道歌5柳生石舟斎兵法百首

2020年7月26日 (日)

道歌5柳生石舟斎兵法百首参考資料

道歌
5、柳生石舟斎兵法百首参考資料(順不動)

1、柳生石舟斎兵法百首 竹田七郎殿 慶長6年2月吉日
  奈良女子大学術情報センター
2、宗厳(石舟斎)兵法百首 竹田七郎殿 
  慶長6年2月吉日 宝山寺蔵 今村嘉雄著史料柳生新陰流下巻
3、史料柳生新陰流 今村嘉雄著
  心陰流兵法目録事 石舟斎
  心陰流截相口伝書亊 石舟斎
  兵法截相心持の事 柳生宗矩
  玉成集 柳生宗矩
  月之抄 柳生十兵衛
  朏聞集 柳生十兵衛
  武蔵野 柳生十兵衛
  当流の兵法 柳生十兵衛
  柳生新秘抄 
  他
4、正傳新陰流 柳生厳長著
5、剣道八講  柳生厳長著
6、上州剣客列伝 長岡慶之助著
7、肥前武道物語 黒木俊弘著
8、柳生論語(兵法家伝書・不動智神妙録) 岡山研堂著
9、兵法家伝書 柳生宗矩著 渡辺一郎校注
10、不動智神妙録 沢庵著(池田愉訳)
11、柳生新陰流道眼 柳生延春
12、負けない奥義 柳生耕一平厳信著
13、生命知としての場の論理 清水博著
14、一刀流極意 笹森順造著
15、日本剣道史 山田次郎吉著
16、心身修養剣道集義正続 山田次郎吉著
17、剣道の発達 下川潮著
18、日本武芸小伝 綿谷雪著
19、武術叢書 早川順三郎編
20、剣と禅 大森曹玄著
21、柳生新陰流を学ぶ 赤羽根龍夫著
22、柳生の芸能(神戸金七編)赤羽根龍夫・大介校訂
23、柳生の芸能(外伝勢法) 赤羽根龍夫・大介校訂
24、新陰流(疋田伝) 赤羽根龍夫・大介校訂
25、徳川将軍と柳生新陰流 赤羽根龍夫
26、剣の法 前田英樹著
27、一発逆転の武術に学ぶ会話術 多田容子著
28、禅と合気道 鎌田茂雄・清水健一著
29、柳生新陰流極意無刀の伝 村山知義著
30、柳生兵庫助 津本陽著
31、念流の伝統と兵法 樋口一著
32、五輪書 宮本武蔵著 渡辺一郎校注
33、論語 金谷治注
34、論語 吉川幸次郎著
35、品川東海寺所蔵 柳生新陰流兵法覚書
        新陰流兵法心持
        玉成集五ヶの身位の事
36、柳生石舟斎 吉川英治著
37、雑兵物語 金田弘編
38、図巻雑兵物語 監修浅野長武・校注樋口英雄
39、日本武道全集第一巻 編者代表今村嘉雄
40、etc 

 

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道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の奥書

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の奥書

兵法百首 奥書
奥書は今村嘉雄著史料柳生新陰流の原本の写真は途中が抜けていますので、奈良女子大学学術情報センターによる兵法百首を原本として、今村嘉雄著史料柳生新陰流「宗厳(石舟斎)兵法百首(慶長六年二月吉日 宝山寺蔵9)」の読み下しを参考に締めさせていただきます。

「ある夕暮のつれづれに、大和国躰其歴々たづぬるに、年寄死去し或はいづくとも行かたしらずなり、其内の者どもさすが手柄よう人とある者どもも、かひなく成はて、まことにうへにのぞみ、乞食などの風情になるまま、宗厳も入道して法名をそうごん斎名をば石舟斎と云、六十余、いくほどなき露命とありながら、浮世をわたりかね、年にも似合ざる兵法をつかひ、朝夕を且々つづけ侍る事もほいならず。しかはあれど、道をたて兵法の師と号し修行する輩、其流稽古をもきはめず、手柄だての口上にほこり、仕合をし、うたれ、一流の師に科をきず、宗厳年月笑止に存ずるのみ、詞もつづかざるかたはらいたき兵法百首、狂歌をつらね侍る也。第一、石舟斎子供幷極意をお目に懸け弟子衆は此の狂歌を相忘れてならず、御分別御工夫尤候たるべく候也。 
 言のはの 露も続かぬ 口すさび 残らん跡の 名のはぢぞうき

 竹田七郎殿 参       
 柳生宗厳(花押・印)
 慶長六年二月吉日  」

*
 ある日の夕暮れの徒然に、大和の国体に昔からの名家の方々を訪ねたが、年寄りは死去し、或いは何処ともなく行方が分からなくなり、その家の者達は、甲斐性もなく成り果てて、まことに飢えに苦しみ、乞食などの様になりはてている。
 宗厳も入道となって法名を重々しく斎名を石舟斎と云う。六十歳余り幾ほども無い露ほどの儚い命でありながら浮世を渡りかねて、歳にも似合わないのに兵法を使い、朝夕を唯々続けている事も本意ではない。
 然しながら、道を立て兵法の師と呼ばれ修行する輩、其の流の稽古も極めず。誉められた事に誇り、試合をし、打たれ、其の流の師に過ちをとがめられることも無く、宗厳はいつも困った事だと思っている。
 いうべき言葉も続かない片腹痛き兵法百首の狂歌を連ねるものである。第一に石舟斎の子供や極意をお目に懸けた弟子衆は、此の狂歌を忘れてはならず、歌の心を分別し工夫することが大切である。
 言葉の露ほども続かずに口ずさんだ兵法百首、心に残る事も無いのでは、我が名の恥であると憂えるものである。

 竹田七郎殿 参る
 柳生宗厳(花押 印)
 慶長六年1601年二月吉日

 石舟斎直々の手解きを受けた当時の弟子は兎も角、400年以上前の言葉で歌われた歌も、新陰流の勢法も朧に棒振りばかりを稽古してあるべき姿も知らないミツヒラには、口ずさんだ歌と云われても読み解くのは一苦労です。
 手元に多くの新陰流の資料は揃っていても、総て読んでいたわけでも、まして理解していたとも言えません。
 今村嘉雄先生の読み下しと我が読みを並べ、時には歌の文字だけ五七五七七と三十一文字を打ち込んだまま頭を抱えているばかりでした。木刀を持ち出し勢法の一人稽古をしてふと気づく事もあり、何か昔読んだ本にあった事など思い出して見たりもしました。
 しかし、読み終えて見れば棒振り稽古に明け暮れていた日々から、コロナウイルス騒ぎでステイホームを求められ、稽古にも通えず却って新陰流の伝書をまともに読む機会に恵まれ少しは前に進めたかもしれません。
 無双直伝英信流居合兵法の古伝無雙神傳英信流居合兵法の神傳流秘書を読み解く際、最も思想的にも術理にも当時のままの古流剣術を求めて柳生新陰流春風館関東支部に入門し、この兵法百首を読み終えて、新陰流の影が色濃く残る古伝の居合をより理解し得た気がしています。

 2019年11月から道歌として兵法歌を続け読みして来ました。次回から卜伝百首に取り組んでみます。2020年11月まで懸りますので、この一年は歌ばかりです。
 
 

 

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2020年7月25日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の102浮かまざる兵法故に石の舟

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の102浮かまざる兵法故に石の舟

兵法百首
う可満佐留兵法ゆへ尓石乃舟
      くちぬうき名也春衛尓のこさん

浮かまざる兵法ゆへに石の舟
      くちぬうき名やすえにのこさん

浮かまざる兵法故に石の舟
      朽ちぬ浮名や末に残さん

 浮かぶ事のない兵法だけれど、石の舟は朽ちる事の無い浮名を将来に遺して置こう。

 石舟斎の兵法百首の最後の歌です。百首と云いながら102首数えられました。四十首から四十九首までが「是より卜清十首」という事で他人の歌が入ったのか百首を越えました。

 この句は、石舟斎だから石の舟なので、兵法によってだけでは世に出て浮かぶ事はないだろう、しかし石の舟だから朽ちる事はない、浮名を将来に残して置くぞ。
 相変わらず「世を渡る業の無き故兵法を隠れ家とのみ頼む身ぞ憂き」と憂いた状況を笑い飛ばしているのか居ないのか。新陰流兵法で徳川政権の思想を支えて来た自負は有っても、縁の下である事は変わらない。
 柳生家は、戦国時代末期に徳川家康に仕えて家康が天下を取ることによって一万石を越える大名になったわけです。この時代は秀吉を筆頭に天下を取る事は誰でもチャンスと才能を得られれば可能であったかもしれない、そんな噂は京に近ければ近い程聞えて来たのでしょう。
 石舟斎の環境からは、武将として世に出る事はかなわず、秀吉の検地によって領地を取り上げられ貧困にさいなまれるほどの苦渋を味わってもいます。
 上泉伊勢守との出会いによって、上泉伊勢守の悲惨な半生と武田信玄の誘いを断った心情も理解していたとしても、捨て去れなかった夢の人生だったのかも知れません。
 その上、織田信長の足軽などによる集団戦術戦法の変革、鉄砲導入によって刀による戦いは功を得られない時代になって行った、戦国時代末期の状況が重なります。
 
 石舟斎の兵法百首は2020年3月21日に読み解き終わっています。
 多少なりとも柳生新陰流を学んだお陰で全くの白紙では無かった為に、石舟斎の歌心を読み取れたかはどうでも、ミツヒラの「思いつくままに」誰のアドバイスも頂かないままに読み終えてしまいました。
 歌は、読んで自分の思った様に理解すればよいので、誰かの教えを習い覚えて「読めた」を繰返したのでは「読めた」になりそうも有りません。
 石舟斎の兵法百首について「無刀の伝」の著者村山知義氏は、「宗厳も当時の兵法家の常として、文字のたしなみなく、この「兵法百首」は歌になっていないものが大半だが、いま私が首をひねって見ても、意味のつかめぬものがたくさんあるのには困ってしまう・・」と愚痴っています。その反面塚原卜伝の「卜伝百首」は「少なくとも卜伝のは意味のつかめないものはない」としています。私は卜伝百首にはホトホト困惑させられていました。石舟斎兵法百首の次はこの「卜伝百首」に取りくみます。そして再び「柳生新陰流」に戻ってきます。
 しばらくは「無双直伝英信流」の古伝「無雙神傳英信流居合兵法」から離れます。
 今後再び読み返す時に新たな思いがあって、今回の読み直しをしなければ我慢出来ない事がきっと来るはずです。その時前の解釈を覆せればそれだけ石舟斎の心に近づくことが出来たと思えればうれしいものです。

 

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2020年7月24日 (金)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の101兵法の上手は道理正しくて

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の101兵法の上手は道理正しくて

兵法百首
兵法の上手ハ多う里たゝしくて
     目徒希さぞ〵奈り也春紀也う

兵法の上手はたうりただしくて
     目つけさぞさぞなりやすきやう

兵法の上手は道理正しくて
     目付さぞさぞなりやすきよう

 兵法の上手な人は、物事のそうあるべき事を正しく見極めるので、目付はさぞや容易く出来るであろう。

「道理」とは、物事のそうであるべき理義・すじみち・ことわり。人の行うべき正しい道・道義。 

 石舟斎の目付については新陰流截相口伝書亊では、いくつか示されています。
 三見大事で「太刀さきの事・敵之拳の事・敵之顔之事」。
 目付二星之事で「敵の目」。
 嶺谷之事、付三寸二つ之事、十文字「腕のかがみ嶺は右、谷は左」・「味方の拳」・「十文字勝」。
 遠山之事で「敵の肩を見る事」。
 太刀間三尺之事で「無刀の時の間合い」。
 二目遣之事で「盗み目」。
 目付けが正しくできる事によって敵の働きをを知ることが出来る、「色に付け色に随う事」も可能になるわけでしょう。

 これらの歌を読んでいますと、普段の稽古のありようを見直してみるべきだろうと思います。大抵は今日は燕飛を稽古しよう、三学円太刀だと、木刀を持ってただ決められた形をなぞって何度も練習を繰り返す、袋竹刀を持ち小手を着けて打ち合う。
 確かに順番通りの形は出来ている様ですが、目付もいい加減、間合いもいい加減、何も出来ていないのです。新陰流の数ある勢法の棒振り体操を繰返して居ても健康には良いのでしょうが、疑問です。
 今日は目付、次回はこれこれと目的を以て稽古すべきなのでしょう。そしてその事の道理を味わいつつ稽古すべきなのでしょう。
 面白い人が居ます、自分の打ち間の感覚と仕太刀が外れていると、「間が近すぎる」「間が遠い」と打太刀が仕太刀の立ち位置をとやかく言って居ます。
 仕太刀が何処に立って居ようとも自分で自分の打ち間に近寄るか、離れるかは足踏み一つで決まってしまうのに、相手は斬られる位置にいつもいる訳は無いのです。
 そうかと思うと、三学円太刀で仕太刀で左肩を相手に差し出し、打って来ればと待つのですが、打ち込んできた袋竹刀の切先は我が左肩にどう見ても届かない、右足を踏み込んで小手を打ったら「形が違う」だそうです。左肩に当たらないのですから知らん顔して置けばよかったのでしょう。
 
 

 

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2020年7月23日 (木)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の100常々に五常の心無き人に

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の100常々に五常の心無き人に

兵法百首
徒年〵尓五常能心奈紀人尓
     家法の兵法允可ゆる寸奈

つねづねに五常の心なき人に
     家法の兵法允可ゆるすな

常々に五常の心無き人に
     家法の兵法允可許すな

 常日頃五常の心を持たない人に、家法である兵法の允可を許すな

 原本では允可の文字の草書体を使用しています。今村嘉雄著史料柳生新陰流では印可と読まれていますが印のくずし字とは思えません。但し新陰流の相伝には印可の文字を主に使用していますので意味は同じとしていいでしょう。

 允可とは、聞きとどけること、許可。
 印可とは、印信許可の略〔仏〕師僧が弟子に悟道の熟達を証明すること・允許。芸道の許し・允許。

 「五常」とは、儒教で、人の常に守るべき五つの道徳。
 白虎通では、仁義礼智信。
 孟子では、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。
 書経瞬典では、父は義、母は親、弟は恭、子は孝

 前回月22日99回では「五常」は仁義礼智信を歌に詠み込み「兵法の極意に仁義礼智信たへず嗜み気遣いをせよ」と歌っています。従って此処での五常は仁義礼智信を、常々心がける人に家法の兵法の允可を与えると読み解きます。

 五常の仁義礼智信の意味
 仁:人を思いやること。
 義:利欲にとらわれず、なすべき事をすること、正義。
 礼:仁を具体的に行動として表したもの。
 智:道理を能く知り得ている人。知識豊富な人。
 信:友情に厚く言明をたがえないこと。真実を告げること。約束を守ること。誠実であること。

 戦後の教育では五常については勉強する事も無かったと思います。仁義礼智信の意味を知れば、素晴らしい教えですが孟子や書経ではこれでいいのかと考えさせられる筈です。為政者によって人を思い通りに動かす思想とも思われ、本当に人が望む事であるかどうか、言いなりに生きるのは楽かもしれませんが本来の人の心とは言えないでしょう。
 石舟斎の時代に仁義礼智信をどの様に考えられていたか、石舟斎はどう思って行動していたか定かではありませんが、柳生宗矩の兵法家伝書や柳生兵庫助の始終不捨書、柳生十兵衛の月之抄などから家族の一端や思想は見えてはいるのでしょうが、名を成して生き残る厳しさの方が目に付いてしまいます。
 

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2020年7月22日 (水)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の99兵法の極意に仁義礼知信

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の99兵法の極意に仁義礼知信

兵法百首
兵法乃極意尓仁義礼知信
      多え須多し奈ミ機遣をせ与

兵法の極意に仁義礼知信
      たえずたしなみきつかいをせよ

兵法の極意に仁義礼智信
      絶えず嗜み気遣いをせよ

 兵法の極意には儒教の云う仁義礼智信(人を思いやり、私欲に捉われず成すべき事を為し、礼を重んじ、ものの道理をも弁え、友情に厚く誠実である事)を絶えず心がけ心遣いする事である。
 兵法百首の原本写真では仁義礼知信ですが多くは信義礼智信で知は智を用いています。
   知は、知ること。さとること。しりあい。つかさどること。ちえ。智。
 智は、ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。ちえ。知能。賢いこと。はかりごと。是非正邪を弁別断定し煩悩を絶滅する精神作用。(広辞苑より)

 すでに兵法百首には孔子の学而編から「温良恭儉譲(おんりょうきょうけんじょう)は新陰の兵法の法度極意なりけり」と極意を歌い上げています。此処では兵法の極意として儒教の五常「仁義礼智信」を上げているわけです。新陰流としては兵法の極意で常に嗜むものは仁義礼智信と新陰流の侵してはならない法度に温良恭儉譲が示されています。
 何れも現代にも当たり前として持つべきもの、守るべきもの、と云えるでしょう。然し封建時代の考え方として下位の者に、我慢を強いる様に押付て来るような事も見られ、それは現代にも引き継がれている感もあって、人類あまねく分け隔てなく、仁義礼智信であり温良恭儉譲でありたいものです。

 「仁義礼知信」とは儒教の五常又は五徳
 「仁」:人を思いやる事
 「義」:利欲にとらわれず、なすべき事をする事。正義。
 「礼」:仁を具体的に行動して表したもの。
 「智」:道理を能く知り得ている人。知識豊富な人。
 「信」:友情に厚く言明をたがえないこと。真実を告げる事、約束を守る事。誠実である事。
 
 「嗜」とは、好んである事に心をうちこむ・精出しておこなう。常に心がける・常に用意する。心をつけて見苦しくないようにする・取り乱さない。つつしむ・遠慮する・がまんする。
 「気遣い」とは、あれこれと心をつかうこと・心づかい・気がかり・心配。

 温良恭儉譲とは、温(おだやか)で良(すなお)で恭(うやうやしく)して儉(つつましく)して譲(へりくだり)であること。
 7月14日No91「温良恭儉譲は新陰の兵法の法度極意なりけり」と歌っています。

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2020年7月21日 (火)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の98兵法師仁に心のなかりせば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の98兵法師仁に

兵法百首
兵法師仁尓心の奈可り世は
     くらゐ上手能可ひハあらし奈

兵法師仁に心のなかりせは
     くらい上手のかひはあらしな

兵法師仁に心の無かりせば
     位上手の甲斐は有らじな

 兵法師に慈愛の心が無いのならば、上手の地位にあってもその甲斐は無いものだ。

 「師」とは、学問・技芸を教授する人・師匠・先生。僧侶、伝道者など宗教上の指導者。専門の技術を職業とする者。軍隊・いくさ。僧侶や講談師などの名に添えて敬意を表す。
 「仁」とは、孔子の教えを一貫している政治上・倫理上の理想。博愛をその内容とし、一切の諸徳を統べる主徳。天道が発現して仁となり、これを実戦すると人事・万物すべて調和・発展すると説く。愛情を他に及ぼすこと・いつくしみ・おもいやり・博愛・慈愛。ひと・人物。(広辞苑より)

 兵法を指導する者に慈愛の心が無いのならば、業技法の上手であっても意味の無い事である。兵法を何の為に修行するのかが解っていないのに、技術が上手、試合はいつも勝ってばかりいる。
 そんな人はチョット見渡せばすぐ目に付くものです。それは強いという本人の認識や周囲の声が為せるもので、自己以外は見下しているものです。武術はコミュニケーションの最終手段に用いるものと極端な事を云った人が居ます。それはそれで正しいのですが、其の前に、どれだけ相手を理解し、互に和せるものを見出す心と行動は武術の修行から培えるものとも思えます。 兵法の行使で解決を図るのでは「仁」者とは言えないのです。
 石舟斎の兵法の思いは、「和」する心、人に対する思いやりの心を持った継承者を求めているのでしょう。 

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2020年7月20日 (月)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の97兵法の弟子を仕立てぬ師にあらば

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の97兵法の弟子を仕立てぬ師にあらば

兵法百首
兵法の弟子を志多てぬ師尓あらハ
       花実を可祢ぬ上手成介り

兵法の弟子をしたてぬ師にあらは
       花実をかねぬ上手成けり

兵法の弟子を仕立てぬ師にあらば
      花実を兼ねぬ上手成けり

 兵法の弟子を育てる事をしない師であるならば、花ばなしい兵法と実のある兵法を兼ねる様な事の無い上手であろう。

 直訳すればこの様になります。
「花実を兼ねぬ」の解釈を、花とは、美しい・華々しい。上辺だけで真実味が乏しい。
 実とは、中身・内容のある事。まごころ。

 「弟子」とは、師に従って教えを受ける人・教え子・門人。
 「仕立てる」とは、「仕立つ」、こしらえる。布帛を縫って着物を縫う。教えこむ・しこむ・育てあげる。

 この歌の歌心は、石舟斎はどの様に解釈すれば「よし」とするのでしょう。
「弟子を人の師になれるように育てられない様な者は、上手であっても師とは言えない」とでも解釈すべきものなのでしょうか。やはりこの歌は「弟子を育てようとしない師であるならば、大勢の弟子を持ち上辺の華やかさを良しとしない真実の上手であろう」と歌心を読んで見たいものです。その様な師に出合えた上弟子は、上辺の花実に捉われない自ら兵法の真髄に向かって修行する真実の人であってほしいものです。

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2020年7月19日 (日)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の96兵法の争い位は小太刀にて

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の96兵法の争い位は小太刀にて

兵法百首
兵法のあらそひ位ハ小太刀尓天
       多可ひの弟子をせひしくらへよ

兵法のあらそい位は小太刀にて
       たがいの弟子をぜひしくらべよ

兵法の争い位は小太刀にて
       互いの弟子を是非し比べよ

 兵法の優劣の位は、小太刀の勝負を互いの弟子に打たせてその是非を比べればわかる。

 「是非」とは、是と非と・道理のあると道理のないと・よいこととよくないこと・よしあし・正邪。よしあしの判断・品評。

 柳生宗冬の兵法物語に「長きに短きにて、短きは習いも多し。昔より一寸おとりて勝を上手と申しならわし候。長き物にて必ず勝つ習い知らざるもの也。長き物にてはそばへよせず。長き程ひかえて、あさく勝心持、これ長き物にてかならず勝習也」

 石舟斎の新陰流截相口伝書亊に「小太刀一尺五寸迦(はずし)の事」が記載され口伝となっています。柳生延春著柳生新陰流道眼には解りやすい解説がありますがここでは柳生十兵衛三厳の月之抄より引用します。資料は今村嘉雄著「史料柳生新陰流」より。
 「小太刀一尺五寸之はづしの事 老父云、当流の小太刀は、三尺の刀を半分にして一尺五寸の小太刀也。此の小太刀三尺の刀と同し様に成所を云。我身左右の肩先一尺五寸のはじと定る也。切るに随いて其身をはずせば小太刀敵の首へあたるものなり。三尺の太刀も同事なり。九尺柄の鑓も三尺の刀とひとしくなる心持なり。此心持を以て兵法遣い候へば、小太刀にても勝と云う心持を専とするなり。
 亡父の録に小太刀一尺五寸かくし事、付り替り身の事と書せる。又云、替り身とは、左を出して右を替り、右を出して左へ替る心持なり。太刀にてはづしと云は、其太刀ほどのはづしの心持なり、手にてはづすも其手ほどのはづしの心持なり。・・」

 この歌による小太刀の勝負は、太刀と小太刀の相互入れ替え、小太刀同志などを演じればその是非は読み取れそうです。石舟斎の新陰流截相口伝書事を充分理解し稽古した者がこれで演じるもので、小太刀同志で打ち合いのはずみで勝負あったなどと云う物とは程遠い、一瞬の勝負と成るでしょう。

 

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2020年7月18日 (土)

道歌5柳生石舟斎宗厳兵法百首5の95世を保ち国の護りと成る人の

道歌
5、柳生石舟斎宗厳兵法百首
5の95世を保ち国の護りと成るひとの

兵法百首
世を多もち國乃未も里と成人の
       こゝろ尓兵法徒可ハぬハ奈し

世をたもち国のまもりと成る人の
       こころ尓兵法つかはぬはなし

世を保ち国の護りと成る人の
       心に兵法使わぬは無し

 世の中の平和を保ち、国を護る人は、心に兵法の極意を以て政治を執り行うのである。

 この、世を保ち国を護る人を、石舟斎は徳川家康を指して歌っているのでしょう。「鳴かざれば鳴くまで待とうホトトギス」と歌われ、石田三成を大阪城から関ケ原におびき出した家康の戦法は、上杉征伐とばかりに会津を目指し、江戸を留守にして居ます。取って返す素早さはまさに、新陰流の極意です。
 石舟斎は宗矩を伴い文禄3年1594年に家康に京都で謁見しています。その際新陰流の兵法の思想を示したのでしょう。
 家康に仕官を求められて宗矩を託して柳生の庄へ戻っています。石舟斎68歳、宗矩24歳、家康51歳のころであったでしょう。其の6年後慶長5年1600年に関ケ原の戦い、其の出会いの後9年後慶長8年1603年に家康は征夷大将軍となっています。武術哲学にはその人の生い立ちや、人生経験からくる学びが根底にある筈です。家康の戦法には嵩に懸かる殺人剣ではなく活人剣に依る新陰流の懸待表裏の思想が脈打っていたのかも知れません。 

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