曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く10夏原流和之事6本手之移11支點當
八文字に坐すところ、相手スカスカと我が左脇を通り行く時、我が左手を左手で取り、右手で鐺を取ってうつむけに押し倒そうとするので、左足で相手の陰嚢を蹴る。
「・・かやされ上る処を」の状況がよく見えませんが、鐺返から推測します。
相手に左手と鐺を取られ、鐺を上に上げられうつ伏せに押しかけられるのでしょう。
「左の足にて相手の陰嚢を蹴る」相手の股間に我が左足を蹴りこむ、は押し倒されるに従って、右手で体を支えながら左足で蹴りこむ、としてみました。 以上 十一本
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以上で夏原流和之事を終了します。同時に神傳流秘書も読み終えた事になります。夏原流和之事については、このような手附が残されたのですが、誰が何時これらの業を作り出したのかわかりません。
本朝武芸小傳巻九の末尾に小具足について世に鳴るのは竹内流だといっています。荒木流、森流などの後に夏原八太夫の名があります。
夏原八太夫は夢相流小具足の達人也、今川久太夫その傳を継ぐ、武井徳左衛門今川の傳を得、松田彦進武井の芸を傳、鈴木彦左衛門有りて、松田に従い、その宗を得て精妙と為す。
とあります、これが夏原流和であるかはわかりません。
此の神傳流秘書は「文政二年己卯之歳十一月吉祥日 山川幸雅述」で始まりました。
曽田先生が丁寧に書写され此処に掲載したものです。
奥書きは以下の様になっています。
山川久蔵
右の通り相改諸業手付覚亦歌之巻柔術不残相傳譲申所相違無望々仍而奥書如件
坪内清助殿
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読み
山川久蔵(やまかわきゅうぞう)
右の通りあい改め 諸業手付覚え 又 歌の巻き 柔術 残らず相伝譲り申すところ相違なし 望々 よって奥書 件(くだん)のごとし
坪内清助殿
文政2年は1819年です。山川久蔵幸雅の記述した最も古い傳書だろうと思います。
残念ながら、この伝書を書写された曽田先生は、この神傳流秘書を誰から見せられて書写されたのかが不明です。「本書は他に見えざる秘本にて原本は多分戦災にて焼失せるか大事大事」と書き残されています。
曽田本その1の1神傳流秘書を終わります。
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