月之抄をよむ3、兵法之落索1
月之抄をよむ
3、兵法之落索1
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漢文調で書かれていますので、読み下し文として掲載します。
夫れ兵法は竺(天竺)、支(支那)、日(日本)三国に亘り之有り。
竺土に於いては、七仏師、文殊、上将、智恵剣を提持し、無明の賊を截断す、一切の衆生其の刃に嬰(ふれ)ざるなし。兵法の濫觴(らんしょう、さかずきをうかべる、意味は物事の始まり)と謂うべき。摩利支尊天は専ら秘術を以て為す者也。
支那に於いては黄帝阪泉涼(涿 たく)鹿に戦い(史記による伝説上の黄帝の阪泉の戦い涿鹿(たくろく)の戦い)以て還り元明に至り、断絶せずは兵法也。
日本に於ては、伊弉諾尊より、今日に至り、一日として兵法無くべからず。古流、中流、新当流有り。亦復陰流有り。
其の余は勝計すべからず(それ以外は数え上げるものでは無い)。
茲に上泉武蔵守秀綱有り。関東に於て諸流の奥源を究め、陰流に於て奇妙を抽(ちゅうす、ぬきんず)。新陰流と号す。
時に上洛有り、是に於て宗厳若年より、兵法に執心し諸流の極意を尋ね捜すと雖も、未だ勝利を達する能わず。故に秀綱に対し種々執心懇望せしめ、毛頭も極意を相残されず、誓詞印可返し賜い、截相口伝を極む、之に加え宗厳数年当流、他流稽古鍛錬を以て工夫の上、新しく肝心の一、二を分別し、或は十人にして六、七人、或は十度にして六、七度、無刀による必勝の工夫を得る。之を仰ぎて弥(いよいよ)高く、之を鑚(き)ればいよいよ堅し。
世に玄妙と云うは其斯れ之斯を謂うか、惟多くは唯我独聊(唯我一人を頼みとする)寓意存するのみ。然れど造次顚沛(ぞうじ・てんぱい 意味はわずかな時間)切磋琢磨すれば則必ず自得有る矣。
落索とは、酒食などの食べ残しもの、またそれを飲食する事。行事などの慰労の宴、という意味として使われます。兵法の落索とはさて・・。此処では新陰流の由来と柳生宗厳が極意を手に入れ無刀を得た由来をのべています。
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