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2021年1月17日 (日)

月之抄を読む11、習之目録之事11の56真実之神妙剣実之無刀之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の56真実之神妙剣実之無刀之事

11の56真実之神妙剣実之無刀之事
父の録にあり理りは何ともなし
秀忠公御稽古の時分録にあり。
亦云、真実の神妙剣とは神処(神所)也。亦、実の無刀とは根本之習也。又、真の無刀なり。是は道具也。道具を以て理り、心も有。名を借りて云う。もし又教えとする心持あり。人により、其の心を汲むべし。西江水真実の無刀と云う習を秘して、仮なる心持ち多し。

 神妙剣とは、真実の神妙剣、実の無刀について述べているのでしょう。真実の神妙剣は臍廻り五寸四方とか六寸四方とか体の位置を述べていますが、此処では、己の身体の神の御座所である。と云う分けです。次回の月之抄に「神処之習之事」として、解説されています。
 
 亦、実の無刀と云ってここまでに述べて来ていないにもかかわらず、「無刀」について突然言い出しています。実の無刀と云うのは根本の習いであると云います。刀を全く持たない無刀で敵に対する事を「真の無刀」と云うのでしょう。真の無刀は道具の事であって、刀を帯びていない場合でも、その場にあるものを道具として扱い応じる事の、理を云うのです。その心構えも有のです。その道具を扱う事の名を借りて「無刀」と云う。然し、その扱いには教えとする心持ちもあると云います。その事は人夫々によって、考えを巡らし、無刀
の心をくみ取るべき事である。
 「無刀之心持之事」としてずっと後に、月之抄に述べられていますが、一般に無刀取の言葉で有名になっていますから其の触りだけ「無刀にて無理に取ると云う心にては無し。万事無刀の心持にある心を以て、極意とせり・・」

 次の一節も、新たな用語「西江水」が突然出て来ています。「西江水」とは、是も暫らく後に「西江水之事」として月之抄に出て来ますが、触りだけ「心を納むる所、腰より下に心得べし・・」。
  
 西江水、真実無刀と云う習いを秘して(知らずして・隠して・偽って)、仮なる心持ち多し。この仮を知ったかぶりをしてと読むか、誤って思うと読むか、秘してと読むかは、自ら心に手を宛てゝ思うべきものでしょう。

 この項の宗矩の目録は有るが、その理は何とも無い。二代将軍秀忠公の御稽古の時の記録にはある。頭書にありますが何処かに保存されているのでしょうか。
 この項を読みつつ思う事は、十兵衛三厳の月之抄はさらにこれを噛み砕いた、朏門集や武蔵野、行川の流、兵法目録、当流の兵法などを傍らにして、尚且つ道場に立って一人稽古に励みつつ、項目ごとに思いを馳せたい衝動にかられます。

 

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