道歌6卜伝百首

2020年10月 1日 (木)

道歌6塚原卜伝百首6の62もののふの児(ちご)や女に

道歌
6、塚原卜伝百首
6の62もののふの児(ちご)や女に

もののふの児(ちご)や女にたわむれて
       心おくれぬ事はあらじな

 武士が子供や女に遊び興じていては、心が臆する事にはならないか。

 卜伝は生涯独身で、家督は養子を迎えて継いだとされています。兵法家として何時でも力を発揮するには、後髪を引かれる生き方を自分に、許さなかったのでしょう。
 兵法者としての誰にも勝負では負けないと云う誇りが先に立って、何の為に兵法を志すのかの目的意識が柳生石舟斎宗厳とは違った生き様をして来たのかも知れません。
 卜伝(延徳元年1489年生まれ)より19年ほど遅れて生まれた上泉伊勢守信綱(永正5年1508年生まれ)は、上州箕輪城落城が56歳(永禄9年1564年)でした。武将としての半生を、敗北の人生として過ぎ、兵法家として踏み出した第二の人生だったのでしょう。卜伝は、その時75歳、第三回廻国修行中でした。
 其の2年後上泉伊勢守は柳生石舟斎宗厳(38歳)に新陰流影目録を印可しています。
 
 卜伝は元亀2年1571年第三回の廻国修行から戻ってすぐに没しています。82歳でした。生涯兵法者であり続けようとしたのかも知れません。

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2020年9月30日 (水)

道歌6塚原卜伝百首6の61もののふの足踏み延べて

道歌
6、塚原卜伝百首
6の61もののふの足踏み延べて

もののふの足踏み延べて仰向きに
      寝ては勝負に勝たぬもの哉

 武士たるもの足を広げ大の字になって寝たのでは、勝負に勝てないのは当然だ。

 仰向けに寝るのは当たり前と思っていたのですが、駄目だと云うのです。仰向けに寝るのは良いとしても、大の字になって寝る様な、前後不覚に寝る様では、何時如何なる状況にも応じられる、心構えとは言えないと云うのでしょう。
 全く他人を意識しない様な環境ならばいざ知らず、室町時代中期からの下克上や夜盗の横行を考えれば、普段から寝ていても周りの変化を認識できる訓練をして置く、刀をいつでも取れる状態に置く、刀が無ければ代る物、他人の存在を意識する所では爆睡はしない。
 
 この歌を卜伝が歌った時、弟子の誰かが廻国修行の際、前後不覚の爆睡状況で、つついた位では起きる事もしなかったのかも知れません。訓練次第で相当敏感に反応できる睡眠状態は作り出せるはずです。
 現代でも、地震・津波、豪雨・洪水・山崩れ、火事。など反応は人それぞれでかなり違います。危険予知能力は訓練できそうです。

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2020年9月29日 (火)

道歌6塚原卜伝百首6の60もののふの軍の場(にわ)に持つもの

道歌
6、塚原卜伝百首
6の60もののふの軍の場(にわ)に持つもの

もののふの軍の場(にわ)に持つものは
        梅干しにますものはあらじな

 武士が軍に臨んでその場に持つものは、梅干し以上のものはある訳がない。

 梅干しを中国渡来の薬として伝来し梅の木も伝わった様です。平安中期の「医心方」の食養編に記録されているのが古いものです。「医心方」とは宮中の官医鍼博士丹波康頼が書きあらわしたものです。
 その梅干しの薬効は「味は酸、平、無毒、気を下し、熱と煩懣を除き、心臓を静め、四肢身体の痛みや手足の麻痺なども治し、皮膚のあれ、萎縮を治すのに用いられる、下痢を止め、口の渇きを止める」(トノハタ梅と日本より)。 梅干しは中国から伝来した当初は、烏梅(うばい)と云って梅を燻製して乾燥させた真黒いものだったとか。日常お目に掛かる梅干は梅を塩漬したものとは製法が違っていた。
 梅干に含まれるクエン酸が血液さらさらや疲労回復、殺菌、防腐効果をもたらし、食中毒カルシュウムの吸収を促し、ピロリ菌の活性を抑制し、 虫歯予防、バニリンはダイエット効果も期待できる。梅干しの酸味からパロチンの分泌を促し食欲増進。ポリフェノールは抗酸化作用がある。
 梅干屋さんの宣伝文句からの抜粋ですが「医心方」の漢方の効能は経験値によるものでしょうが凄いものです。

 梅干しの庶民への普及は江戸時代、戦国時代の薬物から携行食となって、梅林が各地に出来普及していったのでしょう。卜伝の時代比較的安価な万能薬でもあり、製法も簡単。
 見ているだけで唾液が促進され食欲が進み、薬物として効くとあっては「梅干しにますものはあらじな」と云うのも頷けます。
 現代でも梅干しは好まれている食べ物と云う感じがしますし、製法も昔と変わらないのも凄いと思います。クエン酸の効果だけを期待するならば薬品などあるでしょう、食べ物ではレモンが梅の4、5倍含まれています。加工食品ではやっぱり梅干しでしょう。
 

 

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2020年9月28日 (月)

道歌6塚原卜伝百首6の59もののふの坂と馬上に指す刀

道歌
6、塚原卜伝百首
6の59もののふの坂と馬上に指す刀

もののふの坂と馬上に指す刀
       反りを打たぬは不覚なるべし

 武士が坂道や馬上では腰に指す刀は、反りが無いのは不覚である。

 この歌の「指す刀」ですから腰に佩く太刀ではなく刀です。卜伝の生きて来た時代は、武士は馬に乗って腰に佩いた太刀を片手で持って斬りつけていた。
 戦闘方法が変化し、雑兵に槍を持たせて攻め込み、白兵戦になると腰に指した刀を抜いて戦った、此の時の刀は両手で持つように変化してきている。
 卜伝の経験値から、坂や馬上では反りのある刀が良いと云う。では何故そう言うのかは卜伝の解説は無さそうです。識者の著書や発言から求めても納得いく答えにはなりそうもない。
 馬上では抜刀しやすい反りが要求されるのか、片手斬りつけには反りが深い方が有効なのか、いくつか意見は有っても反りの深い太刀から、短目の打刀ならば、反りなど気にするほどのことでもない。
 まして「坂」でのことでは、帯刀した場合、2尺3寸程度の刀で反りが深いとか浅いなどは問題なく、抜刀にも支障は感じない。卜伝の時代に戦法の変化や太刀から刀への移行があったが、太刀の反りは大方7分から1寸程度、刀は3分から8分程度の様です。
 卜伝の歌心は、今まで使い馴れた状況が変わってしまい使い勝手に違和感を感じるのか、懐古趣味の強い一面を表しているのか、そんな気もします。
 刀の長さ重さバランス反り柄の太さ長さ鞘との相性そんな事を気にして見ても、何振りも刀を試すわけにもいかず、如何に調子よいものでもその場に無いとか、折れたとか、この歌で云う場の条件が変わってしまうとか。
 私は、寧ろ、状況次第でどのような刀でも問題なく抜き付け出来、業を打つ事が出来る稽古に身を入れたいと、居合を始めた時から思っていました。刀が合わなかったから死ぬのでは武術とは言えないでしょう。
 
 

 

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2020年9月27日 (日)

道歌6塚原卜伝百首6の58もののふの味好みするな

道歌
6、塚原卜伝百首
6の58もののふの味好みするな

もののふの味わい好みするなただ
        常に湯漬けを食するぞよき

 武士は食べ物の旨い不味いと味わい好き嫌いをするものではない、ただ常に湯漬けを食べているだけで良い。

 卜伝独特の食に対する発想でしょうか、湯漬けさえ食していれば武士は良いのだと云うのでは、現代風に言えば食が偏って満足に体を維持できない。
 卜伝の教えには大きく変化していく室町時代に何処か時代を受け入れられず、坂東の田舎暮らしから抜けられず戸惑っていた雰囲気が漂う気がします。
 卜伝の生きた室町時代は、歴史教科書では足利尊氏が建武式目を制定し将軍となった1336年から15代足利義昭が織田信長に京都から追放された1573年237年間のことになります。卜伝は1489年生まれで1571年に没しています。室町時代中期から後期に生きたわけです。
 この時代、国内は戦争に明け暮れていた時代であると同時に、海外から多くの文化がなだれ込んできた時期でもあり、日本文化も著しい変化と発展を来した時代でもあったのです。
 食生活も、以前は一日二食であったものが、雑兵に雇われたりして庶民は戦場での習慣などから一日三食に変わり始め、食事内容も醤油が使われ始め、味噌を使った味噌汁が呑まれ、食事の品数も増えて来た。茶の湯や懐石料理なども始まり、米を炊いて食すようになり、漁業の発達から魚料理や、漬物も出されるようになってきている。

 楽市楽座などで豊富な食材も手に入るようになったと云えるでしょう。農業の発達から農民も裕福な者が現れ、武器を持った郷士なども現れたと云えるでしょう。最も厳しい時代でもあるが、生き生きとした時代でもあったと思います。
 現在の日本の基礎的文化はこの時代に形成されたと云っても可笑しくないでしょう。

 それなのに卜伝の歌は一昔前の暮らしを愛でるが、幾つもあって何故それが好ましいのかの解説が聞こえて来ないのです。何時の時代でも底辺を生きる人は、衣食住に変化は起こせない、だからと云ってそれに合わせるのでは、兵法など学ばなくとも良い、変化し進歩するから底辺にも恩恵があるもので、其処から抜け出られる事もあり得るものです。
  

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2020年9月26日 (土)

道歌6塚原卜伝百首6の57もののふの刀のつめ

道歌
6、塚原卜伝百首
6の57もののふの刀のつめ

もののふの刀のつめを知らでこそ
      常に不覚のえてしあるらめ

 武士が刀のつめを知らないのであれば、常に不覚をとるであろうな。

 「刀の徒免(つめ)」とは、「つめ」を武術的な発想で漢字に書けば、詰・積・摘ぐらいでしょう。刀を兵法に置き換えた刀法の間積もりや間を詰める事、相手の出足を摘み取るなどを知った上でさらに命を懸けて相手と立合はなければ、必ず不覚を取るであろう。スポーツ剣道や古伝の形の伝承位のレベルでのことでは、卜伝の兵法の詰めが出来ません。
 卜伝の兵法の基礎は飯篠長威斎の起した天真正神道流とされています。長威斎直伝との話もある様ですが、長威斎の死後卜伝が生まれたと云う事の様で疑問です。卜伝は実父吉川覚賢から家伝の鹿島中古流と戸田系の外之物を学び、養父塚原土佐守安幹から神道流は習ったとさています。
 武術流派は幾つも起こり消えていくのも常のことでしょう、現在稽古されている流派の形やその業の数々は決して流祖の起こしたものと同じとは言えません。然しその奥の奥に残っているかもしれない。それが他流とどれほどの違いがあるのかは計り知れないと云うより、究極は同じ所に行き着く、そして死ぬまで求め続けることになる、と思っています。

 卜伝は武器の良し悪しをどの様に捉えていたでしょう。此処では刀と云う武器の「刀のつめ」ですから刀の材質あるいは鍛造にかかわる「詰」について、「刀の性質を知らないのであれば、常に不覚を得るのは当然である、」と読むのも一つかもしれません。
 鎌倉時代には既に刀の製造技術における「鍛刀法」、鉄を打ち、鍛え、日本刀とする技術は完成されていたと云われます。「折れず曲らず良く切れる」のが日本刀と云われます。その構造は刃の部分は炭素含有量の多い堅いもの、内側の芯は炭素量の少なく柔らかいもの。その組み合わせに四方詰・本三枚詰・甲伏などの方法があります。
 甲伏は柔かい芯鉄を堅い皮鉄でくるむ二種類の鉄でできている。本三枚詰は三種類、四方詰は四種類と云うようになります。卜伝はこの様な鍛造法で作られた刀をどこで作られたのか知る事で刀の良し悪しを知ったのでしょう。大和・山城・相州・備前・美濃の五箇伝を指していたかも知れません。

 「卜伝百首の歌心も知らないで良く解説するよ」と云われても、歌を読んで弟子に語った口伝を知らない、卜伝の新当流を知らない、卜伝の兵法の奥義を知らない、卜伝百首の原本をそのまま書写したものを見た事も無い。まして百首を正しく読み下し、解説したものを知らないの知らないづくしなのですから、この歌など現代の誰が解説しても其の人の力量の範囲でしか解説されないはずです。
 恐らく古文書読解の大家でも、剣術の大家でも歌心の周辺を掠るのが精一杯と思います。
 
 

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2020年9月25日 (金)

道歌6塚原卜伝百首6の56もののふの踏むぞ拙き

道歌
6、塚原卜伝百首
6の56もののふの踏むぞ拙き

もののふの踏むぞ拙き皮草履
      児や女のかざりなるべし

 武士が足に履く粗末な皮草履は、稚児や女の飾りに過ぎない。

 此処では「皮草履」の文字があてがわれています。「足袋」とは違うのでしょう。草履ですから材質が皮であっても鼻緒のついた突っ掛けでしょうから、戦場で履くような代物にはならないというのでしょう。履物によって行動の仕方も変わってしまいます場に臨んでは場に合う履物と云うのでしょうか。
 卜伝の歌は、俺はこう思うが先に有って、何故そうする、そうすればこうなる、が読み切れません。実戦経験からくる教えだから.兎や角云わず其の儘信じろと云われても困ります。
 

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2020年9月24日 (木)

道歌6塚原卜伝百首6の55もののふの寒きを侭に

道歌
6、塚原卜伝百首
6の55もののふの寒きを侭に

もののふの寒きを侭に足袋はきて不覚をかゝぬ事はあらじな

武士が寒いと云う侭に、早々に足袋を履いて不覚を取る事は無かろう。

 鎧を着た場合の足は、この歌では素足が当たり前のように聞こえるのですが、読み間違いがあるのでしょうか。
 平安時代から大鎧の足は貫(つらぬき)という毛沓で毛皮製の袋状の浅い沓を履いています。武士や漁師なども履いていた様です。戦国時代では革もしくは木綿の足袋を履いたとされています。下級武士や雑兵も足袋に草鞋履きです。
 寒ければ動きが鈍る、卜伝の生国は北関東ですから寒さは厳しかったでしょう、それだけに、多少の寒さで足袋を履く様では冬の寒さをしのげない、寒さに慣れるのも必要でしょう。足袋を履いた方が不覚を取らないはずです。

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2020年9月23日 (水)

道歌6塚原卜伝百首6の54もののふの帯は狭きを

道歌
6、塚原卜伝百首
6の54もののふの帯は狭きを

もののふの帯は狭きを好むべし
      広きは刀抜けぬ所なり
別伝
もののふの帯は狭きを好むべし
      広きは刀抜けぬ故なり

 武士の帯は狭いものが良い、広い帯は刀を抜けないからだ。

 珍しく、何々だから何々という何故を読み込んであるのですが、この帯は着物の帯なのか鎧の帯なのか、刀と云っていますから太刀では無く打刀です。抜けないのは鞘ごと帯から抜き取るのか、刀を抜き付ける時に鞘送りも鞘引きも出来ないと云うのか何の解説もありません。
 此処では鎧を付けた場合の上帯と云う事で其の上帯の幅が広いと上帯に直接差し込む刀が抜きずらくて不覚を取ると云うのでしょう。上帯も二重若しくは三重に巻きます。
 胴丸の上から巻いて前で結ぶ長さは12尺程度、幅は2寸ほどで麻の角帯ですから、現在居合などで着物の上から巻いて袴を着ける角帯と同じ様なものと思えばいいでしょう。

 私は絹織り袋帯の400cm×9cmの角帯を締めて居合を稽古しています。帯を臍下に三重に巻いて一重の上に刀を差しています。無双直伝英信流の場合は小太刀は帯下に差す習いです。腰がグット安定して気持ちが良いです。

 此処で云う「広きは刀抜けぬ故なり」の状況は感じた事はありませんが、剣道の黒い木綿の帯ですと、刀が落し差になるので嫌いです。
 
 

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2020年9月22日 (火)

道歌6塚原卜伝百首6の53もののふは女にそまぬ

道歌
6、塚原卜伝百首
6の53もののふは女にそまぬ

もののふは女にそまぬ心もて
      是ぞ誉の教えなりける

 武士は女に染まってしまわない心を持つものだ、これこそ名誉なことという教えである。

 「女にそまぬ」とは、女に感化される、女にかぶれるなどが本来の意味ですが、さてどの様に卜伝は思っていたのか疑問です。
 卜伝は82歳の生涯と云われています。その内三度の廻国修行に出ています。
 第一回が16歳から29歳までの13年間、第二回33歳から44歳の11年間。第三回が67歳から82歳の15年間です。
 82歳の生涯の内39年間は廻国修行で16歳で第一回廻国修行に出ていますから、16歳から82歳の66年間が成人した卜伝でそのうち39年は廻国修行であれば27年間は国に居た事になります。生涯独身の様でしたが、29歳から33歳の4年間、44歳から67歳に23年間つごう27年は生国ですから其の辺りで娶っていたかもしれません。
 嫁をもらっていても、いなくとも女に現を抜かしたり、かぶれたりしない事が武士の誉だと云うのです。卜伝には三人の男子がいて家督を譲る際、彼らの器量を試した逸話があります。「自分の居間の入り口の暖簾の上に小さな鞠をのせ、潜ればすぐ落ちる様に仕掛けてまず嫡子彦四郎を呼んだ。彦四郎は見越しの術をもって頭上の鞠を見つけて、そっと取って妻戸の側に置いて部屋に入った。卜伝は又、もとのようにして次男源五を呼んだ。源五が暖簾を上げて入ろうとすると鞠が落ちてきた。アッ!とおもわず腰に手をかけたが、鞠であることに気づいて静かに座した。同じ様に三男や弥藤太を呼んだ。弥藤太が暖簾を開と鞠が落ちてきたので、刀を抜いて之を斬った。三子の動作をみて卜伝は長子彦四郎に一刀を授けて「汝能くその器にたへたり」と賞して家督の相続を許したという。(武芸小伝)」

 彦四郎を養子としたことは史実上のこととされていますが、実子三人のことは疑問です。茨城の武芸(剣の巻)より。

 

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