秘歌之大事

2020年1月25日 (土)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の28鞠を蹴る8極楽は

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の28鞠を蹴る
8極楽は

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ例えば鞠を蹴るに同じ我が鞠と人の鞠との色を良く見る事也

極楽ははるか二遠く聞き之かど
      唱へて至る所なりけり

居合心持引歌終

読み
「極楽は遥かに遠く聞きしかど唱えて至る所なりけり」極楽ははるか遠くにあるものと聞いていたのだが(南無阿弥陀佛・南無阿弥陀佛と)唱えれば極楽に至る所である。
 敵に対すれば、相手の打込みを躱せずに切られてしまい、死んでしまうのだろうなどと、死を恐れ、相手を恐れて居すくんでしまうものです。
 居合兵法極意巻秘訣では神妙剣に「他流にて心を明にしめ敵の働を見よと云とは大に違えり、生死の境なれば平気とは異なり、然れども忘るまじき事一つ有り。則ち柄口六寸也、柄口六寸実は抜口の事に非ず、極意にて伝える所は敵の柄口六寸也、構は如何にも有れ敵と我と互に打ち下ろす頭にて只我は一図に敵の柄に打込也。
 先我身を敵にうまうまと振うて右の事を行う事秘事也、是神明剱也」
 無雙神傳英信流居合兵法、現代の大江居合による無双直伝英信流の古伝が語る「一図(一途)に敵の柄に打込む」極意です。この極意は新陰流にも同様な「合し打ち」、「十文字打ち」を思い描きます。如何なる部位に打ち込まれようとも迷うことなく相手と正対して中心線に打ち下すものと言えます。将に南無阿弥陀仏の唱えて極楽浄土に至ると教えた時宗のご詠歌そのものとも思えます。
 極楽浄土に至る事なのですが、相手との死闘に打ち勝つ事が武術そのものの最終目的で勝てば極楽と云えるかどうかは、人としてどうあるべきかにおいても、正しいと信じた事は寸分も曲げずに貫き通す人に、曲げてでも従えと迫られた場合だけに与えられるものが武ど云えます。南無阿弥陀仏と称える心で打ち下ろし、たとえ勝を得られても心は晴れるとは言い切れません。更に求められるのは、武術を行使せずに相手と和する事が出来た時、将に極楽浄土に至ったと云えるのでしょう。曾田本の最終章にある神妙剣の教えで「相手の怒りの気を見て治る亊」なのです。
 
 古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌を改めて読み直してみました。神傳流秘書の巻頭を占めるこの歌の教えは、何時詠んでも難関でした。しかしこの難問を巻頭に掲げた上で大森流居合之事、英信流居合之事、太打之事、坂橋流之棒、詰合、大小詰、大小立詰、大剣取、抜刀心持之事、夏原流和之事と亊(業)が進んで行きます。夏原流和之事によって無刀に至る所まで辿り着き、そこからは武器に依る戦いの形から、戦う以前の心持ちに至り、神妙剣に至る一連のパノラマが書き込まれていたのです。
 
 此の抜刀心持引歌は江戸勤番の折に修行した第九代林六太夫が師匠の第八代荒井勢哲清信から伝授されたのでしょうか、或いは第七代長谷川英信より伝承したのでしょうか。もしそうであれば、市井の剣客にあり得るであろうかと思えるほどの、広い知識と此の流の根元を紐解いた高さは並のものでは無いと改めて感じてしまいました。
 田宮平兵衛業政の歌として伝承された歌とは立ち位置が違いますがこれ等を合わせ、棒振り踊の枠から、武術の根元を見直すことは、居合を修業する者の使命かも知れません。

 この項を以て古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌を終了します。

 表題は「抜刀心持引歌」でしたが何故か「居合心持引歌」で「終」でした。

 
 

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2020年1月24日 (金)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の27鞠を蹴る7唱うれば仏も

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の27鞠を蹴る
7唱うれば仏も

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ例えば鞠を蹴るに同じ我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也

唱うれハ仏も我も無かりけれ
      南無阿弥陀佛の声計りして
読み
「唱うれば仏も我も無かりけれ南無阿弥陀佛の声ばかりして」お経を唱えてみても仏も我も何処にも無い、南無阿弥陀佛の声ばかりするよ。歌心は神仏を頼みに唱えて見ても、仏も我もどこにも見いだせない、お経の声しか聞こえないよ、無心になる以外に道は開けない。こんな歌心と読んでみましたが、へそ曲がりですから私などは仏に頼る事など考えた事はないのです。とことん稽古するとか勉強して場に臨んでは無心になる以外に己を導く方法など思いつかないのです。
 
 この歌は時宗の一遍上人が修行の際、「唱うれば仏も我も無かりけれ南無阿弥陀佛の声ばかりして」と歌えば、師の心地覚心禅師はまだまだと突っ返してきた。次に「唱うれば仏も我も無かりけれ南無阿弥陀佛なみあみだぶつ」と歌えば「出来た」と許されたという一遍語録にある歌です。
 仏と我が個々に独立した歌は、前の歌で我も仏も一体となって唱えるのが後の歌とされています。仏も我もでは無く我其のものが仏となり一心不乱に無心となる事を示唆しているものです。この歌心を古伝神傳流秘書は居合心のあるべき心としているのです。
 神も仏も日常の生活からいつの間にか、遠のいてしまった様な現代社会においても、様々な場面で学び修行した事が自然に行われるには、頭で考えてから行動するとか、習い覚えた事だけで、頭が一杯になって場に不都合なのに無理やり対処するのでは解決できるわけはありません、どの様な場面でも閃くなかで自然に応じられる修業が求められるのでしょう。
 

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2020年1月23日 (木)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の26鞠を蹴る6兎に角に

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の26鞠を蹴る
6兎に角に

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ、例えば鞠を蹴るに同じ我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也。

兎二角二言ふへき様ハなかりけり
       九重の堂の上のあし志ろ
読み
「兎に角に言うべき様はなかりけり九重の堂の上のあししろ」兎に角言うべきさま(よう)ではない、九重の堂(塔)の上の足代。
 あれやこれやと言うものでは無いでしょう、九重の塔の上に掛かっている工事用の足場ですよ。直訳しましたが、足場は建築が終われば最終的には取り払われるものです。九重の塔の良し悪しをあれこれ言うものではないのです。
 相手は足場を掛ける様にして攻め口を見せて来り、隙を見せてきたりするのですが、本当にやろうとすることは、その奥にある相手の本心でしょう、それを騙されずに読み取るものですよ。

 この歌心を、大江居合の正座之部一本目前で演じるにはどのように、一本目の前を想定するでしょう。
 古伝神傳流秘書の大森流居合之事の一本目初発刀:
「右足を踏み出し向へ抜付け打込み扨血震し立時足を前に踏み揃え右足を引て納る也」

 谷村亀之丞自雄による英信流目録の大森流居合之位一本目初発刀:
「平常の如く坐し居る也右の足を一足ふみ出し抜付打込亦左の足を出し右に揃え血ぶるいをして納むる也血ぶるいの時立也右足を引納る也」

 剣道手ほどきより大江居合の大森流居合一番目前:
「我体を正面に向け正座す、右足を出しつつ刀を抜付け前の敵首を切り更に上段になり同体にて前面の頭上を真直に切り、血拭い刀を納む」

 居合読本より中山博道居合の大森流居合1、初発刀:
「(意義)互に四尺位離れて対座せる時、急に敵の目の附近を横薙に切り付け、相抜きの場合は敵の抜つけし拳に切り込む、倒るる所を直ちに上段より斬る業である。(動作)徐かに両足尖を爪立てつつ左手拇指にて鯉口を切り僅かに外方に傾け右手を以て鍔より五分離して握る。次に右足踵が左膝頭附近に来る如く踏み著来ると同時に刀を抜く、・・・略す」

 河野居合は無雙直傳英信流居合術全より正座之部一本目前:
「正面に正座し十分気の充ちたる時、左手を鯉口に取り拇指にて鯉口おば切る、右手の全指を延したる儘柄に掛けて握り、柄を少し中央に寄せる様にし腰を左にひねりて刀を抜きつつ両足先を爪立て、膝を延び切るや右足を前に踏み出すと同時に刀を抜き払い、・・。略す」

 河野居合の10年後は大日本居合道図譜の正座の部一本目前:
「(意義)正面に対座する敵の害意を察知するや機先を制して其の抜刀せんとする腕より顔面にかけ斬付けんとす・・以下略」

 政岡居合は無雙直傳英信流居合兵法地之巻大森流一本目正面(初発刀):
「(目的)正座して対座せる敵の殺意を感じたので、先んじて「こめかみ」目がけて一文字に抜きつけ、真甲から切り下す動作・・略す」

 相手の心を読めと云うのですが、現代居合の教本は、河野先生の大日本居合道図譜以降は相手の殺意を察して一方的に横一線に相手の腕なり顔面に抜き付けています。然しこれでは害意也殺意であって、相手はまだ何も起していないかもしれません。相手の力量が上であれば、殺意がある如き素振りを、目や肩などに「ふっ」と見せれば我は「ここぞと」柄に手を掛けてしまいそうです。相手は我が動作をゆっくり見ながら、柄頭で相手の中心線を攻めるそぶりの瞬間、我に一瞬で抜き付けて来る筈です。むしろ読まれてしまうものです。ひどいのは、我が「十分気の充ちたる時、左手を鯉口に取り」などであれば、笑いながら斬られてしまうでしょう。

 形(かたち)の稽古ばかりに終始していたのでは、古伝の伝承者には程遠い者と云えるかもしれません。神傳流秘書の構成は、初めに抜刀心持引き歌で居合の何たるかをズバリと教えて来ます。次に業技法、所謂居合の形を見せ、それを十分一人で形通りに抜けるようになったところで、武術的素養を仕組みと称する組太刀で習わせ、無刀に至る体裁きを身に付けさせる構成になっています。補足は寧ろこれが奥義と云える極意を伝えて来ます。従って、抜刀心持引歌は初心の者は当然のことながら、には棒振りの順番を習っただけですから、歌の詠まれている意味は読み取っても、其の居合心に至れるかは稽古の仕方を考えて自得する以外に無さそうです。 
 

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2020年1月22日 (水)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の25鞠を蹴る5引きよせて

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の25鞠を蹴る
5引きよせて

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ例えば鞠を蹴るに同じ我が鞠と人の鞠との色を良く見る事也

引よせて結へば柴の庵尓て
     解れハ本の野原なりけり

読み
「引き寄せて結べば柴の庵にて解ければ元の野原なりけり」引き寄せて束を結べば柴の庵になるのだが、解けてしまえば元の野原ですよ。人の縁も結ばれている時は家族であったり親子で会ったりしますが、縁が解けてしまえば元の野原同前になるものです、縁とはそのようなものです。と歌っています。
 夫婦であれ、どちらかが亡くなってしまえば己一人となってしまいます。頼るべきものもないものです、無心になって相手の心を読み取って我が身一つで応じるばかりです。歌心はこんな風に聞こえて来ます。親子夫婦であれば、その思いは亡くなっても強く思い出されますし、こんな時はあんな風に考えてこうするだろうと想像もされるでしょう。然し一時の集まりでの事ではそうもいかないもので、よほど心に残る事も無ければ、柴の庵かも知れません。
 とやかくして守りを固めて見たとしても、相手の仕掛けで守りが解けてしまえば無に帰すばかりですよ、無心になって相手の仕掛けに自然に応じたらいかが、と聞こえてきます。
 

 

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2020年1月21日 (火)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の24鞠を蹴る4打解けて

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の24鞠を蹴る
4打解けて

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ例えば鞠を蹴るに同じ我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也

打解けてねるが中なる心古そ
      誠の我を顕はしにけり

読み
「打ち解けて寝るが仲なる心こそ誠の我をあらわしにけり」打ち解けて心を許し合って寝る様な仲になって初めて本当の自分を見せる事が出来るものだ。

 この歌の上の句の意味を、男女の仲ととらえて寝る様な仲とするのでは、艶めかしい気がして「はてな?」ですが、それも誠の心をあらわす仲の事でもあるでしょう。比喩としては解りやすいが、違う方向に気が行ってしまいそうです。
 此処では、敵、味方の区別なく心を無心にして立合うことが出来れば、誠の我を晒す事も出来て相手の心も読めて来る。と歌うのでしょう、前書きの「我が鞠と人の鞠との色をよく見る事」とは相手の「誠の心の色を読め」という事でしょう。
 それには、この居合の心持ちとして「我が身を先ず土壇と為して後、自然に勝有り」とあります、その居合心持肝要之大事で「敵と立合い兎やせん角やせんと企む事甚だ嫌う。況や敵を見こなし、彼が角打出すべし其の所を此の如く勝たんなど巧む事甚だ悪しゝ、先ず我が身を敵の土壇と極め、何心なく出べし。敵打出す所にてチラリと気写りて(移りて 原本)勝事也。常の稽古にも思い案じ企む事を嫌う。能々此の念を去り修行する事肝要中の肝要也」
 此処でも、沢庵の云う「事理を極め無心になる」思想が垣間見られます。順番通りの形稽古に明け暮れていても上手な武的演舞は出来ても武術にはなりそうにも有りません。
 術理を極め、業技法に精通し、状況に応じて自然に技が繰り出されるには、無心にならざるを得ないでしょう。日常の生活の中にも大なり小なり自然に行われている事でもありますが、武術と構えてしまうと、情けないほど未熟です。

 

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2020年1月20日 (月)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の23鞠を蹴る3吹けば鳴る

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の23鞠を蹴る
3吹けば鳴る

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ例へば鞠を蹴るに同じ我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也

吹けば鳴る鳴かねば鳴らぬ笛竹の
     聲の主とハ何を言うふらん

読み
「吹けば鳴る鳴かねば鳴らぬ笛竹の声の主とは何をいうらん」
「吹けば鳴る鳴かねば鳴らぬ」では意味が通じません。此処は木村栄寿本に依る「吹けば鳴る吹かねば鳴らぬ」が正しそうです。吹けば鳴り吹かなければ鳴らない竹笛の当たり前の事ですが、その鳴った時の音聲の主は何を言うのであろうか。こちらが仕掛けなければ応じて来ない相手、或いは相手の仕掛けに応じる我のその主は何だと問われている様です。
 主は笛竹です、剣術試合では主は我其のものです。相手から見れば相手そのものです。仕掛けるのは相手の心が為せるもの、無心な相手を動かすには「誘い」でしょう。然し相手を知らなければ相手の誘いに乗せられて我は騙され斬られてしまう。
 この様に、解釈して見たのですが、今の力量では此処までが精一杯です。修行を積みこの歌を理解出来る時が来るのでしょうか。林六太夫守政が江戸からもたらした「無雙神傳英信流居合兵法」は、此処まで奥深く示唆されているとは、現代居合の指導者は何処まで理解出来ているのでしょう。
 他の武術でも、相手は初心者か我が門弟に過ぎず、勝って見てもそれは、架空の亊、全く知らなかった相手に我が術はかかるのでしょうか。得意げに指導者として形を演ずるだけでは、事理の両輪は遠いものです。

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2020年1月19日 (日)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の22鞠を蹴る2本来の事

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の22鞠を蹴る
2本来の事

敵色々と有りて我を騙すとも油断する事勿れ、例えば鞠を蹴るに同じ、我が鞠と人の鞠との色をよく見る事也

本来の事より出て亊二入り
      あわれ知らばや事のふかさハ

読み
「本来の事より出でて事に入り哀れ知らばや事の深さを」。本来の事はこの様にするものと覚えてはみたが、それだけでは本来の事を果たす事さえできないと知って事の深さに気が付いて、何も知らなかったと嘆いています。
「 本来の事」の「事」とは何かの解説がありません。「亊」は「わざ」とも読まれます。恐らく口伝が有ったとも思われるのですが、沢庵が柳生但馬守に与えた不動智神妙録に「理の修行 事の修行と申す事の候」の一節が有ります。「亊の修行を不仕候らえば 道理ばかり胸に有りて 身も手も不働候」とあって、「理を知りても事の自由に働かねばならず候 身に持つ太刀の取りまわし能く候ても 理の極り候所の暗く候ては 相成間敷く候 事理の二つは車の輪の如くなるべく候」と結ばれています。
 理とは「唯一心の捨てようにて候」ですから「とらわれない心」と言う事になります。
 「本来の亊」は「亊」は「わざ」、剣術の業と捉えれば良いのでしょう。沢庵や柳生但馬守の時代は寛永の頃(1624年~1643年)徳川三代将軍家光の頃です。従って事は業と読んで見れば、歌の意味が見えて来る様です。
 本来習い覚えた業の形より始まり、更にその形の変化を相手が打ち出せば元の業も変えざるを得ません、次々に相手の打出す業の変化に手も足も出ないものです。免許皆伝は教えた事が出来ただけで得られたもの、そこから始まる奥深さに唖然とさせられるものなのです。
 然し「本来の亊」は恐らく大森流居合之事や英信流居合之事の一本目初発刀、及び横雲の亊(業)を意味するでしょう。そこから始まり更に事(業)が複雑に深まっても「本来の事」で身に付けた事が基となると云うのでしょう。
 「形だから習った通り打て」とばかりに一つ覚え、挙句は脚の幅から歩数迄整えて見ても何も意味するものは得られそうも有りません。
 亊(業)と理は人それぞれの得て不得手や、癖、或いは哲学に及ぶでしょう。その奥深さもそれぞれです。何が打ち出されるかは己を無にして応じられる迄修行するものなのでしょう。
 
 

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2020年1月18日 (土)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の21鞠を蹴る1鞠と思いて

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の21鞠を蹴る
1鞠と思いて

敵色々と有りて我をたますとも油断する事勿れ例へハ鞠を蹴る二同之我が鞠と人の鞠との色を見る事也

敵をたゞ鞠と思いて皆人の
     つめひらきせバいかににがさん

読み
敵色々と有りて我を騙すとも、油断する事なかれ、例えば鞠を蹴るに同じ、我が鞠と人の鞠との色を見る事也

敵をたゞ鞠と思いて皆人の詰め開きせば如何に逃がさん

 抜刀心持引歌の最終章は、敵には色々の人が居て、我を騙す者も居るが油断する事が無いようにしなさい。例えば鞠を蹴るに同じと思い我が鞠と人の鞠との色合いを見る事なのだ。と前置きして歌が8首並んでいます。前段は色んな人が居るけれど騙されるなと言う事ですが、後半は人の鞠と我が鞠を見分けろと云うのですが、なぞなぞの様です。
 1首ずつ解きほぐしながら前書きを紐解いてみます。
 その1首目が、敵を単なる鞠と思って皆で、詰めたり開いたりしていれば、如何にしても逃げられてしまうよ。と歌っています。鞠には心が無いのですから、鞠の思いで動くわけは有りません。相手は人です如何にこの場を有利にしようかと考え行動するのですから、その思いを察して応じるものでしょう。
 其の色を察するのは、相手をよく理解する事で、相手が我ならば如何にするかだけでは読み切れません。そこには、我が騙される意図せざる行動もあるものでしょう。

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2020年1月17日 (金)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の20瀧落

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の20瀧落

瀧津瀬の崩るゝ事の深けれバ
     前に立添ふ者もなき哉

読み
「瀧津瀬の崩るゝ事の深ければ前に立ち添う者もなきかな」
 瀧のような急流が深い瀧坪なっていれば、その前に立ちはだかる者も居ないだろう。直訳すればこんなところかとも思えるのですが、ズキンと胸に響いてきません。

 瀧落の古伝神傳流秘書の手附
「刀の鞘と共に左の足を一拍子に出して抜て後を突きすぐに右の足を踏込み打込み開き納る、此事は後ろよりこじりを押っ取りたる処也故に抜時こじりを以て當心持有」


 座している処、後から鐺を取られたので、立ち上りながら左足を退き、鐺を上にあげ、左足を右足の前に踏込み出し柄を右胸に引き付け相手の鐺をつかむ手をふりもぐ。
 右足を一歩踏み出して柄を下げ後方の相手を鐺で打ち付けて刀を前方に抜き出し、その足踏みのまま左廻りに後ろに振り向くや相手を刺突する、右足を踏み込み上段から斬り下し、刀を右に開き納刀。
 古伝の手附から想像しながら演じるとこんなところでしょう。
「俺の教わったのと違う」って吠えてもそれ以上は書いてありません。

 大江居合の瀧落「後を向き、徐ろに立ちて左足を後へ一歩引き鞘を握りたる左手を其の儘膝下真直に下げ鐺を上げ後方を顧み、右手を膝上に置き同体にて左足を出し、右手を柄に掛け胸に当て右足を前に進むと同時に抜き、刀峯を胸部に当て、同体の儘ひだりへ転旋して、体を後向け左足を前となし、その体の侭胸に当てたる刀を右手を伸ばし刀は刃を右横に平として突き左足を出しつつ上段に取り、左膝を着き座しつつ頭上を斬る、血拭い刀を納む」

 中山博道居合の瀧落の意義「敵が我が鐺を握ろうとするのを、之を避けて立ち上がったが、尚ほ追い迫るを以て再び之を避け、遂に抜刀して振り向きつつ敵を突き刺し、尚ほ追撃する業である」
 鐺を取られたのではないそうですが、これでは長谷川英信流居合とは違ってしまうのですが、それは我慢しても、後方の相手が鐺を取ろうとする素振りを前を向いたままよくできるものです。修行が足りないと笑われそうです。

 瀧落の歌として、「瀧津瀬」は瀧のような急流で、水は川底を滑り落ちて来るのです。この業は手附の動作を演じると技が一つずつぶつぶつ切れそうで、一拍置いて次の動作に移ったのでは間抜けな隙だらけになってしまいます。滑らかな上に緩急を織り交ぜるもので、まさに瀧津瀬を滑り落ちる水の雰囲気が欲しいものです。
 瀧落をイメージし過ぎてなのか術理としてどうなのか、檀崎先生や山蔦先生の夢想神傳流の瀧落の後方刺突の動作が「・・引手をきかせて上から落すように敵の胸部に刺突し・・」の文言が気にかかります。

 歌の下の句「前に立ち添う者もなき哉」は上の句の「崩るゝ事の深ければ」を受けているのでしょうが、瀧のような急流から緩い川底に至れば瀧坪も出来ます。急流のように緩急織り交ぜてスルスルと敵手を外し、抜刀しながら相手を一打ちし後方に振り向けば、相手はそこに無防備に立って居るばかりです、右手を相手に差し込めば刺突は容易です。こんな瀧落しのイメージが浮かんできます。 

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2020年1月16日 (木)

道歌2古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌2の19鱗返・浪返

道歌
2、古伝神傳流秘書より抜刀心持引歌
2の19鱗返・浪返

 鱗返:瀧津浪瀬上る鯉の鱗は
        水せき上て落る事なし
 浪返:あかし波瀬戸越波の上にこそ
        岩尾も岸もたまるものかわ
(参考 下村先生の本には「波返」、「鱗返」と有り従て(此歌は前後ならんかと自雄▢)との特に註あり。・曽田メモ)

 読み
「瀧津波、瀬上る恋の鱗は、水堰き止めて落ちることなし」滝や瀬を登る鯉は 水をせき止める様にしながら上って行くよ。
「明石波瀬戸越す波の上にこそ岩尾も岸も堪るものかわ」明石の海峡を行く波は岩も岸も乗り越えてしまう。

 古伝神傳流秘書英信流居合之事
 鱗返:左脇へ廻り抜付打込ミ開き納る(秘書には岩波と同じ事を記しあり口伝口授のとき写し違へたるならん 曽田メモ

 波返:鱗返二同し後へ抜付打込ミ開き納る後へ廻ると脇へ廻ると計相違也

 どちらの歌も、相手を圧して制する迫力ある強さを示しています。
 我が左側にこちらを向いて坐す相手の機先を制する抜刀は相手が見えているだけに、気の違い以外に相手を制する事は出来そうにも有りません。
 後に座す相手に対するものも同様ですが、相手の気を察するや、静かに左向きになり、そこから怒涛の如く攻め込んでいく気勢が必要でしょう。

 

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