曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首

2019年1月21日 (月)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の32一筋のみち

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の32一筋のみち
目の前の満春毛の秘事を志りぬ連バ
      唯速かの一筋のみ知
読み及び読み解く
 目の前の睫毛の秘事を知りぬれば、唯すみやかの一筋の道
 目の前にある睫毛の秘事を知ったのであれば、ただ速やかにその道一筋に進んで行こう。と読む事ができます。
 31首目で目の前の睫毛の秘事が「神妙剣」である「互に理解しあってより良い方法を見出し和すること」
 土佐の居合は業技法では、相手の斬り込を身を土壇となして「柄口六寸」に勝つ事を以て根元とするものです。
 そして、その極意は戦わずして勝つ「神妙剣」であって、「睫毛の秘事」である「人と和する事」なのです。
 それには、己が正しいと信ずるものをしっかりと持つ事であり、いかなる難問にも応じられるものでなければならないでしょう。
 その上で、互に最も良い納め処を見出して「和する」ことなのでしょう。
 この歌は新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事にも妻木先生の田宮流居合歌の伝にもありません。
 この神妙剣の極意は、現代居合が居合抜ばかりに照準を当てている事に問題があるのでしょう。
 それは、武的演舞の優劣を競わせたり、技術の達成度判定基準の不明瞭かつ不可解な段位制度による人のランク付けによるおぞましい縦社会を形成させ権威・権力主義を助長させるばかりです。
 公には何の権威も社会的地位も無い居合と云う趣味の集団の縦社会の中での事で終始しているようです。
 或いは、連盟のような竹刀剣道の付録の様な扱いで終始し、各流派についてはおざなりの統一理論による居合風演舞を武術呼ばわりしています。
 稽古法にもそれが顕著で師と称する者の演舞を見て弟子達が手拍子に合わせ一斉に真似をして動作を演じそれを稽古と思っていたり、演武会では足並み揃えて木刀を打ち合わせる見せるための演舞をしています。
 武術は型に拘り演じる者ほど容易に打ち負かされるものです。
 人は物ではないのです、号令によって一斉に突撃する弾除けの兵士を生み出してはならないのです。
 精神面では上段者に礼を尽くすことが武道であり武士道精神に則るものだなど「馬鹿言ってんじゃないよ」でしょう。
 武術における礼は、相対する人を認める事が礼であってそれにより殺し合いを避ける最も人間らしい尊厳のあるものなのです。
 たとえ業技法から習い始め、伝統武術の運剣動作を納めたとしても、人として如何にあるべきかをないがしろにして、幻の権威の名を借りて権力をもってパワハラ同前の上意下達を良しとするようなものはすたれて当然の事です。
 その原因は、型にはまった業の運用のみに終始している、武術とは言えない現代居合の評価法に大きな落とし穴があると思います。
 居合に於ける仮想敵はあらゆる変化をもって我に打ち向かってきます。そのあらゆる変化に反応できる修行と云う事は、相手の心情を理解する心を磨く以外に無しえないものです、それは武術を通じてコミュニケーション能力を磨き上げる事でもあるのです。
 コミュニケーションとは上司に対して従順と云う事では無いのです。
 現代居合もレベルの高い指導者を養成をすべき時期にあると思えて仕方がありません。
 伝統武術として、無双神伝英信流居合兵法第九代林六大夫守政が土佐にもたらした武術は、総合武術であり武術を学び得て達する道は「神妙剣」一筋であったのです。
 流派は、己の流派の業目録初伝から始まり、目録皆伝の授与に戻る時期に来たのでしょう。それは、本物の伝承者でありそれをもって社会に還元できる個性ある人を育てる事だろうと思います。
 林崎甚助重信系統と称する流派は、古の根元之巻によって皆伝とすべきなのでしょう。
 宗家になるには先代宗家から紹統印可された者だけがなるべきもので、根元之巻は流派の業技法及び心得を伝授されたものであって宗家を認める事とは言えないものです。
以上32首
右 田宮平兵衛業政之歌
干時 文政四年(1821年)辛巳歳秋七月吉日書之
坪内長順
山川幸雅自先生傳ル
* 
 以上32首
 右 田宮平兵衛業政の歌
 干時 文政四年(1821年)辛巳歳秋七月吉日之を書く
 坪内長順
 山川幸雅先生より伝わる
 以上を以て曽田本その1を終ります。曾田本その1の巻末には曽田先生によって研究中の「抜刀術」五本が記載されています。
 ここでは、古伝に拘って割愛いたしておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2019年1月20日 (日)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の31睫毛の秘事

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の31睫毛の秘事
目の前の満春毛の秘事を知ら春して
      兎角せんと一期気遣ふ
読み及び読み解く
 目の前の睫毛の秘事を知らずして兎角(とやかく)せんと一期気遣う
 目の前に睫毛があっても気にもしません、睫毛の役割を改めて知って驚くほどです。その様に武術の極意は目の前にあるのに、それを知らずとやかくしようと一生気ずかいしている。と読むのでしょう。
 この歌は新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事には存在しません。
 田宮流居合歌の伝にもありません。
 無外流の百足伝に見られます。
 「兵法の奥義は睫の如くにて余り近くて迷いこそすれ」
 睫毛について少し勉強してみます。
 長さは5㎜から10㎜位で上下で100本ほど
 目のセンサーの役割をもって、眼の保護として、強い光や風に反応して目を閉じたり、粉塵や細菌などからも眼を守っています。
 日本人は欧米人より睫毛はやや短いそうです。黒い瞳でニッコリされてウインクなど長い睫毛でされるとズキンとしたり・・このところないない。
 睫毛の秘事とは、そんな肉体的な役割も医学的には知らなかった時代かもしれませんが、普段気にもかけない事に奥義はあるにもかかわらず、奥義を知ろうと一生涯気を使って色々的外れな事をやっているよ、と歌っています。
 さてその、「睫毛の秘事」となる「奥義」は何か、目の前にあると云っています。それが解れば免許皆伝でしょうか。
 睫毛の秘事は無心にして身を守るや瞬時に応じる極意を歌っている筈です。簡単に言えば相手の斬り込みを受けた時が斬った時、あるいは相手の斬り込みを外した時に切っている。
 新陰流の「合し打ち」や「くねり打ち」などが当てはまるでしょう。居合道型などでガツンガツン打ち合う様な棒当て踊りでは何も得られそうにありません。
 しかし、この極意では勝ち負けの勝負の極意に過ぎません。
 武術は人のコミュニケーションの最終的手段に用いられるもので、武術が使われた時は彼我何れかが死に至るものです。
 そのために「人と和すること」が必要でしょう。この流では「神妙剣」の名で呼ばれています。
 「和する」とは己を曲げて権力に随う様な事は和では無く「服従する」事だと云って間違っている言っています。
 それも一時の風を避ける為の「方便」として使う人も居ますが、居場所がなくなる不安を思って顔だけ向けて心そこに非ずだったり、日本の意味の無い縦社会に服従したりする、それでも和したと云えるでしょうか。
 それが「権力者を甘やかすのは何か」の一つでもあります。
 このところ頻発するアメフトや体操、レスリング、ボクシング、居合などの不祥事は「和する事」とは何かも考えずに、パワハラや賄賂でトヤカクしたり、幻の権威を嵩に権力を振るう居合の段位制度などにも弱く醜い意図が見え見えで哀れです。
 「たがいに理解し合ってより良い方法を見出す」それが「和する事」でしょう。
 土佐に居合を持ち込んだ第9代林六大夫守政の無雙神傳英信流居合兵法極意巻秘訣「神妙剣」に残されています。
 
 
 
 
 

| | コメント (0)

2019年1月19日 (土)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の30声のひびき

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の30声のひびき
後より伐るをはつるゝ事ハ奈し
    聲の闇(響の誤字か)を是と云也
読み及び読み解く
 後ろより伐る(斬って来る)のを外す事は出来ない、声の響きを察するを是と云うのである。
 曽田先生は聲の闇を聲の響きと闇にヒビキとルビを打っています。
 後ろから斬って来られれば、「はつるゝ事はなし」を外す事は出来ない、と読んでみました、自分が斬り込むのであれば「後ろより斬るのを外す事は無い」でしょう。そこで敵の声の響きを察し外すことが出来る。自分が斬り込むのであれば声を抑えて「声の闇」を以て斬り込む。
 彼我を入れ替えて読んでみました。
 いま一つ読み方を考えて見ます。
 後ろより斬るを恥ずる事は無い、声の響き(掛け声)をかけて斬る事が是である。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事に次のような歌があります。
 「後よりだますに手こそなかりけれ聲の抜とや是をいふらん」
 後ろより騙し討ちにしてくるのに手などない、声に応じて抜くとは是れを云うのであろう。
 山内豊健・谷田左一共著の「居合詳説」に同様の歌があります。
 「後ろより伐るを恥づる事はなし声のひびきと是をいふなり」
 後ろから斬るのは恥ではない、掛け声を発すること「声の響き」が是である。
 後ろから斬るのは恥ではないが、掛け声をかけて切れ、と云う歌であれば、掛け声は何の為に掛けるのでしょう。闇討ちでは無い、相手に応じる気を伝えてあったと云うのでしょうか。
  相手に技量が無く斬られたのだから、後から斬っても恥ではない。
 其処までの解釈ならば、奥義の歌にはなり得ないでしょう。
 後ろから来ようと、掛け声が「声の闇」であろうと、見事に外して斬る。是を学べという歌であってほしいものです。
 歌の解釈は、読む人の力量によってどのようにも読めるものです。
 居合兵法の和歌の9種目に「寒夜にて霜を聞べき心こそ敵に逢うても勝を取るなり」とありました。
 この歌は、後から斬るのは恥だと云う事を諭す様な礼法の歌などでは無いでしょう。研ぎ澄まされた心には眼に視、耳に聴くそれ以前にある、敵の起こりを察する事を学ぶ歌と詠む事であろうと思います。
 この居合が作られた時代は、現代人が想像もできない程の感覚を持っていた筈です。

| | コメント (0)

2019年1月18日 (金)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の29皆すたる

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の29皆すたる
技をよく習納むと思ふとも
     心掛春ハ皆春多留べ之
読み及び読み解く
 技をよく習い納めたと思っても、常に稽古を心掛けなければ皆すたる(廃る)であろう。
 まさに歌の通りだろうと思うのですが、もう少し捻って考えて見ませんと「かたち」ばかり師匠の技を真似た者と、其処から業本来が行き着く至極の境地を得た者とでは大きな隔たりがある筈です。
 この歌も、今日まで受け継がれているならば、「かたち」いわゆる業の動作の順番を習ったままに演じて出来たと思っている程度の者を対象に歌っているとすれば、「すたれる」のレベルは業の動作の順番を忘れてしまう様なものでしょう。
 現代居合は、昇段審査や競技会によって業の順番、かたちや拍子が特定に絞り込まれて指導されその「かたち」が少しでも外れると「違う」と云って型にはまった居合踊りを上手に演じるのですから、「技をよく習い納むと思う」レベルは相当低いものでしょう。
 道場での稽古の仕方なども、師匠が前に出て、弟子は師匠の方を向き師匠の模範演舞を拝見し、師匠がたとえば「前」と云って両手を「パン」と打って弟子達が一斉に真似をする。
 それで師匠は制定居合位で模範演武を終わり、古参の高段者に模範演舞を譲って正座の部、抜刀法程度を合同体操の様にやって約一時間を過ごします。休憩の後自由稽古に入るのが人数の多い所の一般の様です。
 そんな稽古法を毎週やって10年も20年も過ごして何の疑問も持たなければ、師匠の「かたち」が嫌でも身についてしまうものです。
 その上昇段審査の形や拍子を、個人指導を受けたのでは、心の無い死に物の居合人が続々と生み出されてもおかしくないものです。
 この稽古法は、講習会などで講師が模範を示し講習生達が講師の合図で、動作をやって見る合同訓練形式と云えるでしょう。
 講習会で講師が述べた事を理解するには、その業を一人で出来るのはもちろんの事、業の術理を理解していなければ、右から入って左へ抜けるか、勘違いの覚えになってしまいます。
 多くは講師ほどに修練を積んでいない者が多い為、そのレベルにならないと理解できない事もあるものです。
 しかし最も手っ取り早く一定のレベルに到達させるには、模範演武を看取りいさせ一斉に真似をさせる合同稽古は合理的な練習の仕方です。
 余程の修練を積んだ者が模範演武をしない限り、癖だらけのものになって武術などととても言えるものでは無いのです。その上「武術は・・」などの蘊蓄を述べられると辟易します。
 明治の頃徴兵制度で武士でない者を駆り立てて戦場に向かわせなければならなかった、手っ取り早く兵士としての初歩的動作を身に着けさせる必要がありました。
 上官の号令と共に自由に動かせる兵士を量産するには最も適した方法が、この模範を示し一斉にまねをする合同練習方法だったと云えるでしょう。
 名人上手などは不要なのです。寧ろ秩序を乱すものに過ぎないのです。相も変わらずその方法で稽古をしている道場長の多い事。
 現代居合を良くする者には、この歌は理解不能の歌でしょう。なぜならば「かたち」ばかりの技の習い納めですから、廃っても知れています。
 武術は武的「かたち」は出来ても、術が決まらなければ武術にはなりません。
 常に術が決まる為に修錬していませんと、術は決まりません。その上年齢と共に衰える筋力や俊敏性などと共に、頭の回転も鈍くなることもあるでしょう。其の為には「かたちや拍子」にそれ相当の工夫と無駄の無い動作の練度が磨かれない限り術が決まらなくなります。
 居合は一人でする仮想敵相手の運剣刀法です。
 あらゆる想定を自ら描いた仮想敵に演じさせ、根元之巻が指定する「柄口六寸」に至らなければ唯の踊りでしょう。
 大江正路先生の残された現代居合の全ての業を、綺麗に演じられても、それは決められた事を順番通りに演じているだけでしょう。
 正座の前の抜き付けだけを、習い納める事を考えた時、大森流11本、長谷川流10本、奥居合21本、合わせて42本の業数などは初期の内に覚えさせてしまう事も考慮の内です。
 そして正座の前一本をもって何時如何なる条件においてでも応じられる様に習い納めるを考え、学び納める位の事であれば、足腰が立たなくとも修錬を怠る事などありえないでしょう。
 免許皆伝を得たから(最高段位を授与された場合も)十分できると錯覚し、権威を授与されたのだから権力を振り回し自己満足するなどの事では、武術を志ざす者にはありえない事です。
 
 
 
 
 

| | コメント (0)

2019年1月17日 (木)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の28師に問う

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の28師に問う
師二問ハ春如何尓大事をおしゆへ之
       心を春ま之懇耳問へ
読み及び読み解く
 師に問わずに如何に大事を教える事が出来ようか、心を澄まして懇ろに問へ。
 この歌は新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事にはありません。妻木先生の田宮流居合歌の伝にもありませんが、田宮流歌伝口訣に見られます。
 「師に問いていかで大事を悟るべきこゝろを尽くしねんごろに問へ」
 居合兵法の和歌とは多少ニュアンスが異なります。居合兵法の和歌は、師に聞いてこなければ本人の知りたい大事な事は教えてあげられない、邪年なく心を澄まして懇ろ(ねんいり、まごころをこめて)に問いなさい、と歌っていると思います。大抵の事は通常の指導の中で見たり聞いたりしてわかっている様でも、「かたち」が出来て来ると「何故そうする」と云う疑問が湧いてきます。いくら考えても不合理だと思って、師に聴いてみました。
 指導した業技法を批判されたと誤解して「お前に何が解る」と険悪な雰囲気です。そんな人は弟子を取る資格などあるわけはないでしょう。
 これ以上教わる事は出来そうもない、「今までありがとうございました」と出て行かざるを得ません。疑問にぶつかる処まで導いていただけただけでも感謝すべきでしょう。
 出れば出るで、「あいつは恩知らず」と、和を乱す不埒者扱いです。
 何か聞かれても考えてもみなかった、先師の教えに忠実であった師には答えられない事もあるでしょう。
 一緒に考えてやってみるとか、他の弟子を集めて研究会を稽古会に組み込む事も出来るでしょう。
 「俺が作った道場だ、否やを言わず黙って従え」そんな事では、稽古にもなりません。守破離の教えなど嘘ばっかりです。
 習うのも聞くのも、それなりの人にするべきものでしょう。一度入門したらその縦社会に甘んじて埋もれるのも実力のうちです。
 田宮流歌伝口訣は、師とは絶対なのだから、解らない処を聞いてポイントを納得しなさい、師に心を尽くして真心を籠めて聞きなさい。上から目線の歌の様に聞こえてきます。江戸時代の背景から見ればこの方が無難でしょう。
 私は居合兵法の和歌に軍配です。
 上から目線など宗家でも無ければ、唯の段位保持者では知れています。権威を嵩に権力を振り回しても相手にされません。地位を侵されるのを恐れているばかりでは情けないでしょう。そんな人の口癖は「組織を乱す」だそうです。
 もっと大切な事は他流と対した時はこの時代夢物語かも知れませんが、居合も武術です、うかうか負けるのであれば習う意味はないでしょう。
 そんなものは美しく格調高く武的演舞を踊っていればいいばかりです。
 しかし居合以外の人生に於ける事ごとでも困難にぶつかった時、聞いて、見て、手取り足取りされて習ったとしても、それだけでは生き残れません。
 聞くべき師に出合えれば良いでしょうが、他道場へ出稽古も嫌われ、他流を習うのも嫌がられ、パワハラを受けるのが普通です。
 本物を求める者には、そう簡単に居場所があるわけは無いと思えばいいだけのことでしょう。
 弟子がどんどん上達し更に上を目指す事が明らかならば、「どこそこの誰々にこの上は師事するように」と進める度量も無ければならないでしょう。
 
 
 
 

| | コメント (0)

2019年1月16日 (水)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の27得道はなし

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の27得道はなし
大事おハ皆請取れと思ふとも磨可ざる尓ハ得道ハなし
読み及び読み解く
 この歌は前回26首目の「道を立深く執心する人尓大事残さ春大節尓せ与(道を立て深く執心する人に大事残さず大切にせよ)」の和歌の続きの歌の様です。
 この歌は、その大切な事を皆受け取らんと思うとも、修錬して磨き上げなければ道は得られない。と歌っています。
 居合の道を志し執心する人にはこの流の教えも自ら得たものも出し惜しみしないで、残さず伝える事を心がけよ、と師匠が次代を担う者に皆伝を授与する時の心得として諭した歌と解せます。
 門弟を持った者の役割は、先師から教えられたことは当然乍ら、それを身に着けるために己の得たもの、更にそれを越える事を全て伝授する事が大切な勤めと解かっていながら、ぐずぐずしている場合が多い様です。
 門弟を比べ見て、彼でもない、誰にしようなど思い煩い結局何も伝えずに死んでしまう。或は門弟自ら悟るまでは教えない、などとおかしなことを考え無駄な時間を過ごさせている。
 師たるものは、自ら習い覚え、自ら生み出したものは全て隠さず伝え其のポイントも示す事、其の上で弟子は其の領域に達する努力をするものでしょう。
 今時、居合などで命を懸けた勝負などする事は無い、との思い込みから形ばかりの業技法をのんびり指導する似非指導者がほとんどです。
 武術は本来師匠の習い覚えた業技法は出来るだけ懇切丁寧にそれも無駄な時間をかけずに指導すべきものでしょう。
 さもないと弟子はコロコロやられてしまいます。弟子は出来るだけ早く師匠を越えて新たな道を目指さなければ役立たずの流派として消えてしまうのです。この事はあらゆる分野に共通の事で師たるものの心掛ける事でしょう。
 「弟子たる者師匠の出来ない事でもやれ」と弟子を叱責された初代関東支部長大田次吉先生の言葉が思い出されます。
 先師の指導によって師匠が習い得た半分の時間で師匠の思いが弟子に伝えられれば、より深く究明していかれるでしょうし、師が置き忘れた大事を見出したり、新たな道に踏み込めることもできるでしょう。それが武道です。そうで無ければただの棒振り踊りです。
 
 居合の業の意義、術理、その運剣動作を口伝口授され、何度も看取り稽古させてもらって手取り足取り指導されても「かたち」が出来たに過ぎない、其処から本物を見出し目指していかなければ修業とかいうことではないでしょう。
 本物の師匠は、出来るだけ早く弟子を育て、弟子と共に更に飛躍することの出来る人でありたいものです。
 真似事の「かたち」でさえ、日頃稽古していませんと、どんどん廃れて行くものです。
 何故か、この歌は田宮流居合歌の伝にも、秘歌之大事にも存在しません。
 この流の根元は「柄口六寸」なのですが、この教えを示された事は無いのですがどうしたものでしょう。
 
 

| | コメント (0)

2019年1月15日 (火)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の26深く執心する人

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の26深く執心する人
道を立て深く執心する人尓
      大事残さ春大節尓せ与
読み及び読み解く
 
 道を立て深く執心する人に、大事残さず大切にせよ
 この歌の心は、この読み下し文で解ったと云えそうにありません。何故なら「道を立て」とは何か、「深く執心する人」とはどんな人か、「大事」とは何なのか、「大切にせよ」とは誰がするのか。
 この歌は、田宮流居合歌の伝には無いものです。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事では
 「執心能あらん人尓ハ傳婦遍之くらゐ残春奈大事奈累事」
 (執心のあらん人には伝うべし位残すな大事なる事)
 「執心のあらん人」ですから打ち消しと取れば「執心の無い人」と読んでしまいます。執心の無い人には伝うべきである、位残すな大事なる事と読めます。
 執心の無い人にきちんと伝えなさい、当流の教えを残さず学びなさい大事なことですよ。と読んでしまいますが之では奥義の歌と云えそうにも無い、もともと執心の無い人がこの道を全うできる筈はないでしょう。せいぜい真似を上手にできるようになってもそこまでです。
 現代居合は居合抜だけですから仮想敵相手に抜いているだけで踊りの「上手下手」を言っていてもそれなりですが、師匠ともなったら教える時は当流の大事な事は伝えておきなさいと師匠を教育しているかも知れませんね。
 この田宮平兵衛業政の居合兵法の和歌を思う時、根元之巻を伝授される際、この流を以て身を立て深く執心する者は、大事な教えをどれも残さず大切にしなさい、と詠っている様な気がします。
 同時に、その様な人には大事な事は残さず伝えるのだ、と詠っても居るのでしょう。
 先師の磨き上げた業技法であっても、戦闘方法や武器の進化からそのままでは、その流派は消滅せざるを得ないでしょう。
 武術の根元が見事に集約されている流ならばその上に新たな武術が付加されて時代の先端を歩いて行けるのでしょう。
 指導者の業技法を真似るだけに終始し、指導者が変われば新たな考えが付加され、怠け者には付いて行くことが出来ません。
 そんな人は新たな指導者を批判して「あんな技法は無い」などと己の不勉強を棚に上げている人を見かけます。
 「心を籠めて流儀の位を残さずに納める事が大事だぞ」と始めたばかりの者にも、巣立ちゆく者にも歌っているならば、其の上に幾らでも業技法など積み重ねられる筈です。
 現代居合は何処かで足踏みしている様です。
 大切なものが伝えられていないかも知れません。
 それは、昇段審査でも競技会でも一定の形や拍子を固定されている様に錯覚してしまい、指導者の真似に終始しているためでしょう。
 六段ぐらいまでは、そうあるべきでしょう。しかし其処から本物を目指して磨き上げる、流の大事を知り、大切にしなければ流の伝承は形骸ばかりと成るでしょう。
 根元之巻が伝える「柄口六寸」も「神妙剣」も伝わってきません。
 中川申一先生の無外流居合兵道解説にある百足伝より
 「とにかくに本を勤めよ末々はついに治るものと知るべし」
 「我が流を教へしままに直にせば所作鍛錬の人には勝べし」
 所作鍛錬の人には勝てるよ、といっていますが根元に至った者には決して勝てないぞとも言っている様です。
 「馴るゝより習ノ大事願くば数も使へよ理を攻めて問へ」
 大事な事を理詰で師匠に聴き習えよ、師匠は正しく伝えよと云っている様です。
 直新影流に「急ダラリ、ダラリ急。早ク上手二ナルベシト急ギテ修行シタリトテ、スグ二上手二ナルモノ二非ズ。サレバトテ、気ヲ長ク、ナマケテ、ブラブラト稽古シテ、上達スル事ナシ。急ガズ、ダラリト、心ヲ長ク、ユルユル、ダラリト気ヲモマズ二、怠ラズ、油断ナク、急二スル気持ニテ修行セネバ、上達スル事ナシ。不急不弛不怠不油断シテ、修行可致也如此心得テ、心ガケ申スベキ也」
 この道を極めんと執心すれば、気もせいて来るものです。そんな時思い出す良い教えです。此処まで弟子に踏み込んで来る師匠も少ないでしょう。それは本物を目指すより段位を得ようとする安易な気持ちが良い師匠を生み出せない事にも依る様です。本物は与えられるものでは無いと気が付く事が本物たる所以かも知れません。
 執心の人はともすると、百足伝の「馴るゝより習の大事願わくば数も使えよ理を攻めて問え」になります。
 習い覚えて馴れただけの師匠では面倒くさいでしょう。何でもハイハイと聞いてくれる腰巾着の方が扱いやすいものです。
 本物を目指す者を育てられない者は弟子を取るべきではない、とも此の歌は行っている様です。
 「道を立て深く執心する人」の前には、新たに普請をすべき道が続いている様です。一生稽古とか修行とか言っていますが、習ったままを振り回していてもそれでは何も得られません。
 いやでも衰える体力を、転換できない様な稽古は練習に過ぎません。習い稽古工夫のスパイラルを如何様にするかは志以外に生み出せそうも無いようです。
 
 
 
 
 
 
 
 

| | コメント (0)

2019年1月14日 (月)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の25金胎の両部

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の25金胎の両部
金胎の両部を正尓見へ尓介り
     兵法有れハ居合者しまる
読み及び読み解く
 「金胎の両部をまさに見へにけり兵法あれば居合始まる」では何のことやらさっぱりわかりません。
 その前に新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事にも此の歌はあります。
 「金鉢乃両部能二川と見し尓希利兵法あ連は居合者しまる」
 (金鉢の両部の二つと見しにけり兵法あれば居合はじまる)
 金胎が金鉢となっています。
田宮流居合歌の伝では
 金銀(金胎)の両部正に見えにけり兵法有れば居合はじまる」
 金銀ですか?
 金胎の両部、金鉢の両部・金銀(金胎)の両部が解れば何とかなるかも知れません。
 金胎両部(こんたいりょうぶ):金剛界と胎蔵界。
 界は大日如来を智慧(ちえ)の面から表わした部門、如来の智徳はなによりもかたく全ての煩悩を打ち砕くことからその名があると云う。
 胎蔵界は大日如来を本来的な悟りである理性(りしょう)の面から見て言う語で、理性が胎児のように慈悲に包まれてはぐくまれていることからこう名付ける。
 金鉢の両部の金鉢は托鉢の鉢でしょうか、仏教での両部は金剛界と胎蔵界を言い表しているのでしょう。金胎両部の思い違いかもしれません。
 金銀の両部は誤字かも知れず金胎と括弧書きが残されています。
 「煩悩を打ち砕く堅固な智徳と慈悲に包まれた理性によって、戦うべき時には居合が求められるものである」
 己の心の中にある智徳により煩悩を打ち砕き理性を慈悲によってつつむ心が居合を兵法と為すことが出来るという事を奥義として歌い継がれたものではないかと思うのです。
 現代居合は居合抜きの業技法だけが稽古されていて、居合心など聞かされたことも、歌など耳にする事も、稽古の中で知る機会はありません。
 高段者講習会などで、国語の解かる居合の先生もおられるでしょう。もう遠い昔の歌なのですからその歌われた当時の心を読み取れなくとも「私は此の歌はこの様に歌ったのだとおもう」と講義され、それを元に「私はこう思う」と自論を述べる機会などあれば現代居合も格調高いものになり、幻の権威に息吹が入りいたずらに権力をふりまわす幼稚なことは無くなると思うのです。武的演舞と揶揄し、幻の権威と振り向く事も無いものでは、下手な武的踊りとして老人体操の域を超えられるわけはありそうもない。
 

| | コメント (0)

2019年1月13日 (日)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の24寝て居ても

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の24寝て居ても
 寝て居ても起て抜見よ放れ口
        突かれぬ事は師匠なり介り
読み及び読み解く
 寝て居ても起きて抜いて放れ口を見てごらんなさい 突くことが出来ないのは師匠だからでしょう。是では書いてある通りに読み下しただけで意味が通じません。
 或いは、寝て居ても起きて抜いて見なさい、抜き付けの切先が鯉口を放れても、突く事が出来ないのは師匠だからでしょう。師匠だから突けないなどの事は別の事で、技法としては突きも充分稽古しなければなりません。鯉口から突など理屈が解ればすぐできます。
 もう一つ、寝ても覚めても抜き付けを稽古するのだが、師匠にだけはどうしても放れ際に突くことが出来ない。師匠の方が上手ならばしょうがない。
 抜き口への当流の極意は「柄口六寸」です。抜かんとする柄口六寸を師匠に抑えられてしまう。
 
 読み下せばこんな所でしょう。「突かれぬ事は師匠なり介り」が何を言っているのか、何が奥義なのかサッパリです。
 師匠の教えを教えられた形の通りに守り通して十数年、何か違うと思い至りて形を破って見たら思う様に運剣できる様になってきた。
 道場で師匠の前に立つと「違う」と叱責されて跳ね飛ばされても懲りずに更に磨き上げて、師から学ぶ事も無く新たな境地に佇む日々。
 私の様に、現状に満足できず、何故、何故と求め続けていますと師匠に疎んじられ、処を変えて又振出から一歩一歩、歩いてみます、又行きあたって何故の繰り返しです。
 もう是で充分な事などあろうはずもなく、お世話になった方達へ感謝はすれど、立ち止まって居られないものです。
 是を攻撃的だとか、自分本位とか言われても、求めるものが違うのですからとことんやる以外に生きている気がしないものです。
 武術の終わりは自らが死ぬ時なのでしょう。元の師匠を突き飛ばしてみても何の意味も無く、上意下達などと云って狭い世界に生きる人を置き去りにせざるを得ないでしょう。
 
 この歌の心は、師を置き去りには出来ないよ、と戒めて来る歌であれば、人情としてはそうであっても、武術の至極を求める者には無用の歌であって師を越えられない者は、不詳の弟子であるはずです。
 「弟子たるもの師匠の出来ない事でもやれ」と仰った初代関東地区会長太田次吉先生の言葉を思い出します。
 
 参考にしたいのに、秘歌之大事も田宮流歌の伝にもこの歌は存在しません。
 いずれまた、此の歌に取っ組んでみたい意味不明の歌です。

| | コメント (0)

2019年1月12日 (土)

曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首の23狭みにて勝

曾田本その1
9.居合兵法の和歌読み解く
32首の23狭み尓て勝
 狭み尓て勝を取べき長刀
       短き刀利は薄きなり
読み及び読み解く
 狭い所で勝つのは長い刀であって、短い刀には有利な状況は少ないものである。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事
 「勢王み尓て勝を取留偏幾長刀み之加記刀利はう春き也」
 (せばみにて勝をとるべき長刀みぢかき刀利はうすき也)
 妻木先生の田宮流居合歌の伝
 「せばみにて勝をとるべき長刀短き刀利はうすきかな」
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事には刀の長さの歌に
 「面にむかふ長をたのみにて左右をば何とふせがん」
 という歌も歌われています。
 「正面の敵に向かっていくには長い刀が有利だろうが左右の敵はどの様に防ぐのか」という課題です。この歌は曽田本その1にはありません。
 狭い所での心得は曽田本その1「英信流居合目録秘訣の2上意之大事の8壁添
 「壁に限らず惣て壁に添うたる如くの不自由の所にて抜くには猶以って腰を開ひしりて体の内にて抜突くべし切らんとする故毎度壁に切あてかもいに切あてゝ仕損ずる也突くに越る事なし就中身の振廻し不自由の所にては突事肝要」
 狭い所では「体の内にて抜き突くべし」がポイントです。大江先生の現代居合では奥居合之部居業の「両詰」でしょう。
 大江先生の奥居合立業の「壁添」は体の内で上に抜き上げ拝み打ちに打ち込んでいます。これは古伝の抜刀心持之事「人中」での抜刀法です。古伝「壁添」は狭い場所で体の内で抜き突くのです。
 狭い場所で座していて正面の敵に対する業は古伝では「向詰」で「抜て諸手を懸け向を突打込也」で大江先生は業名を「両詰」に変えてしまいました。
 狭い場所では、横一線の抜き付けも、相手の打込みを筋を替って外すのも不便です。機先を制して抜き突く、其の際長い刀が有利だと云えるのでしょう。
 古伝の歌で短い刀には利が無いと思い込んでみても、小太刀しか帯びていない場合はどうするのか、寧ろ不利の武器を有利に扱う事を思いやるべきかもしれません。
 定寸以上の長い刀を誇らしげに抜いている人を見かけます。寧ろ小太刀を自由自在に扱える稽古を充分して置くべきかもしれません。
 たとえば、「詰合」を打太刀は太刀、仕太刀は小太刀で稽古するなど「権威を嵩に権力を振りかざす者」の最も嫌う事を黙々と稽古する事が忘れられて居る様に思えて仕方がありません。
 
 
 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

介錯口伝・他・神妙剣 女剣士 居合兵法の和歌15-7 居合兵法極意巻秘訣15-6 居合兵法極意秘訣15-3 干支を読む 文化・芸術 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 書を楽しむ 曽田本その1の3業附口伝原文4大小立詰 曽田本その1の3業附口伝読み解く4大小立詰 曽田本その2を読むの2 曽田本その2を読むの3 曽田本その1の1神傳流秘書を読み終えて 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く始めに 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く10夏原流和之事 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く2居合兵法伝来 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く3大森流居合之事 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く4英信流居合之事 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く5太刀打之事 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く6坂橋流棒 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流1詰合 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流2大小詰 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流3大小立詰 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く8大剣取 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く9抜刀心持之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌 曽田本その1の1神傳流秘書原文始めに 曽田本その1の1神傳流秘書原文10夏原流和之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文2居合兵法伝来 曽田本その1の1神傳流秘書原文3大森流居合之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文4英信流居合之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文5太刀打之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文6坂橋流棒原文 曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流1詰合 曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流2大小詰 曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流3大小立詰 曽田本その1の1神傳流秘書原文8大剣取 曽田本その1の1神傳流秘書原文9抜刀心持之事 曽田本その1の2英信流目録原文初めに 曽田本その1の2英信流目録原文1居合棒太刀合巻 曽田本その1の2英信流目録読み解く初めに 曽田本その1の2英信流目録読み解く1居合棒太刀合巻 曽田本その1の3業附口伝原文を読み解く初めに 曽田本その1の3業附口伝原文1太刀打之位 曽田本その1の3業附口伝原文2詰合之位 曽田本その1の3業附口伝原文3大小詰 曽田本その1の3業附口伝読み解く1太刀打之位 曽田本その1の3業附口伝読み解く2詰合之位 曽田本その1の3業附口伝読み解く3大小詰 曽田本その1の4居合根元之巻原文 曽田本その1の4居合根元之巻読み解く 曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文 曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く 曽田本その1の6英信流居合目録秘訣原文 曽田本その1の6英信流居合目録秘訣読み解く 曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣原文 曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣読み解く 曽田本その2を読む 曽田本その2を読むの4 曽田本スクラップ土佐の居合 曽田本スクラップ居合 曽田本スクラップ戦時下 曽田本免許皆伝目録15-11 曽田本業附口伝15-10 曾田本その1の8その他原文 曾田本その1の8その他読み解く 曾田本その1の9居合兵法の和歌原文32首 曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首 曾田本その1付録曽田虎彦研究中抜刀術 曾田本その2を読み解く 神傳流秘書14-10英信流目録小太刀之位 神傳流秘書14-1序 神傳流秘書14-2引歌及び伝来 神傳流秘書14-3大森流・英信流・太刀打 神傳流秘書14-4棒 神傳流秘書14-5詰合 神傳流秘書14‐6大小詰・大小立詰 神傳流秘書14‐7大剣取 神傳流秘書14‐8抜刀心持之事 神傳流秘書14‐9夏原流和之事 秘歌之大事 稽古の日々 英信流居合目録秘訣15-4 英信流目録15-8 道場訓