« 道歌6塚原卜伝百首6の94もののふは生死二つを | トップページ | 道歌6塚原卜伝百首1祐持写の序 »

2020年11月 3日 (火)

道歌6塚原卜伝百首6の95学びぬる心に態(わざ)の迷いてや

道歌
6、塚原卜伝百首
6の95学びぬる心に態(わざ)の迷いてや

学びぬる心に態(わざ)の迷いてや
      態(わざ)に心の又迷うらん

 此処まで学んで来た態(わざ)に更に迷っている、その迷う態(わざ)に心がまた迷うとは。

 態をわざと読ませています。わざの漢字は業・技・伎・和座・和座・和座・倆・態・芸・蓺
 「態」の意味は、すがた、かたち、ありさま、ようす、姿態、形態、状態。
 「業・技」の意味は、すること、しわざ、おこない。つとめとしてすること、しごと、職業。しかた、方法、技術、芸。こと、有様、次第。武道・相撲等で相手に仕掛ける一定の型の動作。(広辞苑より)
 卜伝が敢えて「態(わざ)」と書いた意図が読める様な気がします。「わざ」と読むと「業」をイメージすると、一定の「かたち」に収めたものが浮かんでしまうのは、多くの武術書が「業」の文字によって「形」を述べているからなのでしょう。広辞苑の解説も「一定の型」とされています。
 そうであれば「態」は固定したものでは無く、状況次第で「わざがうごく」事を思いえがきます。そしてそれは心も「無」であって無ではない事を意味する様です。

 此処までほぼ一年をかけて、多くの兵法歌を読んできました。卜伝百首はこの歌を最後の歌にしています。別伝では96首、或いは97首ともある様ですが、どれも原本ではないので文言に多少の違いが有っても似たようなものでしょう。歌の順番の狂いもさして気にならず略どれも同じような順序になっています。
 卜伝百首は卜伝の詠んだ歌か否かの議論もある様ですが、卜伝の逸話や史実でとやかく云うのはすべき事では無く、卜伝の兵法に有る筈です。しかしその兵法は歌から垣間見ることすらできません。

 卜伝百首を読み終えて、ふと思った事は、日本の武術は平安時代あたりから営々と受け継がれ、時代の要請によって進化しつつ、その役割を全うして来たことでした。特に室町中期からの卜伝の考え方が卜伝百首に収められ、その極みは新陰流として上泉伊勢守信綱に移り、柳生新陰流に転移し、一刀流や無雙神傳英信流居合道や無外流、田宮流に影響していることを強く感じています。

 奥伝百首の序文と後書きを原文のまま、次回以降に投稿して卜伝百首を終ります。

|

« 道歌6塚原卜伝百首6の94もののふは生死二つを | トップページ | 道歌6塚原卜伝百首1祐持写の序 »

道歌6卜伝百首」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 道歌6塚原卜伝百首6の94もののふは生死二つを | トップページ | 道歌6塚原卜伝百首1祐持写の序 »