幻を追ってその7

2016年8月 1日 (月)

幻を追ってその7中山博道先生の居合9大日本抜刀法13後書

幻を追って
その7.中山博道先生の居合
9、大日本抜刀法13後書
*中山博道先生の考案になる大日本抜刀法と河野百練先生の大日本抜刀流の業を比較しながら進めてきました。
 この二人の大家の大日本抜刀法と大日本抜刀流の手附を読みながら、河野百錬先生が無双直伝英信流から創作したものを、中山博道先生が手を加えて考案したものと云う事でいいのだろうと思っています。
 当時武徳会錬士であった河野百錬先生が大阪武徳会の要請を請けて野外訓練用に創作して提出した大日本抜刀流、其れを大阪武徳会が検討を加えた、その際剣道・居合道などの範士であった中山博道先生に見てもらって手を加えたという事としておきましょう。
 何れ何処からか軍部の真剣刀法の一つとして将校の訓練に使った実績かその教書が出て来るかも知れません。江田島の兵学校などでは中山博道先生が直に指導していたかもしれません。
 香山会の中山博道先生考案大日本抜刀法の解説には線画による運剣の方法が示され河野百錬先生の大日本居合道図譜のものよりも教書らしき体裁を示しています。
 中山博道先生が神奈川県平塚の警察署長であった弟子の大村唯次先生に教示された原本が何処かにあるのでしょう。其れに何か示されているかもしれません。
 然し河野百錬先生の創案を中山博道先生考案としているところはどこか嫌な匂いを感じてしまいます。
 香山会の幽芳録は昭和64年1989年に発行されています。河野百錬先生の大日本居合道図譜は昭和17年1942年発行の非売品(実際は昭和18年1943年発行でしょうが河野先生の居合道真諦では昭和17年とされて居ます)で昭和42年1967年に再版されています。
 流派を超えて研究されるなど殆どやられる事は無いような閉鎖的な現状から事実を確認される事も話題にすらならなかったのでしょう。
 無双直伝英信流を修業される方のうち何人が「幽芳録」を読んでおられるでしょう。同様に「幽芳録」を読まれた夢想神傳流の方の何人が「大日本居合道図譜」を読まれているでしょう。
 昭和58年1983年に無双直伝英信流第21代福井聖山先生が解説書をだされその二巻に「大日本抜刀法」として「本抜刀法は、昭和14年7月、正統第20代宗家、河野百練先生が大阪武徳会よりの依頼を受け、野外道場における実戦的集団教練を主眼として古来の居合を基礎として編成したものである。」とされて無双直伝英信流正統正流では盛んに稽古されて来ています。
 足腰を痛めた古老の剣士は立業として大日本抜刀法は容易で居合らしい動作を要求するものですから好んで演武されて居ます。
 一方大村唯次先生が教示を受けた、中山博道先生の考案になるものは演武を見た事が無いような気がします。
 無双直伝英信流でも正統正流以外、或は河野百錬先生の系統を認めたくない傍系、脱退された所は之を引き継いで居ない様です。
業名の違いを整理しておきます。
河野百錬・・中山博道・・福井聖山の順で並べておきます。
基本之形
第一本目 順刀・・縦刀・・順刀その一、その二(第一本目、第二本目)
第二本目 追撃刀・・斜刀・・追撃刀(第三本目)
第三本目 斜刀・・横刀・・斜刀(第四本目)
第四本目 四方刀・・揚刀・・四方刀その一、その二(第五本目、第六本目)
第五本目 斬突刀・・両断刀・・斬突刀(第七本目)
奥之形
第一本目 前敵逆刀・・前敵逆刀・・前敵逆刀(第一本目)
第二本目 多敵刀・・多敵刀・・多敵刀(第二本目)
第三本目 後敵逆刀・・後敵逆刀・・後敵逆刀
替え業   後敵順刀(後敵抜打)・・替え業・・後敵抜打(後敵順刀)(第四本目)
 
 
 
 

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2016年7月31日 (日)

幻を追ってその7中山博道先生の居合9大日本抜刀法その12奥之形替え業

幻を追って
その7.中山博道先生の居合
9、大日本抜刀法その12奥之形替え業
*河野百錬先生創作になる大日本抜刀流の奥之形の最後は、昭和14年に作成されたものでは「附 後敵逆刀替へ業(後敵順刀)」でおしまいです。業名は後敵順刀(後敵抜打)です。
 中山博道先生の考案になる大日本抜刀法は、昭和20年春に神奈川県平塚の大村唯次先生の所に訪れて大日本抜刀法を教示されていったと、香山会の幽芳録に有ります。その奥之形の最後は「替え業」と云う事で業名は「第三本目後敵逆刀の替え業」で特に呼称は有りません。
河野百錬先生の大日本抜刀流奥之形「後敵順刀(後敵抜打)」
「後敵逆刀と同意義の場合ひ也。
河野百錬先生の大日本抜刀流の三本目後敵逆刀を読み返して見ます。
「意義:我を中間にして同方向に歩行する時、(前後に敵を受けたる意)後方の敵が我に仕懸けんとする其の動向を察知し、機先を制して我れ右足を進めつつ刀を抜きかけ、体を沈めながら左方より廻りて直後に振向くや、剣先抜刀の瞬間刀刃を下にかへして上体を延び切るや、後敵の右胸下部より左肩の方向に斜めに掬ひ上げる様に右片手にて抜打に斬上げ、直ちに元の方向に振返り乍ら諸手上段となり、振り返りて我れに仕懸けんとする前敵の左肩下より右脇腹の方向に左袈裟に斬下して勝つ。血振ひ納刀する事同前。」
*三本目の後敵逆刀は左廻りに後ろに廻り下から斜めに掬い上げる様に切り上げています。
 河野百錬先生の後敵逆刀の替え業である「後敵順刀(後敵抜打)は右廻になります。そのの動作に戻ります。
後敵順刀(後敵抜打)
 直立体より前進して左足を進めて柄に左手(右手の誤植か)をかけ上体を右に披らき柄を右胸部に引付け乍ら刀を抜きかけ後敵に対して右半身となるや其の右肩下より右袈裟に斬下す。
註 斜刀の要領に同じ。参照の事。
上段より斬下さんとす
次に左より廻りて(足は其の儘ま)諸手上段となるや前敵に斬下さんとす。
前敵斬撃
諸手上段より、振向きて我に仕かけんとする前敵の右袈裟に、体を沈め(腰を落し)て十分深かく斬下す。十分の気位を以て静かに中段に直ほり血振ひ納刀す。」
中山博道先生考案の「後敵逆刀替え業」(香山会幽芳録より)
「右廻りにて右足で後敵を右斜に斬り下げ(右袈裟)同体にて振り返り、左足で前敵の右(左)袈裟に斬り下す。」
後敵順刀は右廻りに後ろに廻り右袈裟に斬り下しています。河野先生の場合「上体を右に披らき柄を右胸部に引付け乍ら刀を抜きかけ後敵に対して右半身となるや其の右肩下より右袈裟に斬下す。」と云う文章ですから右廻が半分の所で敵の右肩下に抜き付けるのでしょう。
 逆刀、順刀の文言は刃を返して下から切り上げるのが逆刀、上から斬り下すのが順刀と云う事でしょう。
 此の後敵逆刀、後敵順刀は河野先生の大日本抜刀流も中山博道先生の大日本抜刀法も違いが見られません。
 この二人の大家の手附で初めて演武するには、後敵逆刀は右足を踏み出し右廻りし斬り上げます、後敵順刀は左足を踏み出し左廻りし斬り下ろします。
 左右の足が後敵逆刀は左足前で切上げ、後敵順刀は右足前で斬り下します。前後の足が後敵逆刀と後敵順刀では逆になります。其の足踏みの儘振り返って袈裟に斬ります。
 従って後敵逆刀は振り返って右足前の諸手上段から左袈裟斬り、後敵順刀は振り返って左足前の諸手上段から右袈裟斬りです。
*是で、中山博道先生の考案になる大日本抜刀法、と、恐らくその元となった河野百錬先生の大日本抜刀流は終ります。
 先日、夢想神傳流の先生にこの大日本抜刀法についてお聞きしたのですが「知らない」との事でした。夢想神傳流の山蔦重吉先生の流れを継承している先生だそうです。
 「古流を稽古したいのですが、剣連の制定居合12本の形を指導要綱通りに稽古するのが精一杯で自流の古流などどうしても疎かになります」と仰います。
 「制定居合は夢想神傳流でしょう、他流から見れば楽な筈ですが・・」「・・・」。
 夢想神傳流の方の演武に中山博道先生考案の大日本抜刀法が演じられればいいのに、と思っています。
 流派の伝統を守って修行しているのではなく、特定の部位を打突する竹刀剣道競技の元が、日本刀による斬撃であった事を忘れない為の付録の様な扱いに古流を疎かにして良いのでしょうか。
 居合修行の相間に竹刀競技を楽しむのならば日本武道文化の継承にも役立つかもしれません。
 流派の允可状より全剣連や全居連の段位の価値が高いなどと思うのは、統一理論に基づく権威主義に侵された幻でしょう。
 古流による允可も無く審査会や競技会で「無双直伝英信流」と声高らかに名乗るのを見て「無双直伝英信流・風」でしょうと舌を出しています。
 夢想神傳流発行の根元之巻に至る允可もあればいいのに・・思いつくままに・・・・。
 
 

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2016年7月30日 (土)

幻を追ってその7中山博道先生の居合9大日本抜刀法その11奥之形三本目

幻を追って
その7.中山博道先生の居合
9、大日本抜刀法その11奥之形三本目
*河野百錬先生が昭和14年に大阪武徳会から頼まれて創作した大日本抜刀流は、昭和17年発行の大日本居合道図譜に掲載されています。多分土佐の連中は、「あんなものは土佐の居合とは違う」と言ってバカにしてやろうともしなかったかも知れません。
 其の儘の形で新米将校の白兵戦の真剣斬りの練習として野外で合同演習されたのか、中山博道先生の考案になる大日本抜刀法が標準として訓練に使われたのか知りません。河野百錬先生の大日本抜刀流そっくりさんが中山博道先生考案の大日本抜刀法があった事だけは、香山会の幽芳録に大村唯次先生が残されたので稽古する事が出来ました。
 今回はその奥之形三本目「後敵逆刀」です。大日本抜刀法も大日本抜刀流も奥之形三本目は「後敵逆刀」です。
 この大日本抜刀流が無双直伝英信流に正式に、と云っても第21代福井宗家が多分独断で大日本抜刀法と呼称して取り入れたのでしょう。
 河野先生は大日本抜刀流と呼んでいたはずです。流の道統を思うと大日本抜刀流から大日本抜刀法への替るべき理由が21代の経歴に依るのかも知れません。
河野百錬先生の大日本抜刀法奥之形三本目「後敵逆刀」
「意義:我を中間にして同方向に歩行する時、(前後に敵を受けたる意)後方の敵が我に仕懸けんとする其の動向を察知し、機先を制して我れ右足を進めつつ刀を抜きかけ、体を沈めながら左方より廻りて直後に振向くや、剣先抜刀の瞬間刀刃を下にかへして上体を延び切るや、後敵の右胸下部より左肩の方向に斜めに掬ひ上げる様に右片手にて抜打に斬上げ、直ちに元の方向に振返り乍ら諸手上段となり、振り返りて我れに仕懸けんとする前敵の左肩下より右脇腹の方向に左袈裟に斬下して勝つ。血振ひ納刀する事同前。」
中山博道先生考案の大日本抜刀法奥之形三本目「後敵逆刀」(香山会の幽芳録より)
「我中間にして、同方向に歩行する時(前に同じ)後方の敵が我に仕かけんとするを、其の動向を察知し、機先を制して我右足を進めつつ刀を抜きかけ体を沈めながら左方より廻り直後に振り向くや、剣先抜刀の瞬間、刃を下に返して(奥の形第一本目の要領に同じ)後敵の右胸下部より左肩の方向に斜めに掬い上げるように右片手にて抜打ちに斬り上げ(斬り上げると同時に、沈めたる体を十分に伸ばす)、その時、(左足は後敵の方向、右足は前敵の方向なり)直ちに元の方向に振り返り乍ら諸手上段となり、振返りて我に仕かけんとする前面の敵の左肩下より右脇腹の方向に(斜に斬り下して勝つ(血振い、納刀、後進前に同じ)。」
*大日本抜刀流も大日本抜刀法も文言に多少違いがあっても動作は全く同じでしょう。後方に振向く時、右足前に踏み込む其の足のまま、刃を上にして刀を抜きかけて、左回りに廻り後方に振向くや刀を抜出し切先鯉口を放れる瞬間、刃を下に返して斬り上げる。直に右廻りに振り返り諸手上段から前面の敵に左袈裟切りする。こんな風に読めますが、廻り乍ら刀を抜出し後方の敵に対した時切先まで抜出して居る様には読めません。刀の刃は上向きの儘でしょうか。もう少し動作を付けてもらえませんと稽古になりません。
河野先生の動作
「後に向かんとす
 直立体より前進し右足を進めて柄に右手をかけるや、抜刀し乍ら後に向かんとす。
註 上体を沈めて腰を落し、刀刃を外に傾むけて抜き乍ら左に廻はる。
抜刀せんとす
 後ろに振向くや左手を真下にかやすやまさに剣先鯉口を放れんとす。
註 普通に抜きつつ物打より剣先に至るに連れ左手を下にかやして刀刃を下より斬上る事。
*この表現では物打ちあたりから徐々に刀を下に返す様にする様です、「剣先抜刀の瞬間刀刃を下にかへして」とは異質でしょう。
後敵抜打
 後方に振向くや沈めたる上体を延び切りて敵の右胸下部より左肩の方向に斜に掬ひ切りに斬上げる。
諸手上段
 右に振返り元の方向に戻りながら諸手上段となる。
前敵斬撃
 諸手上段となるや直ちに、振り返りて我に仕懸けんとする前敵の左肩下より右脇腹の方向に斜に(左袈裟)に斬下す。
 次に十分なる気位を以て静かに中段に直りて血振ひ納刀す。
註 すべて斜刀の斬り下しの要領による。
 (1、斬り下す時、左後足は初め踏みたる位置よりも右側に摺足にて踏替へ体を十分左に披らき体を沈めて斬込む事。
  2、次に左足を左に送りて踏み直しつつ中段に構へて十分の残心を示し、血振ひ納刀して元の位置にかへる事同前)」
*此処でも袈裟切の際左足を摺り込んで筋を変わっています。これも失われて誰もやって居ません。河野先生の大日本抜刀流は福井先生の大日本抜刀法になり今では「無双直伝英信流抜刀法(大日本抜刀法)」で通称「抜刀法」となっています。
 中山博道先生の大日本抜刀法は夢想神伝流の中で大村唯次先生の位置付けによって失われたのでしょうか・・。
それ程、他を受け入れる事が出来ない狭量な人に依って現代居合は営まれているのでしょうか・・・。
 
 
 
 
 

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2016年7月29日 (金)

幻を追ってその7中山博道先生の居合9大日本抜刀法の10奥之形二本目

幻を追って
その7.中山博道先生の居合
9、大日本抜刀法の10奥之形二本目
中山博道先生の考案になる大日本抜刀法の奥之形二本目は「多敵刀」です、此の業呼称は河野百錬先生の大日本抜刀流の奥之形二本目「多敵刀」と同名です。
河野百錬先生の昭和14年に創案された大日本抜刀流奥之形二本目多敵刀を稽古してみます。
「意義:我れ歩行中多敵に遭遇したるを、我れ右足を右斜前に踏込みて刀を抜きつつ右敵を牽制して刀を抜きとるや、直ちに左後ろの敵を刺突して之を仆し、右に振向き乍ら諸手上段となるや右敵に斬下し、更に左方に振向きて上段より同体にて左敵に斬下して勝つ。血振納刀同前。」
*この河野百錬先生の多敵刀は現在行われている無双直伝英信流正統正流の22代の教本とは異なります。
 それは22代では敵の位置が左後・右斜前・左斜前に配置され、河野百錬先生の左後・右・左とは異なるのです。右、左の広義の解釈と云ってしまえばそれまでです。
 河野先生の場合右敵の牽制が「我れ右足を右斜前に踏込みて刀を抜きつつ右敵を牽制して刀を抜きとるや、直ちに左後ろの敵を刺突して・・」ですから、右敵は右斜めに居てこそ牽制されるわけでしょう。22代では左敵については何故左前に位置させたかですが、稽古業としては、左後・右斜前・左より此の方が稽古し易いと思われます。
 古伝には能く右、左と大雑把な表現があって「はた」と手が留まる事が有りますがその程度に考えて置けば良いのでしょう。然し審査会などで演じれば「業違い」として扱われそうです。
中山博道先生の考案に依る大日本抜刀法奥之形二本目多敵刀
「我歩行中(前に同じ)多敵に遭遇したるをもって、右足を右斜前に踏み込みて刀を抜きつつ(刃を少し外に傾けて、注目は右敵)右敵を牽制し(斬撃の気勢を見せる)刀を抜きとるや、直ちに左後の敵を刺突して(刃は外に刀は水月の高さに水平)これを倒し、直ちに右に振り向き乍ら諸手上段となるや右敵を真向に斬り下して勝つ(血振い、納刀、後進前に同じ)。」
*この中山博道先生の考案になる多敵刀は敵は左後と右しか居ません。左敵はいない事になっています。これも右敵の牽制は「右足を右斜前に踏み込みて刀を抜きつつ(刃を少し外に傾けて、注目は右敵)右敵を牽制し」なのに、右斜めに斬り下さず右に斬り下しています。
右敵の牽制は右斜めが常道なのでしょうか。(刃を少し外に傾けて、注目は右敵)と踏み込む位置と目が違います。横目で注目するのでしょうか。右敵を真向に斬り下す際、右足の踏み替えも無い様ですが現代居合の常識が違うのでしょうか。
河野先生の動作を稽古してみます。
「抜刀せんとす
直立体より前進し」柄に手をかけるや右足を右前に踏込み乍ら右敵に注目して斬撃の気勢を見せ、刃は少し外に傾けて抜く。
後敵を刺突す
体を左に披くや剣先を抜きとり直ちに左後方の敵を刺突す。
註 1、刀刃は外に向け、右肘を上げず水月の高さに突く。
   2、左肩を落し、肘を後ろに退き刀身は上膊部に近接して刺突す。刺突する時上体を左後方に動かさぬ事。抜刀したる体勢にてなす。」
  3、次に右に振向き乍ら諸手上段となるや同体にて右敵の真向に斬下す。
左敵を斬る
次に同体にて左に振向き乍ら諸手上段となりて左方の敵の真向に斬り下し、血振ひ納刀する事前に同じ。」
*「3、次に右に振向き乍ら諸手上段となるや同体にて右敵の真向に斬下す。」ですから右足は右前に踏み込まれた儘、右敵の袈裟ならまだしも真向に斬り下している事になりますがいかがでしょう。
 稽古形なのですから、右45度位に右足を踏み込んで牽制するとならば、敵は右45度辺りに居てくれなければならないと思うのはおかしいでしょうか。
 「そんな事も知らんか、敵を欺くのだ、武術の極意は騙し打ちだ」と云われても、現代居合では見られないやり方です。へぼに中心線を攻められても少しも驚かない鈍い私ですから・・・、外して来れば体当たりで弾き飛ばします。
 何故でしょう、中山博道・河野百錬両大家の業技法に答えが無いので御教示いただければと思います。

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2016年7月28日 (木)

幻を追ってその7中山博道先生の居合9大日本抜刀法の9奥之形一本目

幻を追って
その7.中山博道先生の居合
9、大日本抜刀法の9奥之形一本目
*中山博道先生考案の大日本抜刀法の奥之形一本目は「前敵逆刀」です。此の業名は無双直伝英信流の河野百錬先生が錬士の頃大阪武徳会からの要請で昭和14年に創作された大日本抜刀流と同名です。
河野百錬先生に依る大日本抜刀流奥之形一本目「前敵逆刀」(昭和17年1942年発行大日本居合道図譜より)
我れ歩行中前面の敵我に仕懸けんとするを、機先を制して我れ右足を踏込むや、腰を十分左に捻り体を半身となり刀刃を下向けて抜刀して敵の右胸下部より其の抜刀せんとする右腕諸共も左肩の方向に斜に掬ふ様に右片手にて斬上る。
 次に敵退かんとするに乗じすかさず左足を右足の直後に継足しつつ諸手上段となるや右足を深く踏込みて敵の左肩より左大袈裟に斬下して勝つ。
 次に十分なる残心を以て静かに中段となり刀を右に開きて血振を行ひ鎺元八寸迄素早く納め余は徐々に納め終る(納刀の要領以下同じ)」
香山会による幽芳録に収納されている中山博道先生考案の大日本抜刀法奥之形一本目「前敵逆刀」(昭和20年1945年春大村唯次先生に中山博道先生教示)
前面の敵、我に仕かけんとするを、(居据りのまま)機先を制して我右足を踏み込むや腰を十分ひねり体は半身に刀刃を下より抜刀して(鞘は外方に傾けつつ抜刀し、物打より先が鯉口を離れる瞬間、全く左手を返して鯉口を真下にする)敵の右胸下部より、その抜刀せんとする右腕諸共左肩の方向に斜に掬うように右片手にて斬り上げる。敵の退かんとするに乗じて、直ちに左足を右足の直後に追足しつつ、諸手上段に冠り直ちに右足を深く踏込むや、敵の左肩より斜に左大袈裟に斬り下げて勝つ。次に十分なる残心をもって静かに中段に構え右横に刀を水平に開きて血振いし、鎺元八寸位まで素早く納め、余は静かに納める(以下同じ)。」
*斬り上げ斬り下す動作は中山博道先生の前敵逆刀も河野先生も同じなのですが、「前面の敵、我に仕かけんとするを、(居据りのまま)機先を制して我右足を踏み込むや腰を十分ひねり体は半身に刀刃を下より抜刀して・・」と様子が違います。
河野先生は「我れ歩行中」敵に仕かけられたのです。中山先生は、敵は歩み寄って来るのでしょう。それともその場所で立ち上がって刀を振り被って来るのでしょう。「(居据りのまま)」ですから我は座している想定です。後は同じ動作です。
座したまま刀に手を掛け立ちつつ抜出しつつ、敵との間を計り、敵間に至るや右足を踏込み刀刃を返して下より敵の右胸部に抜き付けるのでしょう。双方相進むより難しくなっています。新米将校では真剣操作が出来るかどうか。良い業になりました。これならば中山博道先生考案の前敵逆刀です。前回の基本の業四本目「両断刀」では敵の仕掛けに刀を正面に抜き出し切っ先を正面に返して諸手で刺突する、あの両詰風と違って下からの抜刀ですから居合らしくよく出来ていると思います。
河野百錬先生の動作を稽古してみます。
「刀を抜きかける
 直立体より前進し基本業順刀の要領にて右手を柄にかけるや右足を進め乍ら抜きかける。
註 此の時刀刃は下にせず、順刀の抜きかけに準ず。
刀先が鯉口を放るる瞬間
 右足を深く踏込むや物打の辺りより更に鞘を外方に返やしつつ抜き、剣先部に至るに従がひ全く鯉口を(鞘を)下に向けるや抜刀せんとす。
抜刀す
 右足を踏み込み、敵の右胸下部より左肩の方向に其の抜刀せんとする右腕諸共右斜上に掬ひ斬りに斬上る。
註 1、抜刀の瞬間剣先の鯉口を放るる時、全く左手を下にかやし鞘口を下に向ける。
  2、十分前に乗込む気勢にて前膝は少し屈め後膝は延ばして爪先を内に向け、腰を十分左に捻り右半身となりて斬上げる。
上段に冠る
 敵退かんとするに乗じて左足を右足の直後に引付けつつ諸手上段となる。
左大袈裟に斬下す
 諸手上段となるや直ちに右足を深く踏込みて右半身になり敵の左肩より左斜に左大袈裟に十分深く斬下す。
註 1、足、膝、体は十分前に乗込む気勢にて前膝は少し屈め後膝は延ばして爪先を内に向け、腰を十分左に捻り右半身となりて斬下す。後足は斬下す時初め踏みたる位置よりも右側に摺り足にて踏み替へ、体を十分左に披らき、体を沈めて斬込む事。
  2、次に静かに中段となりて血振ひ納刀す。」
現在の無双直伝英信流正統正流では「後足は斬下す時初め踏みたる位置よりも右側に摺り足にて踏み替へ、体を十分左に披らき、体を沈めて斬込む事」が失念して、単に右半身の左袈裟斬りに変化しています。
此れは恐らく竹刀剣道の直線運動に依る足捌きを可としない、或は左袈裟が我が体の左に不必要に切先が流れる事及び集団での合同演習で筋を変わる事を習わせるのが難しかった為と思います。基本業斜刀(横刀)では現在でも左足の摺り込みは残っていますから残しておいても良かったかもしれません。
 
 

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2016年7月27日 (水)

幻を追ってその7中山博道先生の居合9大日本抜刀法の8奥之形

幻を追って
その7.中山博道先生の居合
9、大日本抜刀法の8奥之形
*前回までの五本が大日本抜刀法の基本之形でした。今回から奥之形になるわけですが、基本と奥の違いは何でしょう。
 基本之形も「我歩行中」から始まります。奥之形も「我歩行中」です。動作を素早く、早い納刀などはその区別される意味としては乏しいでしょう。
 基本之形の場合、我歩行中の積りで立ったまま柄に手を掛け足を踏み出す、稽古の始めの動作が異なるだけです。実戦では突っ立って敵に応ずるのではないので「我歩行中・・」なのでしょう。
 早や納刀など、さして意味は在るわけは無いでしょう。切先がすとんと鯉口に一気に滑り込んでも大したことではないでしょう。大道芸としては人目を驚かしても武術としての意義は無いでしょう。
 業の複雑性かと思えばそうでもない。形からでは区別する事は出来そうにありません。中山博道先生の基本之形四本目「揚刀」の動作は、奥居合の立業「連達」に斬り下しを二回追加しただけ、奥之居業ならば四方切でしょう。
 古伝神傳流秘書の抜刀心持之事(格を放れて早く抜く也 重信流)と有るだけです。
 此の格とは掟の所作を意味します。早く抜くとは瞬時に的確な攻撃をなす事なのでしょう。武的演武とは程遠いものです。
 この抜刀心持之事に至るまでに、大森流(正座の部)11本・英信流(立膝の部)10本・太刀打之事(英信流組太刀)10本・棒合(棒と棒)5本・太刀合之棒(刀と棒)8本・詰合10本・大小詰8本・大小立詰7本・大剣取10本・抜刀心持之事(奥居合)19本を稽古して身に付けたと言えます。
 大きく区分して10種類、業数で98本を学んで奥に至ると言えるのです。ただ素早く演じても何の意味も無い事なのです。これ等の業技法を学ぶ事に依って、様々な技法を身に付けられ自然に素早く適切な動きが得られることなのでしょう。
 現代居合が大森流・英信流から一気に奥に臨んでもそれは奥とは言い難いのでしょう。   
 形をいたずらにすばやくトレースするばかりで、運剣動作で其の奥義を理解出来ないので、歩行中のながら動作と、早納刀だけで奥とは之如何にです。大日本抜刀法も河野先生の大日本抜刀流も奥之形は然りでしょう。
 しかし、現代居合に奥を求めても、これ等98本の形を学ぶ機会は殆どありません。自分で考えつつ学んでいては全剣連の制定居合で八段審査に向けての稽古などとても出来そうにありません。武術で無い何かが妨げています。
 それは自分のなかにある、形だけの権威でもよい、認められる居場所が欲しい、現実かも知れません。
 
 
 
 

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2016年7月26日 (火)

幻を追ってその7中山博道先生の居合9大日本抜刀法の7五本目

幻を追って
その7.中山博道先生の居合
9、大日本抜刀法の7五本目
*香山会の幽芳録にある昭和20年に大村唯次先生に教示された「中山博道先生考案 大日本抜刀法」の五本目は「両断刀」です。
 無双直伝英信流の河野百錬先生が昭和14年に大阪武徳会に提出された「大日本抜刀流」の五本目は「斬突刀」です。
河野百錬先生に依る大日本居合道図譜の大日本抜刀流五本目「斬突刀」
「意義:我れ歩行中前面の敵が我に仕懸けんとするを、機先を制してその右胸部に斬付け(追撃第一刀の要領に同じ)直ちに中段に構へ、右足を深く踏込みて諸手にて敵の胸部を突刺し、直ちに左足を継足しながら上段となり右足を踏込みて其の真向に斬下して勝つ。」
中山博道先生考案 大日本抜刀法五本目「両断刀」
「我歩行中(前に同じ)前面の敵が我に仕かけんとするを、機先を制して直ちに刀を前に抜きとるや(柄頭をもって敵を牽制する心持ちにて抜く)中段に構え、右足を深く前に踏み込み(左足も共に)諸手にて敵の胸部を突き刺し(刀刃は下)直ちに左足を継足乍ら上段となり、右足を踏み込みて敵の真向に斬り下して勝つ(血振い、納刀、後進前と同じ)。」
*ようやく中山博道先生の考案が現れてきました。「機先を制して直ちに刀を前に抜きとるや(柄頭をもって敵を牽制する心持ちにて抜く)中段に構え・・」ですが、河野先生の斬突刀は「機先を制してその右胸部に斬付け(追撃第一刀の要領に同じ)直ちに中段に構へ、・・」でした。
 大日本抜刀法なのに、中山博道先生は、刀を抜いてしまってから刺突して居ます。これは抜刀法とは言い難いでしょう。
 (柄頭をもって敵を牽制する心持ちにて抜く)のだからと云っても疑問です。何故かえてしまったのでしょう。二本目の追撃刀(中山博道先生の場合「斜刀」)で既に抜打ちに敵の胸部に斬り付けていますから同じ動作を嫌ったのでしょうか。これでは所謂剣道であり「真剣切り」に過ぎません。
 河野先生への大阪武徳会の要請が「真剣の用法普及」の為の形であって「居合」による「抜刀法」では無かったのですから、その様に修正されても当然だったかもしれません。
 同じような抜き方は、無双直伝英信流正統正流の奥居合居業の七本目両詰の抜刀法が中山博道先生の両断刀の抜刀の仕方でしょう。
河野先生の斬突刀の動作を稽古して見ます。
「中段
 直立体より前進し右足を出して抜付け直ちに抜きとり中段に構ゆ。
刺突す
 直ちに右足を深く踏込み(左足も連れて)敵の胸部を刺突す。
 次に刀を抜き取る心持にて諸手を少し我が方へ引き寄せつつ左足を継足(右足の直後に進むる)しながら上段に冠り直ちに右足を踏込み斬下し血振ひ納刀する事同前。」
*この河野先生の斬突刀を中山先生の両断刀の抜刀の違いだけで「中山博道先生考案」と言い切るのも少々無理です。何故でしょう。
面白い話ですが、河野先生の「斬突刀」の業名から、刺突の際の突きは「斬る突く」の心得と云っている先生がいました。斬突は袈裟斬りして退く敵を追って突く事を表している筈です。
 無双直伝英信流正統正流の当代は「刺突する場合、柄手を内絞りにして、柄手・腰と共に突く心地」と云っています。「斬り割く様に突く」ではないでしょう。
 
 

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2016年7月25日 (月)

幻を追ってその7中山博道先生の居合9大日本抜刀法の6四本目

幻を追って
その7.中山博道先生の居合
9、大日本抜刀法の6四本目
*中山博道先生の考案になる大日本抜刀法の四本目は「揚刀」です。揚はよう、上げる、あがるですから其の儘では意味不明の業名です。
河野百錬先生の創案になる大日本抜刀流は「四方刀です」。
河野百錬先生の大日本居合道図譜による大日本抜刀流の四本目「四方刀」を稽古して見ます。
「意義:我れ歩行中四囲に多数の敵を間近く受けたる場合ひ、直ちに右足を右斜前に踏込み乍ら右敵を柄頭にて牽制しつつ刀を右斜前に抜きとるや、其体勢にて左後の敵を刺突し、直ちに右に振向き乍ら諸手上段となり同体にて右側の敵の真向に斬下し、次に右足を左斜前(左にても良し)に踏込み上段より左敵に斬下し、更に直ちに右足を正面に踏込むや上段より正面の敵に斬下して多敵に勝つ。」
*この四方刀の敵の配置は、第17代大江正路先生の奥居合居業の「四方切」の配置です。敵を左後・右前・左前・正面と四人変則的に配置されています。
 古伝神流秘書では抜刀心持之事「四角」が相当しますが之は、左後・右後・左前・右前と×の交点に我れは位置して四人を倒します。大江先生の四方の敵の配置は、何故そうされたのか判りません。
 夢想神伝流では、山蔦先生と檀崎先生は後・右・左・前に敵を受ける+の交点に我は位置します。紙本先生は後(左後?)・右(右前?)・左前・前に敵を受けた変則です、どちらかと云うと大江先生の敵の配置の様です。文章の敵の位置と写真の斬り下しの位置に違いが見られます。
中山博道先生の考案であれば、山蔦、檀崎先生の敵の配置と思いたいのですが師弟の業技法に何処か異なるものが有るので、先ず香山会の幽芳録に依る「中山博道先生考案大日本抜刀法の四本目揚刀」を稽古して見ます。
「我歩行中(前に同じ)四囲に多数の敵を間近く受けたる場合、直ちに右足を右斜前に踏み込み乍ら、右の敵を柄頭で牽制しつつ刀を右斜前に抜きとるや、(刃を少し前に傾けて抜く)その体勢にて左後の敵を刺突し(刀は水平に水月の高さ、刃は外に向く)直ちに右に振りむき乍ら、諸手上段となり(敵刀を受け流す心持ちにて上段となる)(以下同じ)同体にて右側の敵に斬り下し、次に右足を左斜面(前?)に踏み込み、上段より左の敵に斬り下し、更に直ちに右足を正面に踏み込むや上段より正面の敵に斬り下して勝つ。(血振い、納刀、後前に同じ)」
*中山博道先生の「揚刀」は河野先生と同じ敵の配置でした。昭和20年に中山博道先生が大村唯次先生に教示された大日本抜刀法ですから、無双直伝英信流の大阪当たりの錬士風情が考案したものとは云わず「わしが考案した」とでも云ったのでしょうね。
 そんな風に云うならば、敵の不自然な配置くらい×か+に直しても良さそうです。それとも前面から三人で攻め、左後ろから攻める敵の配置は、×や+より脅威です。
 河野先生の大日本居合道図譜の大日本抜刀流は写真付きで写真を元に動作や注意事項を書き込んでいます。大阪武徳会が新米将校に合同稽古に使った手附は中山博道先生が修正されて教示されたものだったかもしれません。武徳会へ提出したものがどのような手附であったか、もうその辺りの事情を知る人もいないかもしれません。
河野先生の大日本抜刀流「四方刀」の動作
「直立体より前進しつつ右足を右斜前に踏込むや刀を右斜に抜きとらんとす。
註 刀刃は真上にせず、少し向ふ側に傾むけて抜く。
刺突
 左に振向くや腰を左に捻りて抜刀して左後方の敵を刺突す。
註 1、刀は水平に、刃を外に向け、水月の高さとす。
   2、左肩を落し、肘を後ろに退き刀身は上膊部に近接して刺突す。
   3、刺突する時上体を左後方に動かさぬ事。抜刀したる体勢にてなす。
諸手上段に冠らんとす
 諸手上段となり其の足のまま右敵に斬下し左足を軸として上段に冠り乍ら左側に右足を踏込みて左敵に斬下し、同様にして右足を正面に踏込み前の敵を仆し血振ひ納刀する事同じ。
註 1、上段に冠る時は他敵の斬込む太刀を受流す心持にて其要領にて冠る事。
   2、右足を踏込み斬下す時間合の想定の如何に依りては左足を連れて踏込むも良し。」
*現在の無双直伝英信流居合正統正流に組み入れられた中にある「大日本抜刀法」の「四方刀其の一」にこの「四方刀」は相当します。
*註にある「刀は水平に、刃を外に向け、水月の高さとす」の河野先生の写真は水月より高く敵の胸を刺突して居る様に見えてしまいます。
 現在の無双直伝英信流正統正流の刺突は当代の教書では「我が左上腕に刀の棟を接し、右柄手を左乳部に接する様にして刀刃を前(外)に向け、床面と水平に左後方の敵の胸を刺突する」
*今一つ「右足を踏込み斬下す時間合の想定の如何に依りては左足を連れて踏込むも良し」については、現在の「四方刀その一」では失念しています。

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2016年7月24日 (日)

幻を追ってその7中山博道先生の居合9大日本抜刀法の5三本目

幻を追って
その7.中山博道先生の居合
9、大日本抜刀法の5三本目
中山博道先生の考案になる大日本抜刀法の三本目は「横刀」です。河野百錬先生が創作された大日本抜刀流は「斜刀」です。
河野百錬先生の大日本抜刀法三本目「斜刀」
「意義:我れ歩行中前面の敵、上段より仕懸けんとするを、我れ右足を踏込むや其の上段の篭手に斬付ける。敵圧せられて後退せんとするをすかさず之に乗じて我れ左足を踏込むや諸手上段より敵の右大袈裟に斬込み、尚も敵退くを更に我れ右足を踏込むや諸手上段より敵の左肩下より斜めに(左袈裟)胴に斬り下して勝ち。十分の気位を以て刀を中段に構へ残心を示し、第二本目と同様血振ひ納刀す。」
中山博道先生の考案による大日本抜刀法の三本目「横刀」(香山会の幽芳録より)
「我歩行中(前に同じ)前面の敵上段より仕かけんとするを、我右足を踏み込むや敵の上段の篭手に斬り付ける(腰を左にひねり半身となり、左斜より斬り付ける)。敵後退せんとするを、我左足を踏み込むや諸手上段より敵の右大袈裟に斬り込み、なおも敵退くところを更に我右足を踏み込むや諸手上段より敵の左肩下より斜に(左袈裟)胴に斬り下して勝つ(斬り下し時、左後足は初め踏みたる位置よりも右運び、体を十分に左に開き、体を沈めて斬り込むこと)。刀を中段に(左・右の足を踏み直して)構えて十分の残心を示し、刀を右に水平に開きて血振い、同体にて納刀す(行進、前に同じ)。」
*中山博道先生の考案部分は、河野先生が意義と、動作の注意事項を別にして解説して居るのを、まとめて解説しているのでしょう。
 業名の「横刀」は納得できそうも有りませんが、右袈裟、左袈裟ですから横から斬っているとしましょう。
河野先生の「斜刀」の動作
「上段の籠手に抜打
 直立体より第一本目の要領にて進み、右足を踏むや腰を左に捻りて半身となり刀刃を右上斜に向けて斬り付ける。
右大袈裟に斬込む
諸手上段となりつつ左足を進め左足を踏込むや敵の右袈裟に右肩口に向って右斜に斬下す。
・左袈裟に斬込む
右足を進めつつ諸手上段となり右足を踏込むや敵の左肩下斜めに(左袈裟)胴に斬下して勝つ。
註1、斬下す時、左後足は初め踏みたる位置よりも右側に摺足にて踏替へ体を十分左に披らき体を沈めて斬込む事。
 2、次に左足を左に踏み直しつつ中段に構へて十分の残心を示し、血振ひ納刀して元の位置にかへる事同前。」
*この左袈裟の斬り込みは、現在の無双直伝英信流正統正流の動作では右足をやや右に踏込み、左袈裟に斬り込んで居ます。
 斬り下す時、右側に摺り込んだ左足を左に踏み直して中段に構え残心の所は、踏み直さず右半身から左に向いたまま中段に構えて納刀し、左足を右足に踏み揃え、左足を退いて右足を退き乍ら正面に向き直って後退して元の位置に戻っています。ここの処の足捌きは21代によるものと思います。
 
 
 
 

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2016年7月23日 (土)

幻を追ってその7中山博道先生の居合9大日本抜刀法の4二本目

幻を追って
その7.中山博道先生の居合
9、抜刀法の4二本目
 中山博道先生の考案に依る大日本抜刀法の二本目の業名は「斜刀」です。
敵の右肩下から胸部へ斜めに斬り下すので「斜めの太刀」とされたのでしょう。
 そう言えば一本目は「縦刀」でした。先ず「横一線の抜き付け」なのに、二刀目が真向打ちだから縦の斬り下ろし「縦刀」にされたような気もします。
河野先生は一本目は「順刀」でした。これでは中山博道先生の大森流の順刀とダブってしまう上、大森流順刀は介錯刀と教えられたのですからダブルわけにはいかなかったのでしょう。
 二本目は、中山博道先生は斜刀、河野先生は二本目は「追撃刀」です。
河野百錬先生考案の大日本抜刀流二本目「追撃刀」
「意義:我れ歩行中敵前面より仕掛けんとするを、我れ右足を踏み込むや機先を制して敵の胸部を右斜下に斬付ける。敵圧せられて退かんとするを我れ左足を継足し乍ら諸手上段となり、直ちに右足を踏込むや(左足も進めて)敵の真向に斬付ける。敵更に退くに乗じて上段となり、右足を踏込むや(左足も進めて)之を追撃して其の真向に深く斬下して勝つ。
 次に右足を引きて左諸手上段に構へて敵の動静を窺がひ左足を退きて中段となり十分なる残心を示し同体にて右に刀を水平に開きて血振ひをなし納刀す。」
*河野先生の大日本抜刀流は、敵を追撃する動作を業名にされて居ます。この辺を無視ししてしまう権威者の横暴でしょう。中山博道先生はこのころ大日本武徳会居合道の範士で最高位にあった筈です。河野先生は錬士位のものです。よくある地位の位が低い者の発案を横取りして居る様な感じです。「河野百錬創作、中山博道監修」でも十分と思うのは僻み根性の為せる技でしょうか。然し現状は河野百錬先生の創案だけが世の中を歩いています。其の辺の事は想像の世界になってしまいました。
中山博道先生の大日本抜刀法二本目は「斜刀」です。之も香山会の「中山博道先生考案 大日本抜刀法」から稽古して見ます。
「我歩行中(前に同じ)敵前面より仕かけんとするを、我右足を踏込むや機先を制して、敵の胸部(抜刀せんとする右腕肩下三寸より胸部を斜めに)を斜下に斬りつける。(腰を十分左にひねり半身となって)敵退かんとするを、我左右を継足し乍ら諸手上段となり、直ちに右足を踏み込むや(左足も進め)敵の真向に斬り付け(心持ち高く)更に上段となり、右足を踏み込むや(左足も進めて中腰にて)真向に深く斬り下して勝つ。
 右足を退きて、左上段に構えて敵の動静をうかがい、次に左足を退き、中段となり十分なる残心を示し、同体にて右に刀を水平に開きて(刃は外に向く)血振いをなし立ちたるまま納刀す。後進、前に同じ。
 斜に斬撃する場合は、踏み込みたる足の方の肩を十分前に出し肩にて斬り込む心得あること。」
二本目も河野先生の大日抜刀流「追撃刀」と中山博道先生の「斜刀」とは同じです。
 文言の違う解説部分は、河野先生の動作を、中山博道先生は意義と動作を纏められたにすぎません。それも考案と云えば考案です。
 之も、河野先生の動作の解説を辿って見ます。
「右斜めに斬付ける
 第一本目順刀の註に準じて右足を踏込むや抜刀せんとする敵の右腕肩下三寸より胸部を斜に右斜下に斬下す。
註1、腰を十分左に捻り半身となり刀刃は少し右に向けて斜に斬込む。
 2、右膝は屈め左膝は延し、左足先を外に向けず内に入れて、前に押す心。
 3、斜に斬撃する場合は踏込みたる足の方の肩を十分前に出し、肩にて敵につけ入り、   肩にて斬り込む心得あるべし。以下同じ。
上段にて追撃す
 左足を右足の直後に進めて諸手上段となる。
追撃第一刀
 上段となるや直ちに右足を踏込み(左足も進める)上体を沈めて真向に斬下す。(幾分刀を高くして)
追撃第二刀
 更に直に上段となるや、右足を踏込み(左足も進めて)中腰にて真向に深く斬り下す。
残心
 追撃して敵を仆し右足を退きつつ十分なる気位を以て左諸手上段となる。
残心
 気位の満を持して左足を退きつつ静かに中段となる。
血振ひ
 物を左右に激しく引裂く如く左手を腰に刀を右に披きて血振ひをなす。
註 1、右拳を高くならぬ様に注意し、剣先に十分の気力を注ぐ。(右拳の高さは斬下した拳の高さに)
納刀
 同体にて立たるまま納刀す。
註 1、剣先を上より運ばず下より鯉口に運びて順刀の納刀の要領にてなす。
  2、納刀の後は第一本目に準ず。
 
 
 

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