幻を追ってその9

2016年9月30日 (金)

幻を追ってその9英信流つれづれ30真向

幻を追って
その9.英信流つれづれ
30、真向
*
 古伝神傳流秘書英信流居合之事では業名は「抜打」です。
 「真向」の名称は古伝では見出せませんのでこれは第17代大江正路先生の独創による業名かも知れません。
 江戸時代の土佐の居合の根元之巻や傳書の業目録が豊富にあれば検証は容易ですが、根元之巻や業目録は限られた授与だったようで、多発したのは大江正路先生の様です。その後更にその系列から授与されていますからあちこちに自称宗家が立って居ます。
 大正10年1921年第17代大江正路先生から鈴江吉重先生に授与された根元之巻及び目録には大森之部に「真向」、長谷川之部に「真向」が書かれています。真向であって抜打では無い処が何故か・・・大江先生の土佐の居合の認識度に首を捻ってしまいます。
 同年に大江先生から政岡壱實先生に贈られた伝書では正座之部「抜打」、立膝之部「真向」と書かれています。
・ 
 木村栄寿先生の林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説 神傳流業手付 英信流抜刀之事では「抜打」
「大森流の抜打に同し」
 曽田先生の古伝神傳流秘書英信流居合之事も「抜打」
「大森流の抜打に同じ事也」
 古伝神傳流秘書大森流居合之事「抜打」
「坐して居る所を向より切て懸るを其のまゝ踏ん伸んで請流し打込み開いて納る尤も請流に非ず此所筆に及ばず」
 古伝神傳流秘書大森流居合之事の書き出しに「此居合と申は大森六郎左衛門之流也英信と格段意味無相違故に話て守政翁是を入候六郎左衛門は守政先生剣術之師也真陰流也上泉伊勢守信綱之古流五本之仕形有と言或は武蔵守卍石甲二刀至極の伝来守政先生限にて絶」とあります。
 真陰流の上泉伊勢守信綱の剣術から大森六郎左衛門が習い覚えたものか、自ら工夫したか、第九代林六大夫守政に伝授した業なのでしょう。英信流居合と格段の違いが無いと云っています。
 業の形の違いを指すのではなく、業を繰り出す心持ちに大きな違いが無いと云うのでしょう
 その心持ちは英信流居合目録秘訣に述べられています。
 「身を土壇ときわめ何心なく出べし敵打出す所にてチラリと気移り而勝事なり・・柄口六寸の勝行ふ心持常の修行に習覚には手近云へば仕組の打太刀の心になるべし打太刀より遣方に非を入れよく見ゆる者也故にかさにかゝるを嫌う也がっさりと明て敵は只一うちと打込まするやふにふるまふ事大事也かさに掛るの気はつかい形(遣方・仕方)の気となり工夫肝要なり心明鏡の事・・かまえは如何にも有れ敵と我と互に打下ろすかしらにて只我は一図に敵の柄に打込也先我身を敵にうまうまと振ふて右の事を行ふ事秘事也是神明剱也」
 この秘訣は、新陰流の活人剣の十文字勝そのものと思われます。
 古伝は「意義」とか「剣理」「理合」「目的」とかによる限られた想定ではなく、動作のみ簡略に書かれているだけです。その手附を元に、書かれている通りの順序でその動作を演じていますと幾つにも想定が浮かび出てきます。
 古伝の「抜打」は、場の状況の中で、勝口の極意を示している土佐の居合の根元を語っているように思えます。
 適が打込んで来るのを請流して打込む、というのですが後書きに「尤も請流に非ず此所筆に及ばず」という謎の文言がチラつきます。これは新陰流の「合し打ち」かも知れません。抜打による「合し打ち」・・又、稽古の日々が長引くようです。
 
 何も考えずに、誰かに教わったまま、或は「かっこ良さ」だけを求め誰かの真似事なのか、形だけ覚えて、跳び込んだり、大きな床鳴りを響かせているばかりであったり、斬撃の強さを競っているばかりの抜打ち。
 大江正路先生の教えを踏襲する、河野百錬先生系統の無双直伝英信流正統正流にも「抜打と真向の違いは?」と聞いて来る人もいます。
 「それは違う」などと古傳は一言も言ってはいませんが・・・・。
 
 清水 博先生の「生命知としての場の理論 柳生新陰流に見る共生の理」の一節を紹介させていただきます。
 「型があって型にはまらないのが生命的です。習字をならうにしろ、武道を習うにしろ、日本の伝統的な技の学習はまず型の習得から始まります、しかし長い時間をかけた型の修得の後で本当に目指すのは、型があって、型にはまらない状態です。これは型を無視する事とは違います。・・武道が創造性を失って形骸化するときは、その武道が普遍の理を失って、特殊の理の技に移る事を意味します。これは格闘技としての、武道の死を意味するものです。生きた形で武道を伝えるという事は、普遍の理に立った武道を伝えることであり、これは特に現代にあってはきわめて困難なことであることを理解しなければなりません。」
・・「近頃の若い者はいちいち指示をしなければ働く事が出来ない・・場所の中でリアルタイムの創造が出来ない
 少々難しいのですが、生命科学を専攻される学者の眼で捉えた武道の蘊蓄です。
*2016年正月元旦から「中山博道先生の幻を追って」稽古をして来ました。「夢想神傳流を学んだ事も無い者が何を勝手な事を言っている」との御叱りは当然かも知れませんが、土佐の居合の第九代林六大夫守政先生の教えから出て居るもので、無双直伝英信流との所作の違いなど知れています。流名を異にする程の違いなど感じていません。
 中山博道先生が生きる為に必死で身に付けた剣術の有り様が、不意打ちの先制攻撃であったと思われます。後にお弟子さん方は戦後日本の風潮を取り込んだように敵の害意を察して先制攻撃する様な考えになったような気もします。
 無双直伝英信流に於いても其の辺は、さして違いは無い様です。然し土佐の古伝は神妙剣(神明剣)の「身を土壇ときわめ何心なく出べし敵打出す所にてチラリと気移り而勝事なり」なのです。
 力や速さで敵をねじ伏せる武道では無かった事を知る事ができたと思っています。ようやく武術から武道への変化が出来そうです。
 
 今回を以て一旦中山博道先生の居合の教書での稽古から離れます。折を見て夢想神傳流の先生に直にお会いして教えを乞い、書き切れていない処を学び、何時の日か再登場を夢見ています。
 次回から再び曽田本の神傳流秘書に戻って、初心に返って勉強し直します。
 
 
 
 
 

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2016年9月29日 (木)

幻を追ってその9英信流つれづれ29瀧落の鐺外し

幻を追って
その9.英信流つれづれ
29、瀧落の鐺外し
 後ろから鐺を握られて、之を振り払って敵を刺突する業が瀧落しです。
 中山博道先生の居合では居合読本によれば、鐺を握りに来るのを察して「・・刀柄を左方に開きつゝ立ち上がり左足を一歩前に踏み出すと同時に左拳が概ね右肩の附近に来る位まで刀を鞘の儘抜出し體を僅かに反らす、此の際左踵は地に着かぬものとす。次に、右手を以て刀柄を握り右足を左足の稍々前側方に踏み着ける・・」
 この動作と比較の為に鐺を握られた「幻のコピー」の動作を稽古してみます。
「・・立ち上がった時後ろに何やら気配があるので振り向いてみれば敵が我が刀の鐺を握って居る故之を振り払うため左手で刀を鞘のまま左に開き左足を大きく前に踏み出すと同時に左手を右に強く廻して右手を添えて鞘ぐるみ右肩あたりまで押し出し敵の手を振り払い右足を一歩踏み出す・・」
 居合は一人演武の空間刀法です。居合読本では意義に「敵が我が鐺を握ろうとするのを、之を避けて立ち上がったが、尚ほ追い迫るを以て再び之を避け・・」とあります。全く同じ動作にも拘わらず想定は全く幻のコピーと違うのです。
 鐺を握られない様に避ける動きと、握られたので振り払う動きは見た目同じでも全く拍子が違う事を意識して演じるのです。
 檀崎先生の様な力持ちは鐺を握られると「・・立あがり、左足を後方約180度、中腰に開くこの時、左拳は五指を上向きに刀柄を下向きより大きく左肩方向に、左乳の高さに回し上げる如くにす、次に左足を、右足脛に爪先下向けに浮かし付けると同時に左手の刀柄拳を通った道を返る様に下向きの方向より拇指が上になる様に、右乳に抱きかかえ柄を右上に付ける従って鐺が下方になり、敵の手を振り切る・・」
 前の方法と違うのは、立ち上がった時に体を左に開き、鐺を下に引き下げ敵を前のめりにさせる様にしておいて、左足を前に踏み出しながら鐺を上げ、左足を踏むと同時に再び鐺を下げ振り払うのです。敵が鐺を握ってどうこうしようなど考慮の外にあるのか、先を取りつつの動作か、早さと力の勝利でしょう。
 山蔦先生の振り払う動作も似たようなものです。左足を右足の前に踏込み爪先を着けずに鷺足になるなど芸が細かいです。
 敵手を外すには、無理やり振り捥ぐのではなく敵の握り手が緩む瞬間に振り捥ぐか、鐺を握った鞘が、大腿の内に入る程に密着させて敵の拳を殺さなければ振り払う事は難しいでしょう。
 瀧落は英信流の中でも大技です。派手な動きが小技を蔑ろにしても上手に見えてしまうのですが居合は人前でこれ見よがしに演ずるものでは無いでしょう。設対者をお願いし鐺を持つてもらい稽古を繰返す事が大切です。何としても外せなければ、大小立詰の「袖摺返」や「蜻蛉返」、「乱曲」を充分稽古して置く事です。
 瀧落には敵の鐺を持つ手を振り払ったならば、敵を刺突する動作が続きます。中山博道先生は「神道無念流では後方の者を突く場合は水平に突く、夢想神傳流では上から下へ突くように教えている」と「日本剣道と西洋剣技」で述べています。
 神道無念流が水平に突くならば、無双直伝英信流も刃を右横に平とし水平に敵の胸を刺突します。
 中山博道先生は居合読本では「刀尖を概ね左乳の上附近に取り、刀刃を上にし、右片手にて敵を突き刺す」、何処をと云っていませんが写真では敵の胸にやや上から下へでしょう。
 愉快なのは、紙本栄一先生の「中伝・長谷川英信流」では「刀刃を上にして右片手で敵の脳天を刺し(この時、右足を僅かにあげ左肩を後方に引く)」で将に上から下へ瀧落です。
 敵はどの様にしていれば脳天を刺突されるのでしょう。中山博道先生に遊ばれた様な気もしてきます。何の疑問も持たずに大家の教えであれば習い伝承して行くのでしょう。
 敵は座したまま、我が鐺を握り、振り払われ、前にのめって、座したまま脳天を刺突されるのです。
どの様な想定をしようと、いいのですが、英信流の浮雲・颪・岩浪・瀧落は何を伝えているのか、何を学ぶべきなのか不思議な気がしています。
 
 
 
 

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2016年9月28日 (水)

幻を追ってその9英信流つれづれ28瀧落の意義

幻を追って
その9.英信流つれづれ
28、瀧落の意義
瀧落の業歌を詠んでみます。
「瀧津瀬の崩るゝ事の深ければ
          前に立添ふ者もなき哉」
*
瀧の様な急流の流れ落ちる深みでは前に立ちはだかるものもないのであろう、と読んだのですが瀧落かな~と云った気分で歌を詠んでいるより稽古したくなってしまいます。
古伝神傳流秘書英信流居合之事瀧落
「刀の鞘と共に左の足を一拍子に出して抜て後を突きすぐ右の足を踏込み打込み開き納る此事は後よりこじりをおっ取りたる処也故に抜時こじりを以て當心持ち有り」
 後の敵が我が鐺を取って來るので、左足を踏み出すと同時に鞘を左足に着け、敵手を外すや刀を抜いて鐺で敵を打ち当て、後に振り返って敵を刺突し、直ぐに右足を踏み込んで真向から斬り下ろし、刀を開いて納刀する。
 意義と動作を教本にしたのは、昭和9年1934年発行の太田龍峰先生の居合読本による中山博道先生の居合からでしょう。
瀧落:意義 敵が我が鐺を握ろうとするのを、之を避けて立ち上がったが、尚ほ追ひ迫るを以て再び之を避け、遂に抜刀して振り向きつゝ敵を突き刺し、尚ほ追撃する業である。
 中山博道先生の居合の師匠は第16代五藤孫兵衛正亮先生の門人海軍少尉森本兎久身先生です。古伝の手附は知らず、口伝口授看取り稽古に依る指導だったでしょうから古伝と明らかに鐺の追いかけっこの違いなどが出てきたかも知れません。中山博道先生によって「鐺を掴まれて簡単に振り捥ぐなんて出来っこない」という事で変えてしまったかもしれません。
 中山博道先生の著書「日本剣道と西洋剣技」昭和12年1937年発行の「日本剣道型の25後方より武器を掴まれた場合:此れを外づすには、左、右と順次に対手の逆を行くか、同時にこれを払ひ外すかの二種あるが、この外すといふことは非常に困難な業で、沢山ある抜刀各流にも、その例はまことに少ない。餘は推して知ることが出来やう」
 と云っています。古伝はともかく「俺は握らせない」と云ったかもしれません。
 確かに、簡単に敵の手を鐺から外せません。英信流の業の内、浮雲・颪・岩浪・瀧落は華麗な演舞は可能でも可弱い女性には武術としては無理と思われます。押し倒す、突き倒す、引き倒す、引き廻す、振り捥ぐ、いずれも拍子が呑み込めれば出来ない事は無いでしょうが仮想敵相手の一人芝居には武的演舞止まりで限界があります。
「居合道範士故中山博道先生口述より」とされる「幻のコピー」の瀧落
「意義:後の敵が我が鐺を握ったので之を振り放して後ろ向きになって敵の胸部を突き刺し更に両断する動作である。」
 此れは、鐺を握られています。どこでも、師匠の通りにやらない弟子がうじゃうじゃです。
山蔦先生も「自分のうしろに、同方向に向って坐っている敵が、自分の刀の鐺を上より握ったので、その握りを振りはなして振り向くや、敵の胸部を突刺し、敵の倒れるところを、真向から斬下すわざである。」
*現在は無双直伝英信流も夢想神傳流も後ろの敵が鐺を握って居ます、面白いのは夢想神傳流の後方の敵の刺突でしょう。意義では表現されていない部分です。
 
 
 
 
 
 

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2016年9月27日 (火)

幻を追ってその9英信流つれづれ27浪返の足引き

幻を追って
その9.英信流つれづれ
27、浪返の足引き
古伝神傳流秘書の浪返
「鱗返に同じ後へ抜付け打込み開き納る後へ廻ると脇へ廻ると計相違也」
 鱗返
「左脇へ廻り抜付打込み開き納める」
 鱗返も浪返も、「左足を引いて抜付け打込み」などと左足を引く事を指示して居ません。
 英信流の業では、以下の様ですが、古伝に書かれていなくとも左足を引いてから動作を開始するとか、抜き付けるとか現代居合では自然に何の疑問も無くやって居るだろうと思います。
・横雲:「右足を向へ踏み出し」ですから右足は前に踏み込みます、夢想神傳流の左足を後方に引くのは古伝にアンマッチです。
・虎一足:「左足を引き」刀を逆に抜いて留める。
・稲妻:「左足を引き」切って懸る敵の拳を払っています。
・浮雲:
・山下風:
・岩浪:「左足を引」刀を抜き出します。
・鱗返:
・浪返:
・瀧落:
*鱗返、浪返の場合何故古伝に無い左足を引いての抜付けをするのでしょう。
 師伝だから。
 それもいいのですが意味も分からず左足を引いて抜いてみても只の見事な棒振りです。絶対左足を引くべきならば古伝に書き残された筈が書かれていないのです。
 曽田虎彦先生の書き写した神傳流秘書には、鱗返の手附は「左脇へ廻り抜付打込み開き納める」と書かれていますが其の後に括弧書きで(秘書には岩浪と同じ事を記しあり口伝口授のとき写し違へたるならん)と有ります。
 要するに、鱗返の手附は書きそこなっていて、岩浪の手附が書かれてあったので曽田先生が、其れらしく書き直したものという事になります。
 ですから、鱗返の手附が不充分なので浪返も不充分になってしまったという事になります。
 河野百錬先生の「無双直伝英信流居合兵法叢書」のP17にある鱗返、浪返も曽田本の丸写しですから、不十分な手附であって参考になり難いものになります。
 曽田先生の写された神傳流秘書の出処が不明なので原本を辿る事は不可能です。そこで、細川家から借用された古伝を纏められた木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法 夢想神傳重信流傳書集及び業手付解説」の中の「神傳流業手付」のP128「英信流抜刀之事」を参照してみます。
 原文の一部をお借りいたします。ご容赦下さい。
 鱗返:「右に向き居って左廻りに向へ抜付左の足を引き冠り打込み開き納る也」
と記述されています。
 手附の文章が気に入りません、何かおかしいのです、古伝の書きぶりをして見ます。
 「左へ振り向き左の足を引き抜付打込み開き納也」でしょう。
 木村栄寿先生の手附を認定すれば、鱗返も浪返も左廻りして抜き付け、左足を引き、上段に冠り打込む。と為ります。
 気になる処が「左廻りに向へ抜付左の足を引き冠り打込み」の部分です。抜いてから左足を引く様に思えてしまいます。
 中山博道先生の居合を居合読本から読みとって見ます。
 鱗返「刀柄を握り右足蹠骨部を軸として約九十度左向きをすると同時に左足を後方に約二足長半乃至三足長踏み開き、初発刀の如く抜刀す。・・」
 この左足を引く動作については、夢想神傳流の山蔦先生は「自分の体を引いて斬り間をつくる」とされて居ます。
 我が左脇に同方向を向いて立膝に座す敵との我が左手と敵の右手の間隔は通常、如何程かですが、二尺、余裕があれば三尺でしょう。
 後方に体を移動させる理由の一つに敵の先制攻撃を躱す理も考えられる処です。常に先制攻撃型の夢想神傳流と土佐の居合の後の先の心得の違いを理解して同じ動作でも想定の違いがある事も考えたい処です。
 
*土佐には古伝の写しがこれで曽田本の原本、木村栄寿本の原本と二冊あったと思います。
 先の大戦の高知空襲で多くの資料が失われたかとは思いますが、戦後71年あと29年で一世紀を過ぎます。土佐の剣士の方に資料の収集と保管、閲覧についてご検討いただきたく思っています。
 持って居るが、門外不出では持って居ないのと同じだろうと思います。居合剣士の高齢化は全国大会に参加する度に感じます。お持ちの方のご家族が其の価値を同じ様に認識出来るものやら、資料の秘匿保存の限界に近いと危ぶんでいます。

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2016年9月26日 (月)

幻を追ってその9英信流つれづれ26浪返の右廻

幻を追って
その9.英信流つれづれ
26、浪返の右廻
*前回までの鱗返は同方向に並列に坐す左脇の敵に対する業でした。今回の浪返は同方向を向いて直列に座す後方の敵に対する業です。
 両業とも左廻りに敵に振り向き抜付ける手附けです。
古伝神傳流秘書の浪返
「鱗返に同じ後へ抜付け打込み開き納る後へ廻ると脇へ廻ると計相違也」
という事で、後へ廻るのと脇へ廻るのとの違いだけだと云っています。
 古伝は浪返しの廻る方向は何処にも指定して居ないのに何処へ行っても左廻りしか稽古して居ません。
 鱗返
「左脇へ廻り抜付打込み開き納める」
 鱗返の右廻は一旦180度真後ろに廻って更に90度右廻りするのではよほどの状況が無い限り不要でしょう。自然に最短で廻る筈ですから左廻りに為ります。
 浪返しは、左右どちらでも180度廻るだけで同じ回転です、左廻りは立膝の坐し方では左足が右足より後に在るので回転を妨げません。
 しかし、右廻りしようとすると、右足が邪魔して左足の回転を妨げます。
 *中腰に立上り、右足を軸に右廻りの回転に従って左足を常に右足の後方にある様に移動させて後に振り返るや左足を後方に引いて抜付ける。
 *今一つは、中腰に立上り右足を左足に添わせるか少し後方に引いてから右回転すれば容易に回転出来ます。
 *もう一つ、中腰に立上り左足を右足の少し前に踏み出して左足を軸に右回転し後方に振り向くや右足を引いて抜付けます。
 *そして、中腰に立上り左足を右足の前に千鳥に踏んで置いて左足を軸に右回転して右足を引き抜付ける、など幾つかやって見れば足捌きに依る体の運用が明確に把握できるでしょう。
 *中腰に立ち上がらずに右回転も可能ですが、左膝を軸にした場合左足でも右足でも後方に引くのは厄介です。
 古伝神傳流秘書にある抜刀心持之事、所謂現在の奥居合ですが、その三角や四角が右廻と左廻りの混合です。
その前に無双直伝英信流をやる人は三角も四角も大江先生がやり方を変えてしまったそうですから、古伝で稽古をして置きます。但し手附はある様で無いと同様の抜けだらけです、古伝の心得に従い文章通りに辿って独創演武してください。
 
神傳流秘書抜刀心持之事三角
「抜て身を添へ右廻りに後ろへ振り廻りて右脇を切る。
此の方法は幸いにも英信流居合目録秘訣の上意之大事に解説されています。
「三人併居る所を切る心得也ヶ様のときふかぶかと勝んとする故におくれを取る也居合の大事は浅く勝事肝要也三人併居る所を抜打に紋所のあたりを切先はづれにはろをときはびくとするなり其所を仕留也三人を一人づつ切らんと思ふ心得なれば必仕損ずる也一度に払ふて其おくれに付込で勝べし」
神傳流秘書抜刀心持之事四角
「抜左の後の角を突右の後の角を切る右の向を請流し左の向を切又右の向を切る也」
上意之大事
「三角にかわる事無し是は前後左右に詰合ふ之心得也故に後ろへ迄まわって抜付る也」
*この業は、第17代大江正路先生以降、無双直伝英信流では既に失伝しています。
夢想神傳流では山蔦先生は、奥居合の四方切(四角)、戸詰(三角)として大江先生の奥居合の業呼称と、古伝の業呼称をごちゃまぜにして、動作は独創の様です。
 奥居合は「格を放れて早く抜く也 重信流」と古伝神傳流秘書抜刀心持之事で書き出しにありますから、「掟を離れて自由に考えて早く抜くのだ」と云っている事には合致するでしょう。然しその多敵に囲まれた場合の心得が乏しい、単なる一人ずつの斬り込みですから不十分です。
 檀崎先生の四方切も大江先生の四方切も古伝の心得は乏しく動作は華麗で見事ですが「一人づつ切らんと思ふ心得なれば必ず仕損ずる」、と、始祖林崎甚助重信公か第9代林六大夫守政に指摘されそうです。
 
 
 

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2016年9月25日 (日)

幻を追ってその9英信流つれづれ25鱗返業歌

幻を追って
その9.英信流つれづれ
25、鱗返業歌
英信流の鱗返には業歌が有ります。
「瀧津浪瀬上る鯉の鱗は
       水せきあげて落る事なし」
 瀧の様に波立つ急流の瀬を泳ぎ登って行く鯉の鱗は、水を堰き止めるようにして流される事も無い。こんな情景でしょうか。
 この歌を付された業は、古傳伝神傳流秘書では「左脇へ廻り抜付打込み開き納る(秘書には岩浪と同じ事を記しあり口伝口授のとき写し違いたるならん 曽田メモ)」という事で、不十分な内容です。
 左脇に座す敵を左廻りに廻って抜き付け切り下ろして勝つ業です。鯉の瀬上りの情景にある、急流を堰き留める様に押しあがって行く、グーっと圧して行くような左廻りを思い描けばいいのでしょうか。
 それとも、普段悠々と泳ぐ鯉が、背鰭を立て尾を激しく振って、弾む様に瀬を泳ぎ上る風情の凄まじい情景から、敵の反撃をものともせずに抜き付ける瞬時の動作を思い描けばいいのでしょうか。
 此の業歌では、前者の敵を圧して行く様な心持を歌っている気がします。
土佐の居合の「居合心持肝要之大事に居合心立合之大事」が述べられています。
「敵と立合兎やせん角やせんとたくむ事甚嫌ふ況や敵を見こなし彼が角打出すべし其所を此の如くして勝ん抔とたくむこと甚悪しゝ先づ我が身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし敵打出す所にてちらりと気移りて勝事なり常の稽古にも思いあんじたくむ事を嫌ふ能々此念を去り修行する事肝要中の肝要也」
*居合心はどの業にでも重要な教えと思います。敵を威圧する様な気構えで対座したり、今にも抜付けんと逸るなどよく見かける風情です。
 この教えのポイントは「我が身を敵の土壇ときわめなに心なく出べし」の心持ちでしょう。
 居合には「鞘の内」という言葉が有ります、この意味は「相手を圧する心意気を以て鞘放れの瞬時に相手を制すること、これ即ち居合の生命にして鞘の内と言う。」
*この相反する教えを如何に悟れるかが武術の極意なのでしょう。
宮本武蔵の五輪書の水之巻に兵法心持之事 
「兵法の道におゐて心の持ちやうは常の心に替る事なかれ。常にも兵法の時にも、少しもかはらずして、心を広く直にしてきつくひっぱらず少しもたるまず心のかたよらぬやうに心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其ゆるぎのせつなもゆるぎやまぬやうに能々吟味すべし・・」
 と土佐の居合の心持ちと同じ心持ちを述べています。いざ打込まんとするに於いての教えは、同じ五輪書の水之巻無念無想の打ちといふ事でしょう。
 「敵も打ち出さんとし我も打ちださんと思ふ時、身も打つ身になり心もうつ心になって、手はいつとなく空より後ばやにつよく打つ事、是無念無想とて一大事の打也。此打たびたび出合ふ打也。能々ならひ得て鍛錬あるべき儀也」
 
 

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2016年9月24日 (土)

幻を追ってその9英信流つれづれ24鱗返の抜付

幻を追って
その9.英信流つれづれ
24、鱗返の抜付
*鱗返しは、右向きに坐し、左脇の敵に左廻りに振り向き抜付け、上段から真向に切下ろす業です。「大森流の左刀と同じ」と太田龍峰先生の居合読本には中山博道先生の鱗返しの意義を端折っています。ついでに大森流左刀では「左側面に対坐せる敵に対し初発刀と同意義にて行ふ業である。」
 大森流初発刀は「・・急に敵の目の附近を横薙ぎに切り付け相抜の場合は敵の抜付けし拳に切り込む。倒るゝ所を直ちに上段より斬る業である」
 動作をただそれらしくやるのなら左敵に左回りに振り向き大森流初発刀の様に抜付ければいいのでしょう。其れも中山博道先生の居合の「急に敵の目の附近を横薙ぎに切り付ける」
中山博道先生の居合を書いた「幻のコピー」では、「互に三四尺の間隔をおき対座した時急に斬り込み倒しもやらず真向正面より真直に上段より斬り下ぐる動作なり」でした。
 鱗返の様に、立膝で双方右向きに坐す時、我は何のためらいも無く一方的に左廻りに廻って抜き付けるのでいいのでしょうか。敵だって心得など無くとも我が害意を察して対処するはずです。回転する業はリスクが大きいのです。独りよがりの攻撃で勝てるなどあろうはずは無いと思います。
 第17代大江正路先生の「鱗返し」を稽古してみます。(大正7年1918年剣道手ほどきより)
「右に向き、左より廻りて正面に向ひ、中腰にて左足を引きて抜付け、此抜付けは水平とする事、上段に取り、坐しながら斬り落とすなり。血拭ひ刀納めは前と同じ。中腰は両膝を浮めて抜付けるなり。(敵の甲手を斬る)」
 この大江先生の手附も敵の想定は無視されています。中伝にまで進めば自分で考えろと言うのでしょう。
 抜き付けのポイントを押えて見ます。
・「左廻りに正面に向く」のですから、敵は我が左に坐している、横並びならば相対するより近間でしょう、二尺から三尺でしょう。我が中腰で左回転し始めれば敵も我が方に向き中腰に右回転を始めるでしょう。右膝立の中腰ですが、正面に向いた時は互に身幅弱後方に体軸はずれます。並列して二尺の間であれば三尺の間に軸は離れます。
・「中腰で左足を引いて抜付ける」のは、この間を後一尺は離して抜付けたい。或は三尺であれば四尺ですから敵の先制攻撃を外すにはあと一尺でしょう。
・「抜付けは水平」抜付けは敵を切る部位に依るわけで、大江先生は「敵の甲を斬る」と指定されています。
・「敵の甲手を斬る」どの様な状況にある敵の甲手でしょう。両手を柄に掛けた時、右柄手が我が正中線に向って来る時、抜刀寸前、敵の抜き付けを左足を引いて外した瞬間。
間については、研究課題です。後方に退く左足によって間が遠くなる筈です。
左足を引いても、低い体勢が作れず、後ろ足の膝を伸ばし過ぎて中腰を越えた写真だらけです。その癖低く抜き付けるだそうです。
抜き付けの部位を夫々の教書から稽古してみます。
・大江先生は、敵の甲手です。今では誰もその稽古をしていません。
 横雲は首、正座の前も右も左も後も首、ついでに次の浪返しでは「前面を斬る」。
・幻のコピーは敵の胸部、
・居合読本は初発刀に同じならば敵の目の附近。相抜の場合は敵の抜き付けし拳。
・河野先生は、横一文字に斬り付けで何処へは無い、横雲と同じならば顔面、正座の部前な
 らば「首とも胸とも想定可」
・山蔦先生は、敵のこめかみ(又は首)
・檀崎先生は首
・京都山内派では、横雲と同じならば敵の両目又はのど
抜き付けの部位ですが教本は様々です。敵に向く時の高さは敵次第の様です。通常居合は我と等身大で稽古をしますが実戦では敵次第です。
 従ってある抜付け部位を意図するならば敵の高さによって、幾とうりもの左膝の高さ調節をする事になります。
 平井阿字斎先生の「居合秘伝」では「膝を曲げて脛と床が平行になって正面に抜き付ける。先代の著書では後膝を延ばす様指示してあるが、そうではないと教えられた」、先代とは河野百錬先生の事でしょう。後方に退いた左足脛と床が平行では、略右足前で膝を立て左足は後ろで膝が床から二三寸上がった状況です。それで横一線に右拳が肩の高さで抜き付ければ常に斬る高さが固定されてしまいます。敵が動かなければいいでしょうが実戦武術と演武形を混線させた勝手な演舞形を押し付けている過ちに過ぎません。
 敵の状況想定を「右側に座っている敵に機先を制して正座の部右や前の様に、敵の顔面(或は首)に抜き付けるのですが、左膝の高さを指示して居る事は、敵は動かないと決めつけているわけです。
 この様に、現代居合では、状況を判断して稽古する習慣が乏しいくせに武術論をかざす似非武術家が横行しています。稽古の想定は明確にしてやればいいだけです。特定の想定での昇段審査や競技会の判定をするだけで良い筈です。
 実戦武術と混線させてはならないでしょう、武術は其処から限りなく変化に応じる能力を養うべきものでしょう。
 
 
 
 
 
 

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2016年9月23日 (金)

幻を追ってその9英信流つれづれ23鱗返の敵

幻を追って
その9.英信流つれづれ
23、鱗返の敵
*前回は岩浪のつれづれなるままにでした。無双直伝英信流にスポットを当てて見たのですが、夢想神伝流も面白そうです。
 中山博道先生の岩浪は敵の状況など無視した一方的な先制攻撃です。そうでなければ左脇に座す敵の季肋部等に刺突出来るわけはないでしょう。明らかに敵であり、上意打ちなれば先制攻撃も可でしょう。然しそれは土佐の居合心では無いはずです。一方的な先制攻撃ならば動作の俊敏さは「ゆっくり大きく正確に」など云っていられそうにありません。
 敵を刺突した刀を引き抜いて引き倒す動作は、敵の体の内に刀を残して引き倒すのと何れが可なのか知りません。木刀を持って背中に当てて右へ又は右下に引き倒してみてください。か弱い女性の出来る仕業では無さそうです。
 扨、この岩浪は、中山博道先生の居合では、右向きに坐し左の敵に仕掛けていく業です。今回の鱗返しも右向きに坐し左の敵に仕かけて行くのですが、何処が岩浪と条件が違うのでしょう。
太田龍峰先生の居合読本による中山博道先生の居合の鱗返
「意義:大森流の左刀に同じ。」です。
大森流左刀
「左側面に対坐せる敵に対し初発刀と同意義にて行う業である」
初発刀
「・・急に敵の目の附近を横薙ぎに切り付け相抜の場合は敵の抜付けし拳に切り込む。倒るゝ所を直ちに上段より斬る業である」
 やはり、中山博道先生ですから一方的に斬り付けるのです。初発刀の心持ちで左に振り向かなければなりません。
 一方的な攻撃ならば、岩浪など稽古せずに左刀か鱗返で充分でしょう。大森流は別の流より持ち込まれたものですから、英信流であれば鱗返と岩浪の違いを認識できなければ突然どう対処したら良いか判らないでしょう。得意な方で応じるものでも無い筈です。
「大森流初発刀に同じ」という教本では、稽古に成りません。正座と居合膝の違いを十分認識し、動作の違いによる強み弱みを知り、英信流の内であれば、岩浪はどの様な状況下で行われ、鱗返はどの様な状況下であるのか知るべきでしょう。
 中山博道先生の居合は単に教わった業を並べて岩浪、鱗返とされて居ますが、初動は敵に無関係に先制攻撃を仕掛けています。敵が立膝に座して居る敵であるだけの想定から仕掛けられています。
 これでは状況判断は特に不要で業数を増やし、動作を変えているだけでしょう。そんなものでしょうか。
 居合は、敵の仕掛けに応じて対応する事を学ぶ好い稽古業が岩浪、鱗返しのはずです。
古伝神傳流秘書の岩浪と鱗返の手附をもう一度読み直して見ます。
岩浪:「左へ振り向き左の足を引刀を抜左の手切先へ添へ右の膝の外より突膝の内に引後山下風の業に同じ」
鱗返:「左脇へ廻り抜付打込み開き納る(秘書のは岩浪と同じ事を記しあり口伝に口授のとき写し違へたるならん 曽田メモ)」
*これでは古伝も役に立ちません。
 山蔦先生は岩浪の想定で「敵が自分の刀の柄を押さえようとするか、攻撃しようとして、自分の方に向き直る。」とされているようで、「敵の害意を感じ、機先を制して、敵の始動しない前に、敵の右腹を突く場合を想定するむきもあるが、中山先生の想定された前述の動作の方が、真実に近い」と書かれていますが、前述の動作が良く見えません。颪では「敵が、刀を抜こうとして両手を柄にかける」その前の浮雲では「敵が自分の刀の柄を取ろうとするので」と有ります。
 中山博道先生の居合の居合読本では岩浪も鱗返も不意打ちです。山下嵐は「敵が抜刀せんとするを取り敢えず・・」であり、浮雲では「敵が我が刀の柄を握ろうとするのを避け」と明確な敵の動作に応じています。
岩浪は、不意打ちでは無く、無双直伝英信流に見られたように敵が我が柄を取りに身を乗り出して来るのに応じて抜刀する。
 鱗返しは敵が刀を抜かんとして爪先立ち右に廻らんとする、其れ位の緊急時が夫々あって応じるのでしょう。
 鱗返の剣理を当代は「我が左側に座す敵の、機先を制して其の首に斬り付けて勝つ意にして、正座の「右」に同意義也」とこの辺の想定を特定して居ませんが、敵の害意を察するとかなどでは無く、具体的な状況に応じて機先を制する動作でありたいものです。
 何故、左足を引いて抜刀するのか、敵の状況に応じて何処に抜き付けるのか、業は難しい動作を要しませんが、一人演武の空間刀法のいい加減さが如実に出る業です。
 自分でしっかりと考えて演じるものです。居合は対敵行動を忘れればただの棒振りです。
 
 

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2016年9月22日 (木)

幻を追ってその9英信流つれづれ22岩浪の色々3

幻を追って
その9.英信流つれづれ
22、岩浪の色々
もう少し岩浪を稽古してみます。
第17代谷村派大江正路先生に指導を受けた山内豊健先生の岩浪を京都山内派の岩浪からその幻を見て見ます。
まず古伝神傳流秘書の英信流居合之事岩浪、続いて大江正路先生の岩浪、山内豊健先生と同門だった谷田左一先生の岩浪、そして京都山内派の岩浪と続け、締りは山内派から第20代河野百錬先生の無双直伝英信流正統正流に変えた久保瀧次先生の岩浪とします
古伝神傳流秘書英信流居合之事岩浪
 「左へ振り向き左の足を引刀を抜左の手切先へ添へ右の膝の外より突膝の内に引後山下風の業に同」
第17代谷村派大江正路先生岩浪(大正7年1918年剣道手ほどきより)
 「右に向き、左足を後へ引き刀を體前に抜き直に左手にて刀尖を押へ、右膝頭の処へ着け、左足を右足に寄せ、體を正面に直し、左手と右手とを水平とし、其右足を其儘一度踏み全體を上に伸し、直ぐに體を落し、左膝をつき右手を差伸し、左手は刀尖を押へたる儘、伸ばして刀を斜形として敵の胸を突き、右足を右へ充分引き変へ體を右向きとし、両手にて刀を横に引き、敵を引き倒し、其姿勢にて刀を振り右肩上にかざし、上段に取ると、同時に左足を後へ引き、右足を前にて踏み替え正面に向ひて上段より斬る(左の敵の胸を突く)
谷田左一先生の岩浪(昭和13年1938年図解居合詳説より)
 「目的:我が左側に接近して坐って居る敵の胸部を突刺し、更に之を引き倒して、其の頭上を両断するのである。
動作:右向きに坐る。左手右手と刀に手を掛け左足の爪先を立て腰を浮かして、左足を少しく後方に退きながら、刀を體前に抜く。此の時左手の拇指と人指指とで挟んで、刀が全く鞘を離れた事を知り、直ちに左手掌で刀尖を押へて、右膝頭の処へ著け、左足を右足に引寄せて、體を正面に向け直し、左手を右手とを殆ど水平とし、右足を其の儘一度踏みしめて、全體を上に伸ばし、直ちに體を落し、左足を後に退いて、左膝頭を著きながら右手を差伸ばし、左手は刀尖を押へたまゝ伸ばして刀を真直にして敵の胸を突く。此の態勢から右足を十分に右へ退き変へ、體を右向きとし、両手で刀を横に引いて、浮雲、颪の場合のやうに敵體を引き倒し、左足を後方に退きながら刀を振冠って右肩上に翳してから上段に冠り、更に右足を前方に踏出して、敵の正面を両断するのである。血振ひ、刀を納める。
京都山内派無双直伝英信流居合術の岩浪(平成14年2002年山越正樹先生編集)
「意味:同一方向に列している左側の彼に対し知られざるよう刀を抜き突如その方に向き直り胸又は腹を突き更に引廻して上段より切下ろして仕止む
方法:1、刀に手をかけ腰を浮かし左足を右足元に寄せ爪先を立て刀相手に見えぬ様体に近く右方に抜く。刀先近く迄抜きたる時左手親指内側四指外側にて剣先部を上方より指先を持って鋏み指の間を通して親指食指の基部に刀を挟む。此処までの動作は彼から見えない事肝要なり。
2、同時に立上り上体を屈して両足は揃えて右爪先を軸にして左方即ち正面に向く。その時左手掌を右膝頭にあてがう。従って刀は体の右側に沿えり。曲がった両足の左足を延ばす事により右足膝は曲げたまま再度左足膝を曲げて、あたかもその場で足踏みの如くして反動をつけ左手を多少手元にずらすが両手を撞木の吊り縄の状態の様に延ばしたまま刀を前に突き出し相手を突く、片足立ちの不安定な姿勢で彼の動きに合わせ我が視線、我の顔を向ける方向に必ず右大腿部に接した切っ先が彼を追う事となる。同時に左足を後方に引いて膝をつける。大体左隣の敵の横腹を突き上げるなり。彼が覆い被されば右足を引きて突き上げること。次以降の動作は颪と同じく。
3、右足を体の右側に引きながら刀は斜めに右の方へ引いて相てを引き倒し右真横にて跳ね上げ間髪を入れずに上段より切下ろす血振り納刀。
川久保瀧次先生の岩浪(昭和52年1977年無双直伝英信流居合道の手引より)
 「意義:我が左側に座す敵が我が刀の柄を制せんとするのをその機先を制して、胸部を刺突して引き倒し上段から斬り下す。
動作:1、抜刀:両手を柄にかけ腰を低く浮かし左足を半歩後方に引きながら、右手は刀刃を上向きにしたまま前方に水平に抜き出す。
 刀先部が鯉口を持つ人差指と拇指との間に落つるや、両指で挟み持ち、体は右足を軸に左正面に向きつつ、前方に抜き出した右手は拳を左え回して刃部が下を向くようにしながら、柄を下げてずっと後方二に引き、左手は右手の動作に従い、刀先部を持ったまま両指の間で回転させ刃部を下方にして右膝脇にとり、左手の拇指と人差し指の間に鋩子のみを出して鋏み、左掌は左膝頭を覆うように当て指は揃えて伸ばす。
 左足は体を正面に向けると同時に右足横に引き寄せて揃え、両膝を曲げ中腰の姿勢に立つ。(上体稍々前屈み)この時刀先が出過ぎぬこと。
2、刺突:体を正面に向けるや直ちに右足は刀を膝につけたまま股が水平になる程に上げ、直下に踏み下すと同時に左膝は右足の後方に引いて着き、右手は刀先を稍々上げ気味にして敵の胸部又は腹部を刺突する。この時は左手は指を揃えて伸ばし刀棟に当て、突き出す瞬間棟をすべらして腰棟付近で止める。右手は柄頭が右膝付近に来るまで突き出す。
3、引き倒し
4、血振り納刀
 ここで上げた岩浪は大江先生、谷田先生、山越先生、川久保先生誰も古伝の岩浪を知らなかったか師伝と称して別の動作を標準として掲げられたと思います。
大江先生、谷田先生、川久保先生の刀の抜き方刺突の部位は略同じで、敵の動作に反応した機先を制する攻撃の様に思います。
 山内豊健先生の居合をお殿様居合の様に喧伝される京都山内派の岩浪の抜き方と刺突の部位、納刀の仕方には疑問を感じます。
 まず、お殿様居合を大江先生が山内豊健先生に特別に指導されたとは思いませんが、「左側の彼に対し知られざるよう刀を抜き突如その方に向き直り胸又は腹を突き」の敵に知られない抜き方は「不意打ち・闇討ち・だまし討ち」に通ずるもので中山博道先生の居合の心持ちです。この心持をお殿様に伝授するでしょうか。
 次に刺突の部位ですが「大体敵の横腹を突き上げるなり」ですが横腹と云う事は敵が左を向いた状態でしょう。敵を振り向かせる「声や音」の行為は有りませんから、せめて敵が鯉口を切って居ればいいのですが、これもお殿様居合にはどうでしょう。
 納刀は此処では解説されていませんが右足を大きく円を描いて納刀します。此の動作も見栄を切る様で、お殿様居合としては疑問です。
 山内豊健先生の居合であったのか、後の宇野又二先生以降の先生方に依って他の武術の混入や居合に対する思想の変換が行われたのかも知れません。
 武術としては、其れも有と思いますが、私の思い違いならいいのですがお殿様居合と思わせるのは疑問です。
 山内豊健先生は、大江正路先生から居合を伝授されたもので土佐の御殿様山内容堂公からの直伝では無いのですから、幻を見てしまいそうです。
 大江先生存命中にも山内豊健先生の居合が大江先生のものとずれる事を危惧されてか山内豊健子爵邸の大広間で講習会を行った記録が野村凱風先生の「無双直伝英信流居合の参考」にもそれと無く残されています。
 しかし、その独特な動作は山内派を学ぶ剣士によって後世まで引き継がれ無双直伝英信流に花を添えてほしいものです。
 川久保瀧次先生は山内豊健先生に大江先生亡き後弟子入りされた宇野又二先生の直門坂上亀雄先生に師事し、恐らく山内派のような居合をされておられたと思います。
 後に、河野百錬先生に師事して無双直伝英信流正統正流の居合に変わられています。河野先生指導に依る見事な無双直伝英信流正統正流で山内派を感じさせない動画も残されています。
 
 

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2016年9月21日 (水)

幻を追ってその9英信流つれづれ21岩浪の色々2

幻を追って
その9.英信流つれづれ
21、岩浪の色々
「左へ振り向き左の足を引刀を抜左の手切先へ添へ右の膝の外より突膝の内に引後山下風の業に同」
 古伝神傳流秘書にある英信流之事岩浪の手附はこれだけです。
 右向きに坐し、左脇の敵に左に振り向いて、左足を引き、刀を抜出し、鯉口を持つ左手に切先を添え、右足膝外側に切先を持った左手を付け、正面の敵を刺突する、右膝の内側に刀を引き敵を引き倒し、上段に振り被って斬り下す、血振り納刀。
 この業の始めは、先ず左脇の敵に振り向いて、左足を引くと同時に刀を抜いています。
 谷村派第17代大江正路先生系統の無双直伝英信流は概ね、右向きの儘刀を抜いてから右脇の敵に向き直っています。
 中山博道先生の系統は、まず左脇の敵に振り向いて刀を抜いています。
 これでは大江先生は古伝に忠実ではありません。中山博道先生の方が忠実です。中山博道先生は谷村派第16代五藤正亮先生に師事した森本兎久身先生に明治30年以降に、神道無念流の有信館で指導されています。
 下村派第14代下村茂市定先生に師事した吉宗貞義先生の長谷川流居合抜方から岩波を、行宗貞義先生に師事した曽田虎彦先生の曽田本2から稽古してみます。
 「右向きより左足を右後ろの方に引きて正面に向くや刀を抜きて左拳を腰にとり右足踏み出して稍切先上りに敵の胸乳の上を突き引き倒して冠り正面を切る也。」
 抜けだらけの手附けですが、古伝の通り左に振り向いて刀を抜いています。刀を抜くタイミングは左足を右後ろに引くタイミングに合わせて、正面に振り向いた時は抜き終わって切先を持つ左拳を腰に当てて居ると読めそうです。
 この、刀を抜き出す動作は、中山博道先生の動作と変わらない様です。
 曽田虎彦先生に師事した山本俊夫先生の昭和18年1943年に纏められた無双直伝長谷川英信流居合術極秘という直筆の覚書が有ります。
 剣技解説より「立膝之部(長谷川流)から岩浪
 「敵我が左脇に並びて坐したる心持ちにて右向きに右片膝立て坐し、左へ振り向くと同時に左足を後へ引き刀を抜き、左の手を切先へ添へ右膝の外より敵の片腹のあたりへ突込み押して引き後山颪に同じ又突込時右足をトント踏むことあり」
 これは、古伝の抜方の様です。敵の片腹(右腹でしょう)に刺突して居ますから、敵は振り向く暇もない不意打ちの様です。
 この写しの原本は剣道六段織田守馬先生御秘蔵のものを於高知城下大日本武徳会写之 干時昭和18年と有ります。
 もう一つ、同じく曽田虎彦先生に師事した山本俊夫先生の同じ無双直伝英信流居合術極秘に「居合術備忘書」なるものが有ってそこに立膝之部として岩浪
 「右向にて左足を退き立ち乍刀を前に抜き左手は刀先を下向に取直し体を左向に変し左足を退くと共に前に屈して刀先を右膝外に隠し右足をトンとふみ拍子にて左手刀をしごき片手に突き左膝をつく右足退き刀は引倒してはね上げ左膝退きてつき右足出して上段より打下し血振納刀しつゝ右足を引込む」
 これは、前の覚書と刀を抜くタイミングか違います。前は左に向くと同時に左足を引いて抜いています。ここでは刀を抜いてから左向きになっています。
 山本俊夫先生はこのメモを昭和18年に書かれています。当時は稽古するにも先輩諸氏は次々に戦場に送り出され、本人も昭和20年頃には福知山教育隊に所属し、卒業後20年7月福岡県金武小学校の見習士官で終戦だったと記録しています。その後は不明です。
 業の運用は先生に依って異なったのでしょう。指導を受けたのは織田守馬、曽田虎彦、山本晴介、田岡 傳、福井春政各先生だったようです。
 谷村派も下村派も無く、昭和18年12月の同好者は瀧口、土居、野田、中沢、南、西川の諸氏だったようです。
 
 
 

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