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2020年12月

2020年12月31日 (木)

月之抄を読む11、習之目録之事11の38背き付けと云心持之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の38背き付けと云心持之事

11の38背き付けと云心持の事
父云、是は三寸より深くもあれ背きもせよ、だいたいの手字身に取り、心に取てつけるべし。所作は違うとも心持専ら也。

父云、「背き付け」は敵の鎺元三寸(敵の拳)より深く打込む、或いはより浅く打込むのは背くのではあるが、大体の手字(十文字勝)身にも心にも付けて打込むべきものである。所作は深く、或いはより浅く打込むので習いの打込みとは違うけれども、心持ちは習いの通りである。

 三寸より深い、或いは浅いを、習いの十文字に背いている、と読んでおきました。「深くもあれ背きもせよ」を「より深くより浅く」と解したのですが、三尺より深くとも、敵の拳を越し中墨を以て体に斬り付けているかもしれません。しかし、三尺より浅くでは、敵の鍔を打つとか拳に当たらない事も考えると、「背きもせよ」は浅く勝当流の掟に背くのだが、十文字勝の心持ちが為されているならば、良かろうと云った感じもするものです。但し手字は十文字に依る勝口ですから勝ものでなければならないでしょう。

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2020年12月30日 (水)

月之抄を読む11、習之目録之事11の37其道を寒く風体付り右之三寸之心持之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の37其道を寒く(塞ぐの誤字?)風体付り右之三寸之心持之事

11の37其道を塞ぐ風体付り右の三寸の心持之事

父云、是は、太刀の構により早き処あり、晴眼(青眼、正眼)の構は先早きもの也。三寸へ付て早身を塞ぐべし。早き方をよく合う心あれば、弥(いよいよ)早きもの也。太刀にては付け、無刀ならば寄り添うて塞ぐ心持也。
亡父の録に理なし。

 目録の「其道を寒ぐ風体」は文面から「其道を塞ぐ風体」であろうと思います。
「付けたり右の三寸」は月之抄を読むの11の9の「敵味方両三寸之事」で「敵の太刀先三寸を味方の三寸と云。敵の拳三寸前を敵の三寸と云う。仕掛には味方の三寸へ付け、打時は敵の三寸を打べし。当流には深く勝事を嫌うが故なり。浅く勝て」と有り更に「亡父の録に、拍子乗る時は、鎺元三寸を目付て打也。拍子を取る時は、切先三寸、十文字と懸け取なり。」

 父云、是は、太刀の構によって、青眼の構えは早い打込みに成るので、敵の三寸へ打込み、十文字勝で身を塞ぐべきである。早い方が合い易いならば、いよいよ早く打込むものである。太刀では打込み、無刀ならば敵に寄り添うようにして敵の打込みを塞ぐ心持ちである。

 この項目を読んでいますと、この月之抄は柳生十兵衛三厳の自分の為の覚書の雰囲気です。主語が不明瞭な上に新陰流独特の用語は余程の勉強家で無ければ意味不明でお手上げになりそうです。
 新陰流の意図する事、十兵衛が伝えようとする事、それらは修業する者の力量によっては、読み間違える事も半端な事ではない様です。
 不断の稽古でも、月之抄の語る声を思い出しつつ、打つ打たれて打つ心持ちを一つ一つに心を込める事で、より理解が進むのでしょう。熟練した棒振り演舞では幾年経っても新陰流にはなりそうもありません。

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2020年12月29日 (火)

月之抄を読む11、習之目録之事11の36角を掛る一つのはしかけの事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の36角を掛る一つのはしかけの事

11の36角を掛る一つのはしかけの事
父云、是は上段の構などと、小太刀にて打んとするに能也。
水月にて、座と大体の手字に身を捻り掛け、一尺をかかえて打べし。太刀連の心持よし。身の捻りを以て一つの外し掛け、角(すみ)を掛くる心持也。
亡父の録に此の儀無し。
亦云、此の習は、遠近の心より手字を抱え掛けて打つ心持也。
亡父の録に見えず、是は秀忠公、御稽古時より、打事を御望みに思し召されしにより、此の習となり。老父より此の形の儀也。

 父云、是は、敵が上段の構などで小太刀にて打たんとするのに良い習いである。
 間境にて、敵が打込んで来るのに、手字に、我身を捻り掛けて、肱を稍々屈めて敵の太刀に連れて十文字勝をするのが良い。我身を捻って敵太刀を外して乗って打ち込む、角掛ける(すみかける)心持である。
 亡父の録には此の儀は無い。
 亦云、此の習いは敵との間積りにより十文字打ちのさい太刀を抱えて打つ心持ちである。
 亡父の録に見えない。
 是は、秀忠公、お稽古の時、相手を打つ事を望まれ、遠近の次第でこの様に抱え掛ける様な習いと、宗矩が進めた。

 この項目の字句の幾つかは、事前に解説されていませんので、全体の文章から想像する事に成りそうです。不断の稽古では勢法の稽古中にしばしば出て来る所作とも言えます。既に月之抄の項目にあった言葉も含み拾い出しておきます「角を掛ける、はしかけ、水月、座、手字、一尺を抱え打つ、太刀連、身の捻り、外し掛。」
 石舟斎の「新陰流截相口伝書亊」に「角を掛ける」項目は見当たりませんが、「太刀つれの事」は有ります。敵の太刀に連れる、又は太刀の動きに体も連れる事でしょう。「没茲味手段口伝書」には「角にて關(変わる)拍子之事」として伝授されています。

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2020年12月28日 (月)

月之抄を読む11、習之目録之事11の35十文字之習之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の35十文字之習之事

11の35十文字之習之事
父云、十文字とは種字の改名也。諸作に取なして云う時此の如し。
亡父録には十文字、太刀十文字也。上太刀にも又受くるにも此の心持也と書。
亦云、身に取り所作に取り、心に取る心持有、諸事付て十文字の心持感ずべし。

 父云、十文字とは種字の改名である。所作のありようを特に云う時、この様に云う如しである。
 亡父の録には十文字、太刀十文字である。上太刀に成る時も、相手太刀の切り込みを受ける時にも此の心持であると書かれている。
 亦云、身に取り、所作に取り、心に取る心持である。諸々の事に就いても十文字の心持を感ずるべきものである。

 十文字に勝つ事は新陰流の極意であり基本的な太刀捌きでもあり、此処で云うように「諸事付て十文字の心持感ずべし」でしょう。

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2020年12月27日 (日)

月之抄を読む11、習之目録之事11の34敵手字種利剣を遣い懸けさせて勝心持之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の34敵手字種利剣を遣い懸けさせて勝心持之事

11の34敵手字種利剣を遣い懸けさせて勝心持之事
父云、これは敵より手字手利剣を遣い懸くる時、矢張り遣わせて、直に掛るべし。我手字手利剣になるべき也。敵に取られまじきとする事悪し。敵に取らせて置けば、我取たるも同前に成るべき也。
亡父の録には理なし。
*
 父云、これは敵に手の内の目付によって十文字に打込む手字手利剣(手字種利剣)を遣い懸って来る時。矢張り遣わせて、直に懸るべきものである。我が手字手利剣を遣うのである。敵に取られまいとするのは良くない。敵に取らせて置けば、色に就き色に随う事と成り、我が取ったのと同じ事となるべきものである。
石舟斎の録には此の事の理は無い。

 先の習いに依る「懸待有之事」で学んだ事の例題となりました。

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2020年12月26日 (土)

月之抄を読む11、習之目録之事11の33大体の手字種利剣之仕掛之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の33大体の手字種利剣之仕掛之事

11の33大体の手字種利剣之仕掛之事

父云、これは付掛け、仕掛け候とも、敵の衣文、胸の順を外さづして、仕掛るべし。動き働かざる前より、此の心持、衣の内合わせ〆て衣紋成るを大体の手字と云なり。付けの心持は、立相より手字を外さずして、仕掛けるべし。太刀にても身にても同意也。水通しとて油断無く心得べし。
亡父の録には何も無し。

 手字種利剣は手字は種字で十字、十文字の打込、十文字勝の事。手裏剣は種利剣、手裏見で手の内を見る目付。同じ事を項目内でも項目外でも種々に云い廻すので、「なんだっけ」と前を繰り直してしまいます。
 父云、これは仕掛け、仕掛けるには、敵の衣文(衣紋)、胸の順を外さずに仕掛けるのである、敵の動き目的に向かって打込み出さざる前より、此の心持ちで、衣の内合わせた処と衣紋と合わさる辺りに十文字に打ち込み勝のである。付ける心持は、立ち合うよりその手字を外さず仕掛けるのである。それは太刀でも身でも同じ事である。水を流す様に滞り無く油断無く心掛けるものである。
亡父の録には何も無し。確かに石舟斎の新陰流截相口伝書亊には見当たりません。

 この文章は、解りずらい言い回しで何を言いたいのか文字を拾って読むのでは、忽ち滞ってしまいます。ここでは、十文字に打込む際の仕掛ける位置は「手字」だと云うのでしょう。そこは衣の合わせ、衣紋との間、中墨でしょう。敵の切り込む処を種字に種字に切る、そんな読みをして見たのですが、さてどうでしょう。

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2020年12月25日 (金)

月之抄を読む11、習之目録之事11の32有無之拍子之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の32有無之拍子之事

11の32有無之拍子之事
父云、是はシュリケン(手利剣・手裏剣)に付ての事也、見様也。目付の動かざる処を能く見て、心懸れば手裏剣の動き能く見ゆるもの也。無を心掛るにより、有の能く見ゆるもの也。
亡父の録には理なし。
亦云、有無之拍子は、有も有、無も有と云う心持、真の位なりと云えり。然れば、有も有、無も有と云う位にて知るべし。是をあげて有無之拍子と云へりと書る。
亦云、有無の拍子と云は、有か無かと敵の目付を見て、有でも無でも仕掛ければ、動き一つに見る也と云う心持専ら也ともあり。
*
 有無之拍子の事は、敵の手の内である手裏剣についての事である。どの様に見るかである。敵の目付が着いている所の動かざる処を能く見る様に心懸れば、手裏剣の動き能く見えるものである。
 亡父の録には理は無い。
  石舟斎の新陰流截相口伝書亊には「有無之調子之事」と記載されています。

 亦云、有無之拍子は、敵の手の内を見て、仕懸けようとするのに応じて打つのが「有も有」、敵が無拍子に入って来るのに応じて打つのが「無も有」と云う心持で真の位であると云うものである。然れば「有も有」、「無も有」と云う位であると知るべきものである。此の事から有無の拍子と云うと書かれている。

 亦云、有無の拍子と云うのは、有か無かと敵の目付けを見て、有でも無でも、此方から仕掛ければ敵はそれに応じて、動く、それを見て随う心持ちを専らとするのである。

 石舟斎の新陰流截相口伝書亊の「有無之調子之事」では拍子が調子となっています。如何なる状況でも応じられる心持ちを持つのが調子で、如何なる拍子で打ち込まれても応じられる拍子を云う様ですが、宗矩の拍子は調子と同意に用いられているやに読めます。

 

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2020年12月24日 (木)

月之抄を読む11、習之目録之事11の31十字手裏見之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の31十字手裏見之事

11の31十字手裏見之事
◯(縦5本横5本の井桁)字也(しゅじなり)
古語云く
心随万境轉 轉處実能迷 随流認得性 無㐂亦無憂
(心万境に随って転ず 転ずる処実に能く迷なり 流れに随って性を認得すれば 喜び無く亦憂も無し)
老父云、右の動を細かに仕分けたる心持是なり。三つを勝所、二つは手利剣の見ゆる処を勝也。二つは無き処也二つ。二つは、合う処、付る所有也。越て余したる処は、無なり。種利剣は手の内を見ると云心持なり。種字は敵の太刀打処を十字(しゅじ)になるを云う也。文字を心得るべし。有無の習と云も右の心也。
亡父の目録右に替らず。
亦云、種字と云習の心持、九字の大事とて、真言の秘法にあり。此の九字に一つ入て十字(しゅじ)也。横五つ、縦五つ、十也。とうは十の字十也。さるにより、十字也。十文字にさえ合えば、当たらぬ也。
手裏見(しゅりけん)は手の内也。裏の字に心持あり。理に云、衣の内に里を包むと云心持あり。里は中墨、高上神妙剣なり。心を衣に包みて置となり。心の居処を里と云なり。胸の通りを外すまじきと也。大体の種字の仕掛けと云も、是を以て知るべし。衣文なりを我身に詰(指)仕掛る心持也。有も有、無も有と云心持の事付り、無は有、有は無と云心持ちの事。
又云、是は種利剣を見る心持也。目付動て、打たんとすれば、後はへなりて遅し。さる故に、有は無に成るまでの間を打べし。無は有にても有と心得るべし。目付の心持感味多し。
亡父の録には理なし。
亦云、無は有、有は無と云う心持は目付見へざる処は申すに及ばず。見ゆる処も動かざる処を指して無と云なり。見えざる時は仕掛て見ゆる所を勝。見へてある時は動かざる先を勝と云心持也。何れもかすかなる味多し。

 しゅじなり。
 古語曰く「心万境に随い転ず、転ずる処実に能く迷なり、流れに随って性を認得すれば、喜び無く亦憂いなし。」
 古語の意味は、心は様々な状況に随って転ずる、転ずるままに執着せずに心が自由となり、流れに随って状況に応じられれば、喜びも憂いも無く平常心であろう。
 月之抄では二節目の「転処実能幽」が伝法祖師22祖の摩拏羅(まぬら)尊者の偈なのですが、「幽」の文字が「迷」になっています。状況に応じるのに「迷(まよう)」どうすべきかも迷ってしまうのでは、新陰流にならなくなってしまいそうです。ここは、十兵衛の月之抄を書写した者が誤写したのかも知れません。此処までの月之抄の文面や文字の癖が、江戸時代の誰か特定の能筆に依るものなのか気にはなっています。

 老父云、右の動き(前項の懸待有之事なのか?)を細かに仕分けた心持である。三つを勝所の、二つは手利剣の見ゆる処を勝のである。二つは無き処である。二つは合う処で付る処が有る。
 越して余した所は無い。種利剣は、手の内を見ると云う心持ちである。種字は、敵が太刀を打って来る処を十字に上太刀になって勝のを云うのである。十文字の文字を心得る事。有無の習と云うのも右の心である。
「三つを勝所」の三つが原文では「二つは手利剣(手の内)の見ゆる処を勝」、「二つは無き処」、「二つは合う処」と、原文は「二川」と書いて「二つ」と読むことになります。「二つ」が三つあったのでは「三つを勝所」が「六つを勝所」になってしまいます。恐らく「一つ」「一川」の誤記でしょう。

 一つ目は敵之手の内の動きを見る。二つ目は無き処とは「越して余した所は無い」、我身へ当たらない処でしょうが解説が見られません。、三つ目の「合う処」とは種字で十文字勝でしょう。

 亡父の目録では右に替らない。
 石舟斎の「新陰流截相口伝書亊」にはこの「しゅ(縦五本横五本の井桁文字、十、手)字手裡見」として記載されています。なお兵庫助の「始終不捨書」では「種利修理剣の習昔の教悪し。今はシュリケンノシュジと云う習之在。重々口伝。」と有ります。石舟斎の教えを強調して手利剣は敵の手の内をしっかり見て十文字勝をするとしています。

 亦云、種字と云習の心持、九字の大事と云って、真言の秘法に九字護身法と云って「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」の九字を唱え印を切り除災戦勝を祈る呪文が有る。この九字に一字入れて十字である。横五つ、縦五つで十である。トウはジュウの字で十である。そこで十字である。敵の打込みに我打込み十文字に合えば、敵の太刀は当たらないのである。
真言密教の九字に一字加えて十字(種字)、十文字勝の謂れを語っています。


 手裏見は手の内である。裏の字には心持の理が有る。衣の裡に里を包むと云う心持で、里は中墨、高上、神妙剣である。心を衣に包んで置くのである。心の居所を里と云うのである。胸通り外してはならないのであって、大体の種字の仕掛と云うも、是を以て知るべきである。衣文なりを我身に詰仕掛ける心持ちである。有も有、無も有と云心持之事、付けたり無は有、有は無と云心持之事。
 十文字勝は敵の手の内から打ち込む色に就け色に随って、衣文なりの胸通り中墨に打込む心持ちを述べています。

 又云、是は種利剣を見る心持である。敵の目付動いて打たんとすれば、後になってしまい遅いのである。そこで、有は無に成るまでの間を打つべきである。無は有、有も有と心得るべきものである。目付之心持感味多し。

 亡父の録には理なし。
 
 亦云、無は有、有は無と云う心持は、目付の見えざる処は申すに及ばず、見える処も動かそうとする処を指して無と云うのである。見えない時は仕掛けて見て、見える其の処を勝。見えている時は、動かそうとする先を勝と云う心持ちである。何れもかすかな味多し。


 

 

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2020年12月23日 (水)

月之抄を読む11、習之目録之事11の30懸待有之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の30懸待有之事

11の30懸待有之事
老父云、此の三つを専らとす。身足は懸、太刀の手は待、敵目付の動を有と云。此の有を我手に待たする事肝要也。懸々に非ず、待々に非ず。懸は心持にあり。待は心懸にあり。此の心持を専らとして表裏も是より出る也。三尺より前にての分別也。三尺迠至りては懸々と勝べき也。此の習を専らとする事、当流の第一也。

懸かりは其の序破急有り。懸らざる前は序也、掛る内は破也。敵の合せ打相(打合)時は急なり。此仕懸心に思うべし、打つに打たれ打たれて勝と思う心、残心の心を専らとして、是にて太刀表裏仕懸に右の習を能々取り出す心持ち肝要也。敵の動き一つを知らんためなり。是兵法を知らざる者大略之儀は知るゝもの也。大方の此也。是に漏れたる事無の者也。当流の心の無き者は、此の分にて究め、是を極意と相定めるなり。

亡父の録には懸待有之事付り一尺の子細之事極意口伝と書せる。
亦云、有と云に、動きの内に心を定まって、切らんと思う時の動きは、一きわ
替り常の動きに非ず。是を有と心得るべし、細かなる味也。

父云、右の心持を知りたるもの、動きを三つに分け、其の上をする習、種字種利剣也知らざる者には要らざる也。
亦云、不断身足は懸、手は不断待也、有は種利剣也。有を我が手にまたする也、切掛けを急とも云、仕掛の心持は、何れも懸と云て苦しからず。無理に仕懸る習、口伝と書も有。
*
 老父云、此の三つ(懸・待・有)を新陰流は基本の考え方とする。身足は「懸」、太刀の手は「待」、敵の目付の動きを「有」と云。此の「有」を我が太刀持つ手に、「待たす」事が肝要なのである。
 懸、懸に非ず。待、待に非ず。懸は心持に有り。待は心懸(心掛け)に有り。この心持を専らとして「表裏」も是より出るのである。太刀間三尺より前での分別である。三尺に至っては懸々と勝べきものである。此の習いを専らとする事、当流の第一である。
「表裏」とは月之抄の後半に出て来ますがここではさわりだけ「父云、表裏は隠し、謀る心也。偽りなり。・・方便の道、武略」


 懸かりには、その動きに「序・破・急」が有る。懸らざる前は「序」である。掛かる(懸る)内は「破」である。敵に合わせ打ち合う時は「急」である。此の仕懸心について思う事は、「打つに打たれ、打たれて勝と思う心、残心の心を専らとする」。是によって太刀の表裏の仕懸けに、右の習い(懸・待・有)を能々取り出す心持肝要である。

 敵の動きが何であるか、その一つを知ろうとするためのものである。此の事は兵法を知らない者でも、大略の事は知っているものである。大方の事はこの様なものである。是に漏れている事は無いのである。当流の心の無い者は、この分に究めてしまい、是を極意と相定めるのである。

 亡父の録には懸待有之事付り一尺に仔細之事、極意口伝と書いてある。
 亦云、有と云うことで、動きの内に心が定まって、切ろうと思う時の動きは、一きわ替り、常の動きではない。是を有と心得るべきものである、と云う、細かなる味である。
 石舟斎の「新陰流截相口伝書亊」には「懸待有之事」と明記されています。その元となるものは上泉伊勢守より相伝した「新陰流影目録」を指しているかもしれませんが「付り」の一尺に仔細之事が見られません。陰目録の燕飛の一節を原文のまま引用させていただきます。(柳生厳長著正傳新陰流より)
「懸待表裏者不守一隅 随敵轉変施一重手段 恰如見風使帆 見兎放鷹 以懸為懸以待為待者常事也 懸非懸待非待 懸者意在待 待者意懸」

 父云、懸待有之事の心持を知りたる者、動きを三つに分けているが、その上をする者は種字種利剣である。懸待有之事を知らざる者には要らないものである。
   亦云、不断身足は懸、手は不断待である。有は種利剣である。有を我が手に待たすのである。切掛を懸とも云う、仕懸の心持は何れも懸と云って苦しくない。無理に仕懸る習いの心持ちは口伝と書もあり。
 種利手裏剣の習いは次回に「十字手裏見之事」で解説されています。

 今回も含め、新陰流の極意とする処の用語が解説されています。文字によって解りやすくするよりも、袋竹刀を以ての実技から自得すべき事柄が懸待有之事と認識し、常の稽古に臨めばすらすらと解けるかもしれません。
 竹刀剣道や他の武術を稽古して来た者が、新陰流も形だから、初心の内に「かたち」を順番通り覚えてから、とやかく言ったりやったりすべきと嘯いています。
 「かたち」通りにやる前に初心者には兵庫助の始終不捨書の十問十答之事「初心には初より巧者の如く能く直す事悪し。先ず成り次第に十禁十好之習を癖にさせ手足を動かし、心のかたまる所を見付け直すべし。」と。
 幼少から新陰流を学ぶ子には、つべこべ言わず、袋竹刀を以てどんどん懸らせるべきものでしょう。その中で懸待有を自ずと認識できるようにして行けば、棒振り遊戯がいつの間にか剣術に成る筈です。但し忘れてはならない事は、「今何をしようとするのか」の目的は初めに明示すべきでしょう。其の為の「成り次第」は指導者が常に心掛け見られているとしても怠るべきでは無いと思います。

 



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2020年12月22日 (火)

月之抄を読む11、習之目録之事11の29分目之目付之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の29分目之目付之事

11の29分目之目付之事
父云、両の拳の間、柄也。車の太刀自然片手にて打出す其の時、身外さるゝ故に是を用いる也。
亡父の録には何ともなし。
家光公御工夫之御心持には、左右共に出したる方の拳を心掛くれば、身
外さずして早く見え良き心持あり、との御諚諚(おおせ)也。
亦云、太刀先後へ行き、構に分け打と云心持有。是は太刀の有る方へ仕掛見れば、目付より敵の身近き処ありべし、夫れを片手にて打て引取心持也。仕懸の心深く打つ処浅し。

 父云、分目之目付は両の拳の間、柄である。車の太刀の時、自然に片手にて打出すその時、敵の太刀先が、我が身から離れている構え(上段・下段・八相・車の構)に対して此の分目之目付を用いるのである。
 亡父石舟斎の録には何とも云っていない。
 新陰流截相口伝書事に「身を離る目付分目搦の事」と記載されています。分目之目付は両拳の間、柄頭、搦之目付は両の肘の外となります。
 家光公の御工夫による心持は、左右共(左右の拳)に出したる方の拳に目付を心掛けるならば、身を外さなくとも早く見えやすい心持ちである。との御諚である。
 亦云、太刀先後へ行き、身を離れる構えに、分け打ちと云う心持(片手打ち?)が有る。是は太刀の有る方に(太刀を持つ拳へ)仕掛けるならば、目付よりも敵の身近い処に太刀先が有って、それを片手で打って退くのが良く、仕懸けの心持は深く打たず浅く打つ事である。

 「亡父の録には何ともなし」宗矩は柳生新陰流の相伝印可はされていなくとも、目録は受けていたか、当然のことでしょうが口伝口授はあり得るでしょう。但し、目録の内容は石舟斎は記載しないので「何ともなし」となっても仕方のない事です。極意の事を秘す事の意味がどれだけ重要であったか当時の状況から推し測って見ても実感できません。然し、徳川政権後急速に国内の戦争は無くなり、兵法の活躍する場面も薄れて行とすれば、目録ばかりでは、当流の真髄は伝承しずらいものです。石舟斎の「新陰流截相口伝書事」ですら三代目の兵庫助の「始終不捨書」によって崩されています。
 月之抄によって柳生新陰流の真髄に触れたとしても、尾張柳生と江戸柳生では形呼称は同じでもズレが出ていた筈です、現代はさらに・・とも思えるものです。
 


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2020年12月21日 (月)

月之抄を読む11、習之目録之事11の28搦之目付之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の28搦之目付之事

11の28搦之目付之事
父云、上段の太刀によし、両の肘なり。其の動き打たんとすれば良き処へ行く也。肘より早く動くにより専らとする也。
亡父の録には搦目付之事、付けたり身を離上段の者に良しと書る。
亦云、両の肘を一つに搦めて見る心持なり。折るゝ処を屈み掛けて打懸けしと書す。

 父云、搦の目付は上段の太刀に良い、目付は敵の両の肘である。其の動きは我を打とうとすれば、打つ処を狙って動くのである。肘が先に動くので搦之目付を専らとするのである。
 亡父の録には、搦目付之事とあり、付けたりとして、切先が我が方に向かずに、身を離した上段の者に遣いよいと書いてある。
 亦云、敵の両の肘を一つに搦めて見る心持である。肘の折れる処を、屈み懸けに打懸けろと書かれている。

 是迄の習いよりも、具体的な兵法の心得の様に思えます。敵の肘の動きで打たんとする様子を見て、「折るゝ処を屈み掛けて打懸けし」と具体的です。
 老父の録は何か記述されていませんが、この搦之目付については石舟斎の「新陰流截相口伝書事」では「身離目付分目搦之事」と有ります。ここで云う「身離」とは切先が我が方に向かず離れている構、上段・八相・車の構えの事でしょう。「搦」は敵の肘ですから、先の習いの「嶺谷」と同じ所への目付とも言えそうです。敢えて「搦(からめる)」の文字を使っている事から別に其の位置を特定すれば、十兵衛の朏門集(今村嘉雄著 史料柳生新陰流より)では「ひじのからみのそと、嶺谷の裏也」としています。

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2020年12月20日 (日)

月之抄を読む11、習之目録之事11の27風水の音を聞事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の27風水の音を聞事

11の27風水の音を聞事
父云、此の習は、三尺より前にては、如何にも心を沈め(鎮め)、風の音も聞く、水の流れ迄も絶々聞く程の心を付けよと云う心持なり。只習を粗略に思う故に、勝亊成り難きもの也。然るより習を能くさせて、忘れまじき為に、兵法の習の法度にも用る也。
亡父の録には何もなし。
亦云、如何にも上を静かに下心如何にも速し、古語に云、細雨湿衣看不見閑花落地聞無声(細雨衣を湿(うるおし)看るに見えず、閑花地に落ちて聞くに声無し)。此の句の心にて醍醐のじゃくじょうたに(寂静谷)にてそそき発句に「藤花の音を聞く程の山かな」
至極静か成る心持なり、風水の音を聞と云習に、此の語を沢庵大和尚の取り合わせ給うなり。

 父云、この「風水の音を聞」習は、前回の事項「太刀間三尺」に踏み込む前では、如何にも(何としても)心を鎮め、風の音も聞く、水の流れ迄も絶々に聞く程の心を付けよと云う心持ちになると云う事である。そうであっても、習いを粗略に思うのでは、勝つ事は成り難いものである。そうであるので、習いを能く身に付け忘れない様にして、兵法の習いの法度にするのである。
 亡父の録には何もない。
 亦云う、如何にも表面上は静かに、下心如何にも速し。古語に云、「霧雨がいつのまにか衣をしっとりさせるのだが、その様子は見ていても定かに見えない。しとやかに咲く花が地に落ちてもその音も聞こえない」。この句の心を醍醐の静かで寂しげな谷間で、たちまち発句した「藤花の音を聞く程の山かな」。至極静かなな心持ちである。風水の音を聞くと云う習いに、この語(風水の音を聞く)を沢庵大和尚が名付け給うたのである。
 
 三尺の間に入る前に心を鎮めて敵の為さんとする仕掛けを聞く心を習いとする、と云うのでしょう。但し表面は静かでも、敵の仕懸ける心を見抜いて下心は速やかにせよと云っています。
 亡父石舟斎の録には何も無い、と云っていますが「新陰流截相口伝書事」には「風水音を知る事」として明らかに記入されています。当然その心は口伝されている筈です。敢えて言えば目録に表題は有るが解説が附されていないと云うのかも知れません。
 風水の音を聞くには、ただ静かに聞き耳を立てていても聞こえる訳などない。既に月之抄で習った目付二星・嶺谷・遠山。三見の太刀先、二見るの敵の懸待表裏によって、色に就き色に随う下心を養う事を疎かにしてはならないでしょう。

 此方から誘い、仕掛けて敵を動かしそこを勝、先々の先は尾張柳生の兵庫助の教えともなっています。「始終不捨書」にある「風水の音を知る習」に石舟斎や宗矩の教えに一歩加えています。

 「風水の音を聞く」と云う、習いの語句が沢庵によるものかは、知らない。この月之抄の文面から感じ取ったばかりです。それほど、沢庵と宗矩や十兵衛との関係は深かったとも思えるのです。
 

 

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2020年12月19日 (土)

月之抄を読む11、習之目録之事11の26太刀間三尺之積之事

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11、習之目録之事
11の26太刀間三尺之積之事

11の26太刀間三尺之積之事
父云、我足先より、敵の足先迠の間三尺迠寄る事を専とする。三尺の太刀にては、届くものなり。三尺の内の太刀にては当たらぬもの也。夫れ迠寄らざる間にて、手立て習を以てすべし。三尺へ寄りては、無理にも打也。此の心持を習とする也。
亡父の目録には何ともなし。
亦云、場の三尺は右のごとし。身の掛り三尺と云心持あり。三尺に三尺合せて六尺の積り心持ち也と書す。
亦云、太刀に三尺鑓に一尺と云心持あり。是は太刀は大形(大方)三尺より外は伸びず。鑓は大形(大方)一尺より外は伸びざる心持也。
*
  父云、我足先より敵の足先までの間、三尺まで寄る事を専らとする。三尺の太刀では届くものである。三尺より短い太刀ならば当たらないものである。その双方の足先三尺まで寄らない間にどの様な手立てで打つのか習いを整えて置く事。三尺の間に寄ったならば無理であっても打込むのである。この心持を習いとするのである。

 亡父の目録には何とも無し。石舟斎の目録には何にも書かれていない。と云うのですが新陰流截相口伝書事には「太刀間三尺之事」と書き込まれています。その解説は口伝とする事から文字にはなっていません。無刀なれば敵相三尺までは当たらない間と伝えられています。

 亦云、無刀の場の三尺は右に書いた。身の掛り三尺と云う心持ちであるが、吾と敵、三尺に三尺を合わせれば六尺になる。其の間積りの心持と書かれている。

 亦云、太刀にて三尺、鑓にて一尺と云心持がある、是は太刀は大方三尺より遠くへは伸びる事は無い。この場合は昔の石舟斎の「身懸五箇之大事」の姿勢での事ですから、尾張柳生の兵庫助の「直立ったる身」では、三尺以上太刀は伸びて来るので不可だとされています。鑓は一尺以上は伸びる事は無い心持ちであると鑓は太刀より伸びるので要注意と云うのです。
 江戸時代には太刀の長さは2尺3寸5分を定寸としたはずですから、間積りはこんな所でいいかな、という処でしょう。

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2020年12月18日 (金)

月之抄を読む11、習之目録之事11の25残心之事

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11、習之目録之事
11の25残心之事

11の25残心之事
父云、文字あらば也。三重も五重も心を残すべし。勝ちたりとも、打ち外したりとも、取りたりとも、退くにも、掛かるにも、身にても、少しも目付に油断なく心を残し置く事第一也。
亡父の目録には理なし。
亦云、残心の事、二つの目近く急ぐまじき事と書せるあり。
亦云、色を捨て、二つに付くと云心持も、後太刀を思ふ心なり。諸事に付け面白き心持也。

 父云、文字が有るから述べるが、三重も五重も心を残すものである。それは勝った時でも、打ち損じた時でも、無刀取りで敵の太刀を取った時でも、退くにも掛かるにも、少しも目付に油断無く「心を残し置く」事が第一である。
 亡父の目録には此の理は無い。
 亦云、残心の事、二つの目近いのだから急ぐ必要も無い、と書かれている。
 亦云、打ち勝とうと気ばかり先んじないで、二つに付くと云う心持ちも、後(あと)太刀を思う心である。諸事に付け面白き心持ちである。

 残心之事とは心を残す事と云うのですが、そのまま受け取れば、打ち込めても、外されても心を残せ、諸事に心を残すのだと云うのです。所作の後の目付に少しの油断無く心を残して置く、これから掛かる時にも心を残して置く。それはそれなりに、敵の反撃や己のしくじりの取り返しは意とすべきものです。
心を残すのは、後(あと)太刀を思へとも語られています。ここが残心のポイントの様です。
 
 それにつけても、「二つ目近く急ぐまじき事」と次の「色を捨て二つに付くと云心持」は上滑りに読んだだけでは意味が読み取れません。参考になる口伝の覚書は捜せば有るかとも思います。
 しかしこの文章表現から十兵衛の思いを汲み取るのには、乗っけから「文字あらば也」に悩まされ何を意味しているのか解らない。口授や観取りによって心に感じるべきもので、文字で表現すべきものでは無い、と云っている気もさせられます。
 また一つは既に読んで来た「二目遣之事」で敵の目の付け所、今一つは「二見之事」敵の懸待の二つ、其処から色に就き色に随い応じていく事が残心と読んで見ました。

 石舟斎の新陰流截相口伝書事には「残心之事」の目録は「身位三重付り残心之事」を記述していますし、没茲味手段口伝書でも「三重五重之事」で再度、残心の心持ちを記述しています。その心は、「一刀の切り込みに終わらず、敵の色に随って三重にも五重にも続けて打つ心」それを残心と云う。
 月之抄で云う「亡父の録には理なし」と有りますが、この様に記述されています。石舟斎は目録にはその意味する所は記さない事を良しとしています。口伝、口授、により手取り足取り教えた事を目録に其の表題を書き置くばかりです。それを十兵衛は「理なし」としたのかも知れません。父宗矩はこの目録に自論を加えているようです。

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2020年12月17日 (木)

月之抄を読む11、習之目録之事11の24小太刀二寸五分之外之事

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11、習之目録之事
11の24小太刀二寸五分之外之事

11の24小太刀二寸五分之外之事
老父云、小太刀の鍔二寸五分(約7.6cm)あれば鍔こそ外れ、我が握りたる拳も二寸五分なり。夫れを我が顔の楯になし、我が小太刀の先を敵の顔へ差し付け、直なる身にて仕懸ければ、当たらぬものなり。夫れにより其の積り専一とす。
亡父の録に、小太刀二寸五分之迦(はずし)の事と書るあり。
亦云、拳を握りて見れば二寸五分、立つ(縦)もよこ(横)もあり。是を我が目通りに差し当て、右の肩に隠し付けて、太刀の反りより目付を見て、身を直に待ち懸れば、敵の打った刀脇へ外れ我身に当たらざる也。拳一つにて身の楯となれば鍔を用うべしと書る。
*
 老父云、小太刀の鍔二寸五分あれば、敵の打つ太刀は鍔を外れ、我が柄を握りたる拳も二寸五分である。鍔を我が顔の楯にして、我が太刀の先を敵の顔へ差し付け、直ぐなる(歪の無い)身を以て仕懸けるならば、敵の太刀当たらぬものである。それにより其の心積り第一とするのである。
 此処での「直なる身」は尾張柳生の兵庫助の「直立ったる身」とは違い、低く身構えた姿を云うのでしょう。石舟斎の「身懸五箇之大事」によると思われます。

 亡父の録に、小太刀二寸五分の迦(外し)の事と書いてある。

 亦云、拳を握って見れば二寸五分で縦横もある。是を我が目通りに差し当て、鍔が刀で隠れて見えない様に、右肩へ隠し付けて、太刀の反りより目付を見て、身を直に待ち懸れば、敵の打った刀は脇へ外れ、我身に当たらないのである。拳一つの事で我が身の楯となるのであれば、鍔は用いるべきものであると書いてある。
 
 防禦の形を重要視した構えであるので、石舟斎の新陰流截相口伝書事の冒頭の「身懸五箇之大事」の姿勢を思い出します。「身を一重に成すべき事・敵のこぶし吾が肩にくらぶべき事・身を沈にして吾が拳を楯にしてさげざる事・身をかかりさきの膝に身をもたせ跡のえびらをひらく事・左のひじをかがめざる事」でした。
 兵庫助の始終不捨書では「身之懸五箇を昔の教の如く前にて作は悪し。身堅まりつまる故也。今は前を豊にして敵に逢て勝口の時、五箇の心持好し」としています。


 

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2020年12月16日 (水)

月之抄を読む11、習之目録之事11の23小太刀一尺五寸之外之事

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11、習之目録之事
11の23小太刀一尺五寸之外之事

11の23小太刀一尺五寸之外之事
老父云、当流の小太刀は三尺の刀を半分にして、一尺五寸の小太刀也。此の小太刀、三尺の刀と同じ様に成る所を云う。我身左右の肩先一尺五寸の端と定める也。切に随いて其の身を外せば、小太刀敵の首へ当たるものなり。三尺の太刀も同じ事なり。九尺柄の鑓も三尺の刀と等しくなる心持なり。此の心持を以て兵法を遣い候へば、小太刀にても勝つと云う心持を専らとするなり。
亡父の目録に小太刀一尺五寸かくし事、付けたり替り身の事と書せる。
又云、替り身とは左を出して右を替り、右を出して左へ替る心持なり。太刀にて外しと云は、其太刀程の外しの心持なり、手にて外すも其手程の外しの心持なり。
又云、表裏を懸け見るに、敵の志し色に付き身に付くかと見分け、弾みと拍子さへ合えば一尺五寸も之無しと書くもあり。
亦云、身近く詰合をば、一尺五寸之外しは、取り廻し、避け外し成らぬもの也、然るにより一尺五寸小太刀なり。是を以て三尺の太刀同前に遣うと云うは、我が左右の肩の間一尺五寸有る也。是を外し懸け打つにより一尺五寸の小太刀と身の伸び一尺五寸と合わせて三尺に成るが故なり。身の開一尺五寸あればなり。太刀にて外す時も、其の心は同じ。然れども太刀にては其の太刀程の外しの積り、手にては其の手程の外しなり。

 老父云、当流の小太刀は三尺の刀の半分で、一尺五寸の小太刀である。この小太刀を以て三尺の刀と同じ様に成る事を云うのである。我身の左右の両肩先一尺五寸の長さと定めるのである。敵が切って来るのに随ってその身を外せば、小太刀は敵の首に当たるものである。随って三尺の太刀とも同じ事である。九尺柄の鑓も三尺の刀と同じ様に身を外せば成る心持である。
 心持を以て兵法を遣うのであれば、小太刀にても勝つと云う心持を専らとする事になる。
 亡父の目録には小太刀一尺五寸の隠し事、付けたり替り身の事と書してある。
 又云、替り身と云うのは、左入り身を右入り身に替り、右を出して左入り身に替る心持である。太刀にて外しと云うは、其の太刀程の外しであり、手に依る外しも其の手程の外しの心持ちである。
 又云、表裏を仕掛けて見るに、敵の思いは色に付き身に付くかと見分けて、打込む弾みと拍子さへ合うならば、一尺五寸の小太刀も無くとも敵太刀を当たらない様に外せば良いと書くのも有る。
 亦云、敵と身近く詰め合う時は、一尺五寸の外しは、取り廻し、避け外しは出来ないものである。然るに依って一尺五寸の小太刀で、是を以て三尺の太刀と同じ様に遣うと云うのは、我が肩の間一尺五寸有る。是を外して懸け打つ事で一尺五寸の小太刀と我が身の伸び一尺五寸、合わせて三尺となるのである。それ故、身の開き一尺五寸あればよいのである。太刀にて外す時も、其の心持ちは同じである。然れども、太刀では太刀の長さの外し、手では手の長さの外しである。

 石舟斎の新陰流截相口伝書「小太刀一尺五寸迦(はずし)の事」と有ります。老父云う処が口伝とされるのでしょう。

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2020年12月15日 (火)

月之抄を読む11、習之目録之事11の22太刀連の事

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11、習之目録之事
11の22太刀連の事

11の22太刀連の事

父云、敵強く打込むものによし。敵の打つに連れて我が太刀も連れ懸けて打つを云う。越拍子に打と心得るべし。
亦云、三尺外にて打つべし。同じ如くに開けて同じ如くに打ちつくる時、越拍子に成る心持也。
大打ちするものには、何れも此の心持よし共書く。

 父云、敵が強く打込むものに良い。敵の打つに連れて我が太刀も、敵の打込みに連れ懸けて打つを云う。越す拍子に打つと心得るものである。
 亦云、間積り三尺の外にて打つのである。同じ様に間を取って同じ様に打ち突く時、越す拍子になるものである。
 大きく打って来る者には、何れもこの太刀連れによる越拍子の心持ちが良い、とも書かれている。

 新陰流截相口伝書事「太刀づれの事」では敵の太刀に連れ随う事、更に打込む太刀に身も随う事と解説されています。(柳生延春著 柳生新陰流道眼)

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2020年12月14日 (月)

月之抄を読む11、習之目録之事11の21先段之打之事

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11、習之目録之事
11の21先段之打之事付り二葉之心持

11の21先段之打之事付り二葉之心持
父云、先段の打は、二葉と云う心持ち也。打込み並ぶ(うちゆみならぶ?)事悪しきにより、太刀先を外して、二星を我が太刀にて打つ心なり。太刀先並ばざる事を先段(栴檀)と云。鑓も同じ事也。
亦云、先段とは一打ち打ちて、後ろへくつろぐる(寛ぐる)心、身へ当たらぬ心となり。二葉は本は一つ、一つは二星なり。身の掛かりを、敵の太刀と分かって打つなり。片手太刀専らよし。
亦云、頭書きの録に先段の打之事、付けたり身位心持と書あり。
亦云、手と身と分るゝを二葉と知れ。先段(栴檀)は、二星と知るべし。然るにより、先段(栴檀)の心持二葉と云ともあり。

 父云、先段の打は、「栴檀は二葉より芳し」の二葉と云う心持ちである。打込み敵と太刀が並ぶ事は悪しきにより、敵の太刀先を外して敵の二星(拳)を太刀にて打つ心である。敵と我の太刀先が並ばない事を先段(栴檀)と云。鑓も同じ事である。
 亦云、先段と云うのは一打ち打ちて、後ろへ退く心、身へ当たらない心持ちである。二葉は本は一つであり、一つは二星(拳)である。身の掛りを敵の太刀と分かって打つのである。片手太刀が専ら良い。
 亦云、頭書きの録に、先段の打の事。付けたり身位の心持であると書かれている。
 亦云、手と身と分るゝを二葉と知れ、先段(栴檀)は二星(拳)と知るものである。そうであるから先段(栴檀)の心持は二葉と云うとも云う。

 この項目は謎々みたいだが、何となく理解出来るか、言葉に捉われると意味不明になってしまいます。「敵の打ち込んで来る切先を外して敵の拳を打つ」勢法の中に幾つかそれらしきものが有ると思います。敵と我の太刀が打込みの際に並んだのでは双方相打ちとなりそうです。

 

 

 



 

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2020年12月13日 (日)

月之抄を読む11、習之目録之事11の20別れてうつると云心持之事

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11、習之目録之事
11の20別れて写ると云う心持之事

11の20別れて写ると云う心持之事

父云、遠近の心なり。所作、太刀、身、彼らに別るべし。心は目付に写すべし。
亦云、外し飛び違いなどする時、用いるべし也。下心軽ろく早く写すべし。上はゆるゆるぬるやかなり。仕掛け心持也。

 父云、遠近の心である。所作、太刀、身、それらに別れるのである。心は目付に写すのである。
   亦云、遠近之事で、外し飛び違いなどをする時に、「別れて写る」心持を用いるのである。下心は軽やかに早く目付に写し。上は緩々温やかにして、仕掛ける心持である。

 「別れてうつる」の「うつる」の意味をどの様に捉えるかで、頭をひねってしまいます。「心は目付にうつすべし」から「写す」の文字を置きましたが「移す」でも用は足りそうです。
 前項の「遠近之事」を受けた習いですから、此処は敵との間合いを角懸けて外し遠くを近くに変えるに当たっての「心持」の事になります。所作・太刀・身を残して下心を速やかに写し、敵にはゆっくりと見える様に仕掛ける心持と云うのでしょう。それは左足を隅懸ける動作に依って生み出すものなのでしょう。

  

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2020年12月12日 (土)

月之抄を読む11、習之目録之事11の19遠近之事

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11、習之目録之事
11の19遠近之事

11の19遠近之事

父云、敵懸に掛り細かにテウテウ(チョウチョウ)と打掛かるものに、角(すみ)を懸け一足跳び退きたるよし、跳び退きて近くなり懸るより遠近と云。
亡父の録には遠近の位拍子付けたり大拍子の小拍子小拍子昌歌の事と書せる。
亦云、遠近之位を知る大事、付けたり拍子合う時は遠く拍子合て近しとも書く。
亦云、楽に位詰を働かぬ時、又急に仕懸け来るものに遠近の文字分別也と書く。
亦云、位を余し近く成る心持、遠近と知るべしとも書かる。
亦云、所作を遠く遠きは心近し。半分の身遠くして半分の身近し。左足角(すみ)を掛けて飛びのく也。是、遠近に用を取り左足積りなり。詰まりたる処の心持なりとも書せる也。

 父云、敵が懸かりに掛かり、細かに丁々と打ち掛かる者に、角を懸け(脇へ)一足跳び退くのが良い。跳び退くと敵と近くなるので遠近と云う。
  亡父の録には遠近の位の拍子付けたり、大拍子小拍子昌歌と書してある。
  亦云、遠近の位を知るのは大事である。付けたり拍子合う時は遠く、拍子合いて近しとも書く。
  亦云、楽に位詰めが出来ない時、又、急に仕懸けて来るものには遠近の文字を分別するのだと書く。
  亦云、位を余して近くなる心持は、遠近と知るべきとも書いてある。
  亦云、所作は遠く、遠い時は心は近く持つ事。半分の身遠くして、半分の身は近く、左足を角掛けて跳び退くのである。是は、遠きに近く、近くに遠きなる用をなす左足積りである。詰まりたる心持ちとも書かれているのである。

 石舟斎の「新陰流截相口伝書事」では遠近之事で目録に記載されています。三学などの二の斬りで角(隅)懸ける裁きを習うはずですが意味が解らないのか、打太刀なのに隙だらけでついつい否打したくなって「いたずらっ子」呼ばわりされています。
 兵庫助の始終不捨書では「遠近之位昔の教悪し。今の習いに重々口伝有之」と有ります。
 教えを忠実に守ろうとすればその意味を充分理解して、場に会うように懸らなければ、敵の攻めを角懸けて外す事ばかりに苦慮して打たれてしまいそうです、近くを近く遠きを遠く応じる事も一考と云うのでしょう。

 

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2020年12月11日 (金)

月之抄を読む11、習之目録之事11の18昌歌之事

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11、習之目録之事
11の18昌歌之事

11の18昌歌之事

老父云、敵の動き細かにして、小拍子なるもの口の内にて合わせて打つをば大拍子に打つを云也。
亦云、至極の上に仕掛ける心持とは、仕懸けの時、謡にても舞にても小唄にても、心を歌いて仕懸ければ、則、着を去りて心乗るもの也ともあり。
亦云、昌歌は息也。息合いを心得べし。敵小拍子にして、拍子取られざる時、ヤッと声を掛ける心持にして、息を籠むれば、浮き立って軽し。声を掛くるによりて、拍子合い、乗るもの也。我心に乗ったる拍子にて打つ心也。鼓打ちのもみ出を打つ拍子と同じ事なり。
亦云、細かにして拍子取られざるものに、先の拍子を心に乗せて、拍子に構わず打つべし。亦云、拍子取られざる時口の内にて合う、口拍子の内に一つぬかいて打込む心持なりともあり。

 敵の動きは細かく切先を動かす小拍子であるものには、口の中でその拍子を合わせて大拍子に打つのを云う。
 亦云う、隙も無い小拍子に仕掛ける心持は、心の内に謡でも・小唄でも・口ずさめば、思いが吹っ切れて心が乗ってここぞと打てるものだ。
 亦云う、昌歌(しょうが、唱歌は楽器の旋律に合わせ歌を歌う事、声雅)は息、息が合う事を心がけるものである。敵が小拍子で、拍子を捉えられない時に「ヤッ」と声を掛ける心持で、息を籠めれば(意気を吐き出す、注ぎ込む)ようにすれば、身も心も浮き立って軽くなる。声を掛ける事で拍子も合い、乗るものである。我心に乗った拍子に打つ心である。鼓をうつ時の「もみ出し(いよ~ポンと打つ?)」を打つと同じ事である。
 亦云う、敵の拍子が細かくて拍子が捉え難い場合は、先の拍子を心に乗せて、拍子に構わずに打つのである。亦云う、拍子が取れない時は口の中で拍子を合わせ口拍子の内、例えば一つ抜いてトン・トン・◇・トンの◇で打ち込む心持で打ち込むのである。

 切り込む時は、息を吐き出す事は、真剣刀法では一般的で、息を吸って打込むことは好ましくないと云われますが、確たる理由は見いだせません。
 居合では演武の時二呼吸半で息を吐き出す際に抜き付け切り込みをしていますから当たり前の事としています。然し明らかに吸い込んだ時より「浮き立って軽し」です。訓練次第でしょうが、息を吸うとき打込むと、見事に切れてもそこに居着きやすい気もします。敵と遭遇して二呼吸半や中には三呼吸半とか、一呼吸半でも切られています。

 兵庫助の始終不捨書では「・・一超直入の心持」であれば無拍子に打つ事を意味しています。月之抄のこの項目を熟読しても一超直入の無拍子と同じ心持ちと思えます。マニュアル通りなどで生きる人は其処まででしょう。

 

 

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2020年12月10日 (木)

月之抄を読む11、習之目録之事11の17大拍子小拍子小拍子大拍子之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の17大拍子小拍子小拍子大拍子

11の17大拍子小拍子小拍子大拍子
父云、敵捧身を離れ、上段などの様なるものには、小拍子にて打べし、細かなる事にてはなし。目付の動きに随て速き事を小拍子と云う。敵こまかに切掛け、拍子の取られざる所なり、是を大拍子に勝つなり。声をかけ大きく切るを大拍子と云う。
亦云、敵の働き大きならば小拍子、小拍子ならば大拍子の仕掛けよし。心持勘有りとも書せる有。
亡父の録に敵待にしていかにも沈々して拍子を受けざる事有らば、太刀を振りかけ切る𠮷し。手、浅く太刀中程を切る敵の心を知べしと書せる。
亦云、小拍子は早くこまかなる心を云。大拍子は仕懸けの心大きにして軽き心なり。

 父云、敵が捧身を離れ、上段などの様であるならば小拍子に打つ。小拍子は細かに打つ事ではない。目付の動きに随って早い事を小拍子と云う。
 敵細かに切りかけ、拍子の取られない様なときは、是を大拍子に打ち込み勝のである。声を掛けて大きく切るのを、大拍子と云う。
 亦云、敵の働きが大きいのであれば小拍子、素早い小拍子であれば大拍子の仕掛けが良い。その心持ちは勘にあるとも書かれている。
 亡父の録には、敵は待にして如何にも沈静して我が拍子を受けない事であるならば、太刀を振りかけ切るのが良い。手は浅く、太刀の中程を切る。敵の心を知るべきであると書かれている。
 亦云、小拍子は早くて細かい心持ちを云う。大拍子は仕掛け大きく軽い心持ちである。

  石舟斎の新陰流截相口伝書事の目録には「三拍子之事」として越拍子之事・付拍子之事・当拍子之事。ここで云う大拍子小拍子小拍子大拍子は、口伝書事の遠近之事に大調子小調子、小調子大調子と調子としてあります。拍子と調子は同じ事としている様ですが、拍子と調子は本来異なるものでしょう。

 兵庫之助は始終不捨書で「小拍子を大拍子に懸け勝は昔の事、縦は門を敲くが如し其位悪し今は一超直入の心持」と云い「無拍子」に打込むとしています。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

拍子

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2020年12月 9日 (水)

月之抄を読む11、習之目録之事11の16無曲之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の16無曲之事

11の16無曲之事
父云、是は曲にあらず、無の内に曲は自ずとあるものなり。有るは無きなり、無き内に曲ある心也。至極の心持也。
亡父目録に此の儀知らず。
亦云、無曲と云う事儒道仏教に此の沙汰は、事の終りなる処は無曲なる譬えは、昨日の事は今日は無曲なり、今日の日すでに暮れぬれば、日中の事は無曲と也。事の出ざる初め無き処をも無曲と云う。事の終りうる(たる?)処も無曲也。今日の上に夜べと云うがごとし。
ある事至たる後は、無曲なり。我と敵と例えて言わじ、我は無也敵は曲なり、無き処に勝負ある心持ち也。

 この項は、大曲(待曲)について述べられていた「位分きの曲之事・位を盗と云事・位を返すと云事・紅曲之事」に引き続く柳生宗矩の教えなのでしょう。
 「是は曲(わざ)に非ず」と云い「無の内に曲は自ずとあるもの」で、勝たんとしてああだこうだと思いめぐらし、居着くのではない。「我は無、敵は曲なり」と無心の内に勝つ心持ちである。との至極の教えなのでしょう。

 伝書を読みこなし自分なりにその思いを頭に治め得たとしても、日頃の鍛練が無ければ、無は無で無の内は空っぽに過ぎません。同様に鍛錬とは初心の頃に受けた棒振りの順番を追うばかりの稽古では、相手からの打ち込まれる条件が多少でも違えば忽ち形は崩されてしまいます。まして日頃から同じ組手での稽古ではどうにもならない悪習ばかりが残ってしまう。「無曲」は調べの無い音ばかり。

 

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2020年12月 8日 (火)

月之抄を読む11、習之目録之事11の15紅曲之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の15紅曲之事

11の15紅曲之事
父云、二星の動を色と云、曲に色の付く心持也。能々心を付け、動きに我が心染みて紅の血潮に染めよと也。
心持面白し分五郎流には、紅葉の目付、観念と秘する心持同じ意也。亦云、分五郎流の紅葉観念と云は、我が心を敵に付れば近く寄せぬもの也。よそよそしく〇(吾?)は向ふの山の紅葉などを見ん心にて仕掛れば、近く寄るも、敵心を付けたるを打て後へ退く也。然るに依り、片手太刀せんだんの打ちを用いるといへり。

 父云、二星(拳)の動きを色と云う。曲(わざ)に色の付く心持である。能々敵の拳の動きから、敵がどのように打込まんとするのか心を付け、その動きに我が心が染まる程に、紅の血潮に染めよ、と云うのが「紅曲」である。
 心持が面白い、疋田文五郎の流の「紅葉の目付」、観念して秘する心持と同じ意である。亦、分五郎流の紅葉観念と云うのは、我が観念(覚悟)を敵に付ければ敵は近くに寄る事は出来ないものである。
 よそ他所しく、向うの山の紅葉などを見る様な心持で仕掛ければ、敵は近くへ寄って、ここぞとばかりに打ち込んで、仕掛けて後へ退く。そこを片手太刀で栴檀の打ちを用いると云うのである。

 この項の文章は、解りやすそうです。上泉伊勢守信綱の弟子で疋田文五郎の紅葉の観念を例にあげて紅曲を述べています。ここは敵の仕掛けんとする心を我が心に写し取って、さあ来いとやったのでは敵は近寄る事はして来ない。向こうの山の紅葉を愛でている様な心持ちで、隙を見せて仕掛ければ、敵はここぞと打ち込んで来るものである。それを外して片手太刀による身と手と別れる栴檀の打ち(先段の打ち)を用いると云うのである。

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2020年12月 7日 (月)

月之抄を読む11、習之目録之事11の14位を返すと云事

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11、習之目録之事
11の14位を返すと云事

11の14位を返すと云事
父云、是は敵の仕懸けの心出るをこちへ取る也。取らるれば、出る心止むなり。所作の初め也。心を取る心持を我が仕掛けにすべき為なり。

 「位を返す」と云う事は、敵の待つ心から仕懸けようとする気を察するや、即座に其の気を捉えて我が仕掛けにせよ。と云うのでしょう。先を仕掛ければ敵は、懸かる心を止めてしまう。そこを此方が打ち込み敵に外された処で懸かり待つ。この様な解釈では納得できないのですが、今はここまで。
 むしろ、敵の仕懸けに随って勝つ、「色に就き色に随う」とか「大曲(待曲)」の教えにすっぽりはまった所ですから「敵、取らるれば、出る心止むる也」は解っても、「色に就き色に随う」にならなくなりそうです。
 この「位を返す」と云う考えは、柳生宗矩によって詰められてきたものなのか、石舟斎の新陰流截相口伝書事にもそれらしきは見当たりませんが目録の口伝にはあるかもしれません。

「位を返す」そんなイメージを思い描きましたが、普段の稽古の勢法にも幾つもあるはずです。

 勢法を形と捉えて、順番通り棒振り演舞していたのでは、演武会の出し物にはなっても、何時まで経っても新陰流になるなどありえないはずです。棒振りの「かたち」は指導された通りであっても、打太刀も仕太刀も心積り一つで、忽ち所作が変わってくるかもしれません。稽古をすると共に、月之抄を読み進んでみます。更にそれらしき答えに出合えるかもしれません。

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2020年12月 6日 (日)

月之抄を読む11、習之目録之事11の13位を盗と云事

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11、習之目録之事
11の13位を盗と云事

父云う、是は敵仕掛の心をあましたる心持也。待の内にて盗む也。

 この項は、仕掛けようとして、我が打込んで来るのを待なる敵の心を読み盗る心持ち。或は我が懸かり待時、敵が打ち込まんとする心を読み盗る事。
 是迄の習い「大曲の事」では「敵の好く所を其のまゝ出し、敵に打たせて勝」「我が方より敵の心付けを、宛てがいて仕懸用可」「待を見せかけて有を用可」。
「位分き之曲之事」から「位を持(待)あい、強くあう時、一拍子くつろげて、位を分って敵の気に乗らせて勝」。
 大曲(待曲)とは、そうするのかと理解出来ても、どの様に敵は我が「待」に乗せられて打込んで来るのか、我が思うように打って来ない事もあり得るものです。描いたシナリオに随うとは言い切れない。むしろ我が方が未熟であれば敵に、わが仕掛けは盗み取られている筈です。
 戻って書き出しの「是は敵仕掛の心を余したる心持」とは、敵の仕懸けて来る時、その隙が我身の為すべき事、それを盗めと云うのかも知れません。
 常の稽古では、「間境で敵に左拳をふっと見せて」とか「車に構えて左肩を晒せ」とか打込ませる仕草は容易ですが、決して容易に勝つ術は決まらないものです。 

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2020年12月 5日 (土)

月之抄を読む11、習之目録之事11の12位分き之曲之事

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11、習之目録之事
11の12位分き之曲之事

父云、是は大曲を楽に知り、相手位を持つ(待つ)あひ強く相時、一拍子寛げて位を分って敵の気に乗らせて勝心持也。折節ハタと物音などしたりし時の心あるべし。
 亡父の録には理りなし。

 大曲とは、待曲、待つ業、ですから、「仕掛け待つ心を楽に知り 、相手が待つ位を強くして、立ち合う時」には、「我は一拍子外して、敵と待つ位を入れ変わらせて、敵が気に乗って打ち込んで来る処を勝つ心持ちである」。こんな解釈をして見たのですが、懸り待つ敵に対して我が待曲となる「位分けの業」。「一拍子寛げて」は「折節ハタと物音などしたりし時」のふっと気が移る感覚などの事。
 亡父石舟斎の録は新陰流截相口伝書事、没滋味手段口伝書には、この事項の目録は見られない、随って宗矩の待曲(大曲)を楽に知る方法の一つなのでしょう。

 新陰流には他流に比較して多くの石舟斎などの伝書類が残されています。石舟斎の伝書は目録だけで口伝に依る伝承を重んじたと思います。
 修行者は口伝をメモして置いたり、目録の解説に自論を述べて子弟に引き継いだのでしょう。それらも現存していると思われますが、尤も石舟斎に近い修行者は宗矩であり兵庫助でしょう。其れに宗矩の息子十兵衛でしょう。この三者の伝書を基に紐解く事は大変厄介です。後世の何方かの解説書を以て良しとするのも一つの方法です。

 然し、乏しい修行半ばで、人の受け売りでお茶を濁して得々とする安易さは持ち合わせていません。十兵衛に直接稽古を付けてもらっている気で対していますと、この月之抄の一項目すら理解出来ず、項目ごとに時には二日も三日も「あーでもない.こ~でもない」と思いあぐねながらボードを叩いています。
 公開日迄間の有る項目は、公開日までに答えを出せればいいのですが。しかし「今ある自分以外に自分は居ない」間違って笑われても仕方のない事です。 ミツヒラ 思いつくままに

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2020年12月 4日 (金)

月之抄を読む11、習之目録之事11の11大曲之事

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11、習之目録之事
11の11大曲之事

老父云、右の二目遣を能々見て、敵の好く処あるべし。則、好く所を其のまゝ出し、敵に打たせて勝を曲と云なり。
亡父の録に、待曲之事、付けたり。活人剣の分別之あるべきなり。目付る処、一段と大事也。我太刀は、元の処へ帰る也と書す。
亦云、構は活人剣、敵打ち出し候様に仕懸け、夫れを則ち持ち(待ち)懸て打つべし。持つ(待つ)処待なり、打つはもとの処へ帰るべし。
二目遣見へざる事もあれとも、我が方より敵の心付けを宛がいて仕懸用いるべし。
亦云、待を見せかけて、有を用いるべし。我が方よりの仕懸け、待也。待を仕掛よと也。
父云、動かざる以前をうくるに因って、待曲なりと書せる。
*
 石舟斎の新陰流截相口伝書事では「待曲之事」と有ります。月之抄では「大曲之事」何故表題を変えたのか、音のみ合わせたのか解りません。
 活人剣の分別と云うのですから、「敵の好く処を其のまゝ出し、敵に打たせて勝」事。「敵打ち出し候様に仕懸け、夫れを則ち待ち懸けて打つ」事。曲は「わざ」ですから「待わざ」と云う事になる筈です。
 「打つはもとの処へ帰るべし」は、敵の好むところを其の打つように出して、其処へ打たせる様に懸り待つ。敵が其処へ打って来れば仕掛けようとしていた様に打つのだ、とも思えます。
 「待を見せかけて、有るを用いるべし」と是又謎々の様です。待と見せかけて懸り待つ、その懸る曲を用いると解せば良さそうです。「待を仕掛けよ」の心持ちが解る処でしょう。

 使われている言葉が元々新陰流の独特な用語ですから、目録の用語は口伝に依ったのでしょう。それでも「月之抄」は其の用語に息吹を吹き込み語ってくれます。読む者の理解力と修行の甘さが立ちふさがりますが、読み進む内に理解できるようになるのでしょう。
 

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2020年12月 3日 (木)

月之抄を読む11、習之目録之事11の10二目遣之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の10二目遣之事

11の10二目遣之事
 父云、敵の太刀、色なきと云え共、深々仕掛ける時は、敵の目付かずと云事無し。目の付く処へ来るものなり。太刀に付くか、我が拳を見るか、夫れに心を付けず、うっかりとして居るものあり。其の様子を見、夫れに随い勝べき也。
 亡父の録に二目遣い付けたり太刀こいの(乞いの、請いの)事、表裏を掛け、敵の顔を見る也。敵の目付、心を見る也と書す。
 亦云、我が一つの仕掛け、取掛けにて、敵の心を見よや。二目遣う心は、我も一処をしとめざる心持肝要也。
 亦云、大曲を仕掛け見る心持也とも書す。

 宗矩云う、敵の太刀に色が無いと云えども、深々と仕掛ける時は敵の目が付かないと云う事は無い。敵の目が着く所へ切り込んで来るものである。太刀に付くのか我が拳を見るのかである。敵はそれに気づかずうっかりとしている者が有る。その様子を見て敵の仕掛けに随って勝つべきものである。
 石舟斎の録に、二目遣いの付けたりは、敵の太刀の切り込みを乞う事。それに表裏を仕掛けて、敵の顔を見る、敵の心を見るのであると書かれている。
 我が」一つの仕掛け、取り掛けによって、敵がどのように懸って来るか、その心を見よ。二目遣う心は、我も一っ処を仕留める無い心持が肝要である。
 「太曲を仕掛け見る心持也」と云うのは次回が「大曲之事」ですが、その心は「敵に打たせて勝を曲と云」。「動かざる以前をうくるによって待曲なり」と有ります。

 石舟斎の「新陰流截相口伝書事」の「二目遣之事」と有り、我は、表裏の仕掛けで打たんとする処に目をつけ、敵が応じようとする機を捉えて別の所を打つ二目遣。
 宗矩の「兵法家伝書」では「二目遣に事:待なる敵に様々表裏を仕掛けて、敵の働を見るに、見る様にして見ず、見ぬようにして見て、間々に油断無く一緒に目を置かず、目をうつしてちゃくちゃくと見る也。」トンボがモズに襲われないようにモズを盗み見る例を、兵法家伝書に書き込んでありますから、そんなものかと思ってしまいます。
 石舟斎は目付は、敵の太刀先・拳・身也と明言しています。さらに敵の懸待二つを見る心の目であるべき事です。

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2020年12月 2日 (水)

月之抄を読む11、習之目録之事11の9敵味方両三寸之事

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11、習之目録之事
11の9敵味方両三寸之事

11の9敵味方両三寸之事
老父云、敵の太刀先三寸を味方の三寸と云。敵の拳三寸前(へ)を敵の三寸と云。仕掛には、味方の三寸へ付け、打つ時は敵の三寸を打つべし。
当流には深く勝つ事を嫌うが故なり。浅く勝ちて、このめ(目?)を良くせん為也。
亡父の録に拍子乗る時は鎺元三寸を目付て打つ也。拍子を取る時は切先三寸十文字と懸取るなり。夫れを味方と云と書す。
亦云、敵の三寸味方の三寸を、我が太刀先三寸にて打つ時も、付ける時も、深く懸らず、付くもせよ、切るもせよとも書す。

 柳生宗矩は、敵の構えている切先三寸を、自分の三寸と云い、敵の拳三寸前(鎺元三寸)を敵の三寸と云う。仕掛けるには敵の切先三寸に付け、打つ時は敵の拳前三寸を打つのである。と三寸の事を解説しています。
 当流は深く勝事を嫌い浅く勝つ、「このめをよくせんためなり」と云う事ですが「このめ」は目付かと思いますが、よく解りません。

 石舟斎は、切り込む時は、敵の鎺元三寸(拳前三寸)に目付て打つと云います。打つ拍子を取る時は敵の切先に付けて十文字に仕掛けて打つ。それを味方の三寸と云うのでしょう。何処に眼をつけるかを明らかにせず、味方の三寸、敵の三寸と云う隠語で語っています。
 いずれにしても、敵に付く時も、切る時も、深く懸らずと云うのです。

 前回の「色に就き色に随う」では兵庫助の「始終不捨書」ではこの三寸の教えで、待なる敵の仕懸けを引き出すことを嫌い、、十文十答の事で「付の事。昔の教の如く、三寸の付悪し。心も身も堅る故也」と云って「今は十里外と云ふ習これ在り」離れたところから相手の仕掛けを観て勝つとしています。

 

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2020年12月 1日 (火)

月之抄をよむ11、習之目録之事11の8就色随色事(色に就き色に随う事)

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の8就色随色事(色に就き色に随う事)

11の8就色随色事 付けたり能染むと云心持あり
父云、待にして打出す働きを見て構て居る者に、此の心持専也。先に三寸へ切掛け色々に仕掛け切り懸けを色と云う。
三寸にて敵の色就かざる者には、拳の辺りへ深く色を仕掛けて見べし。色に就かずと云う事なし、就けば其の色に随って勝つ也。
右へ勝てば左へ仕掛け、左へ仕掛け右を勝。下を仕掛けて上を勝。上を仕懸けて下を勝。色々の働きを仕掛けて其れに随って勝つを云う。表裏の元也。
亡父云、敵の太刀待にしてあるに拍子を分別して、やッと声を掛けて、其の色を見て色に随って勝つ也と書も有。
父云、表裏に付けて、切り出すを能く受けて引き出し、夫れに随わずして勝っべし。構は三拾余りならでは五躰にならざるもの也。我手だて表裏を働かす心持専ら也。
亦云、就色(色に就く)とは表裏仕掛け。切り掛け、働き掛けなり。是に敵の心写る処を以て色に就くと云なり。色に就け、色に就き、色に就くるなどと云心持あり。色に就くると云は、我が色に敵を就くる也、色に就けば、就け也。
声を掛けても一巡りクルリと巡りても同じ事の心持也。色に就きは、はや就きたるなり。色に随うと云は。敵色々就き、切り出す色に随うべき也。随わずして勝と云は、敵を我が色に就けて、敵切り出す色を能くうけて、其の色に随って勝処は随わざる心なり。
然る間、色に就き色に随う事付けたり、能く染むと云心持ありと目録に書すなり。染むは色と云により、染むと也。能く心を色に染めよとなり。心持に面白き感あり。
亦云、色に付き色に随う習いは敵切掛けるは、則、活人剣にて勝つ。動かざる者をば味方の三寸へ切懸けて随うべし。仕掛けにても動かざるは、其のまゝ勝心持なりとも書す。
亦云、色に付き色に随う事、太刀の構え三拾余り、何れも序の心持也。序を截懸けて随うべし。小太刀一尺五寸の外し、三拾余りの構に付けて夫々に外す心持もありと書る有。
*
 この「色に就き色に随う」の月之抄は文語調なので現代ではとっつき難い感もありますが、内容は非常に判りやすいものです。

 柳生宗矩の兵法家伝書では、この「色に就き色の随ふ」の解説は「右の心は、待なる敵に、こちらから様々に色をしかけて見れば、又敵の色があらはるゝ也。その色にしたがひて、勝つ也。」と単純明快な是だけです。「それに反応した敵の色に随い受けて、随わずに勝」のでしょう。

 尾張柳生の兵庫助利厳は「昔の教えの如く三寸の付悪し、心も身も堅る故也。今は十里外と云ふ習之在り」三寸とは「拳の事」、敵の三寸は我が三寸でもある。待なる相手の拳へ切掛けて、相手の色を見るのでは「心も身も堅る」、今は離れたところから相手を観て判断するのだと云うのでしょう。石舟斎の「ヤッ」と声を掛けて其の反応を見て、色に随って勝つのもその一つでしょう。

 

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