道歌4無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌4の40一つより百まで
道歌
4、無外流百足伝と曾田本居合兵法の和歌
4の40一つより百まで
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無外流百足伝
一つより百まで数へ学びては
もとの初心となりにけるかな
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無外流真伝剣法訣の十剣秘訣の十番目は「万法帰一刀 問うて云く万法一に帰す、一とは何処にか帰す、答えて云く、我青洲に在って一領の布衫を作る、重き事七斤。 更に参ぜよ三十年。円相文字の沙汰にあらず。附短剣法就中三有りて三無し各三」
これは中国宋の時代の雪竇重顕禅師(せっちょうじゅうけんぜんし)による碧巌録第45則「挙す、僧趙州に問う、万法一に帰す、一何れの処にか帰す、州云く、我青州に在り一領の布衫を作る、重き事七斤、編辟曽て挨す老古錐、七斤衫重し幾人か知る、如今抛擲す西湖の裏、下載清風誰にか付与せん」による禅問答です。
この意味は、万法は一に帰着する、一とは何かといえばで、仏教では「空」、ここでは「一」。趙州は答えて、われ青州に在る時一領の布衫(麻布)を作った、重い事七斤あったと答えている。一とは何処にあると問うのに答える趙州の答えも老古錐のように鋭い。この答えの重さを幾人が知ろうか。それを西湖に投げ捨ててしまった。一切の重荷を下ろしてこの清風を誰に付与しようか。
万法は重いから投げ捨てて初めからやり直すその清い心は素晴らしいよ、とでもいうのでしょう。
この百足伝の歌は、一切の学びを得たものを下して、身軽になって元の初心に帰って学び直す心を歌っているのでしょう。学び直すとは言え全くの空では無く、新しい一からであればクルクル回る円相もスパイラルを描くのかも知れません。終わりなき修行とは進歩するもので、柳生新陰流の円相、習い・稽古・工夫とも通ずるものでしょう。
然し、過去に習った或いは身に付けた、悟ったと云う事の上に重ねながら元に戻って習い稽古工夫するのではなく、総てを無にして初めからやり直してみる。それでなければ元の初心とは言えないでしょう。
せっかく、他流を習うつもりが、自流のやり方を前面に出して己を認めさせようとする人が武術者の中にはなんと多い事でしょう。そんな人の進歩は全く遅く、気が付いた時には幾つも歳を無駄に重ねてしまいます。
千利休宗易の歌に「稽古とは一より習い十を知り十より帰るもとのその一」と云うのがあります。「元のその一」、と「もとの初心」の意味を紐解く時、一とは元の一では無い筈です。「いやいや、何もわからずに始めた事だから、師の教えを理解されないまま抜けたところも沢山ある、再び初心に帰るのだ」と云われても、師も元の師ではありえない、また既に師は他界して居るかも知れません。己も又本の我とは言えないでしょう。然し「万法一に帰す」。
過去の自分に固執する事無く、人の顔色を窺う事も無く「万法一に帰す」で無ければ、悪習を塗り立てるばかりで何が本物かもわからなくなってしまいます。
中川申一先生は、死の間際に「宗家などと云う因習は、僕で最後にしなさい。後は皆で話し合って仲良く。是でお終い。アーメン」と言って息を引き取られたそうです(百足伝を読まれた無名さんからのmailにより2020年4月14日追記)。
此の事をどの様に考えるかは百足伝を読まれた方にお任せする以外に有りません。
無外流の流祖辻月丹が残されたものは「無外流真伝剣法訣」及びその中の「十剣秘訣」であってどこにも居合の形を残されていないのです。
無外流百足伝40首を終ります。
無外流居合は新田宮流から派生した自鏡流の居合とされています、古伝無雙神傳英信流居合兵法とも何処か根底で繋がるものがあるかもしれません。
流派を越えて修行する事が憚られるような雰囲気が漂うのは、本物を求める武術修行には不必要です。自流の他道場への出稽古すら嫌ったり、他派の運剣を学ぶ事すら嫌う、他連盟への介入すら法度にする狭量を聞く時指導者は何を指導して居る事やらと思うばかりです。
他流を知り自流を見直すそんな修行者でありたいものです。たとえ木刀や真剣を携えて学ばず共得られるものは多いものです。
中川申一先生の無外流居合兵道解説には大変多くを教えられました。あえて無外流の先生方の教本や歌の解釈を流用致して居りません。ミツヒラの「思いつくままに」無双直伝英信流と柳生新陰流の教えから百足伝を紐解いて見ました。
お気づきのことがありましたら、ご教授頂ければ幸いです。
無外流「百足伝」を終ります。明日から柳生石舟斎宗厳の兵法百首を学んで見ます。
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