NHKの朝番組「おひさま」に刺激されて、4月の終りに安曇野を訪れました。
今年の信州は、例年より春が遅いように感じます。コブシと桜、杏などが一緒に咲いて、落葉松がもう少しで芽吹きだしそうです。
何時だったか定かではありませんが、秩父の山を越えて信州に入ると、一斉に春の花盛りだったことが思い出されます。その時も春の遅い年だったように思います。
安曇野と言っても、何処が安曇野なのか定かにはわかりません。
松本から大町へかけて、西に屏風のような北アルプスにさえぎられ、糸魚川に向う街道筋一帯の平地を云うのでしょう。
安曇野市がありますからそんな辺りでしょう。
目指す処がありませんと、車では安曇野が味わえ無い事になるかもしれません。
午後から雨が予報される中を、ナビに従って中仙道を北上して松本平に入ります。
観光バスも自家用車も少ない、楽なドライブでした。
糸魚川街道を北上して行くと、そろそろ蕎麦でも食べたくなります。
「わさび入りの蕎麦を食べましょう」
看板が、大王わさび農場と出て脇道にそれます。
農場付近は駐車場への入場待ちで渋滞します。
ここも、観光バスが見られません。大きくバス用のスペースがあるのですががら空きです。
わさび蕎麦につんとして、治りかけの花粉症を刺激されます。
清流にわさびばかりの農場に雷が鳴って雨が降り出しました。
「大王・・」の謂れですが、その昔大和朝廷が日本中を平定しようとここにも攻め上ったそうです。その時そこの大王が最後まで抵抗したのを称えて付けられたものです。
神話とは言え、文字の無い時代に日本中を平定し、国を統一して今日ある事を考えると天皇家と日本を考え直して見る気になります。
歴史は神話とともにあって、伏せてしまうものでもないでしょう。
神話が今に息づいているのも日本です。
時の権力者が、天皇家を利用して権力を思うままにしたのも日本です。
GHQに日本史を隠すように指示されて随ったままなのも日本です。
グローバルビジネスでも国境なく、産業の空洞化を指をくわえて見ているのも日本。
この大震災で「日本・日本、一人ではない」と叫んでいるのも日本。
何処に漂っていくか、目標の見えないのも日本。
どんなに津波で蹂躙されてもここで生きて生きたいと望むのも日本です。
横道にそれすぎました。
食堂のお姉さんが「雷が鳴り出しましたよ。気を付けてよい旅を」と、送り出してくれました。
「次は、ちひろ美術館」
晴れていれば、土手に寝転んで川面や雑草でも見ていたいのですが。
雨です。
ナビも私も素直です。
いわさきちひろ、子供を描いてはほのぼのとさせられる作家です。
水彩画でぼかしを使って暖かな雰囲気を高めています。
戦争の焼け野原に、姉に背負われた弟の姿が今度の震災を思い出して泣けてきます。
黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」の挿絵と徹子さんの文章が子供の頃を思い出させてくれました。
小学校を秩序に随えない子として追い出された「トットちゃん」。
授業より雲の動きに引き込まれていた私。
読めない漢字にぶつかって「まだ習って無い」と先生に噛み付く私。
展示室のあちこちに置かれた童話を、母と娘で読み合うのを思わず聞きほれて、立ち聞きしてしまいました。
こんな安曇野でした。
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