下村派行宗貞義記録写「誓約」
故行宗貞義先生記録写
夫れ居合術は独技独行なるが故に其之を演ずるに当たってはまず己が胸中に敵を作り敵の己に加えんとする機に先んじて以って勝を制することを学ぶべし
Δ 誓約
第一 師の指導すに従順なるべし
第二 礼儀を重んじ長序の別を正し諸事軽薄の行為なきを要す
第三 猥りに他人の技芸を批評すべからず常に己が技芸の不足を反省すべし
*曽田本その2の書き出しは、曽田先生の師故行宗貞義先生の言われた事を記録したものと言います。
居合と云うものは、一人で技を演じ、一人で行うものである故に、是を演ずるに当たってはまず己の胸中に仮想敵を作って敵が己に加えようとする害意を察しその機に先んじてその動作を制して勝を制することを学ぶべきである。
*胸中に敵を作るのであって、修行が充ればおのずから仮想敵が現れるなどと思うのはおかしなことです。そんなことが起これば妄想の病に侵されているかも知れません医者に診てもらう必要があるでしょう。
敵の動作を想定してそれに応ずる様に稽古をするもので、攻防のドラマを組み立てる様にしなければただの棒振り運動にすぎません。
そのためには、形の稽古をするとか、格闘技を研究するとか人の動きを押しはかる知識や経験値を豊富に学ばなければならないでしょう。
*次の誓約の文言は行宗先生が曽田先生に伝えたものか、何処かにあったものをここに書いたのかわかりません。
同じような文言が、どこぞの道場の壁に貼られていましたが、剣道の雑誌から抜粋したと言っていました。
恐らくこの曽田本その2にあった誓約を誰かが雑誌に転載したのでしょう。
出典が明らかではないのは困りますが、曽田本は戦後の昭和23年に河野先生に曽田先生自ら送られています。
岩田先生には太田先生の御弟子さんの中田先生から写しが送られていますのでその辺から雑誌に出たのかも知れません。
行宗先生の様な下村派の十五代宗家の言葉ならば「師の指導すに従順なるべし」も幾分か理解できますが、戦前の軍人勅諭を思わせるもので時代を感じます。
宗家でもない道場主が「俺の作った道場だから」と生半可な事で之を掲げたのでは重すぎます。
行宗先生の下村派には、業についての手附はなく、師弟一対一の稽古で口伝口授が全てであった様です。
従って、正しく流派の業を習得するには「師の指導に従順なるべし」以外に方法は無いものです。
しかし、その後の流派の技の趨勢を追っていますと、師の教えそのままに従っていたとは思えないのです。更に、ある時期から師を変えて自らの業の極致を求める事も頻繁です。
同じ下村派の第14代下村茂市に師事した行宗居合と細川居合を追ってみても異なる所作を感じます。指導法に違いがあったのか、力量の差なのか、事理の違いか不思議です。
習い覚えたものを正しく伝承するには、正しく伝える技術も、文章力も必要ですし、出来るだけ癖のない動画なども有効でしょう。
正しく習ったとしても、そこから守破離によって己の武術をみがきあげるものでしょう。
文武両道の扱いもままならない人は武道は口伝口授の世界と云って嘯いています。
この道場訓は曽田本その2にあるもので2014年3月5日に掲載したものです。
カテゴリーを「道場訓」として転載しておきます。
最近のコメント