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2021年2月21日 (日)

月之抄を読む11、習之目録之事11の91別拍子之事

月之抄を読む
11、習之目録之事
11の91別れ拍子之事

11の91別れ拍子之事
父云、是は捷径(しょうけい)の太刀の遣い様也。太刀を頭の上へ上ぐると身を下へ下がると一度に別ければ、拍子なくなる也。是、別れ拍子也。
亡父の録に別儀なし。
亦云、拍子に別れて見れば勝ち良きなり也。例えば敵の切るに心を移さず、別れて我身へ当たらざる惣躰にて、敵の打つを通し、打つに別れて見れば、勝、沢山なるもの也。

 父云、是は九箇之太刀の捷径の太刀遣い様である。太刀を上へ上げ敵の太刀を受けると同時に身を下へ下げる、一度に太刀と身を別けるならば、拍子無くなるのである。是、別れ拍子と云う。
 この九箇の太刀の5本目捷径の流祖の時代上泉信綱、柳生石舟斎の頃の使い方は、神戸金七編、赤羽根龍夫、赤羽根大介校正の「柳生の芸能」に依れば「捷径:身を低くしてかけ込み、介者(鎧武者)に向いてはホッテ(鎧の胴尻)の下を突く。高きは真眉廂下を突く。受ける時は両膝をえまし受けるとあり」と有ります。以下略します。此処では「太刀を頭の上へ上ぐると身を下へ下がると一度に別ければ、拍子無くなる」と云い、当たり拍子に敵の太刀を落とす、此の処を「拍子なくなる、別れ拍子」と表現しています。

 亡父の録に別儀なし。特にこの別れ拍子の目録は見いだせません。

 亦云、拍子に別れて見れば勝ち良いものである。例えば敵の切るに心を移さずに、太刀と身を別ける様にすれば敵の太刀は我身へ当たらない。敵の打つを受けて、打つに別れて見れば、勝ち道は沢山あるものである。柳生新陰流の勢法の中に成程此の事を習うものが幾つも見られます。
 他流の組太刀には見られない独特の技法は受け太刀もせずに、別れ拍子の勝は、理を知ると事が、自然です。
 

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