曽田本業附口伝15-10

2015年11月 9日 (月)

曽田本業附口伝その4大小立詰7移り

曽田本業附口伝

その4.大小立詰


七本目 移り(伝書になし 口伝 曽田メモ)

敵後より組付きたるを我体を落して前に投る也
(後より組付体を下り前に投げる 五藤メモ)

*曽田先生は第15代谷村亀之丞自雄の業附口伝書には無いけれど口伝があるので書き込んだと言うのでしょう。
後ろから羽交い絞めにされたので体を低くして前に投倒すという技です。

伝書に無いと言うのは、谷村派15代には伝わっていないと言うことでしょうか。古伝神傳流秘書には「電光石火」という業名であります。
「前の如く後より来り組付を体を下り相手の右の手を取り前に倒す」

神傳流秘書 大小立詰 七本目 電光石火

 如前後より来り組付を躰を下り相手の右の手をとり前に倒す

 以上七本

*すごい業名です電光石火です。後ろから組付かれた時は即座に相手の右手を取って体を沈めて前に投げる。
一本背負いを彷彿とさせます。
後ろから羽交い絞めにされたので、相手の右手をそのままでは取れそうもない場合は、体を沈めて相手の手が緩んだ処を一本背負いでしょうか。

*業名は業附口伝の大小立詰めでは「移り」になっていますが手附は神傳流秘書の大小立詰の電光石火とほぼ同様です。
これらの業は業では無いので変化極まりなし、よりよい方法、状況に応じた瞬時の判断を研究すべきでしょう。

以上七本で大小立詰は終わります。
此処も相手は小太刀、我は太刀を帯して行います。
この大小立詰は見る機会が殆ど有りません。之だと言う伝系も有るのか無いのか失伝してしまった業でしょう。

嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰移り
「伝書になし、口伝 打太刀仕太刀の後方。 打太刀後より組付き来るを仕太刀体を落して前に投るなり。」

*曽田先生の業附口伝と同じです。嶋 専吉先生の「無双直伝英信流居合術形乾」を終了します。

以上で業附口伝を終わります。

業附口伝は土佐の居合の下村派15代行宗貞義先生の弟子曽田虎彦先生が谷村派の16代五藤正亮先生、谷村派14代谷村自雄先生の業附口伝書をもとに田口先生(?)と実兄の谷村派土居亀江先生の口伝に依って、谷村派・下村派竹村静夫先生と実演したもので参考にまとめたものと序文に書かれています。

ここには組太刀が4種類記載されていました。
太刀打之位・詰合之位・大小詰・大小立詰です。
神傳流秘書にあった大剣取がありません。
英信流目録にあった小太刀之位もありません。
業の細部は古傳神傳流秘書の太刀打之事・詰合・大小詰・大小立詰と異なる業名、その順番や動作がありますが総じて同じものと云えます。

江戸末期から明治にかけて細々と稽古されていたもので現在の夢想神傳流にも無双直伝英信流にも失伝してこれらを全て打てる道場は少なかろうと思います。
現在打たれている無双直伝英信流居合道形は谷村派第17代大江正路先生に依る太刀打之位を元にした独創形であって、古傳太刀打之事或は太刀打之位とは別物です。

この業附口伝のそれぞれの形は、一対一の攻防ですから、居合ならば正座の部、立膝の部が何とか理解出来、竹刀剣道、柔道、合気道などを少々齧って居れば手附だけで形を打つ事は出来るはずです。
但し、武術として学ぶには奥深いものがあるので申し合わせの形の認識であったり、誰々師匠の直伝位の認識では形を順番に従って打てただけに終わりそうです。
これ等を稽古するには文章をよく読み、それに従って書かれている通り演じてみることが大切です。どうしても抜けがあってどうしたら良いかわからない事がある時は幾つも想定して次の動作と違和感のないものを選択するのがよいでしょう。

ここにも習い・稽古・工夫のスパイラルが求められます。習いとは、師匠が居ても古伝は全く知らない師匠が殆どです。古伝の文章が師匠であり、自分の武的達成度も師匠でしょう。
そして、何より大切なのは、相方と座学で業を理解し合う事かも知れません。

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2015年11月 8日 (日)

曽田本業附口伝その4大小立詰6乱曲

曽田本業附口伝


その4.大小立詰


六本目 乱曲

6.乱曲
前後に立ちて行く也敵後より鐺を取りクルクル廻し引く也我其の時すぐに後向きて左右何れなるやを見合せ右手なる時は我左足にて敵の右足を又左手なる時は我右足にて敵の左足を掬い中に入る也
(後ろより鐺を取りクルクル廻し引其の時左右を見合せ中に入る 五藤メモ)

*敵は我が後ろを並んで歩いて行く時、敵後ろから我が鐺をつかんでクルクル廻しながら引く。我は其の時すぐに振り返って、敵が鐺を握っている手が右手か左手かを見極め、右手で握っているならば左足を踏み込んで敵の右足を掬い、左手ならば右足を踏み込んで敵の左足を掬い付け入って中に入る。

我が鐺を敵が右手で取るならば敵の出足は右が普通でしょう。左ならば左足でしょう。
その敵の出足を我は左ならば右足で、右ならば左足で掬うのです。

神傳流秘書 大小立詰 六本目 乱曲

 如前後より来り鐺を取り頻りにねじ廻し刀を抜かせじとする時後へ見返り左の手か右の手にて取たるかを見定め相手左の手ならば我も左にて鯉口を押へ相手右ならば我も右にて取る後へ引付んとするを幸しさり中に入り倒す

*前の蜻蛉返の様に相手後ろより歩み来たり我が鐺を取る。トンボ返しの場合は相手は「我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押付られたる時」でした。
乱曲は、我が鐺を左手か右手で取ってねじ廻し抜かせない様にするのです。其の時我は後ろを振り返って相手が左手で取っていれば我も左手で鯉口を押える。
相手が右手を出して鐺を取れば右半身になっているでしょうから、我も右半身になるとでも思えばいいのでしょう。
「相手右ならば我も右にて取る」ですが、我は右手で何処を取ればいいのでしょう。
左手は鯉口を握るのは常識でしたら右手は柄でしょう。
文章からは鯉口を右手で取ると読めます。
相手後ろへ引かんとするを幸いに、後ろへ下がり相手の懐に入るようにして足払いで倒す。

*この乱曲と前の蜻蛉返の様に、英信流の瀧落も鐺を取られています。瀧落では鐺を取られ後ろを振り向き右手か左手か確かめていますがその違いは何も示されていません。

左右の手と足の関係は、この際、研究しなおして見るのもいいかもしれません。

この事については政岡先生の無双直伝英信流居合兵法地之巻に瀧落の解説で述べられています。
「参考 これは(瀧落は)右手で鐺をとられた時の動作であるが、もし左手で握っておれば「左足を出し腰をおし出しつつ右手を柄にかけ、右胸に引き、鐺を左腿に添え、強く左前に出して、敵の手を振りもぐ」の動作は、左右とつぎ足で出て腰を右前に出す気持ちで、柄は左前に引きよせて敵の手をふりもぐべきである。この練習は行われていないが、後出の形(大小立詰の形乱曲参考)に於いては、右手で取られた時と左手で取られた時と両様の動作が行われている」

*古伝大小立詰を知らない現代の先生方では「なぜ瀧落で後ろを振り向き左右の手を見極めるのか」の質問に応じられないで「そう教えられた」で片付けられてしまうでしょう。

嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰乱曲
「前後に立ちて行く。 打太刀後より鐺を取りクルクル廻し引く、仕太刀その時直に後向きて左右何れなるやを見合せ右手なるときは仕太刀左足にて打太刀の右足を、又左手なるときは右足にて打太刀の左足を掬ひ中に入るなり。」

曽田本業附口伝と同じです。

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2015年11月 7日 (土)

曽田本業附口伝その4大小立詰5蜻蜒返

曽田本業附口伝

その4.大小立詰

五本目 蜻蜒返

打は仕の後より仕の右手首を後に引き鐺を前に押す直ちに右足を以って掬い中に入る也鐺を後に引き右手首を前に押す時は左足を以って中に入る也
(後より右の手首をおさえ跡へ引左手鐺をおさえ前におす時中に入る 五藤メモ)

*蜻蜓返(せいていかえし・とんぼかえし)は蜻蛉返(せいれいかえし・とんぼかえし)です。
打は仕の後ろより仕の右手首を右手で掴んで後ろに引き左手で鐺を前に押す。仕は直ちに右足を打の足の間に踏み込んで密着する。
鐺を後ろに引き右手首を前に押す時は左足を打の足の間に踏み込み密着する。
五藤メモは前半の方法を言っているのでしょう。
右手を後ろに引かれ、鐺を前に押されれば強く逆らわずになされる儘に右に体が回りこみますからそのまま右足を踏み込み相手の足を掬い刈ればいいのでしょう。

立膝の部の瀧落の様です。この場合は右手あるいは左手も制せられています。其の上で瀧落を稽古してみるのもいいかも知れません。

神傳流秘書 大小立詰 五本目 蜻蛉返

相手後より来り我が右の手を取り刀の鐺を取り背中に押付られたる時其儘後へしさり中に入て倒す

*蜻蛉はトンボです。蜻蛉返ですから反転と思う処です。
相手後から来て我が右手を右手で取り刀の鐺を左手で取って背中に押付けて来る、其の時その体勢の儘後づさりして相手に密着するや体を低めて投げ倒す。
さて前に倒すか後ろに倒すか、状況次第ではどちらでも出来そうです。
倒すにあたっては、相手に密着して足技を併用するなり工夫次第でしょう。

嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰蜻蛉返
「打太刀は仕太刀の後ろに立つ。 打太刀、仕太刀の後より仕太刀の右手首を後ろに引き鐺を前に押す。仕太刀直ちに右足を以て掬ひ中に入るなり。
鐺を後に引き右手首を前に押すときは左足を以て中に入る。」

*曽田本業業附口伝と同じですが、業手附が「打は仕の後ろより仕の右手・・」を嶋先生は「打太刀は仕太刀の後ろに立つ。・・」と、変えて居ます。
些細な違いですが「後ろより」と「後ろに立つ」では状況に違いが出ます。
古伝を読む時は其の違いをどの様に判断するかが業が活きて来るか否かの差になります。

此処には無いのですが、大剣取の無剣で「相手居合膝に坐し居処へ小太刀をさげかくる相手抜打つを・・」の文章で「小太刀をさげかくる」を、訳して「小太刀を引っ提げて進む」としたのでは、間違いではないのですが、「小太刀を無形の構えにとり、間境でふと止まり掛って行く」もっと深く読めば「小太刀を無形の構えに取り間境を越すや小太刀の切先を少し上げて懸って行く起こりを見せるや相手抜き打つ・・」位迄読み取りませんと、無形の構えの有り様も、敵の抜打ちも只の申し合わせの踊りになってしまいます。

蜻蜒返(せいていかえし)・蜻蛉返(せいれいがえし)となりますがどちらも「とんぼ」でしょう。

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2015年11月 6日 (金)

曽田本業附口伝その4大小立詰4骨防返

曽田本業附口伝

その4.大小立詰

四本目 骨防返

互に対立する也打は仕の柄を両手にてとりに来る也我は右手にて敵の両手を越して柄頭をとって両手にて上にもぎとる也
(敵両手にて柄を取る時引廻しもぐ 五藤メモ)

*互いに向き合い立っている所、打が仕の柄を両手で取りに来る、取られる際仕は右手で打の両手を越して柄頭を握り左手を添えて上にもぎ取る、と言う動作は至って単純です。五藤先生は上にもぐではどうかな、引き廻しもぐだろうと言う分けです。
座業のように顔面に一当てしてから柄頭を取ってもぐも出来そうです。

神傳流秘書 大小立詰 二本目 骨防返

 相懸りに懸りて相手我刀の柄を留めたる時我右の手にて柄頭を取り振りもぐ也

*此の業は神傳流秘書では大小詰の二本目骨防扱に有りました。「立合骨防返に同じ故に常になし」と大小詰ではいつもは稽古しないと言っていました。

大小立詰めは、打太刀は小太刀を差し、遣方は太刀を差しての立業です。
双方スカスカと歩み寄り、相手が我が刀の柄を両手で取って抜かさない様に押し付けて来る。
我は透かさず右手を柄頭に取って柄を上に引上げ相手の手を振りもぐ。
相手の我が柄を取るのが、右手だけ、両手、左手など在りそうですが工夫次第でしょう。
振り捥いだら、後は抜き打ちでも柄當でもありでしょう。
古伝は語らずです。

曽田先生による五藤先生の業附口伝大小詰二本目骨防
「互に対座、打は両手にて仕の柄を握る仕は右拳を顔にあて其のひるむときに乗じ右足を柄越にまたぎ右足内側より右手を柄に添へ右足にて敵の両手を押払うと同時に柄を防取る也此の時敵は我右脇へ匍ひ倒る也
(向ふて居る両手にて柄を押し付る時直に右手にて面へ当て其儘に乗り右足をふみ込み柄へ手をかけもぐ)」

*五藤先生の大小立詰の骨防返「引廻しもぐ」も稽古しておくと良いかも知れません。
形ばかりに拘って稽古熱心であっても、喧嘩慣れしたやくざにはコロッと負ける話も聞いたような・・。

江戸末期に竹刀による試合稽古に慣れた者に古流の「かたち」だけの稽古しかしていなかった者が打ち負かされる話も聞きます。
申し合わせの形稽古で打太刀が打ち易い様に仕太刀に打ち込む隙を作って打たせる、身長も似たような者同士で稽古する。
足踏みも所定の踏み数で稽古するetc・・。
何故ですかと問えば「昔からの形稽古のやりかただから、上達したら変化もする」と云うのですが「何時も同じ人と、同じ形ですね」とやると「演武会の出し物なのでこうする」やれやれです。
其の上「大会の合同演武だからばらばらにならない様に組同士が動作を合せて」動作は愚か、足数も歩幅まで合わせ、打ち合った位置から、戻る位置まで合わせています。
武的演舞の究極です。
大方は軍属上がりの師匠の指導に依るのでしょう。乾いた号令が響いています。

嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰骨防返
「互に対立す。 打太刀、仕太刀の柄を両手にて捉りに来るを仕太刀右手にて打太刀の両手を越して柄頭をとって両手にて上に捥ぎ取るなり。」

*曽田本業附口伝の儘です。

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2015年11月 5日 (木)

曽田本業附口伝その4大小立詰3鍔打返

曽田本業附口伝

4、大小立詰

三本目 鍔打返

互に対立する也打は仕の抜かんとする右手首をとる也仕は右手を放すと同時に左手に持てる鍔にて打の手首を打つ也
(抜かんとする時其の手首を押へる左手にて敵の手首を打 五藤メモ)

*これはお互いに相掛に進み仕が両手を刀に掛け抜かんとするところ、打は仕の右柄手を右手で押さえて抜かせじとする。
仕は柄から右手を放すと同時に打の右手首を左手で鍔を以って打ち付ける。

五藤先生は、柄手を押さえられたので左手で打の右手首を打つ、としています。この場合は仕は右手を柄から放さず、左手を鞘から離して打つのでしょう。ダメージは曽田先生の方が大きいでしょうが、咄嗟に柄手を放すには普段から稽古で充分慣らしておきませんと難しそうです。

この業は大小立詰の三本目です、神傳流秘書でも三本目に位置します。

神傳流秘書 大小立詰 三本目 鍔打返

 相懸りに懸り我刀を抜かむとする其の手を留られたる時柄を放し手を打もぐ也

*この業はすでに、大小詰の四本目小手留で解説しています。

四本目小手留「立合の鍔打返に同じ故に此処にては不記」

立業ですから相懸りに懸り合って、我は柄に手を懸け抜こうとする処、相手が右手を取って押さえられる。我は柄手を離し相手の手を鍔で打ち付けもぐ。

右手で柄を握った処を相手に右手で押さえられる、或は両手で押さえられる、そこで柄から手を離し、左手に持つ鍔で相手の手を打ち据えもぐ、と読んでみました。

古伝は「手を打ちもぐ」とばかりですから想像を働かせるところでしょう。

時代が下がると、どんどん技が固定化されていくのはいつの時代も同じです。より克明にと云うことか、特定しないと満足できないようです。

嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰三本目鍔打返
「互に対立す。 打太刀は仕太刀の抜かんとする右手首をとる、仕太刀は右手を放すと同時に左手に持てる鍔にて打太刀の手首を打つなり。」

*曽田先生の業附口伝のままです。

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2015年11月 4日 (水)

曽田本業附口伝その4大小立詰2袖摺返

曽田本業附口伝

その4.大小立詰め

二本目 袖摺返


打は横より組み付仕肱を張りて一當すると同時にすぐに打の刀を足にすけて後に投る也
(五藤先生は一當して中に入り刀を足にすけ後へ投ると記せり 曽田メモ)左右共同前
(横合より組付ひじを張り一當して中に入り刀を足にすけ跡へ投げる左右共に同前 五藤メモ)

*古伝大小立詰の二本目袖摺返の業名は、大江先生が独創した無双直伝英信流奥居合立業の七本目袖摺返に業名を使用されていました。
元はここにあったものです。
大江先生は土佐の居合をコンパクトに纏めて居合そのものを習いやすくして総合武術としては捨てるものは捨てると実行されたといわれます。

打が横より両手で組付いてくる、仕は両肘を張って打の腹部に肘当てを食わし、体を低くして密着し柄を打の足に掛けて打を後ろに投げ倒す。
「打の柄を打の足に掛けて・・」大小詰めですから打は小太刀です、「打の小太刀を打の足に掛け・・」は疑問です。
「仕の太刀の柄を打の足に掛け・・」ならば出来そうです。
「組付かれ肘を張りて一当てする」肘鉄が思いつきましたのでやってみました。
「打の刀を足にすけ・・」ですがこの場合打の刀を足に掛ける方法が思い浮かびません。仕の柄でいいのでしょう。五藤先生のメモ書きでは誰の刀か不明です。

この業は古伝新傳流秘書では大小立詰の一本目に置かれています。

神傳流秘書 大小立詰(重信流立合也) 一本目 袖摺返

 我が立て居る処へ相手右脇より来り我が刀の柄と鐺を取り抜かせじとする時其儘踏みしさり柄を相手の左の足のかゞみに懸け中に入り又我右より来り組付をひじを張り躰を下り中に入る

*立って居る処へ、相手我が右脇から近寄って来て、我が柄を右手で鐺を左手で取り抜かさない様に鐺を背なかに押し付けて来る、我は其の儘後ろにさがり、柄を相手の左足のかゝみに懸けて体を低めて中に入り退き倒す。
又相手が我が右より近づいてきて組付くのでひじを張って相手の組み付を緩め腰を低くして中に入り退き倒す。

相手の攻撃は、古伝は柄と鐺を取って抜かさない様にする、業附口伝は横から組み付いて来る、何時の時か変わってしまったのでしょう。

神傳流秘書の大小立詰一本目は袖摺返ですが五藤先生の業附口伝は二本目が袖摺返です。
一本目は「〆捕」で業の内容が異なります。〆捕は神傳流秘書では四本目に位置します。
順序は好きなようにしてもいい、気乗り次第だと云って居ましたが敢えて順番を変えた理由が解りません。

業名の袖摺返は大江先生が奥居合立業の七本目袖摺返として古伝抜刀心持之事の十一本目行違を改変した業に名付けています。
大江先生が奥居合を改変されたと言われていますが其の痕跡は追跡できません。
大江先生以前に変えられた様な気がしています。もし大江先生が独断で古伝を改変されたならば、何を考えてされた事でしょう。
長谷川英信の時代は甲冑を着た剣術から、素肌剣術に変わった時代でしたからその業技法への転換は頷けます。
明治以降は伝統文化の伝承と白兵戦に怖気つかない兵士予備軍の育成にあったとも思われます。変える理由があるのでしょうか。
寧ろ、大江先生に伝書は伝わらず、業名ばかりが伝わり内容が解らなかったと思う方が自然です。
このような事を云いますと、大江宗家を冒涜する様な事を言うなと仰る方もおられます。無双直伝英信流を当時学ぶ者さえ無かった時代に、中学生に指導し継承された功績は大きいものですが、分けも無く神格化すべきものでも無いでしょう。

嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰二本目袖摺返
「打太刀は仕太刀の横に立つ。打太刀横より仕太刀に組みつく、仕太刀肱を張りて一と當てすると同時に直に打太刀の刀を足にすけて後に投るなり(五藤先生は「一と當して中に入り刀を足にすけ後ろへ投げる」と記せり)左右共同前。

*曽田先生の業附口伝其の儘です。

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2015年11月 3日 (火)

曽田本業附口伝その4大小立詰1〆捕

曽田本業附口伝

その4大小立詰

一本目 〆捕
互に対立する也打は両手にて仕の柄を握るを仕は左手を以って打の左手首を握る也更に此の時すぐに仕は右手にて打の両腕を締め込み我体を台にして之を極める也
(敵両手にて柄を取る左手にて敵の左の手首を押へ右手にて敵の両肘折を押へ体を込み〆付る 五藤メモ)

*仕は太刀を差し、打は小太刀を差し互いに相対して立つ。立ち位置は手を伸ばせば相手に十分触れる事ができる距離を想定します。
お互いの体格を合わせる様な、安易な稽古はせずにどんな人とでも勝てる事を学ぶべきでしょう。

互いに向かい合って立ちます。打は両手で仕の柄を握って抜かせないようにします。仕は左手で打の左手首を握り、即座に打の両腕の肘に右手を掛け、体をぐっと付け込んで極める。
五藤先生は「左手首を押へ、・・・両肘折を押へ・・」と押へると記述されています。

神傳流秘書 大小立詰 四本目 〆捕

 相懸りに両方より懸る時相手両手にて我刀の柄を留我左の手にて相手の脇つぼへ入れて両手を〆引上如何様にも投る也

*古伝神傳流秘書では四本目でした。曽田先生による五藤先生の業附口伝大小立詰では〆捕は一本目になっていました。
大小立詰は我は太刀を差し、相手は小太刀を差しての立合いです。
刀を抜く以前の攻防を習うもので、居合は刀を抜くものとばかり思っていたのでは、柄に手を懸けるや制せられてしまいます。

双方相懸りに歩み寄る時、相手我が柄を両手で押さえて抜かさない様に制して来る。
我は左手で相手の脇坪に一當して怯む隙に、相手の両手を抱きかかえ締め上げ左足を退くや体を沈め左脇に投げ倒す。

此の場合は、我は柄に手を懸けている、或はいない、特に指定されていません。
三本目の鍔留が柄に手を掛けた処其の手を留められていますから、ここは柄に手を懸ける前に相手に柄を制せられるとするのでしょう。

「両手を〆上げ」は相手の両腕の肘のかがみを裏から抱く様に締め上げるのでしょう。

*第九代の林六太夫守政の時代から150年程後の業手附が五藤先生のものでしょう。
古伝は、相手の脇坪に一当てしていますが、業附口伝では相手の左手を押えて、相手の両肱を右手で押さえこんでいます。
其れでなければならないと言う事ではないと思いますが先ず指示された通りと云うのが稽古の筋でしょう。

嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小立詰一本目〆捕
「打太刀、仕太刀互に対立す。打太刀は両手にて仕太刀の柄を握るを仕太刀は左手を以て打太刀の左手首を握る、更にこのとき直に仕太刀は右手にて打太刀の両腕を締め込み己が体を台にして之を極めるなり」

*曽田先生の業附口伝其の儘です。

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2015年11月 2日 (月)

曽田本業附口伝その3大小詰8山影詰

曽田本業附口伝
その3.大小詰
8、山影詰
打は仕の後ろに坐す後より組付也其時仕は頭を敵の顔面に當て敵ひるむ隙きに我刀を抜きて打の組みたる手を切る也
(五藤先生は一当てしてそりかえると記せり 曽田メモ)

(後ろより組付頭を一当して仰向けにそりかえる 五藤メモ)

*曽田先生の手附で業は充分理解できます。細かいところですが、打・仕と言っておきながら敵・我と出てくるので「おや!」と思ってしまいますが、校正しているものではなく曽田メモですから意味が通じればいいでしょう。曽田メモの挿入も特に意味はなさそうです。

打は仕の後ろに双方立膝に坐しいる、打は腰を上げ仕の後ろから両手を廻し仕の左右の上腕を羽交い絞めにする。
仕は即座に後頭部で打の顔面を打つ、打がひるむ隙に太刀を抜いて打の組み付いている手を切る。
後藤先生は、顔面に後頭部で一当てして仰向けに反り返って打の組み付を外す。

これも神傳流秘書を読み返して見ます。

神傳流秘書 大小詰 八本目 山影詰

 是は後より相手組を刀を抜き懸其手を切ると一拍子に我も共に後へ倒るゝ也

後ろから相手が抱き着いて我が両腕を絞めして来る時、刀を抜き上げて組み付いている相手の手を切りその拍子に後ろに相手と一緒に押し倒れる。

後ろから両肘の辺りをがっちり羽交い絞めされたら、刀は抜き出せません。やはり顔面当ては稽古から外せそうもありません。
不意の羽交い絞めか、我が刀に手を掛けたのを制せられたのか、この場合は神傳流秘書は何も言って居ません。
状況はいろいろでしょう。

これらの形は、「かたち」を学んで実戦に役立つものにしませんと、喧嘩慣れした暴漢には勝てないと言われます。
申し合わせの「かたち」では演舞(武)会の余興です。一つの業から何通りもの変化を場に応じてこなせる様にするものでしょう。師匠に習った方法だけがすべてで、他所で見聞きしたものを「違う」と言って否定するのは心得違いです。
それと、古伝を学ぶ時は、まず書かれている文章の通り動作を付けて見るべきで、抜けた部分は想像するのですが、尤も自然な続きの動作を模索すべきで決めつけてしまうと古伝では無くなってしまいます。

嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小詰八本目山影詰
「打太刀は仕太刀の後ろに坐す。打太刀、仕太刀の後より組みつく、その時仕太刀は頭を打太刀の顔面に當て打太刀の怯む隙に己が刀を抜きて打太刀の組みたる手を切るなり。
(五藤先生は「一と當てして仰向に反り返へる」と記せり)。」

*この、嶋先生の文章の括弧の部分は曽田先生のメモ書きそのものです。
やはり、18代穂岐山先生・19代福井先生・20代河野先生いずれも、谷村派の組太刀は伝書に依る伝承はされず、下村派の曽田虎彦先生の写された伝書に基づいて稽古されたと云う事が実態だったと判断できます。

以上で大小詰八本の業は終了です。

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2015年11月 1日 (日)

曽田本業附口伝その3大小詰7左伏

曽田本業附口伝

その3.大小詰

七本目 左伏

右伏の反対業也

(左脇に坐す右手胸をとり其の手を押へ前へ伏る 五藤メモ)

*「右伏の反対業也」といって省略されてしまいました。

六本目 右伏
打は仕の右側に並びて坐す打左手にて仕の胸をとる仕はすぐに其の腕を巻き込みて逆手をとり前に伏せる也
(右脇に坐す左手にて胸を取り其の手を押へ前に伏せる 五藤メモ)

七本目 左伏 を読み込ん見ます。
「打は仕の左側に並びて坐す打右手にて仕の胸をとる仕はすぐに其の腕を巻き込みて逆手をとり前に伏せる也」
(左脇に坐す右手胸をとり其の手を押へ前へ伏る 五藤メモ)

打は腰を上げて右に振り向き右足を右前に踏み込んで仕の胸を右手で取る。仕はすぐに腰を上げつつ打の右手肘を左手で巻き込んで右手で打の手首を取り逆手を取って打を前に俯けに倒す。

神傳流秘書 大小詰 七本目 左伏

 是は左の手を取る也事右伏に同左右の違計也尤も抜かんとする手を留められたる時は柄を放し身を開きて脇つぼへ當り又留られたる手を此方より取引倒す事も有也

*前回の右伏の逆でしょう。座し方に指定は無いのですが、此処は我が左側に相手は並び座すとします。
相手腰を上げ我が左手を取る。我右手を相手の斜めに首筋から廻し胸を取り身を開いて左に押し伏せる。

我が抜かんとして柄に右手を懸けているならば其の右手首を相手に取られて抜かさない様に押し付けて来る。我は此の時柄手を放し、左足を引いて左に開き、鍔を持つ左手で相手の脇坪に柄頭で打ち当てる。
又、柄手を留められた場合、柄手を放し相手の手を取り左手を相手の肘に懸け体を開き引き伏せる事も有。

右伏・左伏も状況に応じて臨機黄変に対処する事を教えている様です。

古伝は、流の奥義を悟られない様に抜けだらけの文言が通例と聞いていますが、寧ろ微細な業技法に拘らず千変万化の動作を要求している様に思えます。

現代居合は、昇段審査や競技大会の審査に容易な様に限られた技法を突き詰めてしまい
古伝の大らかな奥深さを忘れています。

武術は形ではない、と古流剣術の先生から強く指摘されます。現代居合が形にこだわり振り冠りの角度は・・、など些細な処に目を付けるほどの事ばかりをしています、武的美術を求める競技の様になってしまいます。

嶋 専吉先生の第19代福井春政先生の大小詰七本目左伏
「(右伏の反対の業なり)」

 

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2015年10月31日 (土)

曽田本業附口伝その3大小詰6右伏

曽田本業附口伝

その3.大小詰

六本目 右伏

打は仕の右側に並びて坐す打左手にて仕の胸をとる仕はすぐに其の腕を巻き込みて逆手をとり前に伏せる也
(右脇に坐す左手にて胸を取り其の手を押へ前に伏せる 五藤メモ)

*大小詰の六本目は右伏、七本目は左伏です。打の坐す位置が右か左か、打が仕の胸を取る手が左か右かの違いになります。
ここは「右伏」です。
打は仕の右側に並び、小太刀を差して立膝に坐す。
仕は打の左側に太刀を差して立膝に坐す。この仕打の間隔はどれくらいでしょう。通常畳一枚に2名の割付で座ります。向き合った場合は凡そ膝頭の間隔で2尺~3尺でしょう。横は1尺~2尺位そんなものでしょう。

打は腰を上げて左に振り向き右足を左前に踏み込んで仕の胸を左手で取る。仕はすぐに腰を上げつつ打の左手肘を右手で巻き込んで左手で打の手首を取り逆手を取って打を前に俯けに倒す。

この業を稽古すると、打を演じると腰を上げるとすぐに右足を踏み込んで廻り込み、習い性で右手で仕の胸を取りに行ってしまいます。何故左手なのでしょう。
仕の胸を左手で取り右手で小太刀を抜かんとする処を引き伏せられる。かな・・。

この業附口伝の右伏は神傳流秘書では想定が違います。

神傳流秘書 大小詰 六本目 右伏

 我右の方に相手並び坐し柄を取られたる時直に我右の手を向の首筋へ後より廻し胸を取り押伏せんとするに相手いやとすくばるを幸に柄を足に懸て後へ投倒す又抜かんとする手を留められたる時も右の通りに取倒す

*我が右側に相手は並んで坐す。
相手右手を伸ばして我が柄を取る、我直ぐに右手を相手の首筋へ後ろから廻し相手の胸を取り、押伏せようとすると、相手押し伏せられまいと柄を放して力を入れて反り返ってくるを幸い、柄を反り返って浮いた左膝下に懸けて後ろへ投げ倒す。
また、我が抜こうと柄に手を懸けた時に相手が我が柄手を取り右から押し付けてくる時も、我は柄手を放し相手の首筋に右手を後ろから廻し胸を取り押伏せる、相手は押伏せられまいと後ろに反り返ろうとするのを幸いに、浮いた相手の左膝下に柄を懸け後ろに投げ倒す。

*この曽田先生の業附口伝の手附は古伝の業技法とは異なります。
相手は我が柄では無く左手で我が胸を取る、我は直ぐに其の相手の左腕に右腕を上から巻き込み左手で相手手首を逆手に取り前に押し倒す。

古伝は柄をとるのを、右手、左手どちらとも云って居ません。五藤先生のでは左手で胸を取る。首に巻くのではなく、五藤先生は取に来た左腕を逆手に取って制しています。

古伝神傳流秘書の成立から大よそ100年弱経っているのですから、業技法も変化するのでしょう。
神傳流秘書は特定の人しか見る機会はなかったとも言えますから、口伝・口授などではどんどん変わってしまうでしょう。

高知県の無双直伝英信流、夢想神伝流の方々が旧家を訪ねて探し求める以外に此の事は解らない儘に終わるでしょう。
先の大戦で高知市は空爆で火の海だったので、火を免れた周辺の旧家を歩く以外に無さそうです。

嶋 専吉先生の第19代福井春政先生に依る大小詰六本目右伏
「打太刀は仕太刀の右側に並びて坐す。打太刀左手にて仕太刀の胸をとる、仕太刀は直にその腕を巻き込みて逆手をとり前に伏せるなり」

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