秘歌之大事

2020年4月 4日 (土)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の28我が流を教へしまゝ

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の28我が流を教へしまゝ

百足伝
我が流を教へしまゝに直にせば
        所作鍛錬の人には勝つべし

 我が無外流を教えたままに素直に行えば、所作の形を学んだ人には勝でしょう。

 この歌心は、直ぐには読めませんでした。無外流は他の居合の流派のように形の所作だけを指導され、その後に奥義の心を教えられるのと違い、無外流真伝剣法訣とその十剣秘訣を心構えとして学び其の心を以て所作の修行しているのだから、当然他流のように業の運剣動作だけを鍛錬しただけの人には勝って当然でしょう。
 無外流真伝剣法訣及び十剣秘訣については本稿の4の17に今あるミツヒラなりの解釈をさせていただいています。この百足伝を終る頃にはもう一歩でも解釈が適切であればと思うばかりです。
 

| | コメント (0)

2020年4月 3日 (金)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の27兵法は行衛も知らず

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の27兵法は行衛も知らず

百足伝
兵法は行衛も知らず果てもなし
       命限りの勤めとぞ知れ

 兵法は何処が目的地なのかその行方も知らず果ても無い、命のある限り修行するものと知りなさい。

 歌を其のまま読んで見ました、更に奥があるのではと思うよりもこのサラッと読んだ事の奥深さは並の事では無いでしょう。
 武術に限らず歌でも踊でも、お芝居でも、書でも絵画でも、芸事全般に言われますから自然にそんなものかと思って居るようですが、本当にそう思って死ぬまで修行を続けられる人はどれくらい居られるでしょう。
 そこそこ段位も上がって、門弟など取るようになると、己の修行より弟子を育てて、昇段させたり競技会で優勝させたりすることに精を出し、挙句は団体などの役員などに打ち込んで益々己の修行を疎かにしてしまうのを見かけます。それでも70代ぐらいまでは、稽古も弟子達並みかそれ以上やっていても、目標が己の兵法の修行では無くなってしまい、其の内足腰も弱って剣を振るのも億劫になってしまうものです。
 目標が居合の極意を目指したのは遠い昔になってしまい、段位に依る権威と権力を振りかざして悦に入ってしまう者や、パワハラの大家になって指導者は愚か修行者の心は何処へやらでは、あの若き情熱に満ちた姿は見られなくなるものです。
 或いは、未だ見えないものを追って日々稽古に励む者も、人前では「稽古に出ないと体が弱る」と燃える気持ちを恥じらうようにする者も居るものです。
 「兵法は行衛も知らず」は「あそこ迄」「あれさえできれば」と思っても「そこまで行き着けば」更に向こうにチラチラ見えるものがあるものです。昨日よりは今日、今日よりは明日と幾つになっても励めよ、そして励みつつ天命を全うできれば素晴らしい人生でしょう。 

田宮神剣は居合歌の秘伝
世の中は我より外のことはなし
        思わば池のかへるなりけり
世はひろしわれより事の外なしと
        思ふは池の蛙なりけり
千八品草木薬を聞きしかど
       そのあてがひを知らでせんなし

曽田本居合兵法の和歌
世は広し我より外の事なしと
       思うは池の蛙なりけり
大事おば皆請取れと思うとも
       磨かざるには得道はなし
物をよく習い納と思うとも
       心掛ずば皆すたるべし
目の前のまつげの秘事をしらずして
       とやかくせんと一期気遣う
目の前のまつげの秘事をしりぬれば
        唯速やかの一筋のみち

笹森順造著一刀流極意仮名字目録原文古歌
是のみと思ひきはめつ幾数も
       上に上ありすいもうのけん
世はひろしことはつきせしさとりては
       わかしるはかり有とおもふな
(世は広し事は尽きせしさりとては
       我が知るばかり有ると思うな)

 
 
 

| | コメント (0)

2020年4月 2日 (木)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の26雲霧は稽古の中

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の26雲霧は稽古の中

無外流百足伝
雲霧は稽古の中の転変ぞ
       上は常住すめる月日ぞ

 雲や霧で周囲が見えなくなることは稽古の中でのことに過ぎない、雲や霧の上は常に澄んで月も日もはっきり見えるものだ。

 この様に読んでみたのですが、無外流の普段の稽古の中に「雲霧は稽古の中の転変」というものを互に発しながら行われているならば、うらやましい限りです。
 現代の形稽古は大抵の処は、約束された順番を打ち合うばかり、初心の内はゆっくり正しい刃筋を維持しながら約束された間合いで、気の合う相手とばかりやり合って、だんだん慣れて来ると早く強い打ち合いになるばかりです。YouTubeなど見ても、なれ合いの早打ちばかりで何処にも雲や霧など見られません。
 稽古相手も、形だからと決めつけ、間が近いの遠いの、打ち込む角度が高いの低いのと、泡吹いています。遠いならば足を盗め、近ければ引き足で打て、角度が違えば木刀を打たず腕を押さえろ、幾らでもやり様は有る筈です。
 更に居合では相手を置かずに仮想敵相手で、抜き付けの刀の位置だの、拳が何処だの是も有る特定の部位に特定の条件で抜付ける初歩の稽古の形ばかりです。
 相手になって貰えば、形の順番を知っているので、肩を打てというのに小手を打ちに来り、出鱈目に崩しに懸るばかりで、武術の本質を知らないニセモノばかりです。肩をどの様に打つかは相手に任せて其の起こりを捉える稽古にはならないものです。
 私のような天邪鬼はその方が自分の稽古相手には良いのですが、運剣の正しい道筋を以て崩す相手で無ければ、唯のチャンバラに過ぎず相手を勤めるべき資格はないと思っています。変化業は流派の業を以て変化するのでなければ、其処に稽古に来る意味など全くないのです。 

 「雲霧」とはそれがあって氷壺に相手の月が移らない、その中での転変は稽古でやっているだけにしろ、本来は雲や霧の無い晴れ渡った天空のように己が心を澄ませて相手の心を己が心に移してその隙を打つものぞ。
 妄心ばかりでチャンバラをしていても業の真髄は望めないものです。

| | コメント (0)

2020年4月 1日 (水)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の25前後左右

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の25前後左右

百足伝
前後左右心の技直ならば
      敵のゆがみは天然と見ゆ

 前後左右どちらにも偏らない心の置き所が直ぐであれば、敵のゆがみは自然に見えるものだ。

 「心の技」とは何でしょう。其の上その「技」が直ぐである事とはへそ曲がりには理解できないものです。敵と対して、威丈高になって機を窺う素振りや、今にも打込むぞと見せつける、此の様に来れば一気に打込まんなどと、兎や角相手の出方を想像して、いつの間にか妄心に覆われて平常心を忘れてしまう、懸ると待の心持ちも、懸るばかりに偏ったり、待にばかり偏ったり、妄心は自由勝手に走り回るものです。妄心に惑わされない本心を以て心静かに相手に向かうのであれば、逆に相手の心の歪みが自然に我が心に移って来るものだ、相手はこの様に誘いを懸ければこの様にするだろう抔思いめぐらし、誘いを懸けて来る。
 翻車刀の教えのように互に相争っている様に見えても、心の技直ぐなれば相手のゆがみが手に取るように見えるので不動の心で環り得るのでしょう。見せかけや、誘いに乗らずに動くとしても相手に随って無我の境地で応じるもの。飽くまでも心も体も軸をブラさない自然体と云えるのでしょう。そしてここぞという水月をとらえて打込んで行く、相手は其の打ち込みを逃れる事は出来ない。無外流真伝剣法訣十剣秘訣がここでも示されていると思います。

  

| | コメント (0)

2020年3月31日 (火)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の24長短を論ずる

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の24長短を論ずる

無外流百足伝
長短を論ずることをさて置いて
       己が心の利剣にて斬れ

 刀の長短を有利だ不利だと論ずるよりも、己が心の利剣を以て斬るのだ。

 この歌の読み解くべき処は「己が心の利剣」です。広辞苑に依れば利剣とは「煩悩を破りくだく仏智をたとえていう語」。煩悩とは「衆生の身心を悩乱し、迷界に繋留させる一切の妄念。貧(とん)・瞋(じ)・痴(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・見(けん)の一切の妄念。」と解説しています。
 剣術に於いては、刀が長いの短いのと其の理をとやかく論ずることなく、己の心の中にある妄念を取り去って無心となって斬れ、と云うのでしょう。
 妄念といえば沢庵和尚の不動智神妙録の「心こそ心まよわす心なれ心に心心ゆるすな」の歌を思い描きます。
 柳生宗矩の兵法家伝書の活人剣に西行法師の歌として「家を出る人としきけばかりの宿に心とむなとおもふばかりぞ」とあげて、「兵法に此歌之下の句をふかく吟味して、しからんか。如何様の秘伝を得て手をつかふとも、其の手に心がとゞまらば、兵法は負くべし。敵の働きにも、我が手前にも、きってもつひても、其所々にとどまらぬこころの稽古、専用也」とあります。この歌の状況での心の煩悩があれば、是であったらと欲を思い描き、其の事に心をとどめてしまう事をさておいて、己が心を妄信から解き放って本心に戻り無心となれよと歌うのです。

 無外流真伝剣法訣の虎闌入の「形裡に目を注ぐは象外に神を注ぐ如からず」の教えなのでしょう。

| | コメント (0)

2020年3月30日 (月)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の23朝夕に心にかけて

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の23朝夕に心にかけて

無外流百足伝
朝夕に心にかけて稽古せよ
      日々に新たに徳を得るかな

 朝夕に心にかけて稽古しなさい、日々新たな徳を得るものです。と云っています。「心にかけて」の解釈は、歌の文言だけでは朝夕心掛けて毎日稽古しましょう、と聞こえます。
 朝夕毎日稽古するばかりで毎日新たな徳を得られるのか、何か無外流の持つ思想的問題を心掛けて朝夕稽古したいものです。
 やはり、無外流始祖の無外流真伝剣法訣と十剣秘訣の一語一語の教えを胸に秘めて稽古すると考えたいものです。あれは極意の秘伝だから一通り形が打てるようにならなければ教えられないと言われるのでしょうか。
 現代はインターネットで簡単にそれは手に入り、解説までされています。昔はどうだったのでしょう。
 意味も解らず、形を教わった通りに順序良く元気に打っていればいいのでしょうか。それでも健康維持のための運動不足解消の一役としての意味は十分あります。
 武術は何の為にこの化学兵器が充満している世界に役立つのでしょう。何となくきな臭いこの頃、下手をすれば、白兵戦にも物おじしない、皇国の為に天皇陛下万歳と叫んで突入する兵士養成に戻されてしまいそうな予感もします。
 武術は先ず己の為に、己の人生を身も心も正しく生きて行く為の知恵と体を作ってくれます。不意の出来事にも、おたおたしないで瞬時に応じられる体と心を養ってくれます。「もっと先に」と今ある事の先を見つめて努力する事は何にもまして楽しいものです。

 先日、古流剣術の形稽古をしていて、「形を要求された順序やかたち通りに出来てから、変化を求めるのが筋で、出来てもいない内にやるべきではない」など、解った様な嘘を平気で言って居る指導者面した者がしゃべっています。
 「形の要求された通りにやって、術が効いたから出来たと思っても、それはいつも同じ人と組んでのことで本当に出来たのか疑問ですよ。それに自分より下手な人には効いても、直ぐ上の先輩にすら効かない、まして師匠には簡単に外されてしまいますよ。何か勘違いしていませんか。
 それにその形が出来たというのは、他人が判断するものでは無く自分がこれならば誰とやっても有効だと判断するもので、少々形の順番を覚えて「かたち」だけ出来る様な人がとやかく言うものでは無いでしょう。」当然ながら彼は不満気な、お前に何が解ると云う顔をしていました。

 形の有るべき姿を現代は矢鱈統一した見栄えで判断する癖がつき過ぎです。
 その原因が武術指導の目的以前にある、連名や協会による「形」の昇段審査などの弊害です。試験問題を順序良く足捌きも、打込みの位置も規定通り形よく出来なければならないのですから、「かたち」だけで終わってしまいます。その形が求めるものの何が出来ていなければならないかなどは何処かに行ってしまったようなものです。「かたち」が似て居れば「形」が出来たと云えるのでしょうか。

 古流剣術も流派によっては「かたち」が異なります、それは目録から業名を知り、手附を求めたが書かれたものは「メモ」に過ぎず、「口伝」でおしまいです。ですから幾つも「かたち」があって当たり前です。然し有効な術になっているかは別物です。

 中川申一著無外流居合兵道解説の正座の部五用の二本目「連」は全居連の刀法の二本目前後切の参考となった業です。この初動の刀の抜き上げを中川先生の解説書から:「理合」前後に敵を受けた場合で先ず前敵の眉間に諸手で抜きつけ、後ろを振り向くや、後敵を真向に斬り下ろして仕留める。
 「方法」両足の爪先を立て腰を上げると共に刀を上方に抜き上げる。刀を抜き上げると共に左手を柄に掛け、諸手上段となり、右足を踏み出して眉間に斬りつける、両膝を浮かし・・・以下略」
 中川先生の連の刀の抜き上げの写真は明らかに敵の斬り込みを意識し、右手は正中線上を上に抜き上げています、従って手附けには無くとも敵の刀を受流す意図が含まれた抜刀です。

 無外流の無外流居合道連盟編著の塩川寶祥の武芸極意書真伝無外流居合兵道にある五用の二本目連の抜刀の写真からは、後向きである事も有るでしょうが、柄頭が上に45度位で抜き出されて居る様で中川先生の雰囲気は伝わってきません。真向打ち込みも両腕が充分伸びた状態で敵の眉間に斬りつけられている様で、敵との間が遠い想定かと思われ、受け流す必要は無いとも思えます。しかし無外流真伝剣法訣の「神妙剣」の教え「事の先を為さず動きて輙(すなわち)随う」を受けていれば、必ず敵が真向に斬り込んで来るのを察して応じるもので抜刀に受け流し心が欲しいと思ってしまいます。敢えて言えば、この写真による抜き上げは合し打ち或いは相手の小手に打込む十文字勝の動作かも知れません。他流の手附に無い部分を写真から判断するのは慎むべき事とは充分承知していますが、百足伝の今回の歌を解読するためには、手元にあるあらゆる資料を駆使しませんとその歌心が読めないのです。無外流の方からご指摘いただければ、更に一歩前に歩き出せるかと思い、ご容赦の上御指導お願いいたします。
 
 全居連の刀法昭和31年1956年10月1日制定、昭和52年1977年5月1日配布全日本居合道刀法解説「前後切」:「意義」敵我が真向に斬込み来るを受流すや顔面に双手上段から斬付け、直ちに後敵の真向に斬下し、更に前敵の真向に斬下して勝つ。
 「動作」腰を上げ爪立つや刀を頭上に抜き上げ左斜下に敵刀を受流し直ちに双手上段となり右足を踏み込みて前敵の面部に斬付けるや膝を浮かし・・以下略」全居連の刀法2本目前後切の動作は無外流の連から作られたとされています。

 故全居連会長池田聖昂著全日本居合道刀法解説平成5年2003年5月1日発行「前後切」:「剣理」我れ、座したる前後に同じく座したる敵を受け、前の敵、我が真向に斬り込み来るを受け流すや否や、其の敵の顔面に切り付け、直ちに後敵の真向に斬り下ろし、更に、前敵の真向に斬り下ろして勝つの意なり。
 「術理(動作運用)」前敵、我が頭上より真向に斬り下ろし来るを、我れ両手を刀に掛けるや、否や我が右柄手を我が顔前を通して刀を上に抜きかけつつ腰を上げ、爪先立つと同時に我が頭・左肩を覆う形にて、刀を頭上に払い上げる様に抜き取りて左斜め下に敵刀をすり落す様に受け流す。「註」受け流す為に抜刀する時、刀刃を外懸け(外側に倒す)にしながら払い上げる様に抜き取る。この際、鞘も下に引き落とす感じにて抜刀する。決して鞘を後方に引いてはならない。・・・以下略」

 無外流の連がどんどん昇華して行きます。無外流そのものではなくなっているのです。これは連盟という元々異なる集団によって発生したものですが、無外流の中でも発生が異なれば往々にしてありうるものです。
 古流剣術では道場ごとに異なっていたりします。そしてどれも間違いではないのです。ポイントの押さえ方一つで業は変化してしまうものです。其の上師匠が更に上の奥義を求める人であれば、この間教わった形が今日は違って見えるものです。私は形は生きていると思っています、是でいいなどの安易な思いは少しも持ち合わせていないつもりです。

 この歌は、修行する初心者から師と仰がれる人にも共通した歌心であると思います。何も思わずに体が動いて業の「かたち」をなす、素晴らしい言葉でしょうが「稽古」は考え考え抜き付け、思った様に出来ない処を「何故」と反芻して見るものでしょう。解らなければ、師に問う也資料を求めるなりするものです。習い・稽古・工夫のスパイラルによって「日々に新たな徳を得る」のかな。

 

 
 

| | コメント (0)

2020年3月29日 (日)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の22兵法を使へば

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の22兵法を使へば

無外流百足伝
兵法を使へば心治まりて
      未練のことは露もなきもの

 無外流の兵法を身に付け試合に臨むならば、心は治まり、生死について未練な事は露ほども無いものだ。

 「兵法を使へば」は何の心得も無く戦いに臨むのでは不安だらけで、押しつぶされそうになって逃げだしてしまいそうです。此処は矢張り無外流の兵法を以て仕合に臨む心持ちでなければならないでしょう。
 無外流は、居合や組太刀の形については無外流の流祖辻月丹は手附を残していないとされています。口伝に依る形は有ったかもしれませんが、道統が引き継がれる内に変化して元の形は見えなくなってしまうのが一般です。
 この無外流も江戸末期までには江戸では無外流は絶えてしまい、明治まで残ったのは高知の山内藩と姫路の酒井藩だけであったようです。
 その形も代を重ねるうちに変化してしまい、中川申一先生が師と仰ぐ高知出身の無外流を伝承した高橋赳太郎先生からどの様に指導されたのか中川申一先生の無外流居合兵道も古流であるとは言えないかもしれません。

 高知に持ち込んだ林六太夫守政の無雙神傳英信流居合兵法が無雙直傳英信流居合兵法として大江正路先生が明治維新によって消え去ろうとしたものを復活させたこととよく似ています。
 幸いなことに無双直伝英信流は業手附を記述した伝書が江戸後期初めに山川幸雅先生が原書を書き写したものが引き継がれ曽田虎彦先生に依って神傳流秘書として古伝の手附がよみがえっています。

 無外流は始祖は形の手附を残さず「無外真伝剣法訣、十剣秘訣」を以て無外流を伝承させ、形は口伝に依るばかりです。
 無外流兵法の形は、無外真伝剣法訣及び十剣秘訣によってその心から業を展開する流と言えるのでしょう。ですから無外流は敵に対する心構えから展開されるわけで、十剣秘訣によって心構えが出来た上での兵法と云えるのでしょう。心構えが充分理解された上での兵法であれば敵と対しても、心は治まっており、未練の事は露ほども無いものとなるのでしょう。

 然し未解決の「萬法帰一刀」の修行は終生続けられる。その修行の途中で己より「萬法帰一刀」に近づいたものに出合うならば、大森曹玄禅師の云う「一刀流仮名字免許に、これのみとおもひきはめつゆくかずも上に上ありすゐまうのけん(此れのみと思い極めつゆくかずも上に上あり吸毛之剣)を上げています。「白雲未在」永遠になおこれ未在である。そこであるが、そこではない。これが極意だ。」とされておられます。

 無外流の剣術については山口流の山口左馬之助を師事した辻月旦によるもので「無外真伝剣法秘訣 十剣秘訣」との関係は解るが、百足伝は辻月旦が師事した居合の自鏡流祖多賀自鏡軒盛政の歌だろうと別物に捉える人は無外流の学者には居ないと思いますが、知ったかぶりの人は別物、心が違うだろうと云われるかもしれません。
 居合も武術である事には変わらない、現代居合は「相手の害意を察して」という意味不明の仮想敵相手に一方的に抜き付けるばかりの稽古をしていますから「無外真伝剣法秘訣 十剣秘訣」は、如何なる流派にも適応する教えですから、学ぶ価値は高いものです。

| | コメント (0)

2020年3月28日 (土)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の21立合はゞ

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の21立合はゞ

無外流百足伝
立合はゞ思慮分別に離れつゝ

      有るぞ無きぞと思ふ可らず

 立合えば、相手がどのようにするだろうと、相手の動きを思い慮って分別をするのをやめようとしてているのに、あれも有るだろう是は無いだろうなど思ってはならない。
 無心になって相手の出方に応じればいい、と、云って居るのでしょう。「有るぞ無きぞ」は相手の仕掛けは目に見えるものでは無く、それを兎や角思う事とも、手に持つ刀の長短までも、極端には自分の獲物の有る無しにまで及ぶとも云えるでしょう。無心になれよと云う歌心でしょう。

 曽田本英信流居合心持肝要之大事居合心立合之大事で「敵と立合兎やせん角やせんとたくむ事甚嫌ふ況や敵を見こなし彼が角打出すべし、其所を此の如くして勝んなどとたくむ事甚悪しゝ。先づ我が身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし。敵打出す所にてちらりと気移りて勝事なり。常の稽古にも思いあんじたくむを嫌う、能々此念を去り修行する事肝要中の肝要也」と云っています。
 形稽古だからと云って指導された通りに、足は何歩、打ち込み角度は、と寸分違わない動作を何十年やっていても、踊は上手に成っても武術は少しも進歩しません。

 この歌心に応ずるとすれば、無外流真伝剣法秘訣の十剣秘訣によって読み解いてみます。
・獅子王剣「太極より出ずれば則ち其気象見え難し、気象より発すれば則ち厥痕(そのきず)を窺い易し」。平常心で臨めばうかがい知る事も有る。
・翻車刀「互換の争い有るに似たり、鼓の舞のように還りて動かず」
・玄夜刀「微により顕れる漠(なく)陰陽測れず之を神と謂う」。夜は物が見えないように之を推し測れるのは神である。
・神明剣「人の変動は常に無く敵に因って転化す。事の先を為さず動きて輙(すなわち)随う」である。
(この教えは一刀流兵方目録の天地神明之次第にある「敵に因って転化し事を先に為さず、動にて輙(すなわち)随う」と同じ文言です。)
・虎闌入(こらんにいる=虎の猛る姿)「無我の威で虎賁(ひふん)に当たる無し」虎の憤る姿のものでは無い、物静かなうちに威がある自然体にとる。
・水月感応「氷壺に景像無く猿猴水月を捉ふ」澄みきった心にはなにも思うものは無く、心に移った相手の思いを捉えるのです。
・玉簾不断「窮まれば変じて通ずる」によって、瀧のように絶えず打ち出される相手の仕掛けに応じつつ、窮まれば、変化し相手の隙を見出すものとします。
・鳥王剣「正令當に行われ十方坐断」出来るのです。
・無相剣「明頭は見易く暗頭は察し難し」と云います。これは気性の暗い者は察し難く、気性の明るい者は、何も思わない無相の処から実相を見出しやすいと云うのでしょうか。
・萬法帰一刀「問うて云う萬法一に帰す、一は何れの処の位置に帰す。我答えて云う。青洲一領の布杉を作り、重き事七斤。更に参ずること三十年」多くの業技法を学びおおせても一に帰す、という其の一とは何れの所の一か、と問えば意味不明な返答しか帰って来ない。更に三十年の修行を志そう。と云うのです。

 中川申一著無外流居合兵道解説では、無外流の立業の部の最後に「万法帰一刀(まんぽうきいつとう)」という業があります。
 「理合:はるか前方にある敵の殺意を察し、威圧せんとするも敵之を察すること能わず、故に鯉口を外切りにして左足より進み、斬る気勢を示す。敵始めて之を察し、心の動揺するや、速やかに進んで腰のあたりの空を斬る。敵する能わざるを知って逃ぐるを見送る。」動作はさして難しいものでは無いでしょうが、その理合にある、我と相手との心理状況は、居合と云う一人演武による見た目の動作で容易に表現できるでしょうか。三十年のこれからの修行で身に付けられるでしょうか。百歳を幾つも超えてしまいそうです。武術に到達点はないのでしょう。大分無外流に深入りし過ぎてしまった様ですが、武術は翻車刀なんです。其の上「萬法帰一刀」です。

 宮本武蔵の兵法35箇条いとかねと云亊「常に糸金を心に持つべし。相手の心に、いとを付て見れば、強き処、弱き処、直き所、ゆがむ所、たるむ所、我が心をかねにして、すぐにして、いとを引あて見れば、人の心能くしるゝ物也。其のかねにて、丸きにも、角なるにも、長きをも、短きをも、ゆがみたるをも、直なるをも、能知るべき也。工夫すべし」相手の心に糸を付けて物差しで計れと云います。

 柳生宗矩の兵法家伝書殺人刀に病気の亊「かたんと一筋におもふも病也。兵法つかはむと一筋に思ふも病也。習いのたけを出さんと一筋におこふも病、かゝらんと一筋におもふも病也。またんとばかりおもふも病也。病をさらんとおもひかたまりたるも病也。何事も心の一すぢにとゞまりたるを病とする也。此様々の病、皆心にあるなれば、此等の病をさって心をととのふる事也」心の居付きは病なんでしょう。くそ真面目な人程この病に侵されやすそうです。「放心心を具せよ」という心を放す心をもて、「心を綱を付けて常に引きて居ては不自由なぞ、放しかけてやりても、とまらぬ心を放心心と云ふ。此放心々を具すれば、自由がはたらかるゝ也。綱をとらへて居ては不自由也。」

 この歌心の置き所は「放心々」なのか・・。歌に捉われずに・・。

 

 

| | コメント (0)

2020年3月27日 (金)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の20兵法の強き内

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の20兵法の強き内

無外流百足伝
兵法の強き内には強味なし
       強からずして負けぬものなり

 兵法で強い打ち込みをしている内には、真の強みとは言い難い、強くなくとも負ける事など無いものだ。
 この歌の「強き内には」の解釈ですが、「強い打ち込みには」ともとれるし「強い打ち込みをしている間は」ともとれます。居合で横一線の抜き付けでは、片手に依る抜付けなので、そこそこ出来るようになれば極端に強いとか弱いは序破急の抜き付けによってさしたる強み弱みは見られず、敢えてゆっくり抜いて居る人に違和感を覚えます。
 然し真向に振り冠って打ち下ろすとなると肩を怒らし、首筋の筋肉まで盛り上がって、腕から拳まで上筋が張って、肘が内側に絞られ、腰が据わってしまった真向打ち下ろしを、刃筋が通って鋭い打ち下しで迫力があって良い、などと指導して居る高段者が見られます。横一線の抜き付けで相手の戦力を殺いでしまっているのに、とどめの一撃とばかりにむきになっている様でこれでも武術なんでしょうか。薪割りでも慣れた人は力など何処にも入っていません。
 そうかと思うと、上段に振り冠ってから、両手を上にあげて拍子をつけて振り下したり、手と刀を前方に振り込んでから切り下したり意味不明な動作でも良しとしている、競技会でのおかしな審査員もいたりします。
 強く打とうとして、振り冠りに一呼吸入れる様な拍子を付けたり、握りを強くしたり、反り返ったり、それらは隙を作っているようなものです。
 私の近くに93歳になる御婆さんがいます。娘の頃より父親にしごかれ畑を耕し、畝を作り、種を撒き、雑草を取り、収穫する、今でも十分働いています。
 そのクワを振る姿は重いクワも軽々と何処へも力も入らず、膝・腰・腹・肩・頭の位置は上下動も無く、前後に触れる事も無い、体がクワと一体になったようでサクサクと流れ、クワを振っている時は、声をかけるのもつい控えてしまいます。是は芸術と云えるものです。休み休みでも午後3時間は畑に居られます。

 妻木正麟著詳解田宮流居合田宮流伝書「口伝」よりによれば、打ち下ろしは力を捨て前進の気を以て打つに非ざれば切り難し。力は身に限りあり、心術は比すべからず。腰、腹に納まるの気より業に移らざれば、形崩れ全きを得難し。術は腹を以てと教ふれども、その実は腰に至らざれば心気に至りがたし。気腰に集まるとき自ら腹に渡り充つる。

 宮本武蔵の兵法35箇条兵法上中下の位を知る事では、兵法に身構有り。太刀にも色々構を見せ、強く見へ、はやく見ゆる兵法、是下段と知るべし。又兵法細かに見へ、術をてらひ、拍子能き様に見へ、其品きら在りて、見事に見ゆる兵法、是中段の位也。上段の位の兵法は、強からず弱からず、角らしからず、はやからず、見事にもなく、悪しくも見へず、大に直にして、静に見ゆる兵法、是上段也。能々吟味有るべし。

 これらの教えを、やろうとすると古参の者や訳知り顔した師匠が、初めの内は全身に気力を振り絞って力一杯素早く打ち込みなさい、最初から気の抜けた打込みは意味はない、と云われます。
 ゆっくり足・腰・肩・腕・刀と狙った位置に寸分たがわず斬り込む稽古をした方が遥かに上達は早く、刃筋も正しい自然に鋭いものになります。

 

| | コメント (0)

2020年3月26日 (木)

道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の19兵法は強きを

道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の19兵法は強きを

無外流百足伝
兵法は強きを能しと思いなば
      終には負けと成ると知るべし

 兵法は強い打ち込みが出来ればいいのだと思っていると、終いには負ける原因になると分かって来る。

 若い人は、早い強いはお手のものでしょうが、年を取って来ると強く早い打込みなど、だんだんできなくなります。天性のものをたよりに稽古してきた人は若者に負けて当たり前でしょう。人生には何度か過去の自分を忘れて変えていかなければならない事があるものです。武術は死ぬまでも修行し、負けない武術を生み出していくものなのでしょう。年を取ったから負ける様な武術は武術とは言えないのでしょう。

妻木正麟著詳解田宮流居合より田宮神剣は居合歌の秘伝
 居合とはつよみよはみに定まらず兎にも角にも敵によるべし
 つよみにて行きあたるこそ下手なれやまりに柳を上手とぞいふ
 初学には調子を習へ兎に角に早きにまさる兵法はなし

曽田本居合兵法の和歌
 強みに行当るおば下手としれ鞠に柳を上手とぞいう
 早くなく重くあらじな軽くなく遅き事をや悪しきとぞ云

笹森順造著一刀流極意の一刀流兵法仮名字目録
 風にそよぐ萩の如し、柔剛強弱此処也、敵つよからん処を弱、弱からん処をのっとりて強勝事也。強きに強、弱きに弱きは、、石に石綿に綿の如し、石は石に当てとひかえる時は勝に非ず、綿は綿に逢時は生死みへず、故に一刀流は拍子の無拍子、無拍子の拍子と云々。

宮本武蔵の五輪書風之巻他流におゐて、つよみの太刀といふ事
 太刀につよき太刀よわき太刀といふ事はあるべからず。つよきこころにてふる太刀はあらき物也、あらきばかりにてはかちがたし。又つよき太刀といひて、人をきる時にしてむりにつよくきらんとすればきれざる心也。ためしものなどにきる心にも、つよくきらんとする事悪し。誰におゐても、かたきときりやふによわくきらん、つよくきらんと思ふものなし。‥若しは、つよみの太刀にて、人の太刀をつよくはれば、はりあまりて必ずあしき心なり。人の太刀に強くあたれば、わが太刀もおれくだくる所也。然るによって、つよみの太刀などといふ事、なき事也。・・物事に勝つといふ事、どうりなくして勝つ事あたはず。わが道におゐては、少しもむりなる事を思はず、兵法の智力をもって、いかやうにも勝つ所を得る心也。能々工夫有るべし。」

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

介錯口伝・他・神妙剣 女剣士 居合兵法の和歌15-7 居合兵法極意巻秘訣15-6 居合兵法極意秘訣15-3 干支を読む 文化・芸術 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 書を楽しむ 曽田本その1の3業附口伝原文4大小立詰 曽田本その1の3業附口伝読み解く4大小立詰 曽田本その2を読むの2 曽田本その2を読むの3 曽田本その1の1神傳流秘書を読み終えて 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く始めに 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く10夏原流和之事 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く2居合兵法伝来 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く3大森流居合之事 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く4英信流居合之事 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く5太刀打之事 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く6坂橋流棒 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流1詰合 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流2大小詰 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流3大小立詰 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く8大剣取 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く9抜刀心持之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌 曽田本その1の1神傳流秘書原文始めに 曽田本その1の1神傳流秘書原文10夏原流和之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文2居合兵法伝来 曽田本その1の1神傳流秘書原文3大森流居合之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文4英信流居合之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文5太刀打之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文6坂橋流棒原文 曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流1詰合 曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流2大小詰 曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流3大小立詰 曽田本その1の1神傳流秘書原文8大剣取 曽田本その1の1神傳流秘書原文9抜刀心持之事 曽田本その1の2英信流目録原文初めに 曽田本その1の2英信流目録原文1居合棒太刀合巻 曽田本その1の2英信流目録読み解く初めに 曽田本その1の2英信流目録読み解く1居合棒太刀合巻 曽田本その1の3業附口伝原文を読み解く初めに 曽田本その1の3業附口伝原文1太刀打之位 曽田本その1の3業附口伝原文2詰合之位 曽田本その1の3業附口伝原文3大小詰 曽田本その1の3業附口伝読み解く1太刀打之位 曽田本その1の3業附口伝読み解く2詰合之位 曽田本その1の3業附口伝読み解く3大小詰 曽田本その1の4居合根元之巻原文 曽田本その1の4居合根元之巻読み解く 曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文 曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く 曽田本その1の6英信流居合目録秘訣原文 曽田本その1の6英信流居合目録秘訣読み解く 曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣原文 曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣読み解く 曽田本その2を読む 曽田本その2を読むの4 曽田本スクラップ土佐の居合 曽田本スクラップ居合 曽田本スクラップ戦時下 曽田本免許皆伝目録15-11 曽田本業附口伝15-10 曾田本その1の8その他原文 曾田本その1の8その他読み解く 曾田本その1の9居合兵法の和歌原文32首 曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首 曾田本その1付録曽田虎彦研究中抜刀術 曾田本その2を読み解く 神傳流秘書14-10英信流目録小太刀之位 神傳流秘書14-1序 神傳流秘書14-2引歌及び伝来 神傳流秘書14-3大森流・英信流・太刀打 神傳流秘書14-4棒 神傳流秘書14-5詰合 神傳流秘書14‐6大小詰・大小立詰 神傳流秘書14‐7大剣取 神傳流秘書14‐8抜刀心持之事 神傳流秘書14‐9夏原流和之事 秘歌之大事 稽古の日々 英信流居合目録秘訣15-4 英信流目録15-8 道場訓