居合兵法極意秘訣15-3

2015年4月20日 (月)

居合兵法極意秘訣 6.兵粮丸5毒

居合兵法極意秘訣

6.兵粮丸

 5、毒

 陣中にて湯茶水酒などに我が影のうつらざる時は呑まじ皆毒也心得の為記す。

 右長谷川内蔵助より段々申伝之由

 明和元年申年霜月吉辰賜之 林政詡誌

*陣中で飲む湯茶、水、酒などに我が影が写らない時は、呑んではいけない。皆毒が入っているものである。心得の為に是を記す。

さて不思議な現象ですが、影の写らない毒など在るのでしょうか。有る無しよりもそんな気がした時は呑まないのも芸の内かも知れません。人智を超えた危険を察知する能力もあるかも・・・。

右 長谷川内蔵助は長谷川主税助英信でしょう。より段々に伝えて来た事の由。

明和元年1764年11月吉辰の日之を賜る 第10代林安大夫政詡 誌す

ここで一旦「居合兵法極意秘訣」を終ります。

次回以降は、「英信流居合目録秘訣」として、「先生(第9代林六太夫守政)口受の儘を記す」ものを解説して行きます。
現代の奥居合の元となる教えが盛り沢山に出てきます。

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2015年4月19日 (日)

居合兵法極意秘訣 6.兵糧丸4足痛

居合兵法極意秘訣

6.兵糧丸

 4、足通

 山中往来の時足の裏え「うづ」をきざみ水にひたしぬりて行時は足痛まずはだしにてもいたまず千里達者と申也

*山中を往来する時、足の裏に「うづ」を刻んで水に浸し、それを塗れば足の痛みはない、裸足でも痛む事はない、千里達者というものである。

まず「うづ」とは何だか判りません。
広辞苑には「うず・烏頭」ヤマトリカブトの根、リューマチ、神経痛などの鎮痛に外用。とあります。

漢方医学を明治以降に西洋医学其れもドイツ医学に偏って置き去りにして来ていますが、人類が経験値で手に入れた自然治癒の手助けをしてくれる漢方医学には再び眼を向けて見る価値は有る筈です。
手っ取り早い、病原を削除したり、毒物で退治するばかりが医療では無いでしょう。
科学的な実証が無くても、有名な医者の思い付きと患者の自然治癒力がマッチして良い結果など幾らも有るはずです。

運動会で速く走れる様に、草木の汁を足に塗った思い出などあったりして、何時も一等賞でしたなど、ほのぼのとした思い出でした。

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2015年4月18日 (土)

居合兵法極意秘訣 6.兵糧丸3手負

居合兵法極意秘訣

6.兵糧丸

 3、手負

 手負生死医者無き時早持つべきは一白馬の糞一蓮肉に色香いろにあふり右に味茶一服ほど湯にて早く用うべし此薬をうくる人は本服(復の当て字か)すうけざる人は吐逆す死する也

*手負いて生死の状況で医者もいない時に素早く持つべき手当は、一つ白馬の糞、一つ蓮の肉、それを焦げ色になるまで炙って、味茶一服程湯を入れて飲ませる。この薬を飲んだ人は本復するが、飲まない人は吐逆して死んでしまう。

医学的にどうなのかなどの前に、このような状況になるのは多くの足軽、雑兵の類でしょう。
上士以上は軍医が見てくれたのかも知れません。生き残るための手段は己自身の知識に藁をも掴む思いが沢山詰め込まれていたのでしょう。

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2015年4月17日 (金)

居合兵法極意秘訣 6.兵糧丸2溺死

居合兵法極意秘訣

6.兵糧丸

 2、溺死

 水に溺れ死たるを助るの法

 臍の中に灸をすべし亦□(やまがら・山雀)の黒焼を水にて口へ流入べし一時より内なれば必ず蘇

*水に溺れ死んだ人を助ける方法
臍の中に灸をするのが良い。
また、山雀の黒焼きにしたのを粉にして口へ流し込むとよい、一時(二時間)以内であれば必ず蘇る。

死んでしまっていたらどうしようも無いのでしょうが、緊急処置法を捜しておきました。

・溺れた人を救助したら、たとえ水中でも、一刻も早く頭を後ろにそらせて人工呼吸を始めます。心臓が止まっていたら心臓マッサージもいっしょにおこないます。

・以前は、水を吐かせることが先決といわれていましたが、これは誤りです。呼吸や脈の有無をまず真っ先に調べ、救命処置を行うことが第一です。

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2015年4月16日 (木)

居合兵法極意秘訣 6.兵粮丸1蕎麦之粉

居合兵法極意秘訣

6.兵粮丸

 1、蕎麦之粉

 ・蕎麦之粉 能酒に浸て日に干しかため亦酒に浸し干し堅め三度酒にひたし干し申也

 ・白米粉にして

 ・人参和人参吉 たとえばそばこ三匁に白米壱匁人参も壱匁まぜ合直径三分程に丸め米の粉を衣に懸けて能干し堅め持べし一粒服すれば二三日飢ず是を食する時は気力常よりつよく勇力大に増也

 ・そばこを仙粉と云 米を寿延と云う 但糯米大に吉

 ・平常の用心にわ人参入れずしても吉旅行等に用意すべし

*戦場に持っていった兵糧丸です。支給された食料とは別に用意したのかもしれません。
家族の思いの籠ったものであれば、生き延びられたのでしょう。

ここは箇条書きになっていますので、其の繋がりが解りずらいのですが、蕎麦の粉をよく酒に浸して日に干して固め、固まったら又酒に浸して干し固め、三度酒に浸して干し固めておく。
白米も粉にしておいて、人参は和人参を用意して、たとえば干し固めた蕎麦粉を三匁に粉にした白米一匁、人参も一匁混ぜ合わせ直径三分くらいに丸めて、米の粉を衣にかけてよく干し固める。それを持って戦陣に加わって行く。一粒服すれば二、三日は飢えることは無くこれを食すれば勇力大いに増大する。
蕎麦粉を仙粉、米の粉を壽延と云う。糯米(餅米)は大いによい。
平常の時の用心には人参を入れなくてもよい。旅行などの時に用意すべし。

兵糧丸の制作で人参はどのようにするのか、準備の仕様がありません。おろし金ですっておくのでしょうか、それとも千切りにして干し人参にしておいて粉に挽くのでしょうか。

雑兵に駆り出されて行く、夫や息子、兄や弟を、恋人を思いせっせと丸めているおなごの姿が目に浮かんできます。
味は、そっと涙を拭いた手で丸めた涙の塩味かもしれません。

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2015年4月15日 (水)

居合兵法極意秘訣 5.組討心得2砥石

居合兵法極意秘訣

5.組討心得

2、砥石

軍中にて砥石無き時古き瓦を求め能く焼きてさまし刀を磨べし甚吉秘すべきなり

*軍中で砥石の持ち合わせがない時は、古い瓦を求めて、よく焼いて冷ましてから刀を研ぐと良い、甚だ善いものである、秘すべき事である。

なるほどそんなものかとも思えますが、研ぎ師の方からはどの様にみられるでしょう。
多少は刃が荒く研がれた方が良いとか、この伝書の書かれた頃は、平和で戦争などは遠い昔の思い出であったのでしょう。
然し武士の心得は、有効な事、無効な事、おまじないや、迷信も含め、細かな事ごとがあったでしょう。
土佐の居合は、南山大学の榎本鐘司先生の北信濃の研究に従えば、市井の剣士に依る教えであったでしょうし、学ぶ者は下級武士、農民と武士の堺に生きた人の習いごとでもあったでしょう。

今でも、何とかキノコが癌に良いとか、実証も無いままに信じられたり、風評なども横行して居ます、昔を笑う資格は誰にも無いものです。

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2015年4月14日 (火)

居合兵法極意秘訣 5.組討心持1組討心持

居合兵法極意秘訣

5.組討心持

1、組討心持

師伝に云軍中にて敵と組打の時下に成りても早指副を抜草摺をたゝみ上差通よし一刀指と必よわるもの也さて首を早く捕る傳は敵之首の骨に刀を突き立我が足にて刀の宗をつよく蹴て踏切るべし此の如くすれば早し咽の下より刀にて首をかき落すと思ふ人は頬當のすがに刀かゝり埒明申さず候深秘すべき也

*軍中での組打ちの時の心得で首をかる方法を述べて居ます。
組打ちで下に成っても、素早く差し添えの短刀を抜いて、相手の草摺を巻き上げて差し通すが良い。
一刺しされると必ず相手は弱るものである。

それから、首を早く捕るには、敵の首の骨に刀を突き立、刀の棟を足で強く蹴って踏み斬ってしまうのが良い。この様にすれば素早く首を取れるものだ。

咽の下から刀を入れて首を欠き切るなど思う人もいるが、頬当の端が刀に当たって埒が明かないのである。此の事深く秘すべきである。

この伝書は明和元年1764年の事です。
既に戦国時代は終わって関ヶ原の戦いは慶長5年1600年ですから164年も前の話しです。
大阪冬の陣が慶長19年1614年、大阪夏の陣が元和元年1615年でした。
天草・島原の一揆は寛永14年1637年です。此の年生れた者でもこの伝書の頃は一人も生きてはいない時代です。
戦陣での首取りなど、武士の心得か昔話だったのでしょう。

太平洋戦争が無条件降伏で終わって70年、其の倍以上の月日が立って居ます。どこまで戦争の事を覚えて居られるのでしょう。
当時は、認識された事の時間は、ゆっくりゆっくり忘れ去られて居たかもしれません。
それ共、武士の心得として常日頃聞かされていた事でもあるかも知れません。

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2015年4月13日 (月)

居合兵法極意秘訣 4.道統8荒井兵作

居合兵法極意秘訣

4.道統

8、荒井兵作

荒井兵作は関東の人浪人也後清哲(勢哲 曽田メモ)と号す

明和元年申歳孟冬吉辰賜之

*荒井兵作は関東の人で浪人である、後に清哲と号した。
明和元年1764年10月申年吉辰の日之を賜う。

誰から賜ったか書かれて居ませんが之は第九代林六太夫守政の言ったことを、第十代林安大夫政詡が書いて誰かに、例えば第十一代大黒元衛門清勝に与えたかもしれません。
その辺は、曽田先生が書かなかったのか、もともと無かったのか良くわかりません。

荒井兵作は古伝神傳流秘書の居合兵法伝来では曽田先生は以下の様に

1、林崎神助重信
2、田宮平兵衛業正
3、長野無楽入道槿齋
4、百々軍兵衛光重
5、蟻川正左衛門宗績
6、萬野團右衛門信定
7、長谷川主税之助英信
8、荒井兵作信定
9、林六太夫守政

10、大黒元右衛門清勝
11、松吉八左衛門久盛
12、山川久蔵幸雅
13、下村茂市定
14、行宗藤原貞義
15、曽田虎彦

と道統を書き表しています。この系譜は下村派と云う事になります。

曽田先生が書き加えた神傳流秘書の「居合兵法伝来」は、9番目までが原本に記載されている伝来の道統です。
林六太夫守政と10番目以降の大黒元右衛門清勝の間に、第十代林安大夫政詡が抜けて居ます。この3人は親類関係になる筈です。
神傳流秘書の筆者は此処に記載の無い林安太夫政詡でしょう。

林六太夫守政の妻は大黒茂左衛門勝盛の娘で、二人の子をもうけたが幼かったので、安田道玄という医者の次男をもらって家督と居合を授けた。
之が林安大夫政詡とのこと。
居合は家督とは別に林安大夫政詡から大黒元右衛門清勝に伝わったと云う事で縁戚による相伝です。
大黒元右衛門から林六太夫守政の4代後の林益之丞政誠に伝わったと云う事です。
(平尾道雄著「土佐武道史話」より)

荒井兵作については南山大学の榎本鐘司先生に依る「北信濃における無双直伝流の伝承について-江戸時代村落の武術と「境界性」-の論文からその存在が荒井勢哲清信が北信濃の伝系に見られる小菅精哲斎正継に間違いないと語られています。
委しくは、榎本先生にお尋ねいただければと思います。

道統については以上で終了です。

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2015年4月12日 (日)

居合兵法極意秘訣 4.道統7百々軍兵衛

居合兵法極意秘訣

4.道統

 7、百々軍兵衛

 百々軍兵衛は相知らずとぞ一説には金五中納言に仕人と申よし

*百々軍兵衛については知らないといっています。一説では金吾中納言に仕えた人だといいます。金五は多分金吾中納言でしょう。

金吾中納言は天正10年1582年~慶長7年1602年20歳までの短い人生ですが、秀吉の妻高台院の兄木下家定の五男に生まれ羽柴秀吉の養子となり高台院に育てられ、丹波亀山城主となる。
秀頼生誕によって疎まれ小早川隆景の養子となり小早川秀秋と改名、秀次謀反の連座として丹波亀山城を没収される。
小早川隆景の隠居に依り筑前城主となり30万7千石。朝鮮の役で苦労し、関ヶ原の役で家康に寝返りなど数奇な運命をたどった戦国末期の武将です。

百々軍兵衛は百々軍兵衛光重として古伝神傳流秘書の居合兵法伝来の道統林崎甚助重信
田宮平兵衛業正
長野無楽入道槿露斎
百々軍兵衛光重
蟻川正左衛門宗績

百々軍兵衛光重は土佐の居合の4番目に位置して居ます。
この居合兵法極意秘訣は第10代林安大夫政詡誌、ですから神傳流秘書と異なるのは疑問です。
第9代林六太夫守政の頃には師匠の荒井兵作(勢哲)以前は良くわからなかったかもしれません。

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2015年4月11日 (土)

居合兵法極意秘訣 4.道統6長谷川主税助

居合兵法極意秘訣

4.道統

6、長谷川主税助

長谷川主税助は後に内蔵助と云尾州公に仕千石領す第一弓馬の上手也諸国弓の傳馬の伝得たる人多し

*長谷川主税助は長谷川主税助英信でしょう。然し今伝える処の第七代では無く、6番目に書かれています。
古伝神傳流秘書で7番目に記載され、目録は無雙神伝英信流居合兵法とあり「是は本重信流と言うべき筈なれとも長谷川氏は後の達人なる故之も称して英信流と揚られたる由也」とあります。

英信の出自は不明です、尾州(尾張)公は江戸時代では徳川家の御三家の一つです。
尾州公に仕えたというこの文章の出処は不明です。
土佐に持ち込まれた英信の名を冠した居合も、流名の由来を含めて良くわからないのが本当の処でしょう。
長谷川英信も主取りは出来ずに名人達人として、武士と農民との境を行き来して武術を教えた江戸時代前期から中期の市井の武術家であったと思う方が良いかも知れません。
林崎甚助重信の居合が時代と共に変化して、英信の頃今様に体系だったと考えてもおかしくはないでしょう。

以下に2012年6月26日のブログ記事を再掲しておきます。

昭和41年8月1日号の全日本居合道新聞に「長谷川主税助英信 身元考」を水鴎流宗家勝瀬光安先生が書かれています。
以下抜粋します。

長谷川主税助英信が、長谷川英信流居合の流祖である事は衆知の事であるが、その身元に関しての細詳はあまり知られていない。
筆者は最近元駿府勤番の士、布施権十郎正秀の後裔の家に伝わる寶蔵院槍術伝書を調査するうち、居合の長谷川主税助英信に該当するらしい人物を発見した。
布施家の寶蔵院流槍術伝書に「長谷川主税助英信は、太平記の越智越前守の末葉也。
讃劦(*讃岐か)に生まれ、後京大阪等を武者修行同様にして廻国なし、江戸芝において竹川無敵、天上天下唯我独尊と看板を出せる時、無敵と仕合をなして、神明前にて高名を現す。
老年の後実子なく甥官兵衛を養子として家を継がしむ」とあり。
槍術に付いては「先師長谷川主税助英信は元来大嶋流の達人也。成年南部に趣き寶蔵院鳳栄に随身し槍法の妙術を得たり。
後推して法蔵院流長谷川派と曰う。
当流にては宝と法と書替えたる事先師英信深き意味あり。
先師英信は紀州家に仕え後浪人となり江戸に居る。
正保年中(1644年~1648年)竹川無敵と真剣の仕合し之に勝ち名を天下に顕す」と誌し。

出生没年に付いては左の通り記載している。
「長谷川主税助英信は文禄七寅壬寅也(文禄は4年までしかありません)、(慶長3年)(1597年)竹川無敵と仕合は正保3年4月(1646年)と也。大阪御陣(慶長19年1614年冬の陣、慶長20年1616年夏の陣)は14歳の時也。
嶋原の陣は37歳の時(寛永14年1637年)也、享保4年巳12月(1719年)死す。歳百十八歳也」

*少々年が合いませんがそう書かれているそうです。

*土佐に居合を持ちこんだ林六大夫は寛文2年1662年生まれ享保17年1732年70歳で没して居ます。林六太夫が生まれた年には英信は62歳です。林六太夫が20歳前後で英信に出合ったとすれば英信82歳さて・・。

但し年代の違う別の目録細註には、紀州の生れとあるが、これは紀州家に仕えたことと、生国とを混同したらしい。

その槍術伝系は左の通りで甲府を経て駿府に伝った。

元祖、宝蔵院鳳栄‐長谷川主税助英信‐長谷川官兵衛英政‐大河原庄兵衛政久-野田市左衛門成方(甲府勤番)-嶋田八郎左衛門利屋(甲府勤番)‐嶋田元次郎利頼(甲府勤番)‐榊原彦太郎政明‐大橋平左衛門豊成‐吉田新五郎種賢‐吉田三十郎種徳‐吉田芳之助種治ー布施権十郎正秀(駿府勤番)
布施権十郎は駿府勤番二百俵高、文久2年5月(1862年)江戸城に於いて剣術槍術を上覧に供士し反物二反を下賜され、又その父権三郎正忠は文化8年2月(1811年)江戸城に於いて一寸二分の強弓を以て弓術を上覧に供し日本一の称を得ている。

この伝書は槍術の伝書だから居合については何も書いていない。従ってこの長谷川主税助英信が、長谷川英信流の英信と同一人物であるとの立証は出来ないが、生国、時代、名前等から考えると同一人物ではないかと考えられる。

この流の槍術には田宮流長谷川派の居合が併せ伝えられている、布施権三郎正忠の武術書上には、田宮流長谷川派の居合を父市郎次正輝につき、寛政二年(1790年)より17年間修業したと誌されている。

或るはこれが今日の長谷川英信流を当時此の地方に於いては田宮流長谷川派と呼んでいたのかも知れない。これだけ資料から一方的な結論は危険だが、若干の信憑性はあるようにも思われる。

註 河野百錬~本稿は6月上旬、勝瀬範士から私に頂いたものであるが、その直後土佐の英信流宗家福井春政先生に、本稿を送付して、ご意見を承った所~英信流の地元土佐には全然長谷川英信公に関する資料は無いとの事であるが、福井先生はかって英信が尾張藩に仕えたとの事を仄聞した事がある。~との御返書を頂いた。駿府布施家に伝わる此の伝書の、英信が英信流第七代の英信公と同一人物かどうかは、勝瀬範士の言う如く、今後の研究にまたねばならぬが、之は洵に当流を学ぶものにとって貴重な掲載を願ったが之を契機に広く当流同人の御研究を切望する次第である。

*その後いかほどの進展があったのでしょう。

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