卜伝は一つ太刀の秘術を長威に授け、長威は鎗長刀の妙業を卜伝に伝へたり(卜伝延徳元年1489年生まれと云う卜伝誕生の前年長威は没しています。ミツヒラ記)、さて卜伝諸国を修業して京へ上り、義輝、義昭両将軍に一つ太刀を伝へ、伊勢に遊びて北畠具教、甲斐に至りて武田晴信等に遇て秘術を説き示し、武田家の諸士あまた信服す、中にも山本勘助晴幸其術をよく得たり、其後郷里に帰りて門人ますます進む、中にも傑出の輩は鹿島の大祝松岡兵庫助則方、江戸﨑の浪士師岡一羽、真壁城主真壁安芸守入道々無、同所の郷士斎藤判官入道伝鬼等也(伝鬼後に一流をなして天流と称す)兵庫助則方は東照宮に一つ太刀の妙術を伝へ奉りけるが、御感ありて御染筆を賜へり(卜伝の子、小才治と云へるは豊臣秀吉公また加藤清正に剣法を伝へたり)又長威の門人の中にては松本備前守政信(鹿嶋氏の被官四天王の一人也)ことに秀たり、これは十文字の鎌鎗をも発明して、毎度戦場のほまれあり、有馬流の祖大和守幹信(鹿嶋氏の家人なり)新陰流の祖上泉伊賀守秀綱は政信の門人也、鹿島瑞験記に意文中、座主吉川直常、下総國神代村なる年来の弟子に剣法の奥義を伝授せる時、その内一人俄に狂乱しけるが、夢に汝触穢の障あるによりて此たびは相伝なりがたきよし神託ありし趣を記せり、
 同年10月29日書加え  信友
松本貞徳恩記に細川幽斎主の事をいへる条に、兵法は卜伝に一つ太刀まで御きはめ有し、此卜伝は何事にても人の芸能のいたりがほをするを見ては、いまだ手をつかで申といひきと追う仰られき(幽斎主の話なり)武具要説にも卜伝の事見へたり、
 信友再記


 塚原卜伝については江戸時代になってから「本朝武芸小伝」、「武芸流祖録」、「撃剣叢談」などにその由来を述べられていますが、どれも似たようなもので卜伝の影がおぼろに見える程度のものと思います。
 信友の後書にしても同様で、これを解説して見ても卜伝にたどり着く前に史実とのギャップを覚え、読んだだけで終わりとします。

 

 

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