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2021年1月 5日 (火)

月之抄を読む11、習之目録之事11の43水月之活人刀之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の43水月之活人刀之事

11の43水月之活人刀之事
父云、水月は右同じ殺人刀活人剣と云う事あり。他の流には下段の太刀を殺人刀と云う。新陰には下段の太刀を活人剣と云う。当流には構えたる太刀を殺人刀と云う。構えたる太刀を皆々残らず截断して、構の無き処を構えとして活人剣と用るにより、生る処活人剣なり。
亡父の録には水月の活人刀之事也と書せるなり。
亦云、水の場まで寄りては、如何様にせんもかつべきも、打つべきも、我がまゝに成る心持なれば、扨こそ活人剣と活きたる心持なり。至極面白き心持也。
亦云、水の内へ入らずして活人剣の太刀にて、序を切り掛け勝べしとも書せる。

 父云、水月は前項の様に「敵の身の丈我身の丈三尺の習いの如く積る也」とする間積りである。そこに殺人刀と活人剣と云う事がある。
 他流では下段の太刀を殺人刀と云う。
 新陰流では下段の太刀は活人剣と云う。当流には構える太刀は殺人刀と云う。構える太刀を皆残らず切り捨てて、構えの無い構えとして下段の太刀を活人剣として用いる、それにより生きる処から活人剣である。

 亡父の録には水月の活人刀之事也と目録には書いてある。
 石舟斎の「新陰流截相口伝書亊」では「水月・付位をぬすむ事」はありますが、「水月活人刀之事」は石舟斎による「没茲味手段口伝書」に有ります。没茲味手段口伝書も目録に有っても内容は口伝とされていますから、石舟斎に直に指導を受けられなかったであろう十兵衛には宗矩の教えが、夫れと成らざるを得ないでしょう。
 下段の構えは新陰流の無形の構え無きものですから、其処で懸かり待つ心持で敵の懸かりを促し、敵の仕懸けに随って勝ちを取る、宗矩の云う習いに替り無いでしょう。

 亦云、水月の場まで寄っては、どの様にしようと、勝も打つも、我が思いのまゝになる心持ちであるから、それでこそ活人剣であり、活きた太刀の心持ちである。至極面白い心持ちである。
 この事項の書きぶりは、聊か誤解を受けそうです。それは「如何様にせんも、勝べきも、我がまゝに成る心持」が先にあるのではなく、敵の「色に就き色に随う」習いによって「我がまゝに成る」、更にただ、無形で待のではなく、敵の仕懸けを促す待でなければならないのでしょう。

 恐らく、次の「水の内へ入らずして、活人剣の太刀にて、序を切り掛け勝べし」が懸待表裏の下心を暗示させているのでしょう。

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