月之抄を読む
11、習之目録之事
11の18昌歌之事
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11の18昌歌之事
老父云、敵の動き細かにして、小拍子なるもの口の内にて合わせて打つをば大拍子に打つを云也。
亦云、至極の上に仕掛ける心持とは、仕懸けの時、謡にても舞にても小唄にても、心を歌いて仕懸ければ、則、着を去りて心乗るもの也ともあり。
亦云、昌歌は息也。息合いを心得べし。敵小拍子にして、拍子取られざる時、ヤッと声を掛ける心持にして、息を籠むれば、浮き立って軽し。声を掛くるによりて、拍子合い、乗るもの也。我心に乗ったる拍子にて打つ心也。鼓打ちのもみ出を打つ拍子と同じ事なり。
亦云、細かにして拍子取られざるものに、先の拍子を心に乗せて、拍子に構わず打つべし。亦云、拍子取られざる時口の内にて合う、口拍子の内に一つぬかいて打込む心持なりともあり。
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敵の動きは細かく切先を動かす小拍子であるものには、口の中でその拍子を合わせて大拍子に打つのを云う。
亦云う、隙も無い小拍子に仕掛ける心持は、心の内に謡でも・小唄でも・口ずさめば、思いが吹っ切れて心が乗ってここぞと打てるものだ。
亦云う、昌歌(しょうが、唱歌は楽器の旋律に合わせ歌を歌う事、声雅)は息、息が合う事を心がけるものである。敵が小拍子で、拍子を捉えられない時に「ヤッ」と声を掛ける心持で、息を籠めれば(意気を吐き出す、注ぎ込む)ようにすれば、身も心も浮き立って軽くなる。声を掛ける事で拍子も合い、乗るものである。我心に乗った拍子に打つ心である。鼓をうつ時の「もみ出し(いよ~ポンと打つ?)」を打つと同じ事である。
亦云う、敵の拍子が細かくて拍子が捉え難い場合は、先の拍子を心に乗せて、拍子に構わずに打つのである。亦云う、拍子が取れない時は口の中で拍子を合わせ口拍子の内、例えば一つ抜いてトン・トン・◇・トンの◇で打ち込む心持で打ち込むのである。
切り込む時は、息を吐き出す事は、真剣刀法では一般的で、息を吸って打込むことは好ましくないと云われますが、確たる理由は見いだせません。
居合では演武の時二呼吸半で息を吐き出す際に抜き付け切り込みをしていますから当たり前の事としています。然し明らかに吸い込んだ時より「浮き立って軽し」です。訓練次第でしょうが、息を吸うとき打込むと、見事に切れてもそこに居着きやすい気もします。敵と遭遇して二呼吸半や中には三呼吸半とか、一呼吸半でも切られています。
兵庫助の始終不捨書では「・・一超直入の心持」であれば無拍子に打つ事を意味しています。月之抄のこの項目を熟読しても一超直入の無拍子と同じ心持ちと思えます。マニュアル通りなどで生きる人は其処まででしょう。
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