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2021年1月 3日 (日)

月之抄を読む11、習之目録之事11の41水月之事付り其影之事・盗位心持之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の41水月之事付り其影之事・盗位心持之事
古語云く
心似水中月 形如鏡上影(心水中の月に似たり、形は鏡上の影の如し)
老父云、敵の身の丈我身の丈を、三尺の習の如く積る也。是迠は当たらす(ぬ)しるしなり。此の場を身足にて取り込み、知られざる様に水月の内へ取り込むを盗むと云う也。
水の内へなりては懸ん(けん・かからん)と打つべし。然るによりて、内へ入る事をうつりうつす(移り移す・写り写す・移り写す)と云う心持を専らとするなり。是一◯(円)に当たらざる処なり。
亡父の目録別儀なし。
亦云、敵により背高き低きあるべし。其の丈の程を場へ写し取る心持、其の影と云うなり。
亦云、うつりうつすと云うは、水に影をうつしうつす(移し写す)心をうつり(移り・写り)て見る処専ら也。

 水月についての考え方を解説している項目になりますが、ややこし言い回しです。
古語に云うには「心は水に写る月のようなもので、敵の形影を心の鏡に写しとる様なものである」と始めに述べています。ですから此処は敵の様子は我が心に写すのだと前置きしているのでしょう。

 老父云、敵の身の丈、我身の丈を夫々三尺の間積りの如く積もれば、この間の外に居るならば切られる事は無い印しである。此の場に身足で踏み込み知られない様に間境を越すのを位を盗むと云うのである。水月とは敵と我との間と宗矩は教えている事になります。
 間境を越したならば打ち懸るべきものである。然るにより、間を越す事を心に敵の仕懸けを写すや、身足を移すと云う心持を専らとするのである。三尺の間の外ではいずれでも当たらない間である。

 亡父石舟斎の目録には別儀なし、と云います。石舟斎の「新陰流截相口伝書亊」には「水月付り位をぬすむ事 心法無影 通貫十方 水中月鏡裏像」と記載されています。単なる間合いを述べるばかりでは無く、心のあり様迄も水月を以て語っています。

 亦云、敵によって背丈の高弟が有るので其の丈がどれ程であるかを場に写し取って其の影により間積りをするのだ。と再び敵と我との間合いに戻されます。

 亦云、うつりうつす(写り移す)と云うのは、心に敵の仕掛けんとする影を写し取ったならば、その仕掛けに応じて我心を移す事。と云うのでしょう。
 月之抄は、大体宗矩の教えを基に紐解いていますが、十兵衛自身の思いは直接語られる事は中々見えないのですが、習いの項目の並べようなどでその心を読みとれば、見えて来ます。中には十兵衛の「朏門集」で十兵衛の言葉で語ってもいますが宗矩の解説の域は越していないと思われます。

 水月について兵庫助の「始終不捨書」では幾つか昔の教え悪しと云っています。
 「水月活人刀と云習は昔の教なり悪し口伝」
 「水月に懸り敵に向て勝つ位悪し是も昔の教也今の位有之口伝」
 「(水月の)前にて勝位善悪二つ有口伝」
 「水月三位之大事 草行真 右重々口伝有之」
 「水月前を待にして内に入れば先々の位好し重々口伝」

 

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