道歌6卜伝百首

2020年11月 7日 (土)

道歌6塚原卜伝百首4参考資料

道歌
6、塚原卜伝百首
4参考資料

 卜伝百首の参考資料
1、卜伝百首 藤原祐持写 弘前市立図書館
2、卜伝百首 田代源正容 綿谷雪解説
3、図説・古武道史 綿谷雪著
4、日本武道全集 日本剣術史第2巻 編者代表今村嘉雄
5、茨城の武芸剣の巻 茨城県剣友会編
6、武士マニュアル 氏家幹人著
7、上泉信綱伝新陰流軍学訓閲集 赤羽根龍夫・大介 解説校訂
8、不動智神妙録 沢庵
9、武術叢書 早川順三郎編
10、甲陽軍鑑第40下 磯貝正義・服部治則 校注
11、北條五代記 関東史料研究会発行
12、葉隠 山本常朝
13、武道初心集 大道寺友山
14、肥前武道物語 黒木俊弘
15、五輪書 宮本武蔵 
15、兵法家伝書 柳生但馬守宗矩
16、平家物語
17、太平記 神田本
18、孫子
19、図巻 雑兵物語 浅野長武監修・樋口秀雄校注
20、雑兵物語 金田弘
21、日本の弓術 オイゲン・ヘリケル
22、日本刀辞典 得能一男
23、刀剣全書 清水橘村編
24、塚原卜伝 大日本雄弁会講談者編著
25、塚原卜伝 中山義秀著
26、天真正伝香取神道流平法 大竹利典
27、天真正伝香取神刀流 椎木宗道 

| | コメント (0)

2020年11月 6日 (金)

道歌6塚原卜伝百首3伴信友後書

道歌
6、塚原卜伝百首
3伴信友後書

文政4年(1822年)巳年3月17日於官局写之
私云歌在九十七首 脱三首與(?) 他日加一校了
伴 信友
 
 常陸国鹿島宮の人北条時▢云、鹿島神宮に伝来の剣法あり、もとは上古流といひ、中頃一変して中古流といひ、更に変じて新当流といへり(いと古くは鹿島の太刀とのみ言ひ習へり、新当といへるは上古、中古二流に、新意を加へたる故なりとも、塚原卜伝神託の内、新当の義あるをもて名付たりともいひ伝ふ)当流起源伝國摩真人(天児屋根命十代孫、國摩大鹿嶋命之後世)常願表霊験之妙理作之法、伝後世、於高天原(私云、常陸の地名也)築神壇拝祷数年、蒙神聖之教、悟得神妙剣一術、是日本兵法之元祖、立規法之本源也と云々、この剣法、今宮人の座主吉川氏、大祝部松岡氏等の二家に存す、此剣法の達人古よりあまたありしが中に、鹿島塚原村の産に塚原土佐守高幹、後に卜伝といへるは中興の上手にて、世に武名を震へり(塚原幹安が子なり、元亀2年(1571年)11月卒、葬干須賀村梅光寺)、千日の間神宮に参拝して神感を蒙り、、一つ太刀の妙術を発揮せり、又其頃香取飯篠村の産飯篠山城守家直入道長威入道(長享2年(1488年)4月15日卒)と云るは、香取の新宮に千日祈請して夢中に神伝を得て、鎗長刀の術の精妙を悟れり、かくて卜伝は一つ太刀の秘術を長威に授け、長威は鎗長刀の妙業を卜伝に伝へたり(卜伝延徳元年1489年生まれと云う卜伝誕生の前年長威は没しています。ミツヒラ記)、さて卜伝諸国を修業して京へ上り、義輝、義昭両将軍に一つ太刀を伝へ、伊勢に遊びて北畠具教、甲斐に至りて武田晴信等に遇て秘術を説き示し、武田家の諸士あまた信服す、中にも山本勘助晴幸其術をよく得たり、其後郷里に帰りて門人ますます進む、中にも傑出の輩は鹿島の大祝松岡兵庫助則方、江戸﨑の浪士師岡一羽、真壁城主真壁安芸守入道々無、同所の郷士斎藤判官入道伝鬼等也(伝鬼後に一流をなして天流と称す)兵庫助則方は東照宮に一つ太刀の妙術を伝へ奉りけるが、御感ありて御染筆を賜へり(卜伝の子、小才治と云へるは豊臣秀吉公また加藤清正に剣法を伝へたり)又長威の門人の中にては松本備前守政信(鹿嶋氏の被官四天王の一人也)ことに秀たり、これは十文字の鎌鎗をも発明して、毎度戦場のほまれあり、有馬流の祖大和守幹信(鹿嶋氏の家人なり)新陰流の祖上泉伊賀守秀綱は政信の門人也、鹿島瑞験記に意文中、座主吉川直常、下総國神代村なる年来の弟子に剣法の奥義を伝授せる時、その内一人俄に狂乱しけるが、夢に汝触穢の障あるによりて此たびは相伝なりがたきよし神託ありし趣を記せり、
 同年10月29日書加え  信友
松本貞徳恩記に細川幽斎主の事をいへる条に、兵法は卜伝に一つ太刀まで御きはめ有し、此卜伝は何事にても人の芸能のいたりがほをするを見ては、いまだ手をつかで申といひきと追う仰られき(幽斎主の話なり)武具要説にも卜伝の事見へたり、
 信友再記


 塚原卜伝については江戸時代になってから「本朝武芸小伝」、「武芸流祖録」、「撃剣叢談」などにその由来を述べられていますが、どれも似たようなもので卜伝の影がおぼろに見える程度のものと思います。
 信友の後書にしても同様で、これを解説して見ても卜伝にたどり着く前に史実とのギャップを覚え、読んだだけで終わりとします。

 

 

| | コメント (0)

2020年11月 5日 (木)

道歌6塚原卜伝百首2田代源正容写序

道歌
6、塚原卜伝百首
2田代源正容写序

卜伝百首 天文永禄頃の人也(天文1532~1555年 永禄1588~1570年) 

 山城や船岡山のあたり此者のかたはらに、沢の庵となん云て墨には名のみそめて、心は露も清からぬあだ法師有けり。上衣を紫とかへ、今しも心あるさまにはもてきぬれども、猶よの貪りや深かりけん。
 本より住はつべき舎るあらぬ栖を追出せられて、是やこの逢坂の関を越えて東路の果て陸奥へおしやられ二度故郷は見るべくもあらざりしに、いかなる事にかわりきぬ。又なん九重の空に帰越(きえつ)る事になりて、其のかへるさに武蔵野や川越近き処に相知れる人有て年たけく又逢へるも思はねば、立ち寄りて一夜のやどりをもせよと聞へければ、色香をも知らず、知らるゝ中なるに黙止も如何かと思いいざない行しに、我が左遷の事ども語り語らいて後、主一つの巻物を取出してなん。
 過し世に塚原氏の入道卜伝とて、其心猛く其名高く其態百千万人に越、やんごとなき首(百の誤字か)の言葉なり。
 しか有れども是にしも序の文なく、見る度に遺恨なれ。
 願わくば一筆を染めよかし、良ければ知らばこそ、記さめ。
 知らざるに記さんはよしなしと、否いしかど赦さざりしかば遁れがたく、披き見るに武士の二つの道より始めて鋒剣の数品をかく、終には迷いの世をも離れぬべく尊き事を記せしにより、みるみる須臾まとめて思うに、人かわり、言かわり、所替り、能替れども、雨霰氷の異なるにしていづれか本の水ならぬはなし。
 此の言の葉、此の道によらん人、見よ、聞け、孰(いずれ)か愚かならん。
 仰(あたかも)鑚(きる)も及ばざるのみ。茲に教る事の高き比べれば、山猶ひくき。是に顕れるをの深きに比ぶれば、海猶あさし。
 又是を知る事の敵に比すれば石猶柔かし、弓挽(ひき)矢を放ち、鞭を揚げ、馬を勇め、鎧を着、鋒を携、名を揚、家を興す、人として是を見、是を聞、是を知り、是を覚えざらんは拙事にあらずや。
 百代をも経、千年をも過せ。此の道により此の記を得んは、目闇き亀の浮木にあへるに等しからんかも。

 磯際に書きあつめたる藻塩草
       根ざし無ければよしなかりけり

 これは卜伝百首の序で、沢庵和尚が陸奥へ左遷される際、立ち寄った坂東の川越辺りの知人から頼まれて書いた序文と云います。卜伝を知らないので序文は書けないと言って断ったが、強く頼まれ、其の卜伝百首に目を通し、此の道にあるならば見よ、聞け、人としても是を見、聞き、知り、是を覚えない様では劣ることになろう、とほめちぎっています。

 卜伝百首の成立は定かではありませんが、第三回廻国修行の後国へ戻って没したのが元亀2年1571年になります。最終のまとめは此の年としてみればいいでしょう。
 沢庵は天正元年1573年但馬で生を受け、57歳の時寛永7年1630年徳川幕府と対立し仏法の自立性・自主性を主張した罪(紫衣事件)によって今の山形県上山に流された。寛永9年1632年大赦により許され寛永11年1634年に徳川家光に会っています。
 この序文の内容が正しければ、序文は1630年に坂東を通過する際に書かれたものと云えるでしょう。卜伝の死から59年の歳月が過ぎています。

 この序文は、綿谷雪著卜伝百首 天保10年1839年田代源正容の写本の序文で写本のオフセット版から原文を読み下し文にしています。

 次回は伴信友による後書きを綿谷雪著卜伝百首より読み下し文を書き込んでおきます。

 

| | コメント (0)

2020年11月 4日 (水)

道歌6塚原卜伝百首1祐持写の序

道歌
6、塚原卜伝百首
1祐持写の序


1、苦は楽の種楽は苦の種と知るべし
1、主人と親とは無理なるものと思へ下人をば足らぬものと知るべし
1、掟に恐(おじ)よ火に恐(おじ)よ分別なきものにおじよ恩を忘るゝ事なかれ
1、欲と色と酒とは敵としるべし
1、朝寝すべからず咄(はなし)の長座すべからず
1、小なる事を分別せよ大なる事は驚くべからず
1、九分に足らず十分はこぼるゝと知べし
1、分別は堪忍に有と知るべし

 慶応二丙とら年 卜伝百首 八月 祐持写之
 奥書は 卜伝百首 祐持写之 藤原祐持所持

 冒頭に掲げられている「敬」八項目は元禄11年1698年水戸黄門光圀によって書かれたもので「敬 水戸黄門光圀卿九ヶ條禁書」から引用されたと思われます。

 九項目の内、三項目目にあった事項が抜けています・
「1、子ほどに親を思へ子なきものは身に比べおき手本とすべし」

 卜伝百首の参考文献は弘前図書館所蔵のもので弘前新町の岩見氏が所蔵していたものだろうと推測しますが、書写した藤原祐持についてはどのような人であったか解りません。 
 藤原祐持が何時卜伝百首を書き写したのかは、慶応二年丙寅年8月ですから明治維新の一年前1867年という事になります。藤原祐持が書き写した原本はどのようなものであったか記述がありませんから不明です。
 
 別本としたのは元亀2年1571年冬加藤相模守藤原信俊が写之とした卜伝百首を参考にしています。今村嘉雄編者代表「日本武道全集第二巻」より。元亀2年1571年は卜伝が第三回廻国修行から戻り此の年亡くなっています。
 
 今一つの別伝は綿谷雪先生がオフセット版にして出された 「天保10年1839年 己亥仲春 写之田代源正容」によるものです。いずれにしても原本とは言えませんが卜伝の思いを伝えていることには変わりはないだろうと思います。

| | コメント (0)

2020年11月 3日 (火)

道歌6塚原卜伝百首6の95学びぬる心に態(わざ)の迷いてや

道歌
6、塚原卜伝百首
6の95学びぬる心に態(わざ)の迷いてや

学びぬる心に態(わざ)の迷いてや
      態(わざ)に心の又迷うらん

 此処まで学んで来た態(わざ)に更に迷っている、その迷う態(わざ)に心がまた迷うとは。

 態をわざと読ませています。わざの漢字は業・技・伎・和座・和座・和座・倆・態・芸・蓺
 「態」の意味は、すがた、かたち、ありさま、ようす、姿態、形態、状態。
 「業・技」の意味は、すること、しわざ、おこない。つとめとしてすること、しごと、職業。しかた、方法、技術、芸。こと、有様、次第。武道・相撲等で相手に仕掛ける一定の型の動作。(広辞苑より)
 卜伝が敢えて「態(わざ)」と書いた意図が読める様な気がします。「わざ」と読むと「業」をイメージすると、一定の「かたち」に収めたものが浮かんでしまうのは、多くの武術書が「業」の文字によって「形」を述べているからなのでしょう。広辞苑の解説も「一定の型」とされています。
 そうであれば「態」は固定したものでは無く、状況次第で「わざがうごく」事を思いえがきます。そしてそれは心も「無」であって無ではない事を意味する様です。

 此処までほぼ一年をかけて、多くの兵法歌を読んできました。卜伝百首はこの歌を最後の歌にしています。別伝では96首、或いは97首ともある様ですが、どれも原本ではないので文言に多少の違いが有っても似たようなものでしょう。歌の順番の狂いもさして気にならず略どれも同じような順序になっています。
 卜伝百首は卜伝の詠んだ歌か否かの議論もある様ですが、卜伝の逸話や史実でとやかく云うのはすべき事では無く、卜伝の兵法に有る筈です。しかしその兵法は歌から垣間見ることすらできません。

 卜伝百首を読み終えて、ふと思った事は、日本の武術は平安時代あたりから営々と受け継がれ、時代の要請によって進化しつつ、その役割を全うして来たことでした。特に室町中期からの卜伝の考え方が卜伝百首に収められ、その極みは新陰流として上泉伊勢守信綱に移り、柳生新陰流に転移し、一刀流や無雙神傳英信流居合道や無外流、田宮流に影響していることを強く感じています。

 奥伝百首の序文と後書きを原文のまま、次回以降に投稿して卜伝百首を終ります。

| | コメント (0)

2020年11月 2日 (月)

道歌6塚原卜伝百首6の94もののふは生死二つを

道歌
6、塚原卜伝百首
6の94もののふは生死二つを

もののふは生死二つを打ち捨てて
       進む心にしく事はなし

 武士は生きるも死ぬもそのどちらも打ち捨てて事に向かって進む心に、及ぶ事はない。

 武士道は死ぬ事とか、死んだ気になってとか、死を連発して如何にもと見せている姿勢に、生への執着も潔い死も打ち捨てろ、無になる心に及ぶ事は無いと歌っています。

 この歌に至るまでに「心」について卜伝は七首を以てこんな風にうたっていました。
・88 武士の如何に心の猛くとも
          知らぬ事には不覚あるべし
・89 もののふの心に懸けて知るべきは
          勝った勝たれぬの敵の色あい
・90 もののふの心の内に死の一つ
          忘れざりせば不覚あらじな
・91 もののふの学ぶ教えはおしなべて
          その究みには死の一つなり
・92 もののふの迷う処は何ならむ
          生きぬ生きぬの一つなりけり
・93 もののふの心の鏡曇らずは
          立逢う敵を写し知るべし
・94 もののふは生死二つを打ち捨てて
          進む心にしく事はなし  
 
 此の心持ちの歌を続け読みして、最後に至るのは生死を思わず「無心」になる事で、武士が事に臨む際の心に至ったのでしょう。強く逞しく誰にも負けなかった若き日の卜伝が自らの兵法修行で辿り着いた心なのかも知れません。
 そんな事を思いつつ卜伝百首を読み進んで来て、山本常朝の葉隠れにしても、大道寺友山の武道初心集にしても、新渡戸稲造の武士道にしても、卜伝が辿り着いた「もののふの生死二つを打ち捨てて進む心にしく事は無し」の兵法の悟りの途中にある様な気がしてなりません。

 「お前ね~それは単に戦いに臨んでの心を、卜伝は歌っているんだ、常朝の葉隠れは違うよ、もっと次元の高いことを言っているんだ。解らんかね。」

 扨、どこが違うと云うのでしょう。
 生を得て生きている限りは生き抜く心掛けが無ければ、と卜伝は言っているのであって。
 いつでも死ねるいつでも死んでもいいなどと云う心掛けとは明らかに違います。

| | コメント (0)

2020年11月 1日 (日)

道歌6塚原卜伝百首6の93もののふの心の鏡

道歌
6、塚原卜伝百首
6の93もののふの心の鏡曇らずば

もののふの心の鏡曇らずば
      立逢う敵を写し知るべし

 武士の心の鏡が雲っていないならば、立合う敵が如何にしようとするのか、相手の心を写し知る事が出来ると知れるであろう。

 この歌の上の句の「心の鏡」ついて、卜伝は弟子達にどのように解説し伝えていたのでしょう。戦国時代末期から江戸時代に成立した剣術各流派も同様の教えが見られます。
 何かを写すとか知るとかの表現に「心の鏡」に写すとか言われます。広辞苑では「心の鏡」を清浄な心を鏡にたとえていう語。と云っていますが、この「清浄な心」が卜伝の云う「心の鏡」なのでしょうか。
 「清浄な心」とは何だと云っても「清らかで汚れのない心」と返って来たのでは「敵を写し知る」など出来そうもない。

 意味不明な事にこだわっていても、卜伝の思いが聞こえて来ないのです。下の句の相手の「心」すなわち、我に対して何をしようとするのかが判れば、それに応じる手段も出て来る筈です。
 新陰流で云えば新陰流截相口伝書亊の「色付色随事」、敵のはたらきを見てそれにのって勝事。
 無外流ならば無外流真伝剣法訣の十剣秘訣「神明剣」の教えによる「端末人未だ見えず、天地神明物に応ずる運照を知るを能わず、変動常に無く敵に因り転化す、事の先を為さず動きてすなわち随う」
 無雙神傳英信流居合兵法ならば「居合心持肝要之大事 居合心立合之大事」に「先ず我身を敵の土壇ときわめ何心なく出べし、敵打出す所にてチラリと気移りて勝事なり、稽古にも思い案じたくむ事を嫌う能々此の念を去り修行する事肝要中の肝要也」

 その敵の思いを知るには、「心の鏡曇らず」でなければならない、敵の考える事を無視して、勝つ事ばかり思い描いて、敵の隙に打ち込んだところ、敵は我が「色に付き色に随う事」を知って我が隙をついて来る。
 一刀流の「水月之事」、無外流の「水月感応」などの教えは、この「心の鏡」を水に写る月にたとえて教えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 
  

| | コメント (0)

2020年10月31日 (土)

道歌6塚原卜伝百首6の92もののふの迷う処は何

道歌
6、塚原卜伝百首
6の92もののふの迷う処は何

もののふの迷う処は何ならむ
       生きぬ生きぬの一つなりけり

 武士が迷う処は何かと云えば、生きよう生きようとするそれだけである。

 山本常朝の葉隠では「武道の大意は何と御心得候や、と問い懸けたる時、言下に答ふる人稀なり。かねがね胸に落着きなき故なり。さては、武道不心掛の事知られたり。油断千万の事也。武士道といふは、死ぬ事と見附けたり・・」と冒頭から語られています。

 常朝といえば、鍋島藩の侍で鍋島光茂に仕え、追腹禁止令の先駆けを寛文元年1661年に光茂が出している。追腹した者の子を取りたてるべき状況が既に無く、平和な時代には、かえって弊害の方が大きくなりだした。其の後寛文3年1664年には幕府によって全国的に殉死禁止令が公布されている。
 山本常朝は追腹を許されず隠居し田代陣基と出合い葉隠が残された。鍋島藩は柳生但馬守との関わりも強く小城の鍋島元茂は兵法家伝書を相伝している。その相伝の元茂の代理で山本常朝の叔父村上伝右衛門が柳生宗矩から受け取っている。(黒木俊弘著肥前武道物語より)

 常朝の武士道は二つに一つを選ぶなら迷わず死を選ぶのが武士道と決めつけ、今の侍は心が坐って居ないという。潔く死ねるのは祖先の名誉を汚す事無く子孫に花を持たせてあげられる時、現実性があるかもしれません。然し追腹禁止とは、追腹した家臣の子弟を取り立てる事がむしろ弊害と解って来た武士社会の変化によるもので、追腹したとて何も残せない時代と成って来たことを表しています。
 出来の悪い子弟に役目を引き継がせるよりも、出来の良い若者を新たに採用した方が良いに決まっているでしょう。
 卜伝の嘆きも時代に乗り切れない彼の潔く死を選ぶ安易なものでは無く、「生きる」生きている間に夢を追って望みを遂げようとする、武士が公家の下に置かれていた時代から、本格的な武士社会の到来した事を表している様な気がします。

 現代でも、武士道精神などと云って、葉隠れにあこがれ意味不明な懐古趣味の「おっさんたち」がいるようですが、武士道精神も時代と共に動かなくてはならないのでしょう。封建的な上から下を見る社会に於て、上が望む事に下が合わせる事で、生き死にの基準を求めた社会が常朝の立場であり思想でしょう。
 卜伝は、小さいながらも城主でもあった様ですから、それと、兵法者として生き残る事は思想の根底に無ければ成り立たないと思うのです。臍を曲げて「生きぬ生きぬ」は「死ぬ死ぬ」だと読むのも一つでしょう。その時の「死ぬ」は何でしょう。

 コロナウイルスの緊急事態宣言によってステイホームを要求され、自宅勤務による多くの変化が明らかに見えて来ました。
 企業の存在は場所では無く、そこへ行かなくとも企業活動に関われること。残業や早出の評価より業務達成度の方が大切な事。学校に行かなくとも勉強が出来る事。通勤通学の電車の混雑やエネルギー消費の無駄が無くなる事。高い事務所費用もその周辺の住宅街の集中などの緩和も。さがせばいくらでもでてくるでしょう。
 反面同僚とのかかわりが薄れ、所属意識が低下する。人間関係が企業人関係から新たに作られるなどなど。
 生産工場ではロボット化・機械化・AI化の促進によって出勤日数や時間の短縮なども夢ではない。
 それは、今までの常識である、ある特定の場所に参加する人が集まって事を為すのではない時代を要求されたことに外ならない。
   ミツヒラ 思いつくままに(2020年5月21日書之) 
 

| | コメント (0)

2020年10月30日 (金)

道歌6塚原卜伝百首6の91もののふの学ぶ教え

道歌
6、塚原卜伝百首
6の91もののふの学ぶ教え

もののふの学ぶ教えはおしなべて
       その究(極)みには死の一つなり

 武士が学ぶべき教えは総て一様に極まる所は死の一つである

 武士が学ぶ教えの究極は「死」、死ぬ事を教えるのだと云うわけです。
 礼儀作法から、刀の扱い方、歩き方、構や業技法など「かたち」を習い、其の業技法の運用は形ばかりで、決まってない。その上後の先だ、先後の先だとか、教える方も解ってない敵の害意を察してとか。仮想敵相手に一人稽古して見たり。棒振りの当てっこで勝ったの負けたので一喜一憂して。そうかと思えば、抜こうとしたら柄がしらを抑えられたり、柄を取ったのに投げ飛ばされたり。随分色々学んだり稽古を重ねて来たものです。
 現代では、主君の為に親の為に命を投げ出しても、「命を懸けるのは解ったけれど死んでしまってはね~。」と云われるばかりです。

 武術はコミュニケーションの最終手段、正しいと信じた事を貫き通すには死ぬつもりが無ければならない。

 武術の業技法から一気に「死」にはつながらない。業技法を見事に演じられるには、状況を把握し即座に手足がそれに応じる回路を作り上げ、尚且つもっとも良い状況を作り出すために其処に誘い込んで、シナリオを演じる。
 然しより優れたシナリオを作り上げたものには打ち負かされてしまう。「かたち」を追い掛ける「マニュアル」が無いと何もできない人間には、コミュニケーションの最終手段にも、まして信じた事を貫き通すなど出来っこない。

 「死」の意味が、心臓が止まり脳死にいたる、生物の死をイメージしたのでは無く、もっと抽象的な死を思い描いてしまいます。
 全世界に脅威を振りまいているコロナウイルスに対応し、吾々一人一人がその立場立場で全知全能を駆使して戦っている。そんな時に「コロナウイルスを避けられなければ人類皆死だよ、お前さんどうする」と云われ「死ぬだけ」などと云って居られない。
 死は望まずとも、いずれ誰にでも来るものです。其の死と「もののふの学ぶ教えはおしなべてその究みには死の一つなり」の「死」は同じではないのでしょう。遠い昔の教えでは無く、今を生きる者にも心を揺さぶられるものとして歌を読みたいものです。

 卜伝の正しい経歴も、其の武術の内容も、ましてその心も伝わっているとは云い難いのですが、武術の究極は「死」と云い切っています。

| | コメント (0)

2020年10月29日 (木)

道歌6塚原卜伝百首6の90もののふの心の内

道歌
6、塚原卜伝百首
6の90もののふの心の内

もののふの心の内に死の一つ
      忘れざりせば不覚あらじな

 武士の心に常に忘れてはならない事は死である、それを忘れたのでは武士と云うわけにはいかない。

 此処での「死ぬこと」及び「不覚をとること」の根本的思想を卜伝はどのように捉えていたのでしょう。死ぬことは、如何なる人でも避ける事の出来ない運命である事は周知のことです。其の死を受け入れる事は誰でも容易なことでは無いでしょう。それを軍や真剣勝負によって「今」だと認識する事をその状況で忘れるなと云う。
 それほど死を思えと云う本当の所は何なのでしょう。
 名を惜しみ名誉の死でありたい等の死ではなく、如何に生きたかを思えと云う事で無ければ意味はない。その生きざまも、自分の幸せであったことが、身近な人々の幸せも得られたと思える満足の死である事を望みたいものです。
 
 武士とは何なのだ、武士とは国の為、主君の為、先祖の名誉を担い、今ある家族や子孫の幸せを願い、それを阻害する敵と戦い潔く死ねる者が武士なのか。
 卜伝のように国を出て三度も廻国修行し、尚且つ戦争と聞けば助っ人を買って出、兵法者の仕合とあれば真剣で立合うなどが武士らしい死と云えるのでしょうか。卜伝の武士とはこうあるべきという思想が見えて来ないのは、常に死の状況に出合っていたあの時代とは、私の今が根本的に違うのでしょうか。

 大道寺友山の「武道初心集」では死について「武士たらんものは正月元旦の朝雑煮の餅を祝うとて箸を取始るより其年の大晦日の夕に至る迄日々夜々死を常に心にあつるを以本意の第一とは仕るにて候。・・今日有て明日を知ぬ身命とさへ覚悟仕り候におゐては主君へもけふを奉公の致しおさめ親へつかふるも今日を限りと思ふが故主君の御前へ罷出て御用を承るも親々の顔を見上るも是をかぎりと罷成事もやと存るごとくの心あひなるを以主親へも信実の思ひいれと不罷成しては不叶候。さるに依て忠孝のふたつの道にも相叶ふとは申にて候。・・死を常に心にあつる時は人に物をいふも人の物云う返答を致すも武士の身にては一言の甲乙を大事と心得るを以て訳もなき口論などを不仕・・」天保5年1835年版 大道寺友山は寛永16年1639年生~享保15年1730年没

 山本常朝の語らいを田代陣基が書いたと云う葉隠には「武士道というふは、死ぬ事と見附けたり。二つ二つの場にて早く死ぬ方に片附くばかりなり。別に仔細なし、胸すわって進むなり。図に当たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打上りたる武士道なるべし。二つ二つの場にて、図に当たるやうにするは及ばぬことなり。我人、生くる方が好きなり。多分好きな方に理が附くべし。若し図にはづれて生きたらば腰抜けなり。この境危きなり。図にはづれて死にたらば犬死気違なり、恥にはならず。これが武道には丈夫なり。毎朝毎夕改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道の自由を得、一生落度なく、家職を仕果たすべきなり」宝永7年1710年に陣基は常朝に初面会しています。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

介錯口伝・他・神妙剣 古伝研究会(無雙神傳英信流居合兵法) 品川東海寺所蔵柳生新陰流兵法覚書 女剣士 居合兵法の和歌15-7 居合兵法極意巻秘訣15-6 居合兵法極意秘訣15-3 干支を読む 文化・芸術 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 書を楽しむ 曽田本その1の3業附口伝原文4大小立詰 曽田本その1の3業附口伝読み解く4大小立詰 曽田本その2を読むの2 曽田本その2を読むの3 曽田本その1の1神傳流秘書を読み終えて 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く始めに 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く1抜刀心持引歌 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く10夏原流和之事 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く2居合兵法伝来 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く3大森流居合之事 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く4英信流居合之事 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く5太刀打之事 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く6坂橋流棒 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流1詰合 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流2大小詰 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く7重信流3大小立詰 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く8大剣取 曽田本その1の1神傳流秘書を読み解く9抜刀心持之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文1抜刀心持引歌 曽田本その1の1神傳流秘書原文始めに 曽田本その1の1神傳流秘書原文10夏原流和之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文2居合兵法伝来 曽田本その1の1神傳流秘書原文3大森流居合之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文4英信流居合之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文5太刀打之事 曽田本その1の1神傳流秘書原文6坂橋流棒原文 曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流1詰合 曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流2大小詰 曽田本その1の1神傳流秘書原文7重信流3大小立詰 曽田本その1の1神傳流秘書原文8大剣取 曽田本その1の1神傳流秘書原文9抜刀心持之事 曽田本その1の2英信流目録原文初めに 曽田本その1の2英信流目録原文1居合棒太刀合巻 曽田本その1の2英信流目録読み解く初めに 曽田本その1の2英信流目録読み解く1居合棒太刀合巻 曽田本その1の3業附口伝原文を読み解く初めに 曽田本その1の3業附口伝原文1太刀打之位 曽田本その1の3業附口伝原文2詰合之位 曽田本その1の3業附口伝原文3大小詰 曽田本その1の3業附口伝読み解く1太刀打之位 曽田本その1の3業附口伝読み解く2詰合之位 曽田本その1の3業附口伝読み解く3大小詰 曽田本その1の4居合根元之巻原文 曽田本その1の4居合根元之巻読み解く 曽田本その1の5居合兵法極意秘訣原文 曽田本その1の5居合兵法極意秘訣読み解く 曽田本その1の6英信流居合目録秘訣原文 曽田本その1の6英信流居合目録秘訣読み解く 曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣原文 曽田本その1の7居合兵法極意巻秘訣読み解く 曽田本その2を読む 曽田本その2を読むの4 曽田本スクラップ土佐の居合 曽田本スクラップ居合 曽田本スクラップ戦時下 曽田本免許皆伝目録15-11 曽田本業附口伝15-10 曾田本その1の8その他原文 曾田本その1の8その他読み解く 曾田本その1の9居合兵法の和歌原文32首 曾田本その1の9居合兵法の和歌読み解く32首 曾田本その1付録曽田虎彦研究中抜刀術 曾田本その2を読み解く 月之抄を読む 無雙神傳英信流居合兵法1抜刀心持之事 神傳流秘書14-10英信流目録小太刀之位 神傳流秘書14-1序 神傳流秘書14-2引歌及び伝来 神傳流秘書14-3大森流・英信流・太刀打 神傳流秘書14-4棒 神傳流秘書14-5詰合 神傳流秘書14‐6大小詰・大小立詰 神傳流秘書14‐7大剣取 神傳流秘書14‐8抜刀心持之事 神傳流秘書14‐9夏原流和之事 秘歌之大事 稽古の日々 英信流居合目録秘訣15-4 英信流目録15-8 道場訓 道歌3田宮流居合歌の伝 道歌4無外流百足伝 道歌5柳生石舟斎兵法百首 道歌6卜伝百首