月之抄を読む11、習之目録之事11の44水月之かゝへと云心持之事
月之抄を読む
11、習之目録之事
11の44水月之かゝへと云心持之事
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11の44水月のかゝへと云心持之事
父云、敵より懸る時は水(水月)をかゝへて、待の内より見る心持也。
亡父の録に理なし。
亦云、是は打にても、待にても、懸るにも、前かたにひかえたる心をかゝゆると云う也ともあり。
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父云、敵より水月を越して懸る時は、「敵より水を取たらば、我取りたるにも同前」であるので、その場で、敵の仕懸けを待の内より見る心持である。仕掛けられて、負けてはならじと突き進んだり、怖気て退いたりせずに、敵の動きを見て色に就き色に随うと云う事でしょう。
亡父の録に理なし。
石舟斎の「新陰流截相口伝書亊」には前項でも紹介したように「水月・付位をぬすむ事 心法は形無く、十方に通貫す、水中の月鏡裏の象」と記載しています。水月に敵に先んじられた時は「位をぬすむ事」と明瞭です。
「心法は形無く」と云って敵の色をよく見て、「十方に通貫す」どの様な動きにも応じる事を語っている、と思います。
更に、石舟斎の「没茲味手段口伝書」の「水月活人刀之事」で明らかに、敵の動きに随って勝つ「活人刀」のありようを伝えています。然しそれ等は目録の表題のみで解説が口伝と云う事ですから、十兵衛の云う「亡父の録に理なし」は柳生新陰流を相伝出来なかった宗矩の子としては、当然の言葉だったかも知れません。
亦云、是は打つにしても、待つにしても、懸るにしても、「前かたにひかえたる心」を「かかゆる」と云う。のですが解ったようで判らない文章です。「前かた」とはで「前方・前肩」と迷い、「ひかえたる心」と「心をかゝゆる」とはと、十兵衛の迷いに誘われてしまいます。
何れにしても、父云、「敵より懸る時は水をかゝへて、待の内より見る心持」が新陰流の極意なのですから懸かり待つ心により敵の色に就き色に随う事が出来なければ、解る筈もないでしょう。
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