月之抄を読む11、習之目録之事11の93乱拍子之事付たり乱るゝ心口伝
月之抄を読む
11、習之目録之事
11の93乱拍子之事付たり乱るゝ心口伝
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11の93乱拍子之事付たり乱るゝ心口伝
父云、上無き心持也。無上也。乱なる拍子は、取り定められぬ拍子也。定められぬにより勝処也。
拍子を乱して見れば、合わずして追う処、乱拍子と云う。乱るゝとは、乱して見よと云う心也。
拍子は無き也。拍子無くして拍子に逢う。是を乱拍子と云う。無拍子也。無拍子は心にあり拍子なり。常の拍子にあらず、常の拍子は乱拍子也。乱れて逢わぬ也。逢わずして逢う処の拍子は、根本無拍子なり。無拍子心拍子也。
亡父の録には乱拍子は乱るゝ心持、無拍子之口伝重々之在りと書る。
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父云う、乱拍子とは、上無き心持ちである。無上である。乱なる拍子は、取り定められない拍子である。定められないので勝つ処と成るのである。
拍子を乱して見れば、拍子を合わせずに追う処となり、乱拍子と云う。乱るゝと云うのは、乱して見よと云う心である。
拍子は無いのである、拍子が無いのに拍子に逢うので、是を乱拍子と云う。無拍子である。無拍子は心にあるもので、常の拍子とは違う。常の拍子は乱拍子なのである。乱れて逢わない、逢わずして逢う処の拍子は、根本は無拍子である。無拍子は心の拍子である。
亡父石舟斎の録には乱拍子は乱るゝ心持、無拍子の口伝、重々これありと書かれている。石舟斎の「没茲味手段口伝書」の「空拍子之事付抱三つ在之」及び「茂拍子之大事」の目録を指していると思われます。「茂拍子」は「無拍子」です。
拍子には、石舟斎の「新陰流截相口伝書亊」には「三拍子之事」が目録に有ります。それは「越す拍子の事・付ける拍子の事・当たる拍子の事」でした。月之抄の「打たれ打たれて勝事之事」は「新陰流截相口伝書亊」は「打而被打被打而勝事(打ちて打たれて打たれて勝事」と云う、敵の先を待って打つ、「色に就き色に随う」新陰流の活人剣の根幹をなす習いの一環でしょう。拍子については月之抄では、まだしばらく続きます。
新陰流の勢法を稽古する時、形は様になっていても剣術としての「術」が決まらないにもかかわらず、形ばかり追い求めてもお粗末です。普段から拍子について心がけ、この拍子を考えて行きたいものです。
初心者に「かたち」も出来ていないのに、出来るわけはないなどと云うのはおかしなことです。犬でもネコでも皆自然に危険に対処する事として行っている事の筈です。
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